祭りの前か、嵐の前か
「うわぁ!? ト、トレちゃん!? ビックリした……いつからそこに」
まるで気配を感じなかった。
有栖原との通話に集中していたとはいえ、部屋に誰かが入ってくれば普通は気が付く。
だのにトレちゃんが音もなく背後に佇んでいたので、俺は情けないくらいにビビリ散らかした。
「いつカラもナニも、最初からデス。代表さんの後ろにピッタリくっ付いて一緒に部屋に入りマシタ」
んなアホな。
と思ったが、そうか……あの蘭月と同程度かそれ以上の強さなのだから、気配を消す技術に関しても似たようなことが出来るのか。
俺は蘭月が初めて事務所に姿を現した時のことを思い出し、妙に納得してしまった。
「その反応、やっぱりアイツからワタシの過去にツイテ何か聞いてるんデスネ」
そんな風に俺が得心した様を見て、トレちゃんが両目を細めた。
アイツとは蘭月のことだろう。
しまったな、トレちゃんの出自を俺が知ってることは、一応本人にも秘密にしていたのに。
今からでも誤魔化せないだろうか。
「え? なに? なんの話だろう」
「イイデスよ、嘘吐かなくテ。ワタシが――俺が――ボクが、今まで被ってた化けの皮を脱いでも、そこに疑問を投げてこなかった時点で、こっちの事情を何か知ってるんだとは勘付いていたから」
確かにあの時の俺は、トレちゃんがカタコトサブカル外国人の演技を止めても大して動じていなかった。
蘭月のエセチャイナ娘もマジのエセだったし、トレちゃんもそうなのかもしれないと予期していたからだ。
あそこはもっと動揺してドン引きするのが普通だろうしな。
そこまで頭が回っていなかった。
「あー、うん、すまん。聞かされてた」
「代表さんにナラ別に知られていても構わないデス。でもアイツは帰ってキタら折檻デスネ」
あの蘭月を折檻出来る人類がそうそう居るとは思えなかったが、底知れぬ圧を発する目の前の金髪メイドならそれが出来てしまうのだろう。
「ソレで今の電話デスケド、アイツの姿が見えナイと思ったら、何かキケンな仕事にクビを突っ込んでるみたいデスネ」
通話を聞かれていた以上隠し立てしても無意味だろう。
俺は諦めて知っている限りの事情を事細かに説明した。
話を聞き終えたトレちゃんは、腕組みをして呆れたように溜息を吐いた。
「一度は代表さんを殺そうとシタ相手カラの依頼を受けるナンテ……アイツも代表さんも甘すぎデス」
「いやまあ、有栖原もアレだけどテロリストはもっとアレなわけだし? というか俺が北巳神に殺されそうになったことも知ってたんだな」
「あの時は、ナニも出来ずにゴメンナサイデス……。本当はワタシが助けに行きたカッタデスケド、自分の正体を隠すコトを優先してしまいマシタ」
「そこは別に気にしてないけど」
帰りの車中でトレちゃんが申し訳なさそうにしていたことがずっと引っかかっていたが、そういうことだったか。
さぞかし歯痒い思いをしたことだろう。
その気持ちだけで十分だ。
電話を盗み聞きしてきた理由もこれで合点がいったしな。
とまあ、そんな感じでお互いに知っていることを擦り合わせて情報を共有したところで、有栖原との電話の話に戻る。
「トレちゃんは有栖原の話をどう思う?」
「少なくトモ、嘘ではナイと思いマス。アイツが依頼を請け負ってるカラには、話が本当である確たる証拠があったんダト思いマース」
トレちゃんもそこら辺に関しては蘭月のことを信頼しているようだった。
「デモ、アイツが無事に任務を遂行デキルかドウカは心配デスネ。アイツ、弱いデスカラ」
「弱いか……?」
ゼロ距離パンチで人一人を数十メートル先までぶっ飛ばせるゴリラが弱いのなら、俺なんてユーグレナレベルの微生物並みということになる。
あまり自分基準で物事を考えないで欲しいものだ。
「ト、言うワケで、ワタシもちょっとヘルプに行ってキマス」
「え」
「心配シナイでくだサイ。明後日までには、絶対に帰って来ますカラ」
「いや、おい、ちょ……!」
倉庫から出てったトレちゃんを慌てて追いかける。
しかし一瞬で姿を見失ってしまった。
事務所の外に出て周囲を見渡してみても、金髪メイド服の影も形も見当たらない。
明後日までには帰るって言っても、練習はどうするんだよ。
トレちゃんの声の問題はまだ未解決だってのに。
