弾きますわ(FMK幽名姫依)

 幽名が880万円もするヴァイオリンを現金一括ニコニコ払いで買ってきてから小一時間後。

 俺は事務所のデスクで眉間に皺を寄せていた。

 難しい顔をしたくてしているわけではないのだが、そうなってしまう俺の気持ちも誰か汲み取って欲しい。


 ヴァイオリンを買ってしまったことについては、もう仕方がないと諦めている。

 クーリングオフは出来るかも知れないが、購入した本人に返品の意志がないのだからどうしようもない。

 それよりも、今俺が難しい顔をしているのは幽名がただ高い買い物をしたからではない。


「まさか弾けないとは……」


 あの後、幽名から知らされた驚愕の事実。

 なんとお嬢様は弾けもしないヴァイオリンに880万を使ってしまったらしい。

 なんで?


「何度も言いましたが、弾けないのではなく、弾いたことがないだけですわ」


 幽名が優雅にハーブティーを飲みながら戯言を囀りあそばす。

 弾けないのも弾いたことがないのも同じように思える。

 しかし幽名の意見は違うようだった。


「弾こうと思えば弾けると?」


「やってみなくては分からないとは思いませんこと?」


 質問に質問で返さないで欲しい。


「やってみなくても結果は見えてるんだけど……そこまで言うのなら弾いてみてもらおうかな」


「はい」


 幽名がヴァイオリンをケースから取り出す。

 手付きがすでに危なっかしい……見ててハラハラする……おいおいおい!


「880万もするヴァイオリンを落とすなァーッ!!!」


 ヘッドスライディングで突っ込んでヴァイオリンをキャッチした。

 ヴァイオリンは幸いどこにもぶつけなかったが、代わりに俺の頭にたんこぶが出来た。


「あら、ありがとうございます」


「頼むから二度と落とさないでくれ」


「大袈裟ですわね代表様は。それよりも怪我に気を付けてくださいませ、このような狭い場所ではしゃいではいけませんわ」


「お前のせいだお前の」


「?」


 幽名は首を傾げてから、何事もなかったかのようにヴァイオリンを構えた。

 うん、まず持ち方が違う。それはギターとかウクレレとかそういう楽器の持ち方だね。


「よし、そのままだと近いうちにヴァイオリンが大破するだろうから、その前に正しい知識をネットで調べような」


「確かにその方が良いかも知れませんわね。わたくしも最近ようやく、パソコンというものの便利さがようやく分かって参りましたし」


「そうしてくれると助かるよ。ついでに楽器の練習はスタジオでやってくれ、ここで演奏されると仕事に集中出来ないからな」


「わかりましたわ、それではごきげんよう~」


 スタジオの鍵を手に取った幽名は、そそくさと事務室を後にした。

 これでようやく業務に戻れるな。とりま、溜まってるメールの処理でもするか。

 そう思ってパソコンに向かった矢先、七椿がスマホ片手にガタンと勢いよく立ち上がった。


「代表、丸葉さんがパチンコ店に入っていくのを見たという情報が」


 あいつめ……ギャンブルは禁止だって言ったのに。

 知り合い全員に、一鶴をその手の場所で見たら報せるよう頼んでおいて正解だったな。

 大学生が平日の昼間からパチンコに行くってだけでも健全とは言えないのに、一鶴は瑠璃に借金までしている身分だ。これくらいの監視網は許されるだろう。

 というかパチンコに行く金はどこから調達したのやら。


「すまん七椿、確保してきてくれ」


「かしこまりました」


 七椿は何故か黒い手袋を両手に嵌めてから事務所を後にした。

 まあ、あっちは七椿に任せておけば大丈夫だろうが、やはり一鶴専用のマネージャーは必要だな。

 その役割に適任な人間は既に見つけていることだし、さっさと連絡を取っておくとするか。


 ■


 それから数十分ほどデスクに向かって雑務をこなしていると、今度は俺のスマホに着信があった。ディスプレイには瑠璃と表示されている。

 この時間ならまだ学校のはずだが、学校から電話してくるのは珍しいな。なにかあったのか?


「もしもし?」


『あ、おにい! 今どこにいるの!?』


 電話に出ると、やけに焦った様子の瑠璃が通話口に叫んで来た。


「どこって……事務所だが」


『姫様の配信が危ないの! 絶対に事故るから早く止めたげて!』


「は? 姫様の配信って」


 幽名は今一人でスタジオにいる。

 七椿の介護なしに一人で配信を始められるはずがない。

 そう思いながらTubeを開くと、幽名姫依のチャンネルにライブ配信中のアイコンが点灯していた。

 馬鹿な。



弾きますわ(FMK幽名姫依)



 配信のタイトルはいつものテンプレートから大分外れていた。

 【】が()になってたり、FMKが全角になってたりと色々と間違っている。

 普段は幽名の配信枠は七椿が立ててあげているが、もしかしたら幽名が自分で枠名を打ち込んだりしたからこうなっているのかもしれない。

 だとすれば幽名も随分と成長したもんだ。まさか自分一人で配信を始められるようになったとは。

 巣立ちの日も近いのかもしれないな。


 それはそれとして、この弾きますわってのはヴァイオリンのことだよな?

 なるほど、配信で練習するのは悪くないな。

 ギターとかの楽器を練習しながら雑談してるVもたまに見かけるし。

 そう思いながら、あまり深く考えずに配信を開いた。


『そうですのね、まず持ち方が違っていましたのね』


 配信画面にはヴァイオリンを持つ幽名が映りこんでいた。

 実写で。


「な――!? ば――!?」


 あまりの衝撃に言葉を失う。

 なんで実写――カメラには首から下しか映ってないので、ギリギリ顔バレまでは防げているが、逆に言えばそれ以外の全てが配信に映ってしまっていた。

 この服装と、雪のように白く長い髪は、間違いなく幽名本人のものだろう。

 申し訳の添え物程度の感覚で、画面右下に幽名の2Dモデルが置いてあるが、トラッキングに失敗しているのか静止画状態で微動だにしていない。

 その代わりに実写版幽名はヴァイオリンを持ちながら優雅に自由に動きまくっていた。


『なるほど、ヴァイオリンを顎と肩で挟んで――こうですわね』


 ヴァイオリンの構え方をレクチャーしてくれる親切なコメントにしたがって、幽名がそれっぽい構え方に持ち替える。

 しかし顎で支える関係上、画面の上の方にヴァイオリンが見切れてしまい、幽名がちゃんと構えられているのかリスナー側からは見えなくなってしまう。


:見えないな

:もうちょいしゃがんでくれれば見える

:見えちゃいけないものまで見えそうなんですがそれは……

:VTuberとはなんなのか考えさせられるな


『? あらカメラに映ってませんでしたの。えっと、それではもう少し――』


「やめろー!!!」


 最後まで聞かずに俺は事務室を飛び出して階段を駆け上ってスタジオに飛び込んだ。


 配信専用スタジオに入ると、中腰になりかけていた幽名が驚いてこちらを向いた。

 その際に中腰が解除されて姿勢の良い直立スタイルにチェンジされる。これならカメラに顔は映らないだろうが……。

 ギリか? ギリギリ間に合ったか? 中の人の顔が配信に映りこむという、VTuberとして最もやったらアカンタイプの放送事故は未然に回避出来たんか?


「おい、瑠璃……どうだ? やっちまったか?」


 通話中のままだったスマホを耳に当て、小声で瑠璃に確認を取る。

 瑠璃はしばし沈黙していたが、


『ふぅ……大丈夫、危なかったけど顎先くらいまでしか映ってない。ナイスおにい』


 と、心底安堵したような声音で報告をしてくれた。

 間に合ってたか、良かった良かった。

 自分でも驚くようなスピードでここまで飛んで来た甲斐がある。人間いざという時はとんでもない瞬発力が出るもんだ。自分を褒めてやりたいね。


 だが安心するのはまだ早い。

 配信は依然として継続中。

 リスナーには悪いが一旦配信はストップさせてもらうとしよう。


「悪いな瑠璃、一回電話を切るぞ」


『うん』


 通話を打ち切って、スマホをポケットに入れる。それから俺は状況を把握するべくスタジオ内を見渡した。

 配信用のスタジオにはデスクが二つあり、片方はデジタルミキサーやPCなどスタッフ用の機材を配置したデスクで、もう片方はライバーが配信するためのPCやマイクなどを設置したデスクとなっている。

 俺はカメラの位置を把握してから、うっかり配信に映りこまないようにスタッフ用のデスクまで移動した。

 あ、クソ、こっちのPCはそもそも起動すらしてないのか。

 ということはライバー側のPCを操作しないと配信を止められない。

 カメラの位置的に考えて……幽名に自分でPCを操作してもらうのが早いか。


 よくよく考えればカメラを物理的に遮断するなどしてから、俺が直接ライバー用のPCまで行くのがベストだったのかもしれない。

 が、この時の俺は気が動転していたらしい。

 大事な部分をよりにもよって幽名に任せてしまった。


 ■


 弾きますわ(FMK幽名姫依)



『代表様? どうしましたの、一体……今は配信中ですわよ?』


 しばし硬直し、明後日の方向を向いていた姫依がようやく言葉を発した。

 配信画面に映る姫依(実写)は、明らかに第三者へ向けて話しかけている。

 その様子に、コメント欄がにわかにざわめき始めた。


:代表様?

:誰?

:スタッフが止めにきたか

:代表って呼ばれてるスタッフって、つまり社長ってこと?


『はい? 配信を止める……? なぜ』


 マイクから遠いのか、それともカンペで指示を出しているのか、代表と呼ばれた人間の声は配信には乗っていない。

 しかし姫依の発言で、彼女が代表から何を言われたのかはリスナーにも察しがついた。


:無許可で実写やってたのか……

:違法3D配信だったか

:なぜじゃないが

:ここまでかー

:残当

:もう少しで事故るとこだったな

:これもうほぼ事故ってるのでは……

:普通に考えて事務所は許可出さないだろ

:あの金廻がいる事務所だぞ?

:金廻の罪は重い


 何故か金廻小槌に流れ弾が飛んでいく。

 そんな流れの中、姫依がやれやれと言った様子で溜息を吐く音がマイクに入ってきた。


『はぁ……分かりましたわ。それではみなさま、一旦お別れですわね。また次の配信で。ごきげんよう~』


 カメラに向かって手が振られ、そのまま姫依の姿が画面の外に消えて行く。 

 恐らくは配信を切るためにPCの方へと向かったのだろう。


:ごきげんよう~

:はいごきげんよう

:ノシ

:姫様リアルでも白髪なんだな

:ウィッグでしょ

:姫様ごきげんよう~


 姫依の配信終了宣言を受け、同接が微減し、チャット欄にもお馴染みとなりつつある別れの言葉が流れて行く。


『…………』


:?

:もう終わった?

:まだ止まってないな

:謎の間


 しかし、いくら待てども配信は止まらない。

 それどころか、


『はい、配信は止めましたわよ』


:え

:止まってなくない?

:あー……

:草

:草


 止まってない配信を前に姫依が終了宣言を口にする。

 その瞬間、全てのリスナーが察した。

 放送事故Part2が今始まったのだと。


『ふぅ……なんとかなったか』


 姫依のものではない、男の声が聞こえてくる。


:誰!?

:配信止まってませんよ

:スタッフも気付いてないの草

:これがFMKの代表の声か


『もう、なんなのですか。折角楽しくなってきたところでしたのに』


 不服さを前面に押し出した姫依の声がして、カメラの前に再び首から上が見切れた少女がスライドインしてきた。


『いやいや、こっちはマジでハラハラしすぎて生きた心地がしなかったんだよ。あのまま続けられてたら心臓がいくつあっても足りないから』


 言いながら、今度はラフな格好をした男が映り込んできた。

 顔は姫依同様見切れているが、体格と声から男だと言う事だけは分かる。

 そんな新たな登場人物の出現に、チャットがどんどんと加速し始めた。


:普通に代表映ってきて草

:草

:あーもう滅茶苦茶だよ

:リスナーもハラハラしております

:面白すぎる

:流石に仕込みだろ


 仕込みを疑う声もあるが、最早どんな意見も画面に映る二人には届いていない様子だった。


『今日の代表様はいつにも増して落ち着きがありませんわね』


『いつにも増してってのが引っかかるが……今日の俺の心労は9割くらいは姫様由来なんだけどな』


『わたくしが何か致しましたの?』


『なろう主人公みたいな返しやめろ』



:俺また何かやっちゃいました?

:姫様って普段からお嬢様口調なんだ

:なんだこのコントは

:草しか生えない

:社長にまで姫様呼びされてるのか……



『あれほど顔バレ身バレには気を付けろと言ったのに』


『はい、ですから顔は映らないよう、カメラの角度を調整しましたわ』


『俺が止めてなきゃ映る寸前だったんだよ。というか顔が映らなきゃいいって問題でもないだろ。VTuberなんだから』


『?』


『? じゃないが』



:まだ顔バレの危機は継続中なんですが

:二人になってリスクも二倍だな!

:代表の方は別に顔バレしても問題ないと思うけど

:VTuberの配信で顔映ったら終わりだよ

:今来たけどどうなってんのこれ

:コント中

:なんだコントか

:ネタならいいんだけど、これが全部素ならイカれてる

:まあ、小槌のいる事務所だし……



『とにかく、実写は危ないから当面禁止な。ったく、自分一人で配信を始められたことにも驚いたが、いつの間にカメラの使い方を覚えたんだ……』


『調べたらすぐに分かりましたわ。やはりこのパソコンというものは便利ですわね』


『与えちゃいけないやつに知識を与えちまった気分だよ。知恵の実を食べたアダムとイブを追放した神も俺みたいな気分だったんだろうな』



:草

:神の気持ちを知る男

:アカン、おもろすぎる

:いつもは自分で配信始められないってマジ?

:パソコン素人がどうやってオーディション受かったんや

:これが素だとしたら姫様てガチの箱入りなのかな

:ピュアなリスナーがいるなぁ



『大体姫様はだな……ちょっと待った、さっきから電話がうるさいな。はい、もしも――は!?』



:ん?

:気付いたかな

:他のスタッフが電話で教えたか

:ガチで驚いてるっぽい

:今のが演技なら主演男優賞取れるよ



 なんて、他人事で面白がるリスナー達が見守るなか、画面に映るスマホを持った男が全力でダッシュして、画面の外へと消えて行った。


『配信止まってねえ!?』


 そして思いっきり叫ぶ声が聞こえ、直後に画面が暗転した。

 どうやら今度こそ本当に配信は止まったらしい。


:おわった

:おつ

:面白かったけどオチに捻りが欲しかったかな

:ほんとに仕込みだったのか?

:ガチっぽかったけど

:後日でいいから説明が欲しいな


 余韻を残すように少しの間チャットが流れていたが、やがてそれも止まって危険な実写配信は完全に終了したのだった。

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