クラウディ アンド スコール アンド……

 場所は変わってFMK事務所の応接間。

 今この場には、アポもなしにいきなり訪問してきた楼龍と、FMKの全員が集まってしまっている。

 本当はとりあえず俺と楼龍だけで話をするつもりだったのだが、こういう事にだけは目敏く耳聡いアホの一鶴に騒がれてしまい、仕方なく全員の居る場で話をすることになった。


 どうせ後から根掘り葉掘り聞かれるのだから、それなら最初から包み隠さずオープンにしてしまおうという算段だ。

 構図的には俺と楼龍が椅子に座り、他の面子は立ち聞きしている感じである。


「改めまして自己紹介させてもらいますね。密林配信でVTuberをやらせてもらってます、楼龍兎斗乃依と申します。厳密には初めましてじゃない人もいるかもですが、初めまして。そしていきなり凸って来ちゃってすいませんでした」


 この蒸し暑いのにサウナスーツを着用しているちょっと頭の変な女が、まるで常識人かのような振る舞いで頭を下げる。

 その自称楼龍のつむじを見ながら、俺はどうしたものかと少しだけ逡巡した。

 何度聞いても楼龍の声で間違いないように思えるが、世の中にはトレちゃんのように声帯模写を得意としている人間がそれなりにいる。

 念には念を入れて本人確認をした方がいいだろう。


「自分が本当に楼龍だって証明出来るか?」


「ははあ、まあ当然の疑いですよね。誰だってそうなる、私だってそうなる。素顔を晒していないVTuberだからこそ、リアルで顔を会わせた時に証明が必要になる。オフ会だって、マッチングアプリだって、見知らぬ誰かと顔を会わせるなら、そうと分かる何かがなくちゃならない。分かりますよそのロジカル。ちなみに私が正真正銘の楼龍兎斗乃依だという証拠は、これを見れば一目瞭然。ほら、SNSのアカウントです」


 ぺらぺらと不必要な言葉を振りまきながら、自称楼龍が自分のスマホを見せてくる。

 紛れもなく楼龍のアカウントでログインされている。

 偽物には見えない。


「試しに何か呟いてみてくれ」


「疑り深いですね。それじゃあ『サウナなう』で」


「○○なうって今時使うやついないよな……っと、マジで本物みたいだな」


 ノートPCから楼龍の呟きを見てみると、最新の呟きが数秒前の『サウナなう』になっていた。

 証明終了。サウナスーツの女は本当の本当に楼龍本人だったらしい。

 偽物――楼龍の名を騙った部外者じゃないと分ってまずは一安心。

 しかし問題が解決したわけじゃない。

 楼龍がわざわざFMKの事務所に乗り込んできた理由……その詳細をこちらはまだ聞けていないのだから。


「疑って悪かった、楼龍さん」


「いやいやなんの、不躾な訪問をしたのは私の方なので謝れる謂れはないですね。むしろ事務所の中に入れてくださってありがとうの極みって感じで。というかさっきは出会い頭にワケの分からないことを言ってしまい申し訳ございませんでした。私も私で色々と頭ごちゃごちゃで考えがまとまってなくて……せめてサウナの中でならもう少しクレバーに前頭葉を回せるんですけど」


 一鶴に聞いてはいたけれど、配信外……というかサウナ外だと有り得ないくらいべらべらと喋るヤツだ。

 ある意味このお喋り体質も、楼龍が楼龍であることの証明足り得るのだろうけど。


「こっちの自己紹介がまだだったな。俺はFMKの社長兼代表取締役をやらせてもらってる者で、名前は――」


「ああ! 代表さん! 幽名姫依の配信に首から下だけ出演してましたよね! ヴァイオリンの演奏配信の途中で飛び込んできて迷言を残していったあの!」


「それ黒歴史だからやめて」


 まことに不本意ながら、あの時のカメオ出演が俺がFMK代表であることの証明になってしまったようだ。

 というか幽名姫依に会いに来たというだけあって、楼龍は幽名の配信のアーカイブに目を通してきているらしい。

 そうじゃなきゃ今の会話は繋がらない。


 そして恐らく楼龍は、今この場に幽名姫依本人が居ることにも気が付いているだろう。

 なにせ幽名のガワと中身は瓜二つ。

 余程ニブくなけりゃ気が付くに決まっている。

 現にさっきから楼龍の視線はチラチラと、白髪の少女の方へとしつこいくらいに向けられているのだから。


「それじゃ時間が惜しいから本題に入らせてもらうけど」


「ちょっと待ちなさいよ。その前に私にもなんか言うことがあるんじゃないの、兎斗乃依っち」


 俺の言葉を横からぶった切っていったのは、この場において誰よりも楼龍との付き合いがある一鶴だった。

 一鶴は馬鹿だけど、馬鹿は馬鹿なりに楼龍に思う所があるのかもしれない。

 一応泳がせておくことにする。


「その声……やっぱり小槌だよね? さっき声聞いた時にもしかしてと思ったけど、やっぱ小槌だったんだ! うっそ、凄い美人さんじゃん。本業はモデルか何かかな? 私小槌の中の人って、ギャンブルと薬に溺れた50代後半の人生の落伍者みたいな人だと勝手に思ってたのに! 二重の意味で超ショック!」