■
その後俺は、一鶴たちに今日のマテラテ密林カスタムにゲスト参戦することになったと伝えた。
他箱のデカい企画に参加出来ることに全員喜んでいたが、直後に悪いニュースも一緒に聞かされてテンションが迷子になっていた。
悪いニュースというのは、当然トレちゃんがいなくなったことだ。
本当のことを言うわけにもいかないので、トレちゃんがいなくなったのは家のことで問題があったから一度戻る必要があったため、と言うしかなかった。
プライベートな事情なので誰も深く聞いてこなかったのは幸いだろう。
だが明後日のライブの練習も出来てないのに、主役本人が不在になったのはかなりマズイ状況だ。
「仕方ないわね、あたし達はトレちゃんを信じて出来ることをやって置きましょ」
「そうだね」
「ですわ」
しかし一鶴たちはあっさりとメンタルを持ち直したようだった。
トレちゃんならきっとぶっつけ本番になるとしても大丈夫だと信じているのだろう。
まあ、もうトレちゃんが手の届かない場所に居る以上、諦めるしかないというのもあるが。
だったらこっちは残る問題の解決に尽力するだけ。
「すいません……今戻りました」
話が終わった所でギターを抱えた奥入瀬さんが戻って来た。
トレちゃん不在の今、俺達が解決しておくべき問題は奥入瀬さんの演奏に関してだけだ。
「じゃあ一曲弾いてみてくれ」
配信スタジオに移動した俺達は、まずは奥入瀬さんが人前でどれくらい弾けるのか聴いてみることにした。
今日の配信の内容も決まったので、一鶴と幽名と瑠璃もこの場に居る。
「わ、分かりました……」
緊張した面持ちで奥入瀬さんがギターを構える。
奥入瀬さんの作った曲を聴いたことはあっても、生演奏を聴くのはこれが初めてだ。
人前だと手が震えると言っていたが、既にもうヤバいくらいにガタガタしている。
そして奏でられるへなちょこメロディー。
なよなよのストロークに音程もぐちゃぐちゃ。
成る程、これは酷いな。
「ド下手ね」
「コラっ、一鶴」
誰もが思ってても絶対に言わないことを平気で口にするな。そういうとこだぞ。
「いえ、その、実際今のは酷かったので気にしないでください。ダメダメだったのは私が一番良く分かっています……」
一鶴のド直球な批評にも、奥入瀬さんはめげずに再びギターを鳴らす。
…………さっきよりも更に悪くなってるな。
表面上は気丈に振舞ってみせても、一鶴の言葉がしっかりと効いてしまっているようだ。
「うーん、真面目にやってる?」
「一鶴!」
あまりに言葉を選ばない一鶴の態度に、俺は思わず声を張り上げた。
「あによ」
「委縮させてどうするんだよ、もうちょっとマイルドな言葉選びをだな……」
「じゃあ甘く優しくヨイショしながらの方が良い? でも、考えてみてよ代表さん。あたしらが甘口で褒めて宥めてすれば、確かに奏鳴さんは演奏出来るようになるかもしれない。だけどそれは、あくまでも甘口で優しくしてくれるあたし達の前でだけよ。いざ配信で不特定多数に向けてとなれば、絶対にボロが出る、失敗する」
「む」
確かにそれは否定出来ない。
今の奥入瀬さんは、批判されればされるほど、次の批判を恐れてさらに演奏が出来なくなる悪循環に陥っている。
だから甘やかしてくれる人しかいない空間であれば、もしかしたらちゃんと演奏出来るのかもしれないが、一鶴の言う通りそれは根本的な解決にならない可能性がある。
「悪いけどあたしは手を抜かないほうが良いと判断したわ。代表さんと奏鳴さんがやめろって言うならやめるけど」
「やめないでください……! 私は大丈夫ですから!」
奥入瀬さん本人が大丈夫と言ってもな……。
またトレちゃんの時みたいに、精神の許容点を超えて倒れられても困る。
自分で大丈夫だと思っていても、心というモノは思っているよりずっと脆くて壊れやすいのだから。
今回の件で俺はそれを嫌と言うほど痛感させられた。
だが、ライバーがやりたいことをやらせてあげるのがFMKの理念でもある。
その理念との板挟みになりながら俺はうんうんと頭を悩ませ、最終的には「マジでヤバそうなら代表判断で即中断。一回中断と言われたら絶対に逆らわないこと」という条件で続行することになった。
結果がどうなろうとも全ての責任は俺が取るつもりだが、それ以前にみんなの心の方が大事だ。
