アポはねぇけど、用ならあるぜ


 夢は必ず叶う。

 追い求める勇気があるなら。


 ――ウォルト・ディズニー




 ◆◇◆





「で、有栖原社長に直談判って言っても、具体的にどうやって会いに行くつもりなの? 言っておくけど、このまま密林事務所に押しかけても門前払いされるのが目に見えてるんだけど、そこんとこどうするつもりなのかプランのある人はいるの?」


 先刻までの大雨が嘘のような晴れ空の下。

 立ち直った奏鳴を含め、全員が密林配信に乗り込む気満々の空気に楼龍が冷や水を浴びせる。

 真っ先に挙手したのは小槌だ。


「アポはねぇけど用ならあるぜ、って言いながら強引に押し入る」


「オッサンしか分からなそうなネタを……」


「いや、ちょっと前にリメイク版出たじゃん」


 ともかく小槌の案は却下だ。

 強引に突撃しても警察を呼ばれて、はいお終いとなるのが現実だ。

 しかも面子にも問題がある。

 競合他社の人間が3人もいる上に、奏鳴も先日契約解除されたばかりの現状部外者。

 普通に正面から入れるのは楼龍だけ。


「ってか、そういう楼龍はアポなしでFMKにやって来たクセに」


「うっ」


 いちいち痛い所を突いてくる小槌に、楼龍はぐぅの音もでない。

 あんな常識のない行動を取ってしまったのは、ひとえに奏鳴のことが心配だったからだ。

 だがそれを言ってしまえば、有栖原に直談判しに行くのだって奏鳴のためなのだから協力してあげるべきなのだろうか……。

 実を言うと、有栖原には会おうと思えば会えなくもない。

 なにせこちらには有栖原の興味を引けそうな手札があるのだから。


「ねえ、琴里は本当にそれでいいの? たとえ有栖原に直接文句を言えたとしても、既に下された決定が覆る可能性は低いと思う。それどころか、また酷いことを言われるかもしれないよ。それでもどうしても行きたいの?」


 改めて問うと、奏鳴は迷いなく首を縦に振った。


「うん、私はそうしたい……です。ごめんなさい、楼龍さん」


 引っ込み思案は何処へやら。

 すっかり前向きになった奏鳴を見て、楼龍は少しだけ寂寥感に苛まれた。

 ある意味最良の結果のはずなのに、どうしてこんなに寂しい気持ちになるのだろうか。

 それは多分きっと、奏鳴が幽名姫依にはタメ語になったのに、自分には未だに敬語で接してくるからかもしれない。

 でも、だけど、推しが幸せになってくれるのならそれでも良いか。

 そう自分を納得させ、楼龍もいよいよ腹を括った。


「……分かったよ。じゃあ私が有栖原に会えるよう約束を取り付けてみせるから、その点についてだけは任せて欲しいかな。でもその後……有栖原の説得については自分たちで頑張ってね」


 言って、楼龍はスマホから電話を掛ける。


「どこに掛けてんの?」


「有栖原社長」


「マジか」


 マジかも何も、この流れで電話する相手などそれしかないだろう。

 それなりに長いコール音の後、ようやく有栖原が通話口に現れた。


『……なんなのよ、アリスはこう見えて忙しいのよ。くだらない用事だったらただじゃ済まないのよ』


 開口一番不機嫌を垂れ流す有栖原。

 多分本当に忙しかったのだろう。

 しかし申し訳ないとは思わない。

 何せ相手は親友に酷い仕打ちをした悪の親玉みたいなものだ。

 ここは楼龍も手加減無しで相手をさせてもらうことにした。


「やーやー、まあそう固い事言わないでよ、私と社長の仲じゃんね。そんなにプリプリ怒ってたら折角の可愛いお顔が台無しだよ? ほら笑って笑って」


『アリスはどんな顔でも可愛いのよ。で、さっさと本題に入るのよ』


 急かしつつも、少しだけ機嫌が上向いたことを声の調子から推し量る。

 可愛いお顔と言われたのが嬉しかったのだろうか。

 相変わらずのちょろさである。


「じゃあ本題だけどさ、社長この間、金廻小槌に興味があるようなことを言ってたじゃん」


「え、あたし?」


 唐突に槍玉にあげられて小槌がアホみたいに口を半開きにした。

 そう、恐らくは小槌がカギになる。


 有栖原はあんなでも一応肩書は社長だ。

 それなりに忙しいし、居酒屋の予約を入れる感覚で気軽に会う予定を付けられる相手でもない。

 基本的にはあっちからの呼び出しがなければ面会出来ないのが普通だ。

 会いたいのなら、それなりの餌が必要になる。


『興味があると言えばあるのよ』


「今小槌と一緒に居るんだけどさ、小槌が是非とも有栖原社長に会って話をしてみたいって言ってるんだよね。私は社長は超多忙で絶対に会えないって言ったんだけど、小槌がどうしてもって聞かなくってさぁ」


 まあ、嘘は言っていない。

 半分くらいは本当だ。


『なに?』


 と有栖原が反応して、そこから少しの間沈黙が続いた。


『………………今から1時間後に社長室に来るのよ』


 それだけを告げて有栖原は電話を切ってきた。

 どうやら目論見は成功したようだ。


「今から1時間後に事務所の社長室だってさ」


 楼龍が結果を伝えると「おー」と周囲から拍手が送られた。

 ただし小槌だけは釈然としない様子で、


「なんであたしの名前を出したら、密林配信の社長に会えるようになんの? どゆこと?」


「そこんとこ私もよく分かってないんだけど、社長が小槌に興味持ってるって言うか、なんかアイツは裏の世界では有名人みたいなこと言ってたよ。むしろ小槌が何したの? って感じだけど、私からしたら」


 言うと小槌は顔を青くした。


「え……まさか有栖原ってやつも闇系なの?」


 闇系ってなんだ。


「アリスバラなんて名前のヤツ、裏の世界で聞いたコトもナイネ」


 ツッコむことくらいしか出来ない楼龍の代わりに、蘭月が会話を引き継ぐ。


「ダケド、オマエのコトを知っているというコトは、何かしらのパイプはアルと思った方がイイアルヨ」


「えー……あたしもう帰っていい?」


「マァ、危険なメには遭わせナイヨ。そのタメにワタシが居るアル」


「あたしにとっては、あんたの存在が一番危険なんだけど」


 闇とか裏とかコイツら大丈夫だろうか。

 中二病患者の会話を眺めている間に、タクシーがやってきてしまった。


「それでは皆様、参りましょうか」


 幽名に扇動されるがままに、タクシーに乗車する。

 定員オーバーだったが、蘭月が「ワタシは走るからモーマンタイネ」などと言っていたので、それ以外のメンバーでタクシーに乗り込んだ。

 走るのは流石に冗談だろうと思ったが、タクシーを追い越しそうな速度で移動するチャイナ服を見て、もしかして本当に裏の世界というものがあるのかもと思う楼龍なのであった。


 ■


 それから特にアクシデントもなくグリーンヘルズビルに到着した。

 問題があったとすれば、楼龍以外に誰も財布を持ってきていなかったので、タクシー代を楼龍が立て替えたことくらいか(小槌は今度返すと言っていたが多分返してくれない気がする)。


「うちのオンボロビルより、随分と立派な場所に事務所を構えてるわね」


 36階建てのビルを見上げながら小槌がぼやく。


「そりゃ門構えだけ見れば立派だけどさ、これはこれで不便だって思うこともあるんだよね。密林の事務所が31階より上にあるんだけど、エレベーターがあるとはいえ毎回上まで上がるの面倒だなぁみたいな」


「なにその贅沢な悩み。あーあ、あたしもタワマンの住民になって最上階から下々を見下ろしてー」


 俗物過ぎる妄想を垂れ流す小槌に、楼龍も苦笑を禁じ得ない。

 幽名姫依は疲れたのか欠伸をしているし緊張感のきの字もない。

 一方で、蘭月と奏鳴は険しい顔つきで遥か上階へと視線を伸ばしている。


「……視られているネ」


 蘭月の呟きにつられて楼龍も首を上に持ち上げたが、当然ながら視線も何も感じない。

 蘭月の首の角度からして、視ている、或いは視られている対象がいるのは最上階付近になる。

 そんな場所からの視線など感じるわけがないし、上からだって下に人っぽいのが居る程度の認識しか出来ないだろう。

 ……悪い冗談に決まっている。

 ただ一つの可能性を意識的に考えないようにしながら、楼龍は奏鳴の方を見た。

 

「じゃあ行くけど、琴里は心の準備は大丈夫?」


「はい……ガツンと言ってやります」


 言って、奏鳴は先陣切ってビルの中へと入っていく。

 今までにないくらい気合いが入っているが、その気合いが空回りしてしまわないか一抹の不安が拭えない。

 もしもまた奏鳴が心手折られそうになったら、その時は何をしてでも自分が助けてあげよう。

 そんな決意を胸に楼龍は友の背中を追う。

 残りの面子もそれぞれの思いを抱きながら、グリーンヘルズビルへと足を踏み入れた。


 ■


 そして数分後には密林配信事務所の社長室の中にいた。

 事前に連絡してあったとはいえ、あまりにもすんなりと入れてしまったので拍子抜けしてしまうほどだ。

 社長室のある36階を警護しているガードマンも怪訝な顔はしていたが、楼龍が部外者を連れて来るという話は伝わっていたらしく問題なく通してくれた。脇が甘いとはこのことだろう。

 で、有栖原の反応はというと、


「どういうことなのよ! 聞いてた話より人数が多いのよ!」


 やはりと言うべきか、当たり前と言うべきか、ぞろぞろと社長室に入って来た一行を見て直ぐに機嫌が悪くなったようだった。


「楼龍! 楼龍兎斗乃依! 説明するのよ! これは何のつもりなのよ!」


 バンバンと、猿の玩具みたいにデスクを叩く有栖原。

 威厳もへったくれもあったものじゃないが、めちゃくちゃ怒っているという事実だけは伝わって来る。

 癇癪がヒートアップしてガードを呼ばれる前に、楼龍は素早く前に出てネゴシエーションを始めることにした。


「何のつもりって言われても、電話で話した通り小槌を連れてきただけだけど?」


「だ・か・ら! 明らかに余計な人間がくっついて来てるって言ってるのよ!」


 有栖原は興奮しながら小槌を指差した。


「お前が金廻小槌……丸葉一鶴なのよ!」


「うわっ、マジであたしのこと知ってんのか。何者なのよアンタ」


「それ以外は出ていくのよ!」


「無視とは良い度胸ね」


 出ていけと言われても誰も外に出ない。

 そして小槌は有栖原にぐいぐいと勝手に近付いていく。


「まあ、アンタが何者なのかは興味ないけど、こっちはダチのダチが泣かされてんのよ。この落とし前は、どうつけてくれんのかしら?」


「なんの話なのよ!」


 小槌が社長デスクに片手を叩き付けて前のめりになった。対する有栖原も負けじと上半身を前に出す。

 お互いの額が痛そうな音を立ててぶつかり合うが、両者とも一歩も後ろに退こうとしない。

 とんでもない負けず嫌い同士の対談だ。


「あんたが契約解除したVTuberの話よ」


「はぁ? ……あぁ、もしかして後ろで震えている部外者Aのことを言ってるのよ?」


 有栖原は、まるでそこで初めて奏鳴の存在に気が付いたかのように視線を向けた。

 入口付近で棒立ちになっていた奏鳴は、有栖原に睨まれて苦しそうに胸を抑える。

 やはりまだ乗り越え切れていない。

 心の傷が完全に癒えたわけじゃない。

 そんなふうに怯える奏鳴を見て、有栖原が嘲笑を浮かべながら革張りの椅子に座り直した。


「はっ、成る程成る程。話が見えて来たのよ」


 冷静さを取り戻したらしい有栖原が余裕ある笑みで一堂を見渡した。


「事務所の決定に不服があって、直訴に来たというわけなのよ。わざわざアリスの興味を引く材料で釣るような真似までして」


「そうよ、分かってんじゃない」


「で? 聞かずとも言いたいことは察しが付くけど、一応主張を聞いておいてあげるのよ」


 意外にも話を聞く姿勢に入った有栖原の態度を受けて、小槌も静かにその場から退く。

 こればかりは本人の口から言うべきことだと小槌も弁えているのだ。

 だから楼龍も余計な口挟まずに、奏鳴が自分から前に出るのを待った。

 やがておずおずとした足取りで、だけども逃げずに正面から、奥入瀬奏鳴が有栖原アリスに立ち向かっていく。


「私……もう一度、笛鐘琴里として頑張ってみたいんです。だからどうかお願いします。契約解除の件、なかったことにしてください」


「……………………ふむ」


 有栖原はしばし値踏みするように奏鳴の瞳を覗き込んでいた。

 楼龍の側からは奏鳴の顔は見えなかいが、頑張って顔を逸らすことなく向き合っていることだけは分かる。

 奏鳴の感情は容易に想像がつくが、有栖原の考えはイマイチ読めない。

 てっきり直ぐにダメだと言うものだと思ったが、ここに来ての熟考は逆に不気味だ。

 そうやって短くない沈黙を挟んでから、にらめっこに飽いたかのように有栖原がを向いた。


「答えはノーなのよ」


 そして無慈悲な宣告がもたらされる。

 無駄に時間を割いておいて、結局答えは予想通り。


「そんな……!」


「社長!」


 思わず悲痛な声を上げた奏鳴と楼龍だったが、何かを続けて叫ぶ前に、有栖原が手の平を前にかざして二人を制してきた。


「だけどもまあ、アリスも鬼じゃないのよ。条件次第では笛鐘琴里としてもう一度活躍の場を与えてやらないでもないのよ」

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