トレちゃんと蘭月

「ボス、ちょっといいアル?」


 一鶴たちが事務所を根城に合宿を始めてから、はや3日目の朝。

 FMKのマネージャー兼裏世界の何でも屋のコスプレチャイナ娘こと蘭月は(属性が渋滞を起こし過ぎている)、事務所に顔を出すなり俺のデスクまで真っ直ぐ向かって来てそう言った。


「いいけど、場所を変えるか?」


「そうして貰えるとタスカルヨ」


「分かった」


 現在事務室には七椿の他に、ライバー5人が額を突き合わせて今日の配信をどうするか会議をしている。

 仕事の邪魔になるから事務室を使うなと初日に言ってあった気がするが、どうやら3日もするとそんな注意は完全に忘れてしまうくらいの鳥頭集団だったらしい。

 蘭月が今からする話は、恐らくコイツらに聞かれると面倒になる話だ。

 なので俺と蘭月は場所を変えて、3Fの空いている配信スタジオまで移動した。

 ここなら防音も完璧なので外に会話が漏れる心配もないしな。


「で、話ってのは」


「キタミカミの目的がワカッタから、その報告アル」


 密林配信のライバーであると同時に元殺し屋だか元暗殺者だかでもある北巳神と(渋滞その2)、蘭月が昨晩帰路を共にしていたという話は、一鶴経由で既に知っている。

 無駄を嫌う北巳神の性格からして、何の目的も無しにただコラボ配信をするためだけにFMKの人狼会に混ざりに来たとは考え難い。

 だから蘭月に探りを入れるよう、実は裏でこっそりひっそりとメッセージを飛ばしていたのだが、どうやら成果は上がったようだ。


「聞かせてくれ」


「まず、ヤツが昨日ここに現れたのは、ボスやイヅルを害するのが目的ではナカッタヨ」


 この前のキャンプで、北巳神は有栖原に命令されて俺を殺そうとした。

 より正確に言うなら、俺を殺すことでFMKを崩壊させ、一鶴をVTuber業界から引退させようとした。

 あの時のことを踏まえるなら、今回も俺か一鶴に危害を及ぼしに来たと考えるのが妥当だと思っていたが、蘭月の言によるとどうやらそれは違うらしい。


「じゃあ何が目的だったんだ?」


「ワタシと接触スルのが目的ダッタみたいネ」


「蘭月に?」


 意外な答えだ。

 蘭月は北巳神を文字通りぶっ飛ばして暗殺を阻止させた張本人。

 北巳神と有栖原にとって目下最大の障害となる人物である。

 いや、だからこその接触なのかもしれない。


「もしかして買収でも持ち掛けられたか?」


「ウン? ああ、チガウアル。そういう話じゃナカッタヨ」


「そうなのか? てっきり有栖原の事だから、金で蘭月を味方に付けようとしているのかと」


「カッカッカ! もしソノ予想が当たってタラ、ここがボスの死に場所にナッテルところネ!」


 全然笑えない冗談だ。

 だが買収も違うとなると何の理由で蘭月に接触を図ったのか分からない。


「ってか蘭月に接触するだけなら、人狼会に参加しなくても普通に会いにくれば良くなかったか?」


「いきなり事務所にヤツが訪問してキタりしタラ、問答無用でぶっ飛ばしてたヨ」


「ああ……」


 まあそりゃそうなるか。

 北巳神もそれを分かっているから、お互いに手を出せないような状況を作りながら、表向き自然な流れで蘭月に会うために人狼会に参加したわけだ。


「で、蘭月に会いに来た理由は何だったんだ?」


「ウム、それなのだケド、実は向こうカラ仕事の誘いがあったアル」


「仕事って……まさか殺しのか? ターゲットは俺とか言わないだろうな」


「ダカラそれは違う言ったヨ。ワタシそんなにカネで裏切るように見えるアルカ?」


「見え……ない」


 見えると言ったら殴られそうな気がした。

 しかし蘭月は、ターゲットは俺ではないと否定したが、仕事の依頼が殺しであるところまでは否定していない。

 その部分についての答えを求めて視線を向けると、蘭月は眉を曲げて難しそうな顔をした。


「この仕事が殺しにナルのかどうかは、人によって判断がカワルとワタシは思うヨ」


「どういう意味だ?」


「…………これ以上は守秘義務もアルから説明はデキナイアル」


 そう言って蘭月は詳細を語るのを避けた。

 その仕事とやらについてはこれ以上深掘りさせてはくれないのだろう。

 問題は、その依頼を蘭月が受けるのかどうかだ。


「どうするつもりなんだ? 俺としては、FMKのマネージャーでいる内は、蘭月に変な仕事はしないで欲しいと思っているんだが」


「ワカッテルアル、事務所に迷惑をカケルような黒い仕事はシナイつもりネ。ただ、今回ばかりはそうもいかナイというか、ちょっとばかり危険なハシを渡らザルを得ナイ感じカモネ」


