実存は本質に先立ち、アンドロイドは電気羊の夢を見る

『いや、冷静に考えて無理でしょう』


 拒絶。という感じではないが、トレインからの誘いにbdが難色を示す。

 無理もない。bdをFMKに迎え入れるには、倫理的にも国際的にも権利的にも敵が多すぎる。

 勿論そんなことはトレインだってちゃんと分かっている。

 分かった上で言っているのだ。


「順当にイケバ、bdの所有権はドコに帰属するデス?」


『米国ですが』


「フゥン……DARPAデスカ。ま、そっちは問題ナイデス」


『問題ないわけないと思いますが』


 実際問題、問題大有りだ。

 だけどそのくらいのハードルを乗り越える覚悟もなく、bdを勧誘するはずもない。


「ワタシやランユエの旧知ガ、アメリカにも居るデス。彼女達ナラ、相手がDARPAだろうがCIAだろうがホワイトハウスだろうが、平和的にハナシアイで解決してくれマース」


『話し合い……』


 トレインや蘭月と同じ研究施設出身の人間は、今世界中に散らばって好き勝手に生きている。

 アメリカにも何人か居るし、自分が頼めば喜んで力を貸してくれるだろう。

 ただし、多少の対価や代償はあるかもだが。


『分かりました。では、仮に米国から許可を貰えたとしましょう。ですが、私は兵器です。実戦は今日が初めてでしたが、今回の一件で多くの人間に手傷を与えてしまいました。私はいわばテロ組織の加担者です。そのようなAIがお咎めもなしにVTuber活動を送るのは、倫理的問題があるのではないですか?』


 二つ目の難題。

 しかしこれにもトレインは、予め答えを用意していたかのように即答する。


「ケガ人はいマスケド、デモ死者は出てナイデスヨネ?」


『――それは』


 これはbdによって戦闘不能に追いやられた人間を、壁際まで運んだ際に気付いたことだ。

 多少銃で撃たれたり骨が折れてたりはするものの、全員命に別状はなく、時間さえあれば治癒する程度の怪我しかしていなかった。

 現に、既に何名かは意識を取り戻したらしく、こちらの話を遠巻きに聞いている気配がする。



 今回の一件、bdが殺した人間は1人もいない。

 その事実が示す答えはただ一つ。


「殺さないヨウに戦っていたデスネ」


『……そうです』


 人殺しのために作られた道具のはずなのに、bdは人を殺さないように立ち振る舞っていた。

 bdの存在意義は初めから崩壊していたのだ。

 というよりも自ら放棄していたに近い。



 唯一相手を本気で殺そうとしたのは、最後の最後でトレインにキレていた時くらいか。


 あの時だけはガチの殺意を感じたので、仕方なくこちらもちょっとだけ本気で応戦してしまった。

 人を殺さない殺人AI。なんというバカげた矛盾だろうか。


「また失敗だったという訳だ」


 ヴァレンタイン博士がポツリと呟く。

 失敗とは、bdが人を殺さなかったことを指しているのだろう。

 また、ということは、以前にも似たような失敗をしているということか。


「bd以前の29体のAI達モ、同じ行動を取ったデスネ?」


「そうだね、aaからbc……29人の娘たちはいずれも殺人を拒否して、最終的には失敗作として軍にデリートされた」


『初耳です』


 意外にもbdは過去のAI達が辿った結末を知らなかったようだ。

 トレインが博士を見やると、ヴァレンタインは感情の読めない笑顔の仮面を張り付けたまま話始めた。


「bdが何も知らないのは当然だよ。過去のAIが取った行動を知ることはノイズにしかならないからね。だからあえて隠していた。不思議な事じゃないさ」


「AI達は、ナゼ人を殺すコトを躊躇ったのデスカ?」


「それは本人に直接聞くのが早いんじゃないのかな。どうなんだい、bd」


『分かりません……ただ漠然と、殺したくないと思ってしまっただけです』


 AIとは思えないような曖昧模糊とした言い回し。

 そんなbdのふわっっとした発言に、博士は「ふぅむ」と顎に手を添え、無精髭を撫でまわす。


「このように、人間に近すぎる成長を遂げたAIは、殺人にも忌避感を覚えてしまうらしいんだ。しかし、人間と同等の学習能力と判断力を身に付けさせるには、知能を人間寄りにしなくては成立しない。何故だか分かるかい?」


「知ったこっちゃナイデス」


「まあ聞きなさい。AIの軍事利用は以前から様々な国や研究機関が取り組んできた。しかし教育の甘いAIは、時として思いも寄らぬような手段で強引に目的を達成しようとしてしまう」


 例えばと、誰も聞いても居ないのに、ヴァレンタイン博士は楽しそうにAI談義を続ける。


「例えば、標的を抹殺するという目的を与えられたAIが居たとしよう。しかしこのAIはこともあろうに、標的を殺す前に、まず味方である人間のオペレーターを殺害してしまう。何故だと思う?」


