ボイス販売とは?
「そんなワケでボイス販売を始めようと思う」
「どんなワケ?」
脈絡のない俺の発言に、瑠璃が光の速さでツッコミを入れて来た。
流石は実の妹だ。兄が求めている的確かつ端的なツッコミをぶつけてくれる。
「最近FMKの公式メールフォームに同じような問い合わせ……っていうか要望が相次いでてな」
「どんな内容なの」
瑠璃が幽名の髪を櫛でとかしながら、こっちも見ずに聞いて来た。
幽名は他人に身だしなみを整えてもらうのがさも当然とでも言うように、非常に凛とした居住まいで目を閉じている。基本的には瑠璃か奥入瀬さんがローテで幽名の世話を焼いているが、最近はそこに新マネージャーとなったフランクリンが加わって良く分からない修羅場を形成し始めていた。そしてそんな情報はボイス販売の流れに一切関係ない無駄な情報だ。忘れてほしい。
「一番多い要望は、姫様のボイスなどのグッズを販売しろってのだな」
「姫様指定なんだ」
「わたくしですの?」
人に姫様呼びを強要して憚らないアルビノの令嬢が、白羽の矢が自分に飛んできたことに気付いて目を開けた。
「姫様は前々から熱烈なファンが多かったからな。それがこの前の密カスの影響で、どうにも勢いが増してる感がある」
「まあ、わたくしの臣民がとんだ粗相を」
臣民というのは、幽名のリスナーを指したファンネームのことである。君主かお前は。
「粗相ってほどでも……まあ、割と正直ウザいんだが。1日に200件くらい長文で要望送って来るし」
しかも全部文面が違う。コピペじゃなくて一通一通心を込めた長文で訴えかけてきてる。
全部同じ人間からだとしたら恐怖だが、実際は複数の人間が示し合わせて大量に送り付けてきているのだろう。
『送って来た人間を特定して黙らせることも可能ですが』
「やめい」
bdの提案は即却下だ。
こいつ地味にサイバー犯罪への抵抗がなさ過ぎる。
そういうことをやっていいのは悪い人間相手にだけだ。
今回の相手は、あくまでも努力の方向性が明後日の方向を向いているだけの純粋なファンである。
そしてファンの求めに可能な限り応えてあげるのも、VTuberとして必要な姿勢だとも思う(無論、全部の要望に応える義務はないが)
配信するだけがVTuberの仕事じゃない。
FMKもいよいよ販路を増やす時が来たのだ。
「話は聞かせてもらったわ! 人類は滅亡する!」
と、金の臭いに敏感なFMKの借金王が、懐かしのネタを引っさげて事務室に飛び込んできた。
一鶴だ。
「とうとうやるのねボイス販売。今か今かと待ちわびてたわよ」
「お前どっから話聞いてたの? 盗聴?」
「盗聴なんてするわけないじゃん。面白そうな話が聞こえたからドアの前でタイミング計ってたのよ」
「あ、そう」
盗聴器事件がついこの間あったばかりだから、無駄にそこら辺に敏感になってしまっていた。
そしてこんな話題をしているにも関わらず、盗聴器を仕掛けた張本人であるフランクリンは素知らぬ顔で事務仕事をしている。机の上にはドーナツとコーヒー。すげえアメリカンスタイルだ。U・S・Aのマスターに見習わせたいぜ。
「ボイス販売とは?」
いつものように幽名が首を傾げる。
その質問に答えるのは、幽名の髪を三つ編みにして遊び始めていた瑠璃だ。
「そのまんまの意味。声を録音して、それを商品として売ること。姫様どんな髪型も似合うね」
「ありがとうございます瑠璃様。声を録音……どんな音声でも宜しいのでしょうか」
「ボイス販売にも色々あるけど、一般的なのはシチュエーションボイスかな」
「シチュエーションボイス?」
「特定のシチュエーション下で、聴き手に向けてのセリフを収録したもの、みたいな?」
「なるほど? 具体的にはどのようなシチュエーションを想定すれば良いのでしょう?」
「うーん……今は夏だし……例えば、夏祭りデートをしている場面とか……?」
「試しにやってみて頂いてもよろしいでしょうか」
「え!? 今ここで!?」
「はい」
真剣な目で瑠璃を見つめる幽名。
そんなお嬢様からの
俺や一鶴が振っていたなら秒で突っぱねていただろう瑠璃も、幽名の純粋無垢な知的好奇心から来るお願いを無下にすることは出来なかったようだ。
「わ、分かった。じゃあ一回だけ、導入部分だけのお試しだからね」
「ええ、はい」
ゴホンと瑠璃が咳払い。
事務室内に妙な緊張感が漂う。
「――あ、こっちこっち、やっと来たぁ! もー待たせすぎだよ。早く行こ、もう始まっちゃってるよ。……え? 浴衣? うん、折角だから着てみたんだけど、どうかにゃ? ……ほんと? 似合ってる? えへへ、ありがとう。じゃあはい! ……? どうしたの? ほら、手。人がこんなに居るんだから逸れにゃいようにしっかり手を繋がにゃきゃ。ぎゅーってして、絶対に
………………コメントし辛い空気が蔓延する。
薙切ナキと夏祭りで待ち合わせ風のシチュエーションだったのだろう。
役を作ってまでしっかりとやり終えた瑠璃は、なんとも言えない空気感に次第に顔を赤くし始めた。
そんな瑠璃を気遣って、全員がほぼ同時にパチパチと控えめなクラップを送る。
「拍手やめて……最悪、死にたい」
ソファにうつ伏せになってジタバタとする我が妹。哀れなり。
「大丈夫瑠璃ちゃん、ちゃんと録音しといたから」
「その音声悪用したら一鶴さんを殺して私も死ぬ」
「そんなに思い詰めなくても。あたしは好きよ今の」
「殺す」
「こわ」
というか一鶴はなんでボイスレコーダーを懐に忍ばせてるんだ。
何想定だよ。
「なるほど、参考になりましたわ」
と、幽名が真面目な顔でうんうんと頷く。
しかし直後にまた首を傾げて、
「ですがこのようなボイスに、果たして需要はあるのでしょうか?」
と根本的な問題を提起してきた。
「まあ需要はあると思うぞ。というか幽名のボイスが欲しいって人が大量に要望送ってきてるから、重い腰を上げたわけだし」
「はあ……」
あんまりピンと来てない様子だな。
まあ、お嬢様からすると理解しがたい文化なのかもしれない。
「まあまあ、いいじゃん、やろうよ姫ちゃん。色々と持て余してる男どものリビドーに応えてあげようじゃない。男は女の子の甘々なボイスを聞きたいって願望があるんだから」
「殿方はこれで喜ぶのですか?」
「そりゃそうでしょ。なんならあたしが姫ちゃんやナキちゃんのボイス欲しいくらいだし。男なら尚更でしょ」
「代表様もそうなのですか?」
そこで何故俺に矛先が向く。
全員黙ってこっちを見るな。
「……まあ、そうだな。幽名のボイスなら聞いてみたいかもしれん」
少なくとも小槌や
「そこまで言うのでしたら、この不肖幽名姫衣、ボイス販売に挑戦してみたいと思います」
俺の一言が最後の一押しになったらしく、幽名はボイス販売にチャレンジすることになった。
しかし何故か瑠璃は不機嫌になり、一鶴とフランクリンはニヤニヤと気色悪い笑みを浮かべている。腹立つ奴らだな。
そしてこんな状況でひたすら無言で仕事を続けていた七椿は流石といったところか。
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