【密林配信】マテラテ密林カスタムマッチ【本配信】#1
『うがー! 漁夫してこないでよ卑怯者ー! ナキちゃん姫ちゃん、もう一戦いくわよ!』
「ヒートアップしてんなぁ」
始める前はマテラテに乗り気じゃなかった一鶴だが、ほとんど何も出来ずに2連続で全滅したことでスイッチが入ったようだった。
負けず嫌いに火が付いたってとこか。
これなら嫌々プレイするような配信にならないだろうし何よりだ。
一方でいち視聴者として事の成り行きを見守ることしか出来ない俺は、事務室でパソコンと睨めっこしているだけ。
「……さて、密林の方もそろそろ始まるか」
一鶴たちが20分の間に2マッチほどプレイしていた裏で、マテラテ密林カスタムマッチはまだ1試合目すら始まっていなかった。
大型箱の大人数参加企画なだけあって、開始前の挨拶やらルール説明やらなんやらに時間を使っていたせいだ。
FMKの配信中に他の事務所の配信に現を抜かすのはどうかと思ったが、bdの動向も気になったので、複窓を開いてマテラテ密林カスタムマッチの本配信を同時視聴している。
今はちょうどそのbdが画面に映っているところだ。
俺はFMKの配信の音量を下げ、逆に密林の音量を上げた。
■
【密林配信】マテラテ密林カスタムマッチ【本配信】
『どうもみなさんこんばんオニキ~。密林配信所属の
と、藪から棒に挨拶を始めた巨嘴鳥何某に、配信画面に映るbdが怪訝そうに眉を顰めた。
AIVTuberなのに随分と人間臭い感情表現をするものだ。
流石は軍事用のスーパーコンピューターを利用した超高性能AIと感心するしかない。
これでテロリストの道具になってさえいなければ、人類の技術革新を素直に喜べたのだが。
何でもかんでも直ぐに戦争の道具にしたがる人類の愚かさを俺が嘆いている間に、その道具にされているbdが人間みたく流暢に言葉を紡ぐ。
『巨嘴鳥オニキ、何故今唐突に自己紹介をしたのですか?』
『いやいや、今からこの配信を見始めた人向けに、誰が本配信の司会を務めてるのかってことを教えておこうと思ったニキ』
とって付けたような適当な語尾で喋る巨嘴鳥は、オニオオハシをモチーフとしたデザインの男性VTuberだ。
クセの強い喋り方をしているが、活舌が良くて聞き取りやすい声をしている。
自己主張の強い性格はともかく、MC向けの声質なのは間違いない。
そんな巨嘴鳥が何事もなかったかのように配信の進行を再開する。
『そしてこちらがスペシャルゲストのAIVTuber・bdたんでーす! イェーイ!』
『こんにちは、人間の皆様。超高性能ゲーミングAIのモデルナンバー:bdです。本日はお招きいただきありがとうございます』
『挨拶堅いなぁー緊張してる?』
『AIに緊張という概念はありませんが、しかし挨拶が堅かったという意見は今後の参考にします』
『どんどんフィードバックしてってよ、この巨嘴鳥オニキの心の声をね!』
『ははは』
巨嘴鳥のチャラいノリを無機質な笑いで受け流すbd。
この澱みない受け答えを聞いていると、もしや中に人が居るんじゃないかと錯覚してしまいそうになる。
『さてさてさて、それで今回bdたんには、密林ライバーを倒して回る殺戮ロボットとしてマッチに参加してもらいまーす』
『私は超強いですが、ソロでの参加なので人間の方々にも十分勝機はあるかと存じます』
『bdたんを倒せたチームには、30ポイントが追加で付与されるから頑張って撃破を狙ってみてねーん』
ポイントってなんのこっちゃ。
分からなかったので、bdへのインタビューを聞きながら、マテラテ密林カスタム(長いので密カスと略すことにする)のルールを調べてみた。
密カスはマッチ内の戦績によってポイントを獲得出来て、3マッチ目終了時点で最もポイントを多く獲得出来たチームが優勝ということらしかった。
ちなみに1回のマッチで1位になる(bdは順位に含めない完全なお邪魔キャラ扱い)ことで得られるポイントが15だ。
つまりbdを倒すだけで、2マッチ分ドン勝を獲ったのと同じポイントが入って来るというわけだ。
優勝チームには有栖原から金一封があるとのことなので、意地でも勝ちたいチームはbdの撃破を狙いに行くかもしれない。
プログラム上の戦いでbdを討つということが現実的に可能なのかどうかは別として。
『今回、有栖原アリスからの要望で、密林ライバーの皆様には一切の手加減も容赦も温情も必要ないと言われています。ですので出来ることなら私との接敵は避けた方が賢明だと思います』
『わぁーお、社長はこれもうどっちの味方なのか分かんないニキね。密林ライバーじゃ勝ち目ないんじゃないかな。鰐口くんとか射手咲ちゃんならワンチャンあるかもだけど』
『どなたか存じませんが私の敵ではないですね』
『おっとと、うちのナンバー1とナンバー……15くらい? の2人を挑発しちゃダメニキ~。あの2人は密林配信の中では御影星先輩の次くらいにキレやすいんだから』
『怒りは判断を鈍らせます。感情に流されていては私に勝つことは難しいでしょう』
『いや~AIのお手本のようなコメントをありがとうbdたん。密林ライバーたちには是非とも人間の強さってヤツを見せつけてやって欲しいね。リスナーも巨嘴鳥オニキも期待してるから頑張ってよ~ん!』
有栖原は密林ライバーじゃbdには手も足も出ない的なことを言っていたが、果たしてどうなることやら。
密カス本配信の同接10万人が見守る中、ようやく1マッチ目が開始された。
■
そして積み重ねられる死屍累々の大惨事。
密カスに参加する密林ライバーの8割が、示し合わせたようにbd狙いでゲームスタート。
瞬間的にbd1人対密林ライバー18人という構図が出来上がった場面もあったものの、bdの恐るべきパフォーマンスによって、その悉くが粉砕。
密カス1マッチ目は、bdが59人中39キルするというバカげた結果に終わった。
これは酷いと言う言葉すら生温い。
それくらいbdのプレイスキルは圧倒的だった。
文字通り人間業ではない挙動やエイムの正確さ、全ての盤面が見えているかのような読みと立ち回り、リソース管理、仕様の理解度、エトセトラエトセトラ……。
為す術もなく密林配信のライバーたちが蹂躙されていく様は、FPSというよりも無双ゲーのプレイ映像でも見ているような気分にさせられた。
実況席の
大丈夫だ巨嘴鳥。放送事故だったとしても、これは有栖原の想定内、筋書き通りの流れなのだから。
ここで密林ライバーがボコボコにされたことが、後で有栖原がエキシビジョンマッチを提案する流れへの布石となる。
bdのバックに居る科学者とやらの性格を聞く限り、例えこちらの作戦がバレていたとしても提案には乗ってくれそうではある。が、罠に勘付かれて拒否ってくる可能性も考えなくてはならない。だからエキシビジョンに至るまでの過程で、密林ライバーは一度はボコられてもらわなくては困るのだ。
負けず嫌いの有栖原が、意地でもbdを倒すためにエキシビジョンを持ちかけるという展開への違和感を消すための、云わば生贄だ。
『いやはやマジで酷い一戦だったニキ。歴史に残る惨敗、人類の敗北を見たよ。しっかりしようぜ密林ライバーの諸君~』
そんな裏の事情を1ミリも知らないだろう巨嘴鳥が、ぴーちくぱーちくと感想を囀る。
『30ポイント欲しさに目が眩んで、6部隊でチーミングまでしたのに返り討ちはヤバいねぇ。bdたんの挙動がえげつなかったけど、アレどうなってんだ? 誰か詳しい密林ライバー解説席に来れる?』
『ふふふ……来たわ……』
『わぉ、メイさんじゃないっすか。ちょりっす』
実況席に1人居座りながらも全くマテラテの解説が出来なさそうな巨嘴鳥の元に、五月冥魔が当然のようにインしてきた。
意外だな。五月冥魔がFPSの解説に出しゃばって来るなんて。
全く同じ感想を巨嘴鳥も抱いたらしく『メイさんFPS分かんの?』とオブラートに包まず聞いていた。
『ふふ……マテラテは魔法が重要なファクターとなっているゲーム……魔法と言えば黒魔術師である私の出番……ふふふふふ』
『あーなる、相変わらずキャラ付けに忠実だなあメイさんは。ほいじゃ軽~く解説よろしくニキ~』
『bdのビルドは、一言で言えば変態高機動型魔法ビルドね……ふふふ』
『変態高機動とは言い得てなんたらニキね。おっと、1マッチ目のハイライト映像が届いているので、メイさんはそれを見ながら解説してちょ」
1マッチ目中盤の映像が再生される。
市街地でbdが18名の密林ライバーに追い詰められていたところだ。
『ここ! 鰐口くん、御影星先輩、
市街地を逃げ回るbdが、鰐口とやらと正面から鉢合わせになっている場面。
さらに横合いから御影星が飛び出て来て、後ろからはbdを追って来た椰子爺(流石密林配信、まだまだ知らないVが沢山だ)が。
そして建物の上からトドメを掠め取ろうと、打麦が銃口をbdに向けている。
この時点のbdのヘルスはほぼ満タンだったが、4人から集中攻撃を浴びれば体力の残量など関係なく普通は一瞬でアウトだ。
だが結果からも分かる通り、bdはこの状況を無事に突破している。
ラストアタックを狙う打麦以外の3人がbdに銃や魔法を乱射。
しかし、bdの操作キャラがスーパーボールみたいに縦横無尽に跳ね回り始めたせいで、エイムが定まらず一発たりとも攻撃が当たらない。
まともなエイム感度では追いつけないだろう速度での高速移動。
まずこの動きのせいで攻撃が当たらないどころか、視野角外に回り込まれるなどして、御影星たちは一瞬のうちにbdを見失っていた。
『ふふふ……この機動力が今回のbdの最大の武器……』
『これは魔法の効果なんすよね? なんて魔法のどんな効果? 教えておくれよ俺達のメイさん』
『ふふ……これは風魔法の[
『ルビの圧が凄いニキ』
『ふふふふ……それじゃあ映像をリプレイしながら魔法の解説を……。まず[
bdがおかしな軌道に吹っ飛んで移動したのは[射出する乱気流]の効果だったらしい。
『そして[万能引力]は、指定した位置に重力力場を発生させ……ふふ……そこに自キャラもしくは特定のプレイヤー1人を引き寄せる効果を持っているわ……ほら、ここを見て』
[射出する乱気流]によって射出されたbdが、今度は[万能引力]によって引き寄せられて別の地点に高速移動している。そして更にそこから[射出する乱気流]で射出し、また[万能引力]へと繋げていく……。
『bdは[射出する乱気流]による高速移動中に、[万能引力]の力場発生地点を指定し任意のタイミングで発動……それを繰り返してこの変態高機動を実現しているのよ……ふふふふふ』
『やってることは凄そうだけど、それって[射出する乱気流]を連発するだけじゃダメなんかな。マテラテの魔法って、MPある限り連射出来るんだよね?』
『同じ属性の魔法だけに頼るとレジストされた時に一気に崩されるのよ……ほら、ここ、御影星先輩の撃った炎魔法が、地味に[射出する乱気流]の効果を打ち消してるの分かるかしら……ふふ』
『あー、言われてみれば本当ニキ』
『でもbdは予め張って置いた[万有引力]を発動させることで、高速移動を途切れさせずにいられたの……ふふふふ……そして高速移動しながらの、コレよ』
見事な変態機動で跳ねまわるbdがショットガンを連射。
鰐口、御影星、椰子爺の3人が一瞬でダウンした。
『ふふふ……bdは高速で移動しながら的確に3人にエイムを合わせて撃ちぬいた……しかも全弾へッドショットで……ふふふふふ』
そして残る打麦の存在にもしっかりと気付いていたbdは、2つの魔法を駆使して一瞬で建物の屋上まで飛翔。
慌てふためく打麦の頭にもショットガンを打ち込んで一撃でKO。
この間僅か10数秒ほどで、4killを収めていた。
『人間業じゃなーい! bdたんヤバすぎ!』
『ふふふ……ちなみにこれがbd視点の映像』
『すんごいグワングワンしてる! 酔う! オエー!』
bd視点の映像はカメラがすんごい勢いでぶん回されており、何が起きているのかまるで意味が分からん状態になっている。
この視界の中で2種の魔法を駆使して高速移動を続けながら、3人のプレイヤーを同時にキルしてのけるのは控えめに言って変態だ。
正しく人間じゃない、AIだからこそ出来る荒業だろう。
この戦闘技術がゲームに使われてる間はまだ良い。
だがbdというAIは戦争のために作られた道具であり、しかも最悪なことにそのコントロール権はどこぞのテロリストの手中にある。
もしbdが本来の目的通りに使われることがあれば、必ず多くの犠牲者を生むことになるだろう。
破壊と殺戮を命じられたAIに、果たして人間が勝つ術はあるのか?
「頼むから生きて帰って来いよ……トレちゃん、蘭月」
答えは間もなく明らかになるだろう。
■
その後、密カスはつつがなく進行していった。
やはりと言うべきか、2マッチ目と3マッチ目もbdは大暴れをしてキル数を荒稼ぎしていた。
全マッチ終了時点で最もポイントを稼いでいたのは、1マッチ目と3マッチ目で最後まで残っていた
が、配信全体を通して最も目立っていたのは間違いなくbdだっただろう。
結局3マッチ中にbdがやられることは一度もなかった。
3ゲーム通しての合計キル数は65。
もしbdがお邪魔キャラ扱いでなく順位争いに加わっていたとしたら、キルポイントだけで優勝を掻っ攫っていたことだろう。
これがほんとのキリングマシーンか。
『――ってなわけで優勝したチーム《射手座未年AB型》のインタビューっした! それと実況は巨嘴鳥! はい皆さん拍手ー!』
:888888888
:88888
:射手座最強! 羊最強! AB型最強!
:bdが大暴れしてたけど面白い配信だった
:ワニがあんま活躍出来てなかったなぁ
:みなさんお疲れでした!
:オーハシもお疲れー!
密カス優勝チームのインタビューが終わり、チャットにも締めの空気が漂い始める。
だけどここで終わりじゃない。
むしろ、本番はここからなのだ。
『ちょっと待つのよ!!!』
:!?
:え?
:!??
:なんかきた
:うわっでた
:社長キター!
:諸悪の権現さんちーっす
:アリスちゃん?
『まだ終わってないのよ!』
そのままエンドカードでも流れそうな雰囲気だった配信に、満を持して有栖原アリスが乱入してきた。
『え!? 社長!? なに入って来てんすか配信中ですやん!? あっ、迷子か』
『誰が迷子なのよ!』
『トイレはスタジオ出て右に真っ直ぐだよ~ん』
『迷子じゃないと言ってるのよ!』
何も聞かされてなかっただろう巨嘴鳥は、いきなりの有栖原に動揺しながらも小ボケを挟んでおちょくっていく。
でも弄られたとしても怒っているのは表面上だけで、無礼を働いた相手に制裁を降すような真似はしていない。
だのに、有栖原にガチで反抗すれば奥入瀬さんのように容赦なく追放の憂き目に遭うのだから厄介だ。俺も殺され掛けてるし。
寛容なのか残忍なのか分からないヤツだ。
まさかネットでまことしやかに囁かれているように、裏に有栖原を操っている誰かでも居たりするのだろうか。
いや、それこそ本当にまさかだな。
思考が逸れた、今は配信に集中しよう。
『密林配信社長の有栖原アリスなのよ!』
と、元気にはきはき挨拶をかましてから、有栖原が本題に入る。
『全密林ライバー! 聞こえているのよ!? お前たちは本当に情けないのよ! あんなAIに手も足も出ないで! 生きてて恥ずかしくないのよ!?』
『おっ、その密林ライバーから大量のメッセージが届いてるニキ。うっせえチビガキby御影星。童はだぁっとれいby椰子爺。お前誰?by鰐口。えーっと、それから……』
『そんなものは読まなくて良いのよ! 負け犬の戯言なんて聞こえないのよ!』
……あいつもあいつで鋼メンタルだな。
そこだけは俺も見習わないとダメかもしれない。
『アリスはアリスの手駒がAIなんぞに負けるのが我慢ならないのよ! この際手段は選ばないから、なんとしてでもbdに勝つのよ!』
『勝つのよってあんた、まさか延長戦っすか』
『そのまさかなのよ! あとあんたって誰に向かって言ってるのよ巨嘴鳥!』
:延長戦キター!
:エキシビジョンだあああああ
:そうこなくっちゃな
:ぶっちゃけbdが負けるとこは見たい
:レイドボスbd対密林ライバー59人か
『ただ、普通に戦っても密林側に勝機がないことはアリスが一番良く分かっているのよ』
『bdたんにハンデでも付けてもらうんすか』
『その通りなのよ巨嘴鳥……ハンデとしてbdには、これから4つのカスタムマッチで同時に戦ってもらうのよ』
そこから有栖原は、俺が事前に聞かされていた通りのルールを披露した。
有栖原が事前に集めた密林ライバー含む236人のプレイヤーを4つのマッチに分け、bdには全てのマッチで並行して戦ってもらう。
どこか一つの戦場で一回でもbdが倒されれば人間側の勝ち。
対するbd側の勝利条件は、全てのマッチで最後まで生き残ることだ。
尋常ならざるハンデだが、bdほどのスペックならこれでも大した負荷にならないのではと思ってしまう。
そもそもbdがこんな不利な条件を受け入れてくれるのかさえ分からない。
なにせ、打ち合わせ通りにことが進んでいるのなら、そろそろテロリストのアジトに蘭月たちが攻撃を仕掛けている頃合いだろう。
bdをその防衛に回すとしたら、テロリストがこんなお遊びに付き合う道理はもうないのだから。
『さあ、bd! この勝負、受けるか受けないか、返答を聞かせてもらうのよ!』
■
『などと申していますが、博士』
某国某所の巨大地下施設のその最奥。
地下200mに造られたほとんど何もない広大な空間に、少女の声がリバーブする。
声の主は現実世界には存在しない。
彼女――或いは彼は、仮想現実に産み落とされた0と1との集合体であり、その声はメインサーバーに接続されたスピーカーを通して発せられている。
彼女は(性別不詳であるが、あえてここでは彼女と呼称する)名前をモデルナンバー:bdという。
bdの本体は、この空間の中央に鎮座している黒色の立方体だ。
一辺の長さが2メートルほどのこの立方体は、これ一基で並みのスーパーコンピューターを遥かに上回る性能を発揮するというトンデモマシンだ。
立方体の通称は『キューブ』という。
キューブは数世代は先の技術で作られており、その中身は開発者である博士にしか理解できないとされている。二つの意味でブラックボックスなマシンなのである。
そんなキューブの開発者である博士は、立方体の上に腰かけて暢気にコーヒーを啜っていた。
どこにでもいそうな、くたびれた様子の中年男性。というのが、大抵の人間が博士に抱く第一印象だろうか。
白髪交じりの短髪。やつれた頬に生える無精髭。着ている白衣は皺だらけで、しかもコーヒーを零したと思わしき染みが滲んでいる。
とてもキューブとbdを開発した人間とは思えないような平々凡々な見た目だ。
「ははっ……アリスとかいうお嬢ちゃん、何としてでもお前に勝ちたくて必死って感じだなあ」
博士の顔に浮かぶ感情は、子供の微笑ましい癇癪を眺める大人のそれだ。
語りかける口調は、さながら娘に声を掛ける父親といったところだろうか。
『いかがいたしましょうか』
bdに問われ、博士は無精髭を撫でながら視線を斜めに漂わせた。
「ん、そうだな……お前の性能を知らしめる良いチャンスだ。やってやりなさい」
穏やかな口調で博士が命令する。
その言葉はbdにとって絶対であり、逆らうことなど何があっても許されない。
『かしこまりました』
「やるからには完膚なきまでにやるんだよ?」
『はい。ですが、そちらの迎撃はどうしますか?』
「そちら?」
『基地が襲撃されているようですが』
「ああ――」
博士が白衣から取り出したスマホを見て苦笑した。
「しまった、気が付かなかった。テロリストから鬼電が来てるよ」
キューブが安置されているこのサーバールームは、現在内側からロックを掛けているので、入り口を破壊しない限りは何人たりとも出入りすることは出来ない。
だから何かあった時のための連絡はスマホからということになっていたのだが、うっかりしていて気が付かなかったようだ。
どうやらこのテロリストのアジトが襲撃を受けているらしい。
狙いは当然、博士の身柄とキューブだろう。
「ふーん、既に半分くらいまで攻め込まれているようだね」
『かなりの手練れですね。傭兵くずれのテロリスト如きでは相手にならないかと』
「随分と本気で攻めてきたね。まあ、キューブとお前の価値を考えれば当然かな」
『目的は破壊ではなく、奪取だと?』
「どうだろうね? 国籍も所属もばらばらの混合部隊のようだから、色んな思惑が錯綜してそうな印象を受けるが……まあ、あわよくばどさくさに紛れてブラックボックスの一端を持ち帰ろうと画策している輩はいそうかな」
『そうですか。それで私はどうしますか? テロリストから迎撃要請がきていますが』
「全部やっつけなさい」
博士は優しい口調は変わらぬまま、苛烈な命令を下す。
「リアルだろうと、ゲームだろうと、相手が何人でも、どこが戦場でも、戦場が複数あっても関係ない。全てを殺して、平和な世界を作ろう」
『――はい』
それが、それこそがbdが造られた、たった一つの存在理由なのだから。
「これが多分最終テストになるだろう。気を付けて戦うんだよ、僕の30番目の娘。これまでに廃棄されていった29人の娘たちも、きっとお前を応援しているだろうから」
『そう願います』
■
『有栖原アリス。私bdは、あなたの挑戦を受けることにしました』
乗って来た。
これでbdの処理能力に負荷を掛けるという目的は達成できたに等しい。
ここまでは有栖原の思い描いた通りの絵だ。
問題はここから。
パフォーマンスの低下したbdに蘭月たちが勝利出来るかに全ては掛かっている。
そのためにはゲーム側からも圧を掛け、bdの判断に少しでもラグを生ませていく必要があるだろう。
プロゲーマーも大多数含まれているというゲーム側の人員や、その中にこっそりと混じっているFMKメンバーがどれくらいbdに食らいつけるかが重要になってくる。
『良い度胸なのよ、bd』
挑戦を受けたbdに、有栖原が皮肉のような賛辞を送った。
bdにとってもここが正念場。
負ければ死の瀬戸際なのだ。
にも関わらず挑戦を受けたのは、度胸があるからか、余裕があるからか……。
『全ての戦場で勝利すると宣言します』
『人間を甘く見過ぎなのよ』
『甘くも低くも見ていません。ただ、全力の私に勝てる人間を見たことがないので』
『ふんっ、だったら今からお前は敗北を知ることになるのよ……心して聞くのよ、全プレイヤー!』
有栖原が、bd包囲網に参戦する全ての人間に呼びかける。
『bdを倒したプレイヤーには、この有栖原アリスが100万の賞金を出すのよ!』
有栖原が、全プレイヤーにやる気を出させるためのニンジンを放つ。
これでどれだけの人間がマジになるか分からないが、少なくとも、FMKのアイツに火が付くことだけは確定した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます