マイ・オウン・レインボー
「な、殴り込みって……」
突拍子もない幽名の発言に、奥入瀬が分かりやすく動揺をみせた。
動揺したのは楼龍も同様で、あまりの無茶振りにサウナに入ってもないのに熱くなってきたくらいだ。
「ちょ、待って待って。私だって社長に一発かましてやりたいって思ってるけど、いくら何でもそれは無茶だって。出来っこないし、やっても意味ないって」
「何故ですか?」
「何故って……」
楼龍の待ったに、しかし幽名は毅然とした態度で言う。
「密林配信の社長がどういう方なのかわたくしは存じ上げておりませんが、言うべきことはハッキリと、面と向かって言うべきだと思います」
「言うって、何を」
「決まっています。奥入瀬様の……いえ、笛鐘琴里の契約解除をなかったことにしてもらうよう、直談判するつもりです」
契約解除を白紙に。
幽名の要求は、ようするに笛鐘琴里を復帰させろということらしい。
それが叶うなら楼龍だって何でもする。
でも無意味だ。
意味がない。
直談判してどうにかなるなら、とっくにどうにかなっている。
その程度のことは楼龍がとっくにやっているからだ。
「だから無駄だって……有栖原は一度見限った相手にはそれ以上のチャンスは絶対に与えない。それに私はそんなことをして欲しくて、小槌たちを呼んだわけじゃない。ただ、私は幽名さんなら琴里を立ち直らせてくれると思ったから……」
楼龍の願いはもっとささやかだった。
契約解除され、有栖原に詰められて自暴自棄になった友達に元気になって欲しかった。
たとえVTuberじゃなくなっても、自分たちはずっと友達のままだって分かって欲しかった。
笛鐘琴里は――奥入瀬奏鳴は楼龍にとって掛け替えのない親友だから。
自分が本当に辛くて挫けそうだった時に、唯一声を掛けてくれたのが奏鳴だったから。
だから、だから、その親友が立ち直って、もう一度夢に向かって歩きだしてくれるなら、他に何もいらないと思っていた。
「わたくしはその程度では満足出来ません」
しかし幽名姫依はそれだけでは足りないと我が儘を振りかざす。
「話の全容は把握しておりませんが、奥入瀬様が望まぬ形で笛鐘琴里という名を奪われ、そして理不尽に虐げられたということだけは分かっています」
で、あるならば。
と幽名は瞳に火を燈す。
「わたくしが為すべきは、奪われたものを奪い返し、そして奥入瀬様に言ったであろう誹謗中傷を全て撤回させること。そこまでの結果を得られないのであれば、わたくしがここに居る意味が有りませんわ」
幽名の意志は揺るぎない。
やると言ったらやる。
そういう凄みを感じさせるだけのオーラがある。
このままだと本当に密林配信の事務所に突撃しかねない。
閉じこもって誰にも会おうとしなかった奏鳴を、表に引きずり出してくれたことには感謝しているが、それは流石にやりすぎだ。
もしかしたら頼る相手を間違えたのかもしれない。
そう後悔が掠める程度には、楼龍も焦り始めていた。
――もしこの場にFMKの代表が居たなら、きっと苦笑しながらこう思ったことだろう。
こいつらやっぱり
「ちょっと小槌! この人なんとか止めてよ! 同じ事務所の人でしょ!?」
幽名に説得は通じなさそうなので、慌てて小槌に助け舟を求める。が、
「面白そうだしやらせりゃいいじゃん。それに姫ちゃんは一度言い出したら止められないし」
止める気ゼロだ。
それならばと、楼龍はチャイナ服の女に矛先を変える。
「えっと……チャイナ服の人!」
「蘭月ネ。この馬鹿のマネージャーをヤッテるヨ」
ずっと謎の存在だったチャイナ服は、どうやら小槌のマネージャーだったらしい。
だがチャイナドレスを着ている意味は分からない。
「事務所のスタッフならタレントの暴走を止めようよ!」
「ワタシに与えられた任務はイヅ……コヅチがやらかさないよう見張るコトアル。ヒメに関しては管轄外ネ」
「そんな……」
どいつもこいつも話が通じない。
イカレてる。
有栖原はFMKを敵視している。
だのに密林配信の問題に、FMKの人間が首を突っ込んできたら、間違いなく良い顔はしないだろう。
大いに話が拗れて、下手をすれば事務所同士の争いにまで発展しかねない。
そうなれば、奏鳴は責任を感じてきっとまた塞ぎ込んでしまう。
誰も得をしない結果になるのは分かり切っている。
「待って……ください」
分かり切っているからこそ、当事者である奏鳴も声を上げざるを得ない。
今にも走り出しそうな勢いだったFMKのイカれ共は、助けようと思ってる対象である奏鳴に直に止められて、流石に動きを一瞬止めた。
しかし止まったのは本当に一瞬だけだった。
「待ちませんわ、行きましょう」
幽名姫依は、奏鳴と楼龍の手を引いて強引に歩き出す。
無理に振りほどこうとすれば、ガラス細工のように繊細な指が傷付いてしまいそうな気がして、思わず楼龍はそのまま引きずられていってしまう。
そのまま全員ぞろぞろとマンションの外に。
「タクシー呼ぶ?」
「そのヘンで拾った方が早いアルヨ」
大雨の中、傘も差さずにぞろぞろと移動する。
コイツらマジの本気だ。
