天使のような悪魔の囁き

おもてを上げよ」


 謎にリバーブの掛かった重低音のボイスが、ジャングルに木霊した。

 奥入瀬はいっそこのままの姿勢でこの時間をやり過ごしたかったが、そんなことをすれば有栖原と王? の顰蹙を買うことだけは理解出来ていたので、嫌々ながらも出来る限り時間を稼ぐようにゆっくりと額を地面から離す。


 顔を上げると、一緒に傅いていたはずの有栖原が、いつの間にか立ち上がって玉座の男の右斜め前辺りのポジションで偉そうに腕組みをしていた。

 お前とは……奥入瀬とは立場が違うと言外に示しているのだろう。

 そんなことは示されずとも、言われずとも、掲げられずとも、何をされるまでもなく重々承知しているつもりだ。

 傀儡とはいえ有栖原アリスは密林配信プロダクションを率いる新進気鋭の社長であり、そして奥入瀬奏鳴は、そんな見た目お子様社長が経営するタレント事務所に所属するVTuberなのだから。

 奥入瀬は自分に反抗の意志がないことが伝わるよう両膝をついたままの姿勢を維持しながら、平身低頭の心持ちで社長と名も知らぬ王との謁見に臨む。


笛鐘ふえかね……笛鐘、琴里ことり


 再度、顔の見えない王が口を開いた。

 委縮して思考速度が低下していた奥入瀬は、やや間を置いてから、笛鐘琴里というのが自分が持つもう一つの名であることを思い出して、慌てて喉奥から言葉を絞り出す。


「あっ、は、は、はい」


 分かりやすくどもった奥入瀬に、一瞬有栖原が眉を顰めたが、不快な顔をしただけで特に何も言ってこなかった。


 笛鐘琴里は奥入瀬がVTuberとして活動する時に使っている名前だ。

 その事実を改めて心に刻み、次は返事が遅れないようにしようと気を引き締める。

 何が王の不興を買うか分からない。

 一度機嫌を損ねてしまえばそれで終わりだ。

 自分はまだこんなところで終わるわけにはいかない。


 奥入瀬は奥歯に力を込めて、王の言葉を待ち構えた。

 ジャングルの王は甚振るように、或いは試すように、もしくは楽しむように、たっぷりじっくりこってりと間を置いてから、ようやくと言いたくなるほどの時間を掛けて厳かに言葉の続きを口にした。


「貴様はこの1年間、一体何をしていた?」


 問われ、奥入瀬は答えに窮した。

 今からちょうど1年ほど前に、奥入瀬は密林配信所属のVTuber『笛鐘琴里』としてデビューを果たした。

 つまり王の問いは、この1年間の笛鐘琴里としての活動に対する疑問だったのだろう。

 奥入瀬はデビューしてからの365日とちょっとを足早に振り返り、試行錯誤と四苦八苦の日々だったなぁと他人事めいた感想を思い浮かべた。

 でも大変だったこともあったけど、それなりに楽しいと思えることもあった。

 目標に近付けたのかは分からないが、それでも着実に一歩一歩前に進めているような気がする。

 何も出来ずに燻っていただけのあの頃に比べれば大躍進だ。

 その気持ちをそのまま伝えようと、奥入瀬は口を開く。


「この1年は――」


「貴様は」


 が、しかし、長々と語ろうとしていた奥入瀬の報告は、ジャングルキングのたった3文字によって無慈悲にも断ち切られてしまった。

 そしてそのまま貴様はの3文字に続く言葉を、ジャングルの王者は誰に憚ることなく思うがままに綴っていく。


「貴様はこの1年、何もしてこなかった」


 自ら発した問いの答えを、王自らが導き出す。

 そしてその答えは奥入瀬の答えとは相反するものだった。


 奥入瀬の解答が、この1年間自分なりに頑張ったなというささやかな自己肯定であるのに対し、王の解答はある意味笛鐘琴里に対する全否定。

 流石に何もしてこなかったはあんまりだ。


「わ、私は……!」


「何を成したかは、全て結果が物語っている……アリス」


「はいなのよ」


 なけなしの勇気を振り絞って、精一杯の反抗を試みようとした奥入瀬だったが、王はそんな奥入瀬に一切の発言権を与えることなく話を進めていく。

 王に呼ばれた有栖原が、懐からタブレット端末を取り出して画面を操作した。

 この屋上ジャングルは全ての電子機器の持ち込みが禁じられているが、例外として有栖原だけは持ち込みを許可されているのだ。


「Kotori Ch.笛鐘琴里。チャンネル登録者数は我が密林配信プロダクションにおいて最も低い、5.1万人なのよ」


 5.1万人。

 東京ドームの収容人数が5.5万人であることを考えると、それほど少ない数字だとも思えないのだが、残念ながら配信者としては決して高いと言えない数字であるのは確かだ。


「密林配信という強力な後ろ盾がありながらこの体たらく。我が王はお前の残念っぷりに酷く失望しているのよ」


 失望している。それも酷く。

 その一言が深く心の核に突き刺さり、奥入瀬はもう何も言い返せなくなってしまった。


「お前をスカウトしてきたアリスの面子も丸つぶれなのよ、どうしてくれるのかしら」


「あ、その……」


「まあ、どうしてくれると言っても、どうしようも無いのは分かってるのよ」


 またも質問しておいて答える権利すら与えてくれない。

 流されるままに流されていくしかない。

 元よりここはそういう場なのだ。

 遅ればせながら奥入瀬はその事実に気が付いた。


「この1年でお前は結果を出せなかった。本来ならもう戦力外通告を言い渡されてもおかしくないレベルというわけなのよ」


「……」


「お前の同期も、後輩も、みんなもうお前よりずっと登録者数が多いかしら。お前が一人だけ足を引っ張っているのよ」


「…………」


「そんな箸にも棒にも掛からないような出来損ないのお前でも、密林配信に籍を置き続けられているのは、ひとえに我が王の温情の賜物なのよ。分かるかしら、この慈悲が」


「……」


「まあ、分かっていようが分かってまいが関係ないのよ。問題はお前がこれからどうするか、それだけなのよ」


「……」


「どうにもうだつの上がらないお前のために、特別なプランを考えて来てやったのよ……って、ちょっと、ちゃんと話を聞いてるのかしら」


「え、あ、はい」


「だったら相槌くらい打つのよ」


 まともに喋らせてくれないくせに、反応だけは求めてくるらしい。

 なんて我が儘……というより、有栖原は生粋のかまってちゃんなのだろう。

 精神構造が根本的にお子様だから、誰かが相手してれないとどうしようもなく寂しくなってしまうのだ。

 ……と、同期の密林VTuberである五月冥魔めいめいま皐月めいが陰口を叩いていたことを、奥入瀬はぼんやりと思い出した。


「あの……それで、特別なプランっていうのは」


「登録者数を増やすためのプランなのよ」


「はぁ」


「このプランの通りに活動すれば、チャンネル登録者数はうなぎ登り間違いなしなのよ」


「すごい、ですね」


「すごいのよ。勿論、やるのよね?」


「えっと……どんなプランなんですか?」


「簡単な話なのよ。ちょっとエッチなASMR配信をやったり、そういう・・・・ボイスも販売したり……ようするにR18方面に供給を拡大しようってだけだから」


「は、はい!?」


 思ってもみなかった要求に、奥入瀬は耳を疑った。

 R18ということは、おおよそキッズには聞かせられないようなエチチなアレやソレをしろということになる。

 流されることについては他の追随を許さないと自負(もしくは自虐)している奥入瀬でも、流石に二つ返事で頷ける内容じゃない。

 というか無理だ。


「そ、そんなの」


「やるのよ、たとえやりたくなくとも」


 有栖原の強い語気に圧され、奥入瀬は否応なく口を閉ざされてしまう。


「お前、声だけは可愛いのだから、絶対に需要はあるのよ」


「で、でも」


「やれないと言うのなら、この話はここまでなのよ」


「そんな……」


 それが密林配信の最後通牒であることは明らかだった。

 やるか、辞めるか。

 どうしようもない二択を突きつけられて、奥入瀬は唇を噛んで俯いた。


「迷うことはないのよ。アリスと我が王の言うとおりにしておけば、絶対にこの業界で食っていけるようにしてあげるのよ」


 ポンと、有栖原が奥入瀬の肩に優しく手を触れた。

 この程度でほだされるつもりはない。

 そうは思いつつも、子供特有の体温の暖かさを有栖原の手のひらから感じてしまい、それが少しだけ安心感に繋がってしまったことは否定できない。


「さっきは厳しいことも言ったけど、密林配信にはまだお前が必要なのよ。いなくなったらイヤなのよ」


 耳元で、天使の顔をした悪魔が優しく囁きかけてくる。


「それにこれは、お前のためでもあるのよ」


「私の、ため……」


「そうなのよ。お前の目標のため――お前のせいで経営不振に陥った、あのオンボロパークを復興させるための大きな足掛かりになるのよ」


「――――――」


 それを言われた瞬間、頭が真っ白になって何も考えられなくなった。

 そして空白化した思考の隙間を突くように、耳にくすぐったい吐息が当たるほどの至近距離で有栖原が呟いた。


「やるのよ」


 奥入瀬は、首を縦に振ることしか出来なかった。

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