 それはつまり、北巳神が持ってきた仕事を引き受けるという意味なのだろうか。


「蘭月……」


「カッカッカ! ソンナ心配そうな顔をしなくても問題ナイアルヨ。さっきは守秘義務がアルって言ったケド、少しダケ教えてヤルネ。この仕事はドッチかと言うと世界を守る的な仕事アルヨ。そのタメに少しデモ、腕の立つニンゲンが必要ダッタというダケの話ネ」


 蘭月はいつものように小気味良く笑いながら、俺の肩をポンポンと叩いた。

 北巳神は信用ならないが、蘭月の言葉なら信じてやらないわけにはいかない。

 なにせ俺の命の恩人だしな。


「分かった、お前を信じる」


「理解アル上司で助かるネ」


「だけどくれぐれも無茶はするなよ。お前はまだFMKのマネージャーなんだからな」


「ワカッてるヨ」


 蘭月は笑って頷いた。


「――デ、1週間くらい……モシカシタら、もっと早く仕事が片付くカモ知れないケド、少しの間ワタシはいなくなるカラ、十分気を付けるんダヨ」


 どうやら蘭月は1週間程度そっちの仕事でいなくなるらしかった。

 当然、その間は俺の周りにボディーガードがいない状況になる。

 そんな時に、もしこの前みたく有栖原の刺客が来たらアウトだ。


「なあ、1週間くらいの短期で働いてくれる、蘭月並みに腕の立つボディーガードをついでに紹介してくれると俺も助かるんだけど」


「期間はトモカク、ワタシ並みにという条件が埒外ダネ」


「だよな」


 蘭月レベルの猛者がその辺をゴロゴロしてるわけがない。


「だったらこの際、ある程度腕が立って信用出来るなら誰でも良いんだけど」


「フム……そこまで不安ナラしばらくは事務所で寝泊まりスルと良いヨ。何せココには今、ボスの要望を完璧に満たすボディーガードが居るからネ」


 蘭月の言葉に、俺の心臓がドクンと脈打った。

 俺の要望を満たす最高のボディーガード。

 蘭月のいない間俺を守ってくれて、蘭月並みに強くて、ついでに信用の出来る存在。

 そんな存在が今、この事務所に居ると蘭月は言ったのだ。


 俺だって馬鹿じゃない。

 ここまで散々思わせぶりで意味深なピースを散りばめられてきたのに、未だに何も分かっていないはずがない。


『一応忠告スルケド、あまり深入りシナイコトをオススメするアル』


 ほんの数日前のやり取りが思い出される。

 蘭月は深入りしない方が良いと言ってきたが、その口でヒントになるような言葉をくれもした。

 その意図は、俺にどうしたいか選べということなのだろうか。

 だったら答えはもう決まっていると言うしかない。


「なあ、そのボディーガードって……トレちゃんのことを言ってるのか?」


 回りくどいのは抜きにして直球勝負で核心に触れる。

 トレちゃんと蘭月は、初期の頃から面識があるような素振りを度々見せていた。

 それを不思議に思いながらも、俺は今日まで2人の関係について本人たちから聞こうとはしてこなかった。

 何故か。


 多分俺は恐れていたのだろう。

 あの天真爛漫で誰とでも分け隔てなく接することの出来る天使のような存在であるトレちゃんが、裏社会の人間である蘭月とどのような繋がりがあるのか。

 無邪気な笑顔の下に、もしかしたら誰も知らない顔を隠しているのかもしれない。

 その秘密を暴いてしまったが最後、トレちゃんは俺達の前からいなくなってしまうのではないか。

 そんな恐怖心があったから、俺は無意識に、或いは意識的にトレちゃんと蘭月の関係を聞いてこなかった。


 ――というのは尤もらしい後付けの感情だが、これまで俺がトレちゃんに対して心の底から真剣に向き合って来なかったのは事実だ。

 バリバリの問題児である一鶴と幽名ばかりに気を取られ過ぎて、全然手の掛からないトレちゃんを半ば放任主義的に視界から外してしまっていた。

 今トレちゃんと奥入瀬さんとの間に生じている問題は、FMK運営ひいては代表である俺の、いわばツケだ。

 だからこそ俺は向き合わなくてはならない。

 メリーアン・トレイン・ト・トレインという1人の少女に。


「フッ……ワタシの忠告はヤッパリ無視ネ」


「すまん」


「イヤ、謝る必要はナイアル」


 忠告を無視して深入りしようと決めた俺に、しかし蘭月は何か満足したかのように、口元に穏やかな笑みを湛えた。

 そして言う。


リーア・・・は、同じ出自を持った同郷のよしみのような間柄だ」


 普段のカタコト喋りではなく、流暢な日本語で蘭月が語り出す。

 口調も、心なしか声のトーンまでもがいつもと違う。

 これが蘭月の素なのだろうか。


 それと『リーア』というのはトレちゃんのことを指しているのだろう。

 メリーアンの部分から抜き出した愛称なのだろうか。

 いつもみんなでトレちゃんと呼んでいるし、本人もトレちゃんと呼んでくれと言っているので、一瞬リーアが誰のことを指しているのか分からなかったが間違いないはずだ。


「リーアと私は……同じ境遇に生み出された子供達と共に、厳しい教育と過酷な訓練が徹底された環境の中で育てられてきた」


「それって――」


「黙って最後まで聞くアル」


「……はい」


 エセチャイナ節の方で怒られてしまったので黙っておくことにする。


「子供達は30人ほどいたが、リーアはその中でも群を抜いて優秀だった。大人達は口を揃えて言っていたよ、『リーアこそが我が研究機関の最高傑作だ』と」


 研究機関だかなんだか知らないが、どこか普通じゃない場所でトレちゃんと蘭月は生まれ育った?

 あまりにも現実味がない話だが、そう感じるのは俺の住んでいる世界が平和過ぎるからだろうか。

 だが北巳神との格闘戦で見せた蘭月の強さが、この与太話のような追憶に真実感を上乗せしている。

 それにこの話が本当なら、最高傑作と呼ばれていたトレちゃんは蘭月以上に強いということになる……のだろうか。それこそ現実味が薄い。


「――で、色々あって研究機関はぶっ潰れて、リーアと私含む子供は散り散りになって世界中に逃げおおせた」


「待て待て、いきなり話が飛んだぞ」


「うるさい男ネ。細かいトコロはどうでもイイアル。というか、ワタシらの過去バナを全部話してタラ、時間がいくらあっても足りないネ。それは死ぬホド面倒ダヨ」


 面倒臭くなっただけかよ。


「アー……それでワタシたちは生まれやらナンヤラを偽って、世界中のサマザマな国で今は好き勝手して暮らしテルってワケアル」


 細かい部分を全部端折った蘭月は「メデタシメデタシ」と話を閉じた。

 色々と不明なままの情報もあるが、今の話でトレちゃんの抱えている闇に一歩踏み込んでしまった。

 知ってしまったからには、もう後には引き返せない。


「リーアは己のウンメイに抗うと必死こいてるアル。だからボスはリーアのコトを助けてやって欲しいアルヨ。今のアイツに必要なのは、ソッチ側の人間の強さトカ温もりトカ、そういう感じのぬるっとした何かネ」


「なんかいきなりふわっとした話になったな……。さっきの真面目モードの話し方で最後まで通してくれよ」


「ああいう堅苦しいのはオタガイに好きジャナイアルヨネ?」


 まあそれはそうなのだけれど。

 FMKは見ての通りの緩い団体だし、俺達の物語にタグを付けるならコメディじゃなきゃならない。

 だからシリアスなノリは一旦お預けだ。


「ともかく蘭月とトレちゃんの過去はふんわりとだが伝わった」


「ウム」


「トレちゃんが最高のボディーガードになるってのも、今の話が真実なら納得だ」


「そうアルネ」


「でも話を聞く限り、トレちゃんは自分の正体を他人に知られたくないと思っている……んじゃないのか?」


「正解ネ」


 トレちゃんはなんだかワケの分からん研究機関で育てられた過去と決別したがっている。

 そんなことは、これまでのトレちゃんを見てれば誰にだって分かることだ。


「だったら俺はトレちゃんの力に頼るわけにはいかないな」


 俺が危ない目に遭ったとして、それをトレちゃんが助けるのは=トレちゃんが普通の少女じゃないということを露見させることと同義だ。

 自分の出自に関する情報を隠しながら生活するトレちゃんにとって、その事実は恐らく致命傷となるだろう。

 それはFMK運営が掲げる、ライバーのやりたいことをやらせてあげるという主義に大いに反している。

 だから俺は例え自分の身が危うかろうと、トレちゃんには頼らない。

 俺がトレちゃんの正体を知っているという事実にしても、一生誰にも話さないで墓の中まで持っていく所存だ。


「ボスならキットそう言うと思ったアルヨ」


 蘭月はニヤリと笑って俺に背を向けた。


「マア、心配セズとも今回キタミカミに手を貸したことでアリスバラにも貸し一つダヨ。ダカラ、ワタシがいない間に刺客を送って来るコトはナイアル」


 それだけを言い残して、蘭月は事務所から姿を消した。

 そのまま依頼とやらに向かって1週間は帰って来ないのだろう。


 なんだ、有栖原から刺客が来ることはないのか。

 じゃあ意味深にワタシがいない間十分に気を付けろって言ってたのは何に対してなんだ。

 ……って、一鶴に対してに決まってるか。

 蘭月の見張りがないとなったら何をしでかすか分からんからな。


 ある意味そっちの方がやべえなと思ったが、肝心の蘭月にはしばらく頼れない。

 どうしようか。


「……ま、一先ずはトレちゃんと奥入瀬さんの問題を片付けるとするか」


 全部はそれからだ。

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