雨に打たれ、体が冷えたことで楼龍の中で抵抗力が失われていく。
せめてサウナに入れれば抗うことも出来ただろうに。
しかしまだ、奥入瀬奏鳴は納得させられていない。
「だから待ってください!」
引っ込み思案な奏鳴がこんなに大声で叫ぶのを、楼龍は初めて聞いた。
幽名の手を強引に振り払い、奏鳴は苦しそうな顔で慟哭する。
「私……こんなこと頼んでません! 私、笛鐘琴里には戻れなくてもいいんです! 最初から向いてなかったんです!」
止まない雨が奏鳴の頭上に振り続ける。
「もういいんです……私、もう踏ん切りが付きましたから。自分の夢のことにも、VTuberのことにも……色々と諦めが付きました。みんながこうして私なんかのために集まってくれた……それだけで十分救われましたから」
だからもう、と。
奏鳴は俯いて顔をくしゃくしゃに歪めた。
「私のことは放っておい」「イヤですわ」
言い終わるのを待たず、改行する時間すらも与えずに、我が儘なお嬢様は自分の意見をごり押してくる。
「何度でも言います。イヤですわ。イヤです。絶対に断固として頑なに拒否させて頂きます」
しつこいくらいに繰り返す。
「先程も申し上げましたが、わたくしには奥入瀬様が必要で、楼龍様にも笛鐘琴里が必要なのです。奥入瀬奏鳴も笛鐘琴里も、わたくしはどちらも諦めるつもりはありません」
本人がもう諦めているにも関わらず、幽名の意志は変わらない。
意味が分からなかった。
どうしてそこまで意地を張るのか。
何故そこまで抗うのか。
だって幽名姫依は、奥入瀬奏鳴と出会ってからまだ数日程度しか経っていないというのに。
なんなら直に会うのは今日が2回目だとも聞いている。
そんなのほとんど初対面と大差ない。
1年の付き合いがある楼龍はまだしも、付き合いの浅い幽名が奏鳴のためにそこまでする意味が分からない。
それは奏鳴も同意見だったのだろう。
ワケの分からないものを見る目で幽名を見て、気圧されるように一歩後ろに後退った。
「なんで……どうして……姫様は私なんかのためにそこまでするんですか! 姫様は私のことなんか何も知らないくせに! この間会ったばかりで、まだろくに話したこともなくって、まだ……友達と呼べる関係なのかも怪しいのに!」
「わたくしは友達だと思っております」
「だからなんで!」
もう奏鳴は、何に怒っているのかも分からなくなっている様子だった。
喉を傷めかねないほど力を込めて叫ぶ奏鳴に対し、幽名は一度だけ悲しそうに瞳を伏せ、それからまた、前を向く。
「共に過ごした時間が長かろうと短かろうと、それはわたくしが奥入瀬様を――奏鳴を助けない理由にはなり得ません」
何故なら、と姫衣が優しく微笑んだ。
「わたくしも助けてもらったことがありますから」
■
「行き場がなく、身銭もなく、途方に暮れかけていたわたくしを、初対面だったにも関わらず助けてくれた方達がおりました」
あの日あの時あの場所で、世間知らずが故に無銭飲食を働いてしまった自分を代表と瑠璃が救ってくれなければ、今自分がどうしていたか想像も出来ないししたくない。
「わたくしはあの方達に教えて頂いたのです。人が人を想う気持ちに、時間も密度も関係ないと」
光が差す。
空を仰ぐと、雲間から光の帯が降りてきていた。
「助けたいと思ったら助ける、友達と思ったら友達、それで良いと思いますわ」
暖かい光のヴェールに包まれながら、幽名は友に手を伸ばす。
弱まった雨は、頬を伝う雫をもう誤魔化しきれない。
だから幽名はか細い指先で、奏鳴の目元を優しく拭った。
「奏鳴がどうしたいのか、嘘偽りない本音を聞かせてくださいませ」
言葉は尽くした。
もしこれで奏鳴の答えが変わらないのであれば、その時は……もう実力行使だ。
密かにそんな風に意気込む幽名だったが、実力行使なんて無茶苦茶が実行に移されることはなかった。
「私……本当は諦めたくない」
小さくすすり泣くような声で奏鳴が言う。
「はい」
幽名は短くそれに頷いた。
「音楽でみんなを笑顔にしたいし、VTuberもまだやっていたい」
「はい」
ようやく本心を引き出せた。
そしてもう一つ。
幽名の我が儘が、奏鳴の欲張りを引き摺り出す。
「私、姫様と……姫衣ちゃんともっと仲良くなりたい!」
「……はい!」
星々を照らす太陽が、地上を覆う雨雲を根こそぎに追い払う。
雨が止み、空には七色の橋が架けられた。
きっと心の雨も、もう止んだことだろう。
幽名は奏鳴の手を握り、今自分がここに在る幸せに感謝を抱いた。
「虹を見たければ、ちょっとやそっとの雨は我慢しなくちゃ……って言葉があるの。ドリー・パートンって歌手の言葉なんだけど」
「素敵な言葉ですわね」
「うん……もう少しで雨に負けて、挫けちゃうところだった……」
「じゃあ、虹は見えましたのね?」
問うと、奏鳴は空を見ずに、真っ直ぐに幽名の目だけを見て頷いた。
「見つけたよ、私だけの虹を」
雨降って、地固まる。
進むべき道は決まったようだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます