取り立て屋

「ご、ごひゃくま、ん……? ごひゃ……え、えぇ……? いやだってお前……なん、ええぇ……?」


 一鶴の発言が衝撃的過ぎて頭がおかしくなる。

 意味不明過ぎる。

 だって借金500万て、おかしいだろ。 


「おまっ……なんで?」


 ビックリしすぎて大分舌っ足らずになってしまった俺の言葉に、一鶴が照れくさそうに頬を掻く。


「いやぁ、ほら、オーディションに使ったあたしの自己PR動画あるじゃない?」


「お、おう?」


「あの動画に使った3Dモデル作成費とか機材費とか、それなりに良い物使おうとしたらかなりお金が必要になっちゃって。ちょっと無理してお金を工面したらこんなことになっちゃって」


 ああ……一鶴がPR動画に使ってた3Dモデル、やけにクオリティが高いと思ったら想像以上に金が掛かってたのか。

 3Dモデルをオーダーメイドで外注すると、完成度に応じて天井知らずに値段が上がっていくって聞くしな……。


「それとほら、勉強のために色々なVTuberを見て回った時に、スパチャとかも投げちゃって」


 そういや自己PR動画でもそんなようなことを言ってた記憶があるな。


『そしてあたしは、応募を決めたその日から、色んなVTuberの配信や動画を見て回った! 推しだって出きた! スパチャだって投げた! 金もないのに! Vの沼に片足突っ込んで危ない感じになってる!』


 そう言って頭を抱えて蹲る赤髪のアバターの姿が脳裏に浮かんだ。

 確かに言っていた、金もないのにって。

 金がないどころかマイナスだったってわけだ。

 危ない感じではなく、ガチでヤバかったってことだ。


「でもなんで……?」


「ん? 借金までして応募した理由? そりゃ合格して1000万貰えたら余裕でペイ出来るからよ。まあ、受かるかどうかは賭けだったけど、あたし分の悪い賭けは嫌いじゃないし」


「いや、そうじゃなくって……」


 この際、借金の理由とか応募の動機とかはどうでもいい。

 俺が聞きたいのはそんなことじゃない。

 混乱を抑えるために一度深く息を吸って、吐く。

 よし、かなり落ち着いた。


「なんで1000万支給された時点で返済してねえの!? っていうかオークスで勝った金もあったのに! なんで!? なんで!?」


 全然落ち着けてなかった。

 興奮しすぎてダイナミックなアニメのOPみたくなる俺だったが、対する一鶴は一点の罪悪感も覚えてないような晴れ晴れとした顔で胸を張る。


「次で勝ったらまとめて返済するつもりだったのよ! 負けたけど!」


 コイツ、本物だ……。

 本物のイカレだ。

 俺が今まで出会ってきたどんな人間よりも倫理観と道徳観と金銭感覚と社会常識が狂ってる。


 とんでもないヤツを採用してしまった。

 怒りのあまり立ち上がって叫んでいた俺は、まるで吸血鬼を家に招き入れてしまい絶望する哀れな被食者のように、力なく椅子に座り直してうな垂れた。


「代表」


 いつの間にか近くまで来ていた七椿が、いつもの鉄面皮を十倍くらいの硬さにして俺に声を掛けて来た。


「どうするおつもりですか」


 俺と一鶴が話し込んでいた応接間と隣の事務室は、衝立で区切られているだけで話し声などは丸聞こえだ。

 隣で業務をこなしていた七椿は事態を完璧に把握しているのだろう。


「どうするって言われてもな……」


「私は厳重な対応を取るべきだと思います。流石にこれは度が過ぎているかと」


 七椿の言葉は厳しいが、言ってる内容は100割正しい。

 この問題はさっきの音信不通やサボりの件のように、なあなあで済ませていい問題じゃない。

 ただでさえもデリケートな金銭面でのトラブル――それも、金がない原因が完全に本人の素行のせいときている。

 しかもあろうことか所属している事務所の代表に金を貸せと言ってきやがった。

 返そうと思えば返せた金なのに、その機会を一度棒に振った上でだ。

 トリプル役満の大馬鹿者か。


 普通の事務所なら契約解除だろう。

 実際これまでのVTuber界隈にも、本人の素行が問題で事務所から追い出された例はそれなりにあるわけだし。

 こんな馬鹿げた金のトラブルで追い出された間抜けが存在するのかは知らんが。


 だが一鶴の、金廻小槌の影響力を考えると、追放という選択肢が本当に正しいのか分からなくなる。

 現状、小槌は間違いなくFMKのトップVTuberであり、この事務所の知名度向上に一番貢献しているのは言うまでもない。小槌が配信で見せたキャラクター性は、世間的にもそれなりに好意的に受け入れられている。

 その小槌がいきなり解雇されたとなれば、運営サイドへの不信感や不満が間違いなく噴出してくるだろう。こちらが事情を細かく説明すれば一定の理解は得られるだろうが、結局のところ小槌というシンボルを失うことに変わりはない。今のFMKがこのままの勢いで伸びていくには、小槌の力が絶対に必要だ。

 

 俺は岐路に立たされている。

 一鶴の借金など簡単に返済してやれるだけの金が俺にはある。

 だがそうすることが今後のFMKにとって正しいことなのかどうかは分からない。

 丸葉一鶴という存在は、FMKにとって毒にも薬にもなり得る劇物だ。

 取り扱いを誤れば、容易に死に至るほどの。


「イヤイヤ、悩む必要なんてないアルヨ。人から借りた金を、更に人から借りて返そうなんて輩は、すべからく東京湾にチンされるべきだとワタシは思うネ」


 と、ごく当たり前のように思考に割り込んでくる声があった。

 声は隣から飛んで来た。

 俺が一人で座っていたはずの二人掛けのソファに、いつの間にか誰かが相席していたのだ。

 それも、声も顔すらも知らない謎の女が。


「だ、誰だお前!? いつの間に……っていうか何処から!?」


 ゴキブリを見つけてしまった時のような機敏さで、俺はソファから驚き飛びずさった。

 どこからか湧いてきた女の存在そのものにも驚いたが、その格好もまた珍妙で俺は我が目を疑った。


 スリットの入ったオレンジ色のチャイナ服に、お団子ヘアの髪型。

 中華屋で給仕として働いていそうなコスプレチャイナっ娘が、俺の湯呑片手に、膝を組んでパンツが見えそうな姿勢で座っている。


「俺も疲れてるんだな……チャイナ服を着た正体不明の女が、我が物顔で寛いでる姿が見える」


「幻覚ではありません。私にも見えます」


「……」


 幻覚でも幻聴でもないらしい。七椿のお墨付きだ。

 じゃあ実在しているのか、このチャイナ娘は。


「えっと……誰? っていうかなんで、いつの間に」


 先程の質問を再度投げかけると、チャイナ娘は湯呑の中身を余さず飲み干してから口を開いた。


「十分ほど前からずっと居たネ。入口から普通に入って来たアルヨ。まあ、気配を殺してたから普通の人間には感知出来なかっただろうけどネ」


 ステレオタイプの中国人みたいな喋り方をするチャイナ娘は、気配がどうとかバトル漫画みたいなことをのたまいながら脚を組み替える。あ、パンツ見えた。


「無断で事務所に上がり込んで、一体どういったご用件でしょうか。返答次第では摘まみ出しますが」


「摘まみ出す? カカカっ、面白いことを言うネ」


 凄みを利かせる七椿に、不法侵入者のコスプレ娘が煽るように笑った。


「ワタシはパっと見で相手の力量が分かるケド、オネーサンの実力ではワタシには絶対に敵わないアルヨ」


 謎のチャイナ娘と七椿の間で火花が散る。

 おいおい、待て待て。

 事務所の中で喧嘩はやめてくれ。

 俺は慌てて二人の間に割って入った。


「おい、ドスケベチャイナ娘。お前がなんなのか知らないが、こっちは取り込み中なんだ。コスプレパーティをやりたいのなら下のU・S・Aって喫茶店に行け。カウボーイの格好をしたオッサンが居るから、エセアメリカンとエセチャイニーズ同士仲良くお喋りするといいぞ」


「誰がエセネ」


 お前だ。

 ツッコミを我慢した俺に、チャイナ娘が溜息を吐いた。


「取り込み中と言ったケドネ、悪いがこの件はワタシにとっても無関係じゃナイアルヨ」


「ナイのかアルのかどっちだよ」


「うるさい男だネ。ワタシも関係アルから話に混ぜろと言ってるアルネ」


 この件、というのは言わずもがな、一鶴の借金関連の話だろう。

 ちらりと一鶴に目をやると、滝のように汗を流して、心底怯えた目でチャイナ娘を見つめていた。

 知り合い、なのか?

 俺は改めてチャイナ娘に向き合った。


「関係あるって、どう関係あるんだよ」


「ワタシは取り立て屋ダヨ」


 言って、チャイナ娘は一鶴を指差した。


「コイツに貸してる金を取り立てに来たヨ。びた一文負ける気はナイネ。現金で取り立てられない場合は、最悪体で払って貰うアル。覚悟するネ、イヅル」


 名前を呼ばれた一鶴は、間違いを指摘された子供のようにビクリと肩を震わせる。

 あの一鶴がここまで怯えているのが信じられない。

 借金取りだろうがなんだろうが、笑顔で踏み倒して逃げるイメージがあるってのに。


「ら、蘭月ランユエ……なんでアンタみたいな大物がここに……」


 一鶴がガタガタと震えながら、なんとかといった様子で言葉を発した。


「オマエはやり過ぎたヨ、みんなカンカンに怒ってル。イヅルの悪運もここまでネ、ワタシが出て来たからにはいよいよ年貢の納め時アル」


 取り立て屋――蘭月の無慈悲な宣告に、一鶴の顔から血の気が引いていくのが見て取れた。

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