一鶴の提案

「すいません……私が余計なことを言ったせいで、ステちゃんさんを傷付けてしまいました……」


 事務所に着くなり開口一番、奥入瀬さんに謝られてしまった。だが奥入瀬さんが悪いとは誰も思っていない。

 確かに奥入瀬さんの指摘が原因でトレちゃんが涙したのは事実なのだろう。でも言いたいことがあるなら何でも言ってくれと煽ったのは、俺やトレちゃん自身だ。

 それに奥入瀬さんの言った改善点……声真似ではなく、自分の声で歌うべきという指摘は正しいと思う。

 特段キツい言い方をしたわけでもないし、まさかアレであのトレちゃんが泣くとは誰も予想出来ない事態だったはず……。


 果たして本当にそうなのだろうか。

 俺に落ち度はなかったか?

 もっと上手いやり方があったんじゃないか?

 あの場では何と言うのが正解だったんだ?

 答えは誰も教えてくれない。

 ……今はとにかく奥入瀬さんのケアが先だ。


「奥入瀬さんは悪くないと俺は思う」


「そうですわ。奏鳴は何でも自分のせいだと思い込み過ぎですわね」


 俺と幽名が口々にフォローするが、奥入瀬さんの表情は晴れない。


「でも私が何も言わなければステちゃんさんは泣かなかったですし、曲も無事に完成してたはず……」


「曲は完成してただろうが、100点の完成度じゃなかった。そうだろ?」


「そうなんですけど……」


「だったら奥入瀬さんは謝るべきじゃない。むしろ謝るべきは俺の方だ」


 俺は深々と頭を下げた。


「言いづらいことを無理やり言わせるような真似をして本当にすまなかった。アレは俺のミスだ」


「そんな……! 代表さんは何も悪くは……!」


「いや、あの場で奥入瀬さんの口から直接言わせたのは失敗だったんだと思う。俺が奥入瀬さんと一対一で話して改善点を聞き出して、それから俺がトレちゃんに個別で内容を伝えるべきだった」


 話し、考えることで、少しずつ自分の何が悪かったのかが見えてくる。

 

「そうすれば少なくとも、トレちゃんを泣かせてしまったという精神的ダメージを負うのは俺だけで済んだはずだ」


「でもそれだと、私の代わりに代表さんが傷つくことになるんじゃ……」


「それで良いんだよ。ライバーの負担になる部分を背負うのが事務所の役割なんだから」


「代表のおっしゃる通りです」


 と、七椿が頼もしい援護射撃をしてくれる。


「あの場面では、事務所側が緩衝材の役割を果たすべきでした。そこに思い至らなかった私達こそ責められるべきです。申し訳ございませんでした」


「七椿さんまで……」


 俺と七椿の両方に頭を下げられて、奥入瀬さんは逆にどうしていいか分からないようだった。


「ま、次からは気を付けることね」


 そして何故か一鶴がここぞとばかりに出しゃばってきた。お前はどのポジションの者だよ。

 というかスタジオ前で解散したはずなのになんで事務所に居るんだ。野次馬か。

 まあ、一鶴がボケてくれたお陰で場の空気が一気に緩くなったが。

 狙ってやったのなら大したものだが、多分こいつはただ俺を煽りたかっただけだ。


「とにかく奥入瀬さんは気に病む必要はない。そう簡単に割り切れないかも知れないけど、誰も奥入瀬さんを責めてないってことは理解して欲しい。多分トレちゃんも自分が酷いことを言われたなんて微塵も思ってないと思うぞ」


「でも……じゃあなんでステちゃんさんは涙を……」


 トレちゃんが涙を流した理由は分からない。

 そもそも自分でさえ泣いている理由が分かっていない素振りさえ見せていた。

 いや、そう振舞っていただけなのかもしれないが。


 実際のところはトレちゃん本人に聞いてみなければ分からない。

 トレちゃんは明るくて人懐っこくて、全身陽キャの塊のような人間だ。

 だが俺はトレちゃんに関して、表面上から得られる情報以上のことを知らない。


 心の内を見ようとしてこなかった。

 知る努力を怠っていた。

 トレちゃんなら特段気に掛けずとも問題も起こさないし、手の掛からない優秀なライバーだと安心して思考放棄していた。

 そうやって一鶴や幽名ばかりにかまけていた結果がこれなのだとしたら、やはり今回の件の責任は俺にあるのだろう。

 俺はもう少し真面目に、ライバーひとりひとりと向き合うべきだったのだ。


「とにかくトレちゃんのことはこっちに任せて欲しい。トレちゃんの涙の理由が分からないままなのは、奥入瀬さんとしては落ち着かないだろうけど、今はそれで納得してもらうしかない」


 俺が言うと、奥入瀬さんは不安そうにしながらも頷いてくれた。

 一先ず奥入瀬さんの方はこれで大丈夫だろう。

 だが根本的な解決を果たすには、トレちゃんと話して彼女の抱えている何かを知る必要がある。


 俺は奥入瀬さんが帰った後、蘭月にトレちゃんの様子を教えてくれとメッセージを飛ばした。

 返信は秒で来た。


『マダ精神的に不安定にナッテルネ。情けないヤツダヨ』


 蘭月の評価は辛辣だ。

 しかしこの返信を信じる限り、奥入瀬さんよりむしろトレちゃんの方が悩んでいる可能性は高い。

 声真似ではなく自分の声で、と言われたことがそこまでショックだったのだろうか。

 何故そこまでショックを受けたのか。

 俺はそれを知らなくてはならない。

 そう思っていると、蘭月からもう一通メッセージが飛んで来た。


『一応忠告スルケド、あまり深入りシナイコトをオススメするアル』


 そんな訳知り顔のメッセージを見て、俺はすぐさま返信した。


『どうしてだ? 蘭月はトレちゃんの何を知ってるんだ?』


 その問いに蘭月が答えることはついぞなかった。


 深入りするなって言われてもな。

 そういうわけにもいかないだろう。


 ■


 トレちゃんと一度真剣に話し合おう。

 そうは決めたものの、世の中思い通りに物事が運ぶとは限らないのが難しいところ。


「オハヨウゴジャマース! 昨日はヘンな空気にシテしまってスイマセンデース!」


 あまりにもいつも通りの明るさで事務所に飛び込んできたトレちゃんを見て、昨日の涙のワケを詳しく聞かなければという気持ちが大いに揺らいでしまった。

 トレちゃんの笑顔は暗に「事情を深く聞かないで欲しい」と物語ってさえいる。

 もう自分は大丈夫だから。だからこれ以上昨日の話を掘り下げる必要はない。

 そう言っているようにしか見えなかった。


「あー……トレちゃんが謝る必要は全然ないんだが。むしろ謝るのはこっちの方なわけで」


「ハイ? ドーシテ代表さんが謝るデスカ? なんでもかんでもシャザイするのは、ニホンジンの良くないトコデスヨ」


 俺の不甲斐なさのせいで日本人全体にまで被害が波及してしまった。

 なんてことだ。


「いやいや、決して日本人の遺伝子に宿る本能が謝罪を口走らせたわけじゃなくてだな。昨日の件だが、事務所が緩衝材になってれば気まずい空気になるのも防げたんじゃないかって話で……」


「――ニホンゴ難しくてヨクワカンナイデース! トニカク、もうトレはダイジョブなので、昨日の話はもうオシマイデス! 切り替えてイクデスヨ!」


 遠回しに涙のワケに切り込んで行こうとした俺に対し、今度はもっと直接的にトレちゃんが昨日の話をするなと言ってくる。

 決して強い言い方ではなく、いつものトレちゃんの朗らかとした口調だったが、何か言いようのない圧を感じた。


 これ以上踏み込めば事態は逆に悪化するだけ、か?

 それとも多少強引にでも話を聞いた方が良いのだろうか。

 俺はチラリと七椿の方を見た。

 有能事務員は、無言で小さく首を横に振る。

 ここは止めておいた方が無難という進言だ。

 そう、だな……今は様子見に留めておくのが最善策かもしれないか。


「分かった。確かにトレちゃんの言う通り、今は切り替えて前を見るべきだな」


「デスデス」


「それで歌の方はどうする? 奥入瀬さんはああ言ってたが、トレちゃんの今の気持ちを正直に聞かせてくれ。録り直したいか、昨日収録した歌のままでいいか」


「ソンナノ決まってマスヨ! よりグッドでパーフェクトなMVのために、収録をやり直すベキデス!」


 あっさりと、トレちゃんは録り直しすると言ってきた。

 明るいいつものトレちゃんそのもので、陰りのようなものは一切感じられない。


「カナは今日は来てないデスカ?」


 トレちゃんが事務所を見渡すが、今事務所に居るのは俺と七椿だけだ。


「奥入瀬さんなら幽名と出掛けてるぞ。公園で日課のヴァイオリンの練習してるだけだから、そろそろ戻ってくると思うけど」


 とか言ってたら事務所のドアが開いて誰かが入って来た。


「おはー、ってトレちゃんいるじゃん」


 微妙に韻を踏みながら入って来たのは、大荷物を担いだ一鶴だった。


「なんだそのダンボールと後ろのキャリーバッグは。夜逃げでもするのか」


「ん? ああ、ちょっと少しの間だけ事務所に住もうかと思って」


「は?」


 さらっと頭のおかしいことを言いだす一鶴。


「待て馬鹿、勝手にホテル感覚で事務所に住もうとするな。ワケを言え」


「うちのアパートだけどさぁ、エアコンもないし夏場死にそうになりながら配信してんのよね。もうサウナかって兎斗乃依っちかって話なワケ。だからエアコンのある事務所に夏の間だけでも居座ろうかと」


 一鶴はこれ以上ないくらい正直に理由を言ってきた。

 だが正直に言えば全てが許されると思ったら大間違いだ。


「帰れ」


「えー! なんでよ! 姫ちゃんは事務所に住んでるじゃん!」


「うっ」


 痛いところを突いてきやがる。

 幽名が事務所に居候していることは最初は隠していたのだが、流石に隠し切れずに最近は全員の知るところとなっている。

 ほとんど常に事務所にいるし、事務所に集まって配信した後も幽名だけ帰らないのだからバレるのは当たり前っちゃ当たり前なのだが。

 だがそれはそれで、これはこれだ。


「言っておくが、幽名は家庭の事情で住むとこがないからだ。お前のは自分都合だろ」


「じゃあ部屋にクーラー付けるから……っていうかクーラーの付いてる所に引っ越すからお金頂戴」


「稼げよ」


「頑張ってるけどさー、この間入ったTubeの収益も暮らして行くのに精いっぱいの額だったし、事務所のマージンがデカすぎんのよね」


「借金のせいだろ」


「ここはもう一発デカく稼ぐしかないわよね」


「ギャンブルは禁止だぞ」


「わーってるわよ。パチ屋入った瞬間背後に蘭月立ってる恐怖が代表さんに分かる?」


「禁止だっつってんのに行くなよ」


「ってなワケで、夏場だけでいいから事務所に住まわせてね」


「駄目だっつってんだろ」


「じゃあ配信強化夏合宿ってことで、みんなで事務所にお泊りして配信するってのはどう!? トレちゃんもみんなで事務所にお泊りしたいわよね?」


「ソレは面白そうデスネ!」


 コイツ……それっぽいイベントに仕立ててトレちゃんを味方に付けやがった。

 卑怯だぞ。


 だがまあ、この流れなら恐らく奥入瀬さんと瑠璃も合宿には賛成するだろうし、それはそれで俺としては好都合ではある。

 全員が目の届く範囲に居てくれれば、諸々の問題に対して即座に対応出来るからだ。

 トレちゃんと奥入瀬さんの問題然り、一鶴の問題然り。


「まあ……そういうことなら、事務所を合宿場所として貸し出すのもやぶさかじゃないが」


「よっしゃ、じゃあ決まりね」


「トレもお泊りドウグ持ってキマース!」


 トレちゃんがるんるん気分でスキップを刻みながら事務所を後にする。

 その後ろ姿を見送りながら、一鶴がダンボールを床に置いた。


「心配してたけど、トレちゃん大丈夫そうね」


 こんなでも一応仲間の心配はしていたらしい。


「もしかして、トレちゃんを元気づけるために合宿を提案したのか?」


「え……あ、勿論よ!」


 え……あ、じゃねえよ。

 違うなら違うて言え。

 どうやら合宿自体は本当にクーラーのある場所に居座るためだけの方便らしかった。

 別に理由なんてなんでも良いけど。

 それよりも気になることがある。


「一鶴。最近有栖原から連絡とかなかったか?」


「は? 有栖原ってあの有栖原? 密林配信の?」


「ああ」


「なんであたしが有栖原なんかと仲良くしてると思ったの? アイツから連絡なんて来るわけないじゃん。キャンプ以降存在すら忘れてたわよ」


 有栖原から直接一鶴に接触はしてきていないか。

 少なくとも今はまだ。


「なら良いんだ。変なことを聞いて悪かったな」


「ほんとね」


 安易に殺し屋を仕向けてくるようなやつだ。

 今後も有栖原の動向に注意しておくにこしたことはない。

 そういう意味でもやはり、全員に事務所に居てもらうのは悪くないように思う。

 再収録の打ち合わせもしやすいしな。


 その後事務所に戻って来た幽名と奥入瀬さんも合宿に賛同。

 瑠璃にも一鶴が直接誘いのメッセージを送ってOKを貰っていたので、満場一致で夏合宿は可決された。

 こうしてなし崩し的に配信強化夏合宿が決定したのだった。

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