予想外の指摘

 翌々日。

 俺達はFMK総員で予約した音楽スタジオにお邪魔していた。

 あまり広いスタジオではないのだが、そんなことはお構いなしに、FMKの自由人たちはスタジオ内を好き勝手に観察し始めている。


「奏鳴、これは何をする機材なのでしょう?」


「これはクロックジェネレータだね。精度の良いクロックを供給したりして音を綺麗に出来る機材だよ」


「??? ではこれは?」


「それはね――」


 幽名は目に付いたもの全部の説明を奥入瀬さんに求めるが、返された答えに首を傾げ続けている。

 かくいう俺もさっぱり理解出来てないけど。

 一鶴は高そうな機材の値段をスマホで調べて目をキラキラさせている。その背後では蘭月が目を別の意味で光らせているので、悪さは出来ないだろうが要注意だ。

 で、そうやって俺達が遊んでいる間にも(俺と七椿は遊んでない)、トレちゃんは収録ブース内でスタジオのエンジニアさんとマイクセッティングをしていた。

 集団で動けば動くほど、まとまりのなさが強調されるよな、FMKは。


 無駄にスタジオ内を見学させてもらったが、今回使うのはボーカル収録用の録音スタジオだけだ。

 声を録るトレちゃんは、マイクやアンプだけが置かれている収録ブースに。

 その他の人員は、ミキシング用の機材などが取り揃えられたコントロールルームに集まった。


 スタジオによっては、収録ブースとコントロールルームは防音ガラスで仕切られていて、ガラス越しにお互いの部屋の様子が分かるらしい。のだが、今回使わせて頂くスタジオは、コントロールルームからカメラを通じてブースの様子を見れるのみで、ブース側からはこちらが見えない仕様になっている。


「これって、こっちの声は向こうに聞こえないの?」


 機材の物色に飽きた一鶴が、興味深そうにモニターを見ながら言う。

 収録ブースを俯瞰で映すモニターには、トレちゃんがひとりでぽつねんと待機する姿が映っている。

 そんな疑問に答えるのは、エンジニアの役目を果たす奥入瀬さんだ。

 奥入瀬さんが機材を大体扱えるらしいので、音楽スタジオのエンジニアさんには下がってもらっている。


「えっと……このボタンを押してる間だけ、収録ブースとのコミュニケーションが取れるようになって……ます」


 まだ幽名以外の相手には他所他所しさの残る奥入瀬さんが、トークバック用のボタンをぽちっと押す。


「ステちゃんさん、聞こえますか?」


『こちらトレちゃんデース! 聞こえてマース! オーバー!』


 トレちゃんがカメラに向かって手を振ってくる。

 今日もトレちゃんはかわいいですね。

 奥入瀬さんはモニターに向かって一つ頷きを入れてから、


「それでは、スタジオの使用時間もあるので早速収録作業を始めようと思いますけど……そちらの準備は大丈夫でしょうか?」


 と言った。


『オッケーデス!』


 トレちゃんも準備万端とのことなので、レコーディングを始めることになった。


 ■


 収録作業自体はそこまで難しいものでもなかった。

 トレちゃん側がヘッドホンで音を聴きながらマイクに向かって歌を歌い、録れた音をコントロールルームの方で奥入瀬さんが調整する。それだけだ。

 いや、それだけって言っても、ワケの分からんボタンやつまみが大量に付いた機材や、パソコンで音声波形を弄ってリズムやピッチを修正したりとか、奥入瀬さんにしか出来ない作業が盛りだくさんだったけど。

 そんなこんなで驚くほど収録は順調に進行し、3時間もかからずにメインボーカルとコーラスの収録が終わってしまった。


「ミキシングはこれからですけど、一応聴ける形にはしてみました」


 ボーカルトラックを合わせた曲を奥入瀬さんが用意してくれたので、一度全員でコントロールルームに集まって曲を聴いてみることにした。


「凄い……ちゃんと曲になってる」


 瑠璃が感動したように喉を唸らせる。

 確かにこれは想像以上の出来栄えだ。

 奥入瀬さんの作曲は言わずもがな、幽名のヴァイオリンもハイクオリティだし、歌詞もFMKらしさがいっぱいでエモーショナル。

 そして何よりトレちゃんの歌唱力がズバ抜けているように聞こえた。

 普段のトレちゃんの声とは全然違うし、まるで某有名アーティストが憑依したかのような歌い方と声だった。

 これは流石に文句の付けようがない。


 ここまで漕ぎ着けるのに一悶着も二悶着もあったから、感動もひとしおだ。

 みんなもハイタッチして喜びを分かち合うくらいに曲の完成に沸き立っている。

 心なしか七椿の口元にも笑みが見える気がするが気のせいだった。


「素晴らしいですわ。やりましたわね、奏鳴」


「う、うん……そうだね」


「奏鳴?」


「え? あ、ごめんなさい、何でもないの」


 しかし奥入瀬さんただ1人が、何故か少しだけ浮かない顔をしていた。

 どうしたのだろうか。

 音楽のスペシャリストである奥入瀬さんにしか分からないような何かがあったのか?


「奥入瀬さん、気になることがあるなら言った方が良い。まだ何か納得出来てない部分があるんじゃないか?」


 俺がそう言うと、奥入瀬さんはかえって申し訳なさそうに縮こまってしまう。


「気になるというほどでは……むしろ私が気にし過ぎなだけで……すいません」


「責めてるわけじゃないから謝らないでいい。ただ、この曲は奥入瀬さんの曲でもあるんだ。だから直したいところがあるなら言うべきだと思う。後悔だけはしないように」


 俺は言いながらも、奥入瀬さんを説得する言葉として、今の言葉選びは正しかったのか少し不安になった。

 答えは直ぐには分からないが、それでも俺には発言する義務がある。

 FMKの代表として。


「ここにいる奴らは、奥入瀬さんが曲を良くするために言ったことなら、どんなことでも怒ったりしないし、悪く言ったりもしない。それは俺が保証する」


「そーそー、不満があるならズバっと言っちゃうのが良いわよ」


 一鶴は何でもかんでも口に出し過ぎなので黙っていて欲しいくらいだ。


「奏鳴」


 幽名が奥入瀬さんの手を取って目を合わせる。


「これから先、奏鳴がもっと沢山の曲を作っていく中で、必ず今のように納得のいかない部分は出て来るはずですわ。そこを指摘出来るのは、貴女しかいない。逃げてはダメ」


 幽名にしては強めの言葉だ。

 だが奥入瀬さんは、逃げずにその言葉を正面から受け止めた。


「そう、だよね……ごめん姫衣ちゃん……代表さんも。私が責任を持ってこの曲を完成させなきゃだもんね」


 深く息を吸って、吐いてを何度か繰り返してから、奥入瀬さんは意を決したように全員の顔を見渡す。

 そして、トレちゃんと視線を合わせたところで顔の動きを止めた。


「私が気になったのは……その…………ステちゃんさんの声、です」


 奥入瀬さんの指摘は、俺が予想もしていなかった部分に対してだった。


「ワタシの声、デスカ?」


 奥入瀬さんから名指しで指摘を受けたトレちゃんに、全員の視線が集中する。

 他のみんなも俺と同じく、トレちゃんの歌声に問題があるなど思ってなかったらしく、驚きと困惑の色が表情に現れていた。

 一方で、トレちゃん本人は大真面目な顔で、奥入瀬さんに対してぐいっと超至近距離まで額を寄せる。


「イッテください、カナ! ヨクナイところ直ぐにシューセイしマス! 声のドコが問題デシたカ? 高スギ? 低スギ? それともピッチがズレてましたカ? 歌詞マチガえてましタ? 何でもイッテくだサイ!」


「ええっと……その、だから……」


 基本的にパーソナルスペースが狭めのトレちゃんに、人見知りしがちな奥入瀬さんは大きく体を仰け反らせるような姿勢で画面端まで追い詰められていく。

 これが格ゲーならかなり苦しい展開だ。

 

「ちょっとトレちゃん、そんな詰めたら奏鳴さんも言いづらいんじゃない?」


 一鶴がトレちゃんを諭しながら肩を掴んで距離を取らせる。


「オゥ、スイマセン」


「あ、いえ、いいんです。こっちこそすいません」


 トレちゃんの謝罪に謝罪で返す奥入瀬さん。

 一呼吸挟んで2人とも平常心に戻ったところで、問題提起した側である奥入瀬さんから口を開いた。


「えっと……ステちゃんさんのピッチやリズムはほぼ完璧なんです。多少のズレならこっちで直せますし、むしろその必要がほとんどなかったくらいで……それと歌詞も間違えてなかったですし」


「ソウなんデスカ? じゃあナニが問題ダッタデス?」


 改めて問われた奥入瀬さんは、もの凄く言いづらそうに視線を逸らしながらそれを言った。


「その……ちょっと他のアーティストに寄せすぎというか……モノマネまで完璧すぎて、もはや別の人が歌ってる曲になっちゃってて……これはあくまでスターライト☆ステープルちゃんさんの曲だから、ステちゃんさんが自分の声で歌ってくれないと意味がない……と私は思っちゃったわけで……すいません」


 だんだんと声量が尻すぼみになっていく奥入瀬さんは、最終的にいつもの謝罪の言葉でトレちゃんの声の問題点を締めくくった。

 なるほど、言われてみればその指摘は尤もだ。

 俺も有名アーティストにそっくりな歌声だとは思っていたが、奥入瀬さんに言わせれば完璧すぎるモノマネらしい。

 元々声真似が得意なトレちゃんのことだから、意図的に声を寄せていたのだろう。

 しかし今回録っているコレはスターライト☆ステープルちゃんのオリジナル楽曲なのだから、モノマネでなくて自分の声でというのは納得のいく話だ。

 一鶴なんかは納得いかない顔で首を捻っているが。


「えー、声真似で歌うのってダメなの? あたしもカラオケとかで好きな歌手の声に寄せて歌ったりするけど。そういう時の方が結構上手く歌えたりするし」


「声真似を前面否定してるわけでは……。歌い始めの頃は、そういう風にプロの方をお手本にして練習するのが上達への早道だとは思います。でもハッキリ言って、ステちゃんさんはもうその段階にいません。歌を自分の声に昇華して歌えるはずです………………音痴の私が言っても説得力ないかもですけど」


 そういや奥入瀬さんは音痴なんだったか。

 楽器全般弾けて作曲も出来るのに音痴なんてことあるんだろうか。

 いや、実際あるのだから否定しようがないのだけれど。

 しかし奥入瀬さんが音痴だったとしても、彼女の中で培われている音楽理論は本物だ。

 このままでは良くないと奥入瀬さんが判断している以上、たとえ時間が掛かってもリテイクするべきなのだろう。

 無論、トレちゃんが絶対のこだわりを持って、さっき収録した声のままで行きたいというのなら話は別なのだが。

 そう思った俺は、とりあえずトレちゃんの意見を聞こうとして、


「どうする、トレちゃ――」


 と、言葉を失った。

 トレちゃんの頬を一筋の涙が伝っていたからだ。

 俺が二の句を継げず固まった理由に気付いた全員が、同じように硬直してしまう。


「エ、アレれ……? ワタシどうして泣いて……」


 全員が自分の顔を見て固まったことで、ようやくトレちゃんは自分の涙に気付いたらしく、慌ててメイド服の袖で目元をゴシゴシと拭った。


「アハハ、ソーリーデス! ちょっと目にゴミが入っちゃいマシタ!」


 そしていつものようにあっけらかんと笑う。

 でも、誰もが分かってしまっていた。

 今の涙は、目にゴミが入ったことが原因じゃないと。

 特に奥入瀬さんは……人見知り故に、誰よりも人の顔色を窺いがちな奥入瀬さんは、トレちゃんが見せた突然の感情に一番ショックを受けてしまっていた。


「あ、あの……わ、わた、私……」


 自分の言葉がトレちゃんを傷付けた。

 そう思ってしまったのだろう。

 今度は奥入瀬さんが泣きそうになってしまっている。


 そして俺はオロオロとしていた。

 情けない話だが、女の子の涙にかなり腰が引けてしまっている。

 マジでどうしたらいいんだ……。

 bdの涙に翻弄されていた小槌を笑えないぞ俺。


「代表、スタジオの利用時間がそろそろかと」


 そういう時に飛んでくるのが七椿のナイスアシストだ。

 俺は迷うことなくそのアシストに縋りついた。


「よし、そうだな。今日はここまでにして、続きはまた後日にしよう」


「ちょっとマッテくだサイ! ワタシまだやれマス!」


 トレちゃんはどうか分からないが、奥入瀬さんの方が今はヤバそうだ。

 いや、トレちゃんも普段通りに見えるが、何か明らかに動揺しているように見える。

 こんな状態でレコーディングを続けても良い結果にはならないだろう。

 何より俺もテンパっている。

 誰が何と言おうと今日はここまで。

 一旦全員のメンタルケアをしてからの仕切り直しにするのがベストだ。


「すまんトレちゃん。スタジオの方もこの後予約が入ってるらしいから延長出来なさそうなんだ。どっちにしろこういう問題なら、別の場所で練習してきてから再収録に臨んだ方が良いだろ?」


「ソレは……ソウですケド」


「決まりだな、じゃあ今日は解散。交通費は出すからこのまま皆帰るように」


 結局俺の権限で今日のレコーディングはここまでとなった。

 トレちゃんは帰り際に蘭月に声を掛けられて2人で帰っていった。

 仲が悪いと思っていた2人だが、いつの間にか和解しただのだろうか。

 なんにせよ、トレちゃんは蘭月に任せておいて良いだろう。

 頼りになりすぎるぜ蘭月さん。


 奥入瀬さんの方はこっちで話をするとしよう。

 俺はこの後事務所に寄るよう奥入瀬さんに言うと、奥入瀬さんは力なく無言で頷いて返してきたのだった。

 こいつは重症だ。

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