幽名姫衣は諦めない
一鶴はこれまで生きてきた21年間で、それなりに色々な人間を見てきた。
借金返済のために非合法のギャンブル船に乗ったり、借金が原因で地下の強制労働施設送りになったり、借金のせいで蘭月を始めとするバラエティ豊かな取り立て屋たちに追い回されたり。
何か大きな事件に巻き込まれる度、多種多様、十人十色のクズたちと出会い、騙し騙されのギャンブルバトルを繰り広げてきた。
その過程で副産物的に培われた能力が、相手のクズ度を見極める力だ。
同類を嗅ぎ分ける能力とでも言い換えてもいいかもしれない。
蛇の道は蛇というやつだ。
とにかく、一鶴の直観は告げていた。
有栖原アリスはクズに類する人間だと。
自分とタイプは違うだろうが、何かしらの外道的側面を持ち合わせている可能性が高い。
そんな有栖原が『条件付きで』なんて言い出した時点で、悪い予感しかしないのは当たり前だ。
そもそもこの直談判という名の交渉は、圧倒的にこちらが不利な状況で始まっている。
こちら側のカードは、必死に頭を下げてお願いするくらいしか初めから用意されていない。
一方の有栖原サイドは、最終的な決定権を保持しているというだけでも最強に近いのに、切れる手札が圧倒的に多く、そして何より弱みがない。
密林配信は炎上マーケティングに近いやり方で話題を集めている。
もし有栖原に何か世間を賑わせるにたるだけのスキャンダルがあったとして、それすらも燃料にして更に炎を大きくしようとするに違いない。
そんなスタンスを取られていては、弱みを握って強請りをかけるやり方も通用しない。
突き崩せる隙が無いに等しい。
正しく無敵の人間だ。
有栖原には搦手は通用しない。
試したところで勝率は1%を割るだろう。
だからこそ、正面切って真摯に想いを伝えた奥入瀬の判断は正しいと言える。
邪道な攻略方法が通じないのなら、それならもう正攻法に頼るしか道はない。
相手にもしも人の心が一部でも残っていたなら、その方がまだワンチャン期待出来るのだから。
しかし、先程も述べたように、有栖原は外道であり、そして好き勝手なことを言える立場にあることを忘れてはならない。
有栖原が人差し指を立てて条件を口にする。
「まずひとつ目の条件として、密林配信で活動している間に発生した全ての収益は、事務所に100%の割合で献上すること」
ほらきた。
■
「全収益を事務所にって……いくらなんでもそんなの無茶苦茶だって! それじゃただのボランティアじゃん! 稼ぎもないのにどうやって生活しろって言うのさ!」
有栖原の提示した条件に、楼龍は待ったなしで噛み付いていく。
常識的に考えて有り得ない条件だ。
VTuberだって中身はただの人間。
生きていくにはどう足掻いても金がいる。
金がなければ生きていけない。
「琴里に死ねって言ってんの!? 社長は!」
「うるさいのよ」
怒鳴りつける楼龍に、有栖原は酷く冷ややかな眼差しを向けて来る。
「死ねだなんて大袈裟に捉えすぎなのよ。VTuberとしての稼ぎがないなら、別で働いて稼げば良いだけのことじゃないのよ。事実として、ネットの収益だけで食べていけない多くの配信者は、本業を別としているのよ」
「それは……そうだけど」
無茶苦茶な条件を出しつつも、それでも活動することになんら支障はないと有栖原が説明する。
詭弁だ。だが確かに、やろうと思えば何ら難しいことじゃないというのも分かってしまう。
世の中には仕事をしながらも、趣味で収益にならない配信をしている人間など五万といる。
そもそも琴里はチャンネル登録者数が5万と、配信業だけで生活していくには微妙に心もとない数字しか持っていない。
その上、決して低くない額のマージンを事務所に納めていたので、実際の収入は更に低かったはずだ。
残りの生活費はパークからの支援で賄っていると言っていたが、今回の条件を受け入れればそれだけでは足りなくなるのは目に見えている。バイトか何かをして稼ぐ必要は絶対に出てくるだろう。
