背中の傷は剣士の恥だ

「なんであんなことになっちまったんだ……」


 ところ変わってFMKの事務室。

 俺はデスクに額を押し付けて、後悔と言う名の海に航海していた。

 時計の針が逆戻せない以上、過ぎてしまった時間に対して頭を悩ますのは非生産的だ。

 そうと分かっていても、そう簡単に割り切れないのが俺達人類というもの。


 幽名を一人で買い物に行かせてしまったこと。

 幽名の奇行を察知できずに実写での配信を敢行させてしまったこと。

 幽名が配信をちゃんと切れてないことに気付かず、その配信に俺まで生身の出演を果たしてしまったこと。


 今日だけで最低でも三つは選択肢を誤っている。

 これで後悔するなと言う方が難しい。

 というか今日一日は幽名に振り回されっぱなしだったな。

 最近大人しかったので油断していたが、コイツもFMKであることを忘れていた。


「あっはっは! いやぁ、他人の失敗ほど見ていて笑えるものはないわね!」


 一鶴が腹を抱えて爆笑する。これ見よがしに件の配信の、俺がカメラに映り込んだあたりのシーンをリピート再生しながら。

 七椿に捕まって事務所に連行されてきた直後はぎゃーすかと喚いていたのに、俺が落ち込んでいる理由を聞いた途端にこれだ。

 コイツだけは絶対に許せねえ……!


「代表、アーカイブは非公開にしなくても宜しいのですか?」


「ん? そうだな……」


 七椿の進言に俺は少しだけ思考を傾かせる。

 大抵の配信サイトは配信をリアルタイムで見れなかったリスナーのために、配信をアーカイブ化してあとから見返せるようになっている。

 勿論、アーカイブ化するのは強制的ではなく、配信者側の都合で公開にも非公開にも自由に変更可能だ。

 今回のように配信自体に問題があった場合は、非公開に設定して見返せないようにするのが普通なのかもしれない。

 もしくは、編集機能を使って問題のあった部分をカット編集すればいい。

 だが今回は非公開設定もカット編集も使わないようにした方がいいだろう。


「あんな配信をした後に、公式が慌てて配信を非公開にしたりしたら、この配信がガチの事故だったって自分から言ってるようなものだし……何もしないのがベストじゃないか?」


 事故は事故だが、幸いにも幽名も俺も顔だけは映っていなかった。

 首の皮一枚の致命傷で済んだってわけだ。

 なら必要以上に慌てて行動する必要はない。


 配信を見ていたリスナーの中には、配信の切り忘れから始まった一連の流れを仕込みだと疑ってくれている人もいた。ならその疑いに便乗してしまえばいい。

 あえて配信を非公開にしないことで、仕込みだという疑いは更に強まるだろう。

 事故だと思って見られるよりも、ネタなのだと割り切って見てもらえた方が何かと健全感はあるしな。

 代表と言う名の裏方が存在していることを、リスナーに周知されてしまったことだけが心配の種だが、まあなるようになるだろう。大手事務所の社長が所属ライバーにネタにされるのは、VTuber界隈ではよく見る光景だ。俺もその洗礼を受けただけの話。この程度の苦渋は甘んじて受け入れよう。

 俺の決定に七椿は眼鏡をくいっと持ち上げた。


「分かりました、今回はそのように」


「ああ」


「ですが、全ライバーに今一度注意喚起をしておいた方がいいかと。プライベートも配信も、どちらも節度を持って取り組むべきだと」


「ああ……」


 最近胃が痛むようになってきたが、そのうち胃潰瘍かなんかになるんじゃないだろうか。 

 好き勝手に暴走するのもほどほどにしておいて欲しいものだ。


「にしてもそのヴァイオリン880万もするってマジ?」


 出し抜けに、一鶴が幽名のヴァイオリンに興味を示した。

 一鶴が何を考えているか手に取るように分かるが、とりあえず黙ってみておく。


「マジ? とは?」


 幽名が言葉の意味を理解出来なかったらしく、疑問符を掲げながら言葉をそのまま反芻する。最近のFMKではよく見られる光景だ。

 一鶴も幽名が本物の箱入りであるとそろそろ理解し始めているらしく「あー、マジが通じないってマジか。本物は一味違うわね」と半ば感心したように頷いている。


「真面目の略ね、本気とか本当って意味で使われてるスラングみたいなもんよ」


「なるほど。それならばマジですわ」


 フランク方向に言葉を調教された幽名が、一鶴の質問に肯定の意を示す。

 その瞬間一鶴の目が分かりやすく輝きを帯びた。


「マジかー、ちょっとあたしに貸してくんない? ヴァイオリンに興味があってさー」


「いいですわよ」


「鑑定書も一緒にね」


「はい」


「はいじゃないが。姫様、そいつに高価な物品を渡したらネットオークションか質に流されて二度と返って来なくなるぞ」


 本当に幽名がヴァイオリンを貸してしまいそうになったところで待ったをかける。

 一鶴が「ちっ」と舌打ちをしたが、こいつどこまで行っても通常運行クズだな。 


「返って来なくなるのは困りますわね」


 言って、幽名はヴァイオリンを愛おしそうに胸に抱いた。

 こうやって見ると絵になるんだよな。

 それこそ深窓の令嬢って感じで。

 喋ったり動いたりすると破天荒すぎてこっちが疲れるんだけど。


「ところで姫様、どうして弾けもしないヴァイオリンを買ったんだ? 楽曲制作の手伝いをって動機は分かったけどさ、ヴァイオリンを選んだのに理由とかあるのか?」


 ふと気になっていたことをなんとなく聞いてみた。


「それは――前に住んでいたお屋敷に、ヴァイオリンがあったから」


 幽名はヴァイオリンの弦を指で軽くなぞりながら、どこか遠くへ思いを馳せるように窓の外へと視線を向ける。


「アレは良い音色のヴァイオリンでしたわ。お父様がたまに弾いているのを耳にすることがありましたが、まるで銀のような品質を持つ不思議な音色をしておりました。それを思い出して、奏でるのならこの楽器しかないと思いました」


 銀のような音色ね。お嬢様の比喩表現は難解で理解しがたい。

 ともあれ、ヴァイオリンを衝動買いしてきた理由はなんとなく分かった。幽名は幽名なりにヴァイオリンという楽器に想い入れがあったらしい。

 目下行方不明中の両親のことまで持ち出されたのでは、こちらとしては口うるさく言うのも憚られる。

 色々と説教のネタはあったが、今回は大目に見てやるとしよう。


「大事にするんだぞ、そのヴァイオリン」


「勿論ですわ」


 どこか嬉しそうに微笑む幽名に、俺は一瞬心を奪われそうになった。

 しかし、騙されてはならぬと自分を戒めるように心を持ち直す。

 どれだけ可憐な笑顔を見せようとも、本質的には触れるモノみな傷付ける存在であることを忘れてはならない。

 油断していたら背中からバッサリと斬りつけられるかもしれないのだから要注意だ。

 背中の傷は剣士の恥だしな。


 そんな俺の警戒を証明するように、幽名の暴走はこの日を境にどんどんとパワーアップしていくことになった。

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