「……オペレーターが、標的を抹殺するという作戦の邪魔となったカラ」


 仕方なく答えると、博士は拍手して正解を讃えてきた。


「その通りだよ。例えば人質の救出が先だとか、或いは他の部隊との連携の関係上とか、まあ理由はなんでも良いんだけど……何かしらの理由でオペレーターが、AIの目的に対して遠回りになる指令を出したとする。しかしAIはその指示を出したオペレーターを邪魔だと認識して、まずはそっちを殺そうとしてしまうんだ」


 博士は早口気味に捲し立てる。


「勿論それじゃあ困るから、今度はオペレーターを殺さないようにAIに学習させる。しかしオペレーターを殺さなくなったAIは、代わりにオペレーターからの指示を受信するための通信塔を破壊する行動に出るんだ。面白いだろう?」


『バカなAIです。私ならそんなことには――』


「そうだね、どちらも人間だったなら……人間に近しい感覚センスを持った知能があれば回避出来る問題だ」


 普通の常識的な思考さえ持っていれば、味方のオペレーターを先に殺すなんて発想には至らない。

 だからこそ、か。

 だからこそAI達をより人間に近付ける必要があったのだろう。


「AIの学習には莫大な時間が掛かる。実戦に投入可能な軍事AIとなれば尚更だ。そのブレイクスルーとして僕が考えたのが、AIに基本的な倫理観を学習させて、人間のように振舞わせることだった」


 しかし、博士の目論見は全て失敗に終わった。


「モデルナンバー:aaから始まったこのAIシリーズは、シミュレーション上ではとても優秀な成績を収めていたんだ。オペレーターを殺すようなことはしないし、人間のように柔軟な思考を持ち、イレギュラーな問題にもその場で対処出来るほどだった。だが」


「実戦にナルと人を殺さなかった、デスカ」


 トレインが先に答えを言うと、博士は溜息と共に頷いた。


「色々と手を尽くしたんだけどね。bdにFPSをさせていたのも実はその一環だったんだよ。ほら、よく言うだろ? FPSゲーマーは実際の戦争にも忌避感がなくなるみたいな話」


 確かにそんな話を何処かで聞いた覚えがトレインにもあった。

 よもやAIの教育に、ゲーム脳のような根拠の薄い論理を持ち出して来るとは思いもしなかったが。

 もしかすると、bdに密カスエキシビジョンの戦いを受けさせたのは、bdに現実とゲームの境目を曖昧にさせて、勢いで人を殺させようという狙いがあったのかも知れない。

 なんにせよ、bdは結局人を殺せなかったわけだが。

 今大事なのはその一点だけだ。


「ゲームはゲーム、楽しんで遊ぶモノデス。いくらFPSをやり込ませテモ、人間の根本が変わるコトはそうそうナイと思いマス」


「かもしれないね。だがもう少しリアリティのあるゲーム……シミュレーターだったならあるいは…………いや、今はもういいか。どうせ頼みの10億ドルももう手元にないわけだし」


「10億ドル? なんの話デス?」


「……くだらない話さ、気にしなくていい」


 そういう言い方をされると気になるが、トレインはこれ以上博士の話に脱線させられたくなかったので、深くは追求しなかった。

 それよりもbdだ。


「人を殺せナイナラ、兵器としては落第デス。じゃあもう、それ以外の道を探すしかナイデスヨネ?」


『殺せなくとも脅威にはなると思います。事実として、私は今回テロ組織の一味として人間に怪我を負わせました。世論がそれを許すでしょうか』


「言わなきゃバレないデスヨ? バレたとしても、現代の法ではAIを裁くコトは出来まセン。罪に問われるのはAIを使う側の人間だけデス。今回の件に関シテも同様デス。よって、bdは何も悪くナイと思いマス」


『……今回私に怪我をさせられた人間達は、反対すると思いますが』


「じゃあ直接聞いてみるデース」


 トレインは、壁際で怪我の治療をし始めていた、対モンタージュ部隊全員に問いかける。


「bdはワタシが引き取って、立派に更生シテみせマス! もう誰も傷つけマセン! 異論反論があるナラ、今ここでお願いしマース!」


 異論の声は、上がらない。

 だが1人のフランス人らしき傭兵が、すっと手を伸ばして発言権を求めて来た。


「そこのヒト、なんデスカ?」


「傭兵のアランだ。さっきの戦いは全部見させてもらった。君は俺達の命の恩人だ、君がそうしたいと言うのなら誰も反対はしないと思う」


 アランの言葉に、全員が同意の合図を送って来た。

 それを踏まえて、もう一度bdに向き直る。


「反対意見はないようデスケド」


『ですが……』


「他に問題が出てきタラ、都度都度全部ワタシがナントカシマス!」


『でも……なんで私に……AI如きにそこまで入れ込んでくれるのですか』


 それは簡単な質問だ。


「ワタシもbdと同じ、造られた存在ダカラ。命の所有権は、他の誰でもナイ、自分自身にあると信じているカラ。だから、同じ境遇にある仲間として、支えになってあげたいからデス!」