いざという時は7日目のライブを中止にすることだって辞さない。
そんな感じで奥入瀬さんのトラウマ克服チャレンジを続けること小一時間。
状況が改善したとはお世辞にも言えないような演奏がスタジオに響いていた。
同じ人間の前で何度も演奏するのだから、次第に慣れで緊張しなくなるのではと思ったがそうもなっていない。いや、そんな理由で慣れられても困るけど。
さっきも言ったが、今求められているのは不特定多数のリスナーが相手でもきちんと演奏出来るようになることだ。
批判に委縮して、委縮が更なる批判を生む燃料となる。
その負のスパイラルを断ち切るには、奥入瀬さん自身が批判に耐えるための何かを手にしなくてはならない。
鋼のメンタルか、圧倒的な自信か、それとももっと別の何かか……。
「ちょっと失礼致しますわ」
俺が何か突破口がないか考えていると、隣に座っていた幽名が唐突に立ち上がってスタジオから出て行った。
お花を摘みにでも行ったのだろうか。
そう思っていると、幽名がヴァイオリンを持って戻って来た。
「わたくしがリードしますわ。本番でも一緒に演奏するのですから、問題はないかと存じますが」
「別に良いけど、あたし姫ちゃんにも容赦しないわよ」
「それは困りますわね、恐怖で手が震えますわ」
1ミリも震えてない手で、幽名が奥入瀬さんの手を掴んだ。
「奏鳴、わたくしがちゃんと演奏出来るように支えてくださいませ」
「姫衣ちゃん……」
「わたくしも、奏鳴がいつかのように心の底から楽しく楽器を奏でられるよう、しっかりと支えますわ。わたくしだけじゃない、一鶴様も瑠璃様も代表様も、この場にいないトレちゃん様もみんな想いは一つだと信じております」
「……うん」
そう、支え合うことで一つの力になる。
答えは昨日のうちに出ていたことを忘れていた。
それを分かっていたからトレちゃんは、時間的に切羽詰まった状況であるにも関わらず、蘭月を助けに行くことを優先したのかもしれない。
言わば信頼の裏返し。
仲間が居れば乗り越えられない試練など無い。
心を通じ合わせた昨日の段階で、壁なんてものは既に乗り越えていたに違いない。
ギターとヴァイオリンのセッションが始まり、俺はライブの成功に一歩近づいたことを確信したのだった。
それから夕方頃までみっちりとライブの練習に時間を費やした。
奥入瀬さんは幽名と一緒に演奏するようになってから、それまでの緊張っぷりが嘘のような劇的な改善を見せていた。
難癖付けて奥入瀬さんを試す真似をしていた一鶴も、練習中盤以降は文句の付け所がなかったらしく、むしろ「おー」とか「やるわね」とかゲームのモブの汎用褒め言葉みたいなのを呟くbotになっていた。
最終的には一鶴と瑠璃も、ボーカルとコーラスに分かれて練習に参加。
肝心の主役であるトレちゃんが不在ではあったものの、それなりに密度の濃い練習が出来ていたように思う。
奥入瀬さんは多分もう大丈夫だ。
本番がどうなるかは未知数ではあるものの、仲間が居る限り過度の緊張に苛まれることは、もうないだろう。
残る憂いはトレちゃんだが、まずは無事に帰って来てくれないと困る。話はそれからだ。
全ては今夜結構のbd破壊作戦が上手くいくかに掛かっている。
そのbdについて教えてくれた有栖原から、練習中にいくつかメッセージが送られてきていた。
『お前のとこのメイド服着たライバーが、テロリストのアジトの場所を聞いてきたのよ』
どうやらトレちゃんはbdの所在を知るために、有栖原の元に直接出向いていったらしい。
『教えたのか?』
『じゃなきゃ拷問されてたのよ』
思いっきり脅していたようだ。
キャンプの時に何も出来ず歯痒い思いをした腹いせもあったのかもしれない。
というか今回の作戦に関する有栖原の情報把握度がおかしい。
某国とやらの依頼を受けて、北巳神と蘭月を派遣する経緯である程度の事情に精通するのは、まあ理解出来なくもなくもない。
が、テロリスト本拠地への急襲作戦決行の日時や、テロリストのアジトの場所まで把握しているのはどういう理屈だ。
いや、作戦決行日時に関しては、マテラテ密林カスタムでbd包囲網を敷くにあたり必要な情報だから知っていても不思議じゃない、のか?
だとしても有栖原は知り過ぎているうえに、関わり過ぎている。
いちVTuber事務所の社長程度が関わっていい領分を遥かに凌駕してしまっている。
本当は何者なんだ、有栖原アリスは。
とりあえずトレちゃんが粗相をしたことを謝っておくか。後で報復されるのも怖いし。
『彼女に悪気はなかったんだ、許してやってくれ』
『別に怒ってないのよ。むしろあれほどの戦力が増援に向かったのなら心強い限りなのよ。行きの足もこちらで用意してやったから、多分目的地までは無事に着くはずなのよ』
至れり尽くせりじゃねえか。
有栖原がそこまで手厚くトレちゃんをサポートしてくれるとは思ってもみなかった。
『随分とトレちゃんを高く買ってくれるんだな』
『最新鋭のセキュリティシステムに守られた密林事務所の警備を全て潜り抜けて、気が付いたらアリスの護衛まで全部排除されてたのよ。そこまでの実力を見せられたら何も言えないのよ』
『なんかごめんね』
『あのチャイナ娘といい、お前のとこの人材は全部おかしいのよ』
『なんかごめんね』
『お前が世界で一番ムカつくのよ』
なにかとんでもない裏の顔を持ってそうだけど、煽りに弱くて器が小さいのが玉に瑕だな、このお子様社長は。
『ただ、メイド娘は作戦時間に間に合うか微妙なのよ』
『というと?』
『テロリストのアジトが日本国外だから、到着時刻がかなりシビアになるのよ』
日本国外……まあ予想はしていたが遠いな。国にもよるだろうけど。
トレちゃんが事務所を出たのが朝の9時頃。
そこから有栖原のところに直行して、足を用意してもらって日本を発ったのが……まあ11時くらいと仮定しておこうか。
マテラテ密林カスタムの開始時刻が19時予定で、4マッチ同時のエキシビジョン――bd包囲網の発動が配信開始から2時間後の21時頃。
作戦開始まで10時間あってギリギリ間に合うか間に合わないか、ってところだろうか。
日本から空経由で10時間そこらで行ける距離にある国、ねえ。
あくまでも大雑把な推測だから条件によっては大きく誤差が出るだろう。
しかしいくつかそれっぽい国名が候補に挙がる。
頭に思い浮かんだ国の中に正解があるかどうか俺には確かめようがなかったし、正解を知った所で出来ることはもう何もないのだけれども。
『ともかくサンキューな。今度菓子折り持っていくよ』
『そんな気安い仲になった覚えはないのよ。それよりも丸葉一鶴をV業界から追放するよう考え直すのよ』
まだ言ってるよ。しつけー。
面倒なのでそれ以上返信せずに放置することにしといた。
すると最後に有栖原からスタンプで追伸が飛んで来た。
おっ、御影星がガン切れしてるスタンプじゃん。
密林ライバーのスタンプとか販売してるんだな。
FMKもそろそろこういうグッズ系の販路を増さないとな。一応前々から考えてるものはあるけど、まだ企画段階だから、早く色々と進めていきたいものだ。
兎にも角にも、そうこうしている内にあっという間に夜になり。
そしてマテラテ密林カスタムマッチ開催の時間となった。
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