初顔合わせ(1)
季節はそろそろ初夏だなと感じる程度に暖かくなり始めた五月頭。
五月病という日本人のDNAに深く刻まれた流行り病が一年ぶりの再流行を迎える中、俺はというと比較的精神穏やかに今日という日を迎えていた。
例年であれば俺もこの時期には、体の底から溢れてくる倦怠感を何とか鎮めながら社会の歯車として従順に働き続けていたものだ。
だが今年の俺は一味違う。退屈でそれほど好きでもなかった仕事から解放され、使われていた側から使う側へとランクアップしたこともあり、あれほど心を蝕み続けていた五月病を克服しきっている。やっぱ辞めるもんだね、仕事なんて。
とはいえ今の俺は無職ニートというわけでもなく、使う側にいると前述した通りにそれなりに上の立場にいるワケで……新興ながらもVTuberをプロデュースする事務所の代表をやらせていただいいてる次第でして。えへへ。
「なにニヤけてんの、代表。ちょっとキモイんだけど」