でもそれだけだ。
配信だけに専念出来なくなるのは面倒だが、それでも笛鐘琴里は取り戻せる。
そう、条件がそれだけなら、まだ有栖原にしては譲歩してくれた方だと思えたかもしれない。
まだ一考の余地はあったかもしれない。
だが有栖原はこう口にしていた。
まずひとつ目の条件として、と。
「そしてふたつ目の条件なのよ」
右手でピースサインを作りながら、有栖原が第二の条件を言った。
「密林配信に所属している間は、事務所の意向には決して逆らわず、配信内容は全てこちらの指示に従って行うこと」
つまるところ、配信の自由を認めないという話だ。
やりたいことを一切やれず、事務所がやれと言えばどんな配信だろうとやらなくてはならない。
分かりやすく地獄だ。
「当然、音楽配信なんて絶対にやらせてやらないのよ」
追い打ちを掛けるように有栖原が無表情で宣告する。
ここまで来れば全員が理解していた。
有栖原は、初めから笛鐘琴里を復帰させるつもりなどないのだと。
「で、みっつ目の条件なのよ」
三本指を立てる有栖原は、機械のような冷徹さで最後の条件を提示した。
「笛鐘琴里の名を使って密林配信で活動する限り、もう二度と音楽活動には従事しないこと。以上三つの条件を全て満たせるのなら、笛鐘琴里はお前に返してやるのよ」
「ふざ……っけないでよ!」
とうとう楼龍の怒りが臨界点を超えた。
サウナに入ってる時の比じゃないくらいに脳が沸き立つ、沸騰する。
このムカつくガキの顔面にドロップキックをぶち込んだらさぞかし爽快だろう。
そういう感情に支配される。
というかもう、実行していた。
「ぶっ飛べ! クソガキ――」
「バカはやめとくネ」
「!?」
床と垂直になるよう跳んだはずの体が、ビダン! というもの凄い音と共に床に叩きつけられた。
ワケが分からない。分かるのは、うつ伏せに倒れた自分の背中の上に、誰かが乗っているということだけ。
楼龍は首だけを動かして、その人物の顔を見る。
チャイナ服のコスプレ女と目が合った。
「動いタラ……いや、どうせオマエじゃ私の拘束からはヌケ出せないアルネ」
ガッチリと楼龍の片腕を固めながら、チャイナ娘がつまらなそうにそう嘯く。
ドロップキックのために足から跳躍した楼龍を止めたのは、チャイナ服のFMKマネージャーだった。いかなる体術を用いたのか、蘭月はドロップキックの衝撃を完全に殺しきって、楼龍をそのまま床に押さえつけたらしい。
「離せ!」
「マア、落ち着くアルヨ。ココで手をダシたら、ホントウに詰みネ」
「その通りなのよ」
ドロップキックをされかけた有栖原は、流石に顔を少しだけ引き攣らせながらも冷静なまま話を進める。
その余裕の態度が尚更腹立たしい。
直ぐにでもぶん殴ってやりたいが、蘭月の拘束が固すぎて抜け出せそうにない。
「こんな条件飲めるはずがない!」
「そう思うのなら帰ると良いのよ。その代わり、もう二度と笛鐘琴里が帰って来ることはない。アリスはお前たちとの話し合いにはこれ以降一切応じないのよ」
「そんなのって……あんまりだ!」
折角奏鳴が立ち直ってくれたのに。
頑張って勇気を出して、有栖原に立ち向かって行ったのに。
また一緒に活動出来るはずだったのに。
有栖原の意地悪で全てが台無しだ。
笛鐘琴里を取れば音楽への道は断たれ、音楽を取れば笛鐘琴里の存在は永遠に消える。
どちらか片方しか選べない。
いや、条件の厳しさを考えれば、どう考えても笛鐘琴里が戻って来ることの方が難しいだろう。
ドロップキックをかますまでもなく、もう詰んでいるのだ。この交渉は。
「……楼龍さん、ありがとう。私のために怒ってくれて」
頭上から奏鳴の声が降って来る。
その声音からは、楼龍を気遣う様子が感じられた。
一番辛いのは自分のはずなのに。
「笛鐘琴里は幸せ者だったんだね。こんなにも想ってくれる友達が傍にいてくれたんだから」
奏鳴の言葉は過去形に彩られている。
それだけで、奏鳴がどちらを選択したのかが分かってしまった。
笛鐘琴里はもう戻ってこない。
「VTuberとして誰かに必要とされているのかずっと不安だったけど、少なくともここに1人、私を必要としてくれていた人が居たって分かったから。だからもう、思い残すことはない……わけじゃないけど、私も自分の気持ちに踏ん切りをつけられます」
ゆるやかに、舞台の幕が降りてゆく感覚があった。
バーチャルの存在であるVTuberにも死という概念があるとするなら、きっとこれがそうなのだろう。
「笛鐘琴里を愛してくれて、ありがとう。私は琴里以外のVTuberになるつもりはないから、もう楼龍さんと一緒に配信したりは出来ないけど、そんな私でも良かったらこれからも仲良くしてください」
「そんなの……!」
当たり前だよ。
という言葉も最後まで言えなかった。
言ってしまえば本当に終わりな気がしたから。
しかし楼龍がどう抗ってみせた所で、有栖原の決定は覆せない。
「ふむ。それじゃあ、話はおしまいということで良いのよ?」
有栖原が念を押すように確認してきた。
楼龍はまだ諦めたくなかったが、しかし奏鳴はもう現実を受け入れているようだった。
「はい。最後の話し合いに応じて頂き、本当にありがとうございました。社長にスカウトされなければ、楼龍さんとも、他のみんなとも出会えなかっと思います。その恩も返せずに、こんな形で最後を迎えることになって大変申し訳なく思ってます」
「……フンッ。まったくもって期待外れも良いところだったのよ」
最後まで有栖原は憎まれ口をたたき続ける。
いっそ清々しいまでのヒールっぷりだ。
「アリスはこう見えてマジで忙しいのよ。これ以上言う事がないのなら、さっさと全員帰るのよ」
「あたしも帰っていいの? なんか話たいこととかあるんじゃないの?」
帰れと言われ、小槌が「え?」という顔で質問を投げる。
有栖原は呆れたように息を吐いて、
「いや、もうそういう空気じゃないし気分でもないのよ。どうせ繋がりは出来たのだから、そのうちまた話す機会は巡ってくるのよ。というか逆に聞くけど、残れって言われたらお前は残るのよ?」
「帰るけど」
「じゃあ聞くな!」
それでこの話し合いは終わりだった。
■
「ちょっと待ってくださいませ」
終わりだと思っていた。
ただ1人、幽名姫衣を除いては。
それまで部屋の壁際で、一言も発せずに静かに事の成り行きを見守っていた幽名は、ここぞとばかりに舞台の中央に歩み出た。
降りかけていた幕が強引に上げられる。
お嬢様の手によって。
「まだ何も終わってなどおりません。奏鳴は何一つとして諦める必要などありませんわ」
幽名姫衣の辞書には多分きっと、諦めるという文字は存在していないに違いない。
諦めるという姿勢さえ似合わない。
「わたくしは言ったはずです。『奪われたものを奪い返し、そして奥入瀬様に言ったであろう誹謗中傷を全て撤回させる』と。このままおめおめと引き下がっては、わたくしの望みも、奏鳴の望みも、何一つとして叶わないままですわ」
「そんなこと言っても……」
「まだ手は残されていますわ」
幽名たちに出来ることは限られていた。
それこそ頭を下げてお願いするくらいしか出来ないくらいに。
それでも打てる手は残されている。
とっておきのワイルドカードが。
「有栖原様、わたくしは幽名姫衣と申します」
「幽名……?」
「以後お見知りおきを」
幽名は恭しく礼をする。
一方で有栖原は何か引っかかった様子を見せていたが、幽名はお構いなしに話を続ける。
「有栖原様はご多忙の様子。ですので、時間を掛けずに単刀直入にお願い申し上げます」
「……言ってみるのよ」
「では遠慮なく」
幽名は、考えていた案をそのまま口に出した。
「笛鐘琴里を『売って』くださいませ」
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