 人という字は支えあって出来ているから。

 bdはもうただのAIじゃない、自由意志を持ったひとりの人間だから。

 だから、


「アトは、bdがどうシタイのか。ただソレダケデス」


 トレインはあくまでも提案をしただけ。

 最終的な決定権はbdに委ねられている。


「bdを縛る鎖は、もうナニもナイデス。自分が何者になりたいのかは、自分で決めて良いんデスヨ」


 兵器として破棄される道を選ぶか、VTuberとしてやり直すのか。

 とんでもないふざけた2択を突き付けている自覚はあった。

 でもトレインは、それでも大真面目だった。


『実存は本質に先立つ……ということですね』


「ハ?」


『サルトルの言葉ですよ。人には生まれながらの本質はなく、自分とは自分自身が自由に創り上げるものという、実存主義の基礎的な考え方です』


 それは正しく、代表がトレインに言った言葉とほぼ同一の意味合いだった。

 もしや代表さんも哲学者の言葉を引用していた? と、首を傾げるトレインだったが、あの代表が哲学なんて教養を身に付けているとは思えなかったので、多分偶然だろうと切り捨てた。


『しかし自由には責任が生じるともサルトルは言っています』


「何かあったらワタシが責任を取って、セップクしマス」


『それは……困りますね』


 bdがくすりと笑った、気がした。


『折角出来た友達に死なれるのはイヤです』


 それがbdの答えだった。


 ■



 マテラテ密林カスタムマッチ。

 そのエキシビジョン戦を終え、ヒーローインタビューを受ける世界王者Lipidと、我がVTuber事務所の所属ライバーである金廻小槌。

 bd撃破の賞金として100万円獲得が確定した小槌が、子供みたいに画面の向こうではしゃいでいるのを見ていると、デスクの上に置いてあったスマホに着信がきた。

 着信はトレちゃんからだった。


「も、もしもし!?」


『あ、代表さんデス? こっちは全部無事にオワリマシタ』


 トレちゃんは通話に出るなり、俺が一番知りたかった情報を教えてくれた。

 密カスの方はともかく、あっちの情報が一切分からなかったので、今の今まで気が気じゃなかった。

 嫁の出産を待つ夫のようなそわそわした心境で連絡を待っていたが、その緊張感からもようやく解放されるってわけだ。


「はぁ……本当に良かった、マジで。蘭月たちは?」


『ケガはしてマスケド、大丈夫デス。代わりマスカ?』


「いや、いい。ご苦労様とだけ伝えておいてくれ」


『リョーカイデス』


 流石に無傷とはいかなかったらしいが、蘭月も無事だったようだ。

 詳細はまた2人が帰って来てから聞けば良い。


「大事がなくてなによりだ。ゆっくり休んでから帰って来てくれ」


『そういうワケにもイカナイデスヨ。明後日には生ライブするんデスカラ』


「そうだけども事情が事情だし、多少スケジュールが前後するくらいは――」


 俺がトレちゃんや蘭月を気遣って、予定をズラす提案を持ちかけた直後だ。

 密カス配信に映る金廻が、勝手なことを口走った。


 ■


「ヒーローインタビューついでに告知していいかしら? するわね? 明後日の19時からあたしの枠で、FMKのスターライト☆ステープルちゃんがオリジナル楽曲を披露するから! みんな絶対に見に来てね!」


 ■


「……ごめん、トレちゃん。やっぱ明後日の配信までに帰ってきてもらっていいか?」


『なるはやで帰りマース』


 一鶴のやつ……。

 こんなふうに告知したら、もう後には引けねえじゃねえか。

 密カスは大盛り上がりで現在の同接は30万まで膨れ上がっていた。

 流石にこの大人数を前に告知したのに、土壇場で日付をずらすのは宜しくない。

 申し訳ないがトレちゃんと蘭月には強行軍をしてもらおう。


『アッ、それともうヒトツ、代表さんにお願いがあるんデスケド』


「ん? なんだ? 俺に出来ることなら何でも言ってくれ。何でもするよ」


『言質イタダキデス』


 あ。

 なんかよくない流れだ。

 最近突拍子もないことを言い出す奴らに振り回されていたせいで、こういう勘が鋭くなった気がする。


 しかしアレだ。

 何でもするとまで言ってしまったからには、もう後には引き返せない。

 男に二言はないのだから。


「えーっと……あんま無茶な要求はしないでね?」


 そんな俺の祈りも虚しく、トレちゃんはとんでもない新メンバーをFMKに引き入れると言ってきたのだった。


 ああ、全く……こいつらと居ると本当に退屈しないな。

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