「美人て褒められて喜べば良いのか、くそ失礼な想像されてたことに怒ればいいのか分かんなくて感情バグるわ……じゃなくて!」


 一鶴は手の平を応接間の机にバンっと叩き付けた。


「あたしの1ヶ月記念配信には出てくれなかったのに、今になってどの面下げてここに来たのよ! 場合によっては分かってんでしょうねえ!?」


「ヤクザかお前は……蘭月」


「アイヨ」


 私怨で絡みに来ただけだった一鶴を、蘭月が文字通りの力尽くで下がらせる。

 本当にしょうのないヤツだ。


「で、楼龍さん。今度こそ本題に入るけど、わざわざ顔バレしてまでここに来た理由を詳しく説明して欲しい。笛鐘琴里って子を助けるのに、うちの姫様の力が必要ってのはどういう意味だ?」


「わたくしですの?」


 唐突に名前を出されて、思わずといった様子で幽名が反応した。

 しかし俺と目が合うなり、頬を膨らませてぷいっとそっぽを向いてしまった。

 さっきまで奥入瀬さんのことで口論になりかけていたのを忘れていた。


「そっちの人が幽名姫依さんで間違いないんだね。魂と器がここまでソックリなのはビックリしちゃった」


 楼龍は今のやりとりで、白髪のお嬢様が幽名姫依であると確信を得たらしい。

 だがここで楼龍はあえて幽名から視線を外す。そしてサウナスーツの胸元を少し開け、一呼吸置いて冷静さを取り戻す素振りを見せた。

 サウナ度を少し減らした楼龍は、改めて俺の方へと向き直る。


「無駄を省いて端的に説明するよ。私の親友の笛鐘琴里は、密林配信から契約解除を言い渡されたことで、自暴自棄になって自分の殻に閉じこもってしまってるの。自宅から一歩も出てこないし、私がいくら連絡しても出てくれない。一回だけ顔を見せてくれたけど、本当に酷い有様だった。まともにご飯も食べてないみたいで……あのままじゃ最悪……」


 最悪の場合どうなるのか。

 それを口にするのを楼龍は恐れているようだった。


「ただ契約解除されただけじゃ、ああはならないってくらいに打ちのめされてる。多分だけど、社長とおう――いや、社長とのやりとりで何か酷いことを言われたんだと思う」


 途中で慌てて何かを言い直していたのが引っかかったが、話の腰を折りたくないのでスルーしておく。


「悔しいけど、もう私の言葉じゃ何を言っても琴里には届かない……だから、だから幽名姫依の力がどうしても必要なの!」


「何故、わたくしなのですか?」


 誰もが思った疑問を、当事者である幽名自らが問い質す。


「申し訳ありませんが、わたくし、その笛鐘様という人物に心当たりがございません。お力添えするのはやぶさかではないのですけれども、せめて納得のいく理由が欲しいですわ」


 理由を教えろというのは幽名としては当然の主張、要求だろう。

 問われた楼龍は、今度は幽名の目を見てその理由を口にした。


「それは、琴里が姫様の友達だから」


 笛鐘琴里が幽名の友達……?

 そんな事実は聞いたことがない。

 幽名も眉を顰めて訝しんでいる様子だった。

 しかし、次いで出て来た楼龍の言葉に、俺も幽名も驚愕せざるを得なかった。


「笛鐘琴里の本名は――奥入瀬奏鳴。これなら分かるんじゃないかな、私の言ってる意味が」


「なんだって……?」


「まあ」


 笛鐘琴里の中の人が、奥入瀬さん?

 そんな馬鹿な話が……と思ったが、楼龍が冗談を言っているようには見えない。

 それにピッタリ符合する。奥入瀬さんと連絡が取れなくなった時期と、笛鐘琴里が契約解除された時期が。


 もし奥入瀬さんが笛鐘琴里だったとして、連絡の取れなくなった理由が密林配信から契約解除されたことにより自暴自棄になってしまったからだとすれば納得は出来る。

 楼龍の推測通り、例のお子様社長に何か酷いことを言われ、それが原因で周囲との関係を断ち切りたくなるほど塞ぎ込んでしまっているのだとすれば、音信不通の理由に一応の説明が付いてしまう。

 あの真面目そうな奥入瀬さんが、こちらかのメールを一方的に無視するなんて妙だと思っていたが、そういう事情があったのだとすれば仕方ないかもしれないと頷ける。


 そうやって歪なパズルを嵌めながら、俺は理由を探していく。

 一週間も仕事のメールを無視し続けた奥入瀬さんを許す理由を。


 俺だって本当は幽名と同じで、奥入瀬さんを信じたかった。

 だけど社会人としての常識が、俺の人間としての器の小ささが、それを是としなかったのだ。

 馬鹿だ。


 俺はまず、奥入瀬さんを信じている幽名の言葉を信じてやるべきだった。

 俺がなりたいのは、時に非情な判断を降さなくてはならない経営者などではなく、彼女たちのやりたいことをサポートしてやれる仲間なのだから。

 だからまずは笛鐘琴里が奥入瀬さんであるという確証が必要だ。

 

「七椿」


「今笛鐘琴里のチャンネルを開いています」


 さす七。

 俺が頼むよりも遥かに早く行動を開始している。

 笛鐘琴里が奥入瀬さんかどうかは、現状では声を聞いて判断するしかない。

 楼龍が本人かを確認するのに声だけじゃ不足だ、SNSのアカウントで呟けとあれこれ要求したばかりだが、今はこれしか方法がないのだからしょうがない。

 ともかく、手っ取り早い確認の手段が、笛鐘さんの動画なり配信のアーカイブなりを見ることなのだ。

 


「……チャンネルのコンテンツは全て非公開にされているようですね」


 Kotori Ch.笛鐘琴里の動画やアーカイブは全て見れなくなっていた。

 密林配信側で非公開に設定したのだろう。

 事務所側の都合で一方的に契約解除したくせに、随分と心無いことをするもんだ。

 正直気に入らないやり方だが、今は密林配信の方針に文句を言ってもしょうがない。

 それよりも笛鐘さんのことだ。


「非公式の切り抜きとかは残ってるよな」


「はい、再生します」


 またも俺が言う前に指を動かしていた七椿が、食い気味に切り抜き動画を再生した。


『ど、どうも……初めまして、えっと……ふ、笛鐘琴里、です』


 初配信の切り抜きなのだろう。

 画面の向こう側に向かって挨拶をするVTuberの女の子が画面に映った。


 白色を基調とし、赤の線と金細工があしらわれたマーチングバンドスタイルの衣装。

 桃色寄りのピンク色のボブカットに、音符の形をしたヘアピン。

 瞳の色はスカイブルー。小動物めいた顔つきをした可愛らしいデザインのVTuberだ。


 これが笛鐘琴里か。

 器を見るのは実はこれが初めてだったりする。


 ガワはともかく、問題は声の方だ。

 弱弱しくて、おどおどとした喋り方。

 それにこの声質……聞き覚えがあるなんてもんじゃない。


「奥入瀬様……」


 幽名が両手で口元を覆い隠し、二つある瞳を大きく見開く。

 あの幽名がここまで驚きを露わにするのは珍しい。


 そうだ、間違いない。

 ちょっと声を作ってはいるものの、笛鐘琴里の声は、記憶にある奥入瀬奏鳴の声とほぼ同じ。

 VTuber笛鐘琴里は、奥入瀬奏鳴だったのだ。


「琴里と最後に会った時に、琴里が奥入瀬奏鳴としてFMKと関りを持ったって話を聞いたよ。それであの子すごい後悔してた。私なんかが安請け合いしたせいで、姫様たちに無駄な時間を使わせてしまったって。でももう私はダメだから……私は作曲なんか出来ないからって、泣いてた。謝りたいし、ちゃんと断りたいけど、怖くて自分から言い出す勇気がないって。このまま連絡を絶って自然消滅するしかないって……それがズルいことだって分かってるけど、もう自分にはそれしか道がないって……」


 楼龍の目が涙に滲む。

 そういうことか。楼龍が奥入瀬さんとFMKの関係を知っている理由にも合点が行った。

 そして恐らく楼龍は、その時に奥入瀬さんを立ち直らせることに失敗している。

 この涙はその時のことを思い出しての後悔か。

 友達を救えなかった不甲斐ない自分への叱責か。


「これ」


 ぶっきらぼうな口調と共に、楼龍にティッシュ箱が渡される。

 しかもティッシュを差し出したのは一鶴だった。


 驚天動地。

 おいおい、お前に人を思いやる心とかあったのかよ……。

 いや待て、これは何か裏があるに違いない……。

 そうじゃなければ今日のこの後の天気は、槍か隕石が降って来ることになるだろう。

 だってこいつは嵐を呼ぶ女だからな。


「ごめん、小槌。ありがと」


「あんたのためにやったんだから。この恩は覚えておきなさいよ」


 どこぞの都合の良いVTuberみたいな口調で一鶴が軽口を飛ばすと、楼龍はティッシュを受け取りながらクシャっと笑顔を取り戻した。

 楼龍はちーんと鼻をかみ、目元を乱暴にゴシゴシと擦って涙腺を整える。


「……それで、私の話を信じてくれる気になった?」


 楼龍が緊張した面持ちで俺と幽名を交互に見た。

 俺は頷き、そして幽名は、


「奥入瀬様のところへ案内してください、今すぐに」


 考えるまでもなく、どうするかを決めているようだった。

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