ワタシは、ダレ?
「今日の配信はスマブラにしない?」
「イイデスネ」
俺が蘭月との密談を終えて事務室に戻ると、馬鹿どもが危険極まりない会話をしていた。
「待て待て待て待て、そこは危険だから名前を出す時はマジで伏字を使ってくれ」
「え? 任〇堂オールスターズ大乱闘スマッシュブラザーズ? こう?」
「一鶴! 馬鹿! ストーーーップ!」
「一番大事なところは隠したじゃん」
「それ以外が全部出てる! 頭隠して尻隠さずなんだよ!」
「うるさいわねえ」
FMK設立史上最も危ういやり取りだった。
危なすぎて色々な考えが一瞬で頭から吹き飛んだぞ。
普通にギリギリアウトのゾーンを攻めるのはやめてくれ、心臓に悪い。
いやまあ、これまでもハンターだのワンピだの、かなり危険な所を俺自身が攻めて来ておいてどの口がって感じだけど。
とにかくスマ〇ラは無しだ。
「配信の内容は別のものを考えといてくれ」
「仕方ないわね」
「で、それと並行して解決しておきたい事案があるんだが」
「分かってマス。ワタシの歌の件デスネ」
トレちゃんがやる気まんまんといった感じで立ち上がり、反対に奥入瀬さんはやりづらそうに顔を俯けた。
奥入瀬さんはトレちゃんに対して完全に苦手意識が生まれてしまっている。
時間が経てばなんとかならないかと思ったが、数日ほど日を跨いだところでそこに変わりはない様子だった。
だけどここをクリアしなければ、トレちゃんの歌が真に完成することはない。
少々荒療治になるかもしれないが、嫌でも向き合ってもらいたい。
いや、向き合うべきなのだ。
奥入瀬さんが、本当にクリエイターとして成就したいと願っているのなら、そこで臆していては絶対にダメだと思うから。
「悪いが夕方までトレちゃんと奥入瀬さんは借りるぞ」
「えー、仕方ないわね。瑠璃ちゃんと姫ちゃんもそれでいい?」
「私は別に問題ないけど」
「わたくしも異論はありませんわ。……代表様、奏鳴を宜しくお願い致します」
「ああ」
■
俺はトレちゃんと奥入瀬さんを連れて、さっきまで蘭月と会話していた配信スタジオまで移動した。
「カナ! ワタシ頑張るので、悪いとこ合ったら遠慮ナク言ってくだサイ!」
「ええっと……その……」
トレちゃんと奥入瀬さん。
この二人の相性は、恐らくだがあまり良くない。
グイグイパーソナルスペースを侵略するタイプのトレちゃんに、人見知りしがちで他人と距離を取りたがるタイプの奥入瀬さん。
トレちゃんの押しは綺麗に空回りして、奥入瀬さんは押されれば押されるほど心の距離が離れていってしまっているようだ。
一鶴はなんだかんだ相手との距離を測るのが上手いし、幽名は独特の世界観に相手を巻き込んで掌握するタイプ。どちらも奥入瀬さんとは仲良く出来ている。
逆につっけんどんな態度を取りがちな瑠璃は、奥入瀬さんも苦手としているはずだ。
あー……でも奥入瀬さんと御影星はそこまで仲が悪くもないんだっけ?
じゃなきゃキャンプや人狼会に呼べないはずだもんな。
じゃあ必ずしも攻撃的な人間が苦手ってわけでもないのか。
難しいな。
「トレちゃん、とりあえず奥入瀬さんが壁際まで後退させられてるから止まってくれ」
「あ、スイマセンデス! ちょっと熱くナリスギてしまいマシタ!」
慌てて距離を取り、俺と奥入瀬さんの2人にぺこぺこ頭を下げるトレちゃん。
素直に謝れてえらい。
今日もトレちゃんはかわいい……のだけれども、こう見えて蘭月と互角かそれ以上の強さってマジなのかよ。
今更蘭月を疑うわけじゃないが、やはり未だに半信半疑だ。
「ドウシマシタ、代表さん? トレの顔になにか付いてマスデス?」
「カメムシがくっ付いてるよ」
「ギャー! 取ってクダサイデース!」
……やっぱり信じられないなぁ。
っと、トレちゃんで遊んでる場合じゃなかった。
そろそろ本題に入るとしよう。
「トレちゃん」
「ハイ!」
「モノマネじゃなくて自分の声で歌えるか?」
「――頑張りマス!」
出来る、とはトレちゃんは言わなかった。
トレちゃんらしくない、自信のない言い回しだ。
やはりトレちゃんにとってはここが一番の課題になっている。
自分の声にコンプレックスでもあるのか……?
それともモノマネに強いこだわりがあるとか?
理由は分からないが、とにかくまずは実戦してもらうほかない。
「じゃあ、曲を流すからトレちゃんはモノマネに頼らずに歌ってみてくれ。奥入瀬さんはアドバイスを頼む」
「オーケー、デス」
「分かりました……」
嫌な緊張感だ。
俺は何か悪い予感を感じながらも、スマホに入れておいてたトレちゃんオリジナル曲を再生した。
そして――
「――! ――!? ――ッ!!?」
トレちゃんは必死に口を開閉させていたが、喉から声が出せておらず、最後には体をわなわなと震わせながら膝を付いてしまった。
「ト、トレちゃん!?」
そのあまりの異常な反応に、俺は慌てて曲を止めてトレちゃんに駆け寄った。
「大丈夫かトレちゃん!?」
「わ……ない……、……から……な…………」
トレちゃんは蹲るような姿勢で震えながら、何事かをぶつぶつと呟いている。
俺の声も聞こえていないほどに錯乱している様子だった。
明らかにただ事じゃない。
「奥入瀬さん! 急いで七椿を呼んできてくれ!」
「え……あ……私……」
「奥入瀬さん!」
「あ……す、すぐに呼んできます!」
奥入瀬さんには悪いが、今はトレちゃんの方が間違いなく重症だ。
奥入瀬さんが転びそうになりながらスタジオを出て行き、トレちゃんと二人きりになった。
1分もしないうちに七椿が駆け付けてくれるだろう。
俺は、トレちゃんの傍らで膝を付き、トレちゃんが何を言っているのかを聞き取ろうと耳をそばだてた。
弱っている相手にする対処としては間違いなく赤点だが、それでも俺はトレちゃんの闇にとことん踏み込んでいくべきだと判断した。
だからトレちゃんが何に苦しんでいるのかを知るために、俺は大して恵まれているわけでもない聴力に全神経を集中させる。
そしてそれは聞こえてきた。
「……らない、分からナイ分からないわからないワカラナイわからない」
分からないと。
トレちゃんは壊れたレコードのようにそう繰り返している。
分からない。
何がだ?
俺は1秒だけ迷ってから、更に一歩前に、深い闇の暗がりへと身を投じることにした。
「トレちゃん、教えてくれ。分からないって何がだ?」
「――」
俺の問いに、トレちゃんの呟きがピタリと止まる。
そして不意に信じられない速度で顔を上げた。
光の無い瞳が俺を見つめてくる。
瞬間、俺は蛇に睨まれた蛙のように身動きが取れなくなった。
その時初めて、俺はトレちゃんに対して怖いという感情を覚えた。
怖い。
トレちゃんはこんな感情の死んだ顔をしない。
誰だ、こいつは――。
「ワタシは――あたしは――私は――僕は――俺は――――――」
トレちゃんじゃない何者かは、何かを言おうと口を開くも、まるで本来自分で自分をどう呼んでいたのか思い出せないかのように一人称が定まらず、何度も何度も出だしの部分をやり直す。
やり直すたびに声も変わる。
女の声、男の声、しわがれた老人の声、子供の声、ソプラノ、バリトン、テノール、バス。
様々な音域の声が次々と矢継ぎ早に発せられる。
「代表さん――」
やがていつものトレちゃんの声が戻ってきて、縋るような口調で俺を呼んだ。
「――ワタシは、ダレ? 自分ってナニ?」
大粒の涙が頬を伝う。
「わからない……ワカラナイヨ……」
そう言ってトレちゃんがうつ伏せに倒れ込む。
同時に俺も金縛り状態から解放された。
「トレ、ちゃん……?」
恐る恐る声を掛ける。
反応はない。が、息はしている。
気を失っただけ……か?
俺は情けないことに、その後七椿たちが駆け付けるまで完全に動けなくなってしまっていた。
■
見誤っていた。
というのが俺の率直な感想だ。
トレちゃんの抱えている闇の深さを甘く見ていた。
苦悩の質も、その深刻さも、赤の他人が軽率に触れていいような問題ではなかったとしか言いようがない。
そう後悔する程度には、トレちゃんが俺に見せた反応は劇的だった。
重苦しい沈黙が漂うFMKの事務室。俺はデスクに座って天井を見上げながら、ぼんやりとそんな風なことを考えていた。
トレちゃんが気を失った後、すぐに七椿が……というかFMKの全員が押しかけて来た。
奥入瀬さんと、それから瑠璃がかなり動揺していたが、それ以外の面子はかなり冷静だったように思う。
七椿が至極冷静にトレちゃんの脈や呼吸を確認して、それから外傷がないと分ったところで一鶴が背負って仮眠室まで連れて行った。
救急車を呼ぶことも考えたが、七椿と一鶴の2人にそこまでするほどでもないと言われたので、とりあえず寝かせておいて様子を見ることとなった。
今は七椿が1人で側に付いており、それ以外は邪魔だからと仮眠室から追い出されてしまっているのが現状だ。
「……それで、そろそろ何があったのか聞いてもいい?」
沈黙を破って一鶴が俺と奥入瀬さんを交互に見ながら問う。
奥入瀬さんはこれ以上ないくらいに落ち込んでいる。
自分がトレちゃんの歌にリテイクをお願いしたせいでこうなった。そう思っているのだろう。
今の状態の奥入瀬さんにさっきの出来事を語らせるのはいくらなんでも有り得ない。
「トレちゃんに自分の声で歌ってもらうように頼んだらこうなった」
「頼んだだけで?」
「いやすまん、言葉が足りなかった。俺もまだ冷静じゃないな」
「ゆっくりでいいから順を追って説明して欲しいわ」
「ああ……分かってる。俺が歌ってもらうよう頼んで、トレちゃんが歌おうとして、そしたら急に声が出なくなったみたいに苦しみだした」
「うん、それから?」
「蹲って、ガタガタと震えだして、明らかに異常だと思ったから奥入瀬さんに七椿を呼んできてくれるよう頼んだ。それで七椿を待ってる間に……トレちゃんは気を失った。それで全部だ」
トレちゃんと二人きりになった間に俺が見聞きしたことは、言うべきではないと判断したので黙って置く。
『ワタシは、ダレ』と言ったトレちゃんのあの言葉。
あれこそがトレちゃんの抱える問題の核であるのは疑いようもない。
だがそれを俺の一存で他の人間に喋るわけにはいかない。
「ふぅん、そうなんだ。ワケ分かんないわね」
一鶴は身も蓋もない感想を言って、両方の手のひらを上に向けて肩を竦めてみせた。
確かに普通の人間から見ればトレちゃんがああなった原因は理解不能に思えるだろう。
だが、そもそもトレちゃんは出自からして普通じゃない。
であるならば、常人には理解出来ないような精神的苦悩を抱えていたとしてもなんらおかしくはない。
トレちゃんの抱えている悩みは、誰かに痛みを共有してもらえるような生易しいものではないのだ。
だとすれば、やはりトレちゃんの同郷である蘭月に相談するのが一番なのではないだろうか。
そう思い、俺は蘭月に状況を説明したメッセージを送ってみた。
直ぐに返信が来た。
『ダカラ、今のリーアに必要なのは、ワタシじゃなくてオマエ達だと言ったハズヨ。ワタシはむしろリーアに嫌われてるから、どう足掻いても力になれナイネ』
『そうは言っても』
『ボスが泣き言漏らすモンじゃないアル。少しは自分のアタマで考えるがヨロシ』
メッセージ上でも律義にエセ中国人風の喋り方をする蘭月は、それ以上は何を送っても返信をくれなくなった。
自分で考えろって言われてもな。
俺は精神科医でもなければ、得体の知れない研究機関育ちでもない。……家は普通じゃないかもしれないが、俺自身は平凡な一般男性Aでしかない。
そんなクソの役にも立たない今の俺に出来ることと言えば、せいぜいが決断するくらいのものだ。
そう……こんなことになった以上、妥協することも視野に入れるべきだろう。
「トレちゃんの曲のことだが……やっぱりこの間収録したもので満足してもいいんじゃないかな」
俺はみんなに聞こえるように発言する。
もう事は既に曲のクオリティがどうとかそういう問題じゃなくなっている。
トレちゃんの心を案ずればこそ、妥協という道を選ばざるを得ない局面まで来てしまっているのだ。
運営としては、これ以上の無理をトレちゃんと奥入瀬さんに強いることは出来ない。
だから奥入瀬さんが立ち上がり、「待ってください」と言った時、俺は大いに戸惑った。
「あの……トレちゃんさんが目を覚ましたら……少しだけ話をさせてもらえないでしょうか」
「だが……」
逃げずに立ち向かうことを選んだ奥入瀬さんの覚悟は尊重すべきかもしれない。
だが、トレちゃんの心が耐えきれるのかどうかは、また別の問題だ。
俺は正直言って、トレちゃんの心の闇を恐れてしまっている。
安易に心の傷を抉るような真似をしたが最後、本当に取り返しの付かない事態になってしまうのではないか。
そう尻込みさせられるレベルで、あの時のトレちゃんは恐ろしくて、そして……見ていて痛々しかった。
俺はいつも笑顔で周囲を和ませてくれるトレちゃんが好きだ。
たとえそれが『本当のトレちゃんではない、作り物の笑顔』だったとしても、だ。
他のみんなだってきっと想いは同じだろう。
そのトレちゃんにあんな顔をさせるくらいなら、いっそ悲しみには蓋をして、見たいものだけを見るというのもひとつの手のはず。
茨の道を選んだところで、道の果てに必ずしも努力に報いるだけの何かがあるという保証はどこにもない。
だからもう、ゴールしても良いのではないだろうか。
「代表」
と、諦めと妥協に絆されつつあった俺の思考に、瑠璃の声が割って入ってきた。
「信じてあげてもいいんじゃない? トレちゃんと、奥入瀬さんのこと」
「信じる……」
「そ。んでもって助けてあげてよ、2人のことを」
瑠璃に助けてあげてと言われるのはこれで3度目、だったかな。
1度目は無銭飲食を働いた幽名を助けた時。
2度目は取り立て屋として現れた蘭月から一鶴を庇った時。
そして今回は、トレちゃんと奥入瀬さんか。
しかし今回ばかりは金で解決出来る問題だとは思えない。
俺に何か出来ることなどあるのだろうか。
……いや、違うな。
出来るようにならなくてはいけないんだ。
俺もそろそろ成長しなきゃならない時が来ている。
FMKの代表として。
じゃなきゃ、また酒の席で七椿に愚痴られちまうしな。
「……分かった。この件に関してはもう少しだけ様子を見ることにする」
「ありがとうございます!」
「でも本当に限界だと判断したらその時は――」
「大丈夫だと思います、多分ですけど……」
自信があるのかないのか、奥入瀬さんは尻すぼみになりながらも俺の言葉を遮った。
絶対の確証なんてどこにもない。
それでも奥入瀬さんは信じることにしたのだろう。トレちゃんのことを。或いは自分のことを。
あれほど及び腰だった奥入瀬さんが、何を契機にそこまで覚悟を決めたのか俺には知りようもなかったが、所属ライバーがそうしたいと言うのなら俺はそれこそ信じてやるしかない。
「俺に出来ることがあったら何でも言ってくれ」
「はい!」
結局俺達は茨の道を進むことを選んだ。
■
「あの……瑠璃さん」
これからの方針が固まった後、奥入瀬さんが改まった様子で瑠璃に声を掛けていた。
「なに?」
ぶっきらぼうに返す瑠璃に、奥入瀬さんは深々と頭を下げる。
「さっきは信じてくれてありがとうございます……私と、トレちゃんさんのこと」
すると瑠璃はさも迷惑そうにそっぽを向いて口をへの字に曲げた。
「別に……ただ代表がうだうだ悩んでるのがウザいと思っただけ。つか私の方が年下なんだし敬語やめてよ」
「あ、ごめんなさ……ごめんね」
「謝るのもやめて」
などと不機嫌そうな態度を取る我が妹だったが、それがただの照れ隠しであることは兄である俺の目からは一目瞭然だった。
というかそれなりの付き合いになってきている一鶴や幽名にもバレているだろう。
「瑠璃ちゃん可愛いんだからもー」
「ウザっ、べたべた触んないでよ一鶴さん」
「瑠璃様の優しさが奏鳴にもようやく伝わったようで、わたくしも自分のことのように嬉しく思いますわ」
「マジでやめてよ姫様まで」
「あれれー? 赤くなってない? どしたん?」
「触んなつってるでしょ」
「ぐえー」
密着してくる一鶴の頬に、瑠璃が握りこぶしを押し当てて遠ざける。
シリアスな空気が蔓延していた事務室が、ようやくいつもの明るさを取り戻す。
コメディとシリアスを反復横跳びしすぎてそろそろ風邪を引きそうだ。
多分もう一回だけシリアスのターンがやってくる気がするが、そこがきっと今回の騒動の最後の壁になる。
そんな確信が何故か胸中を締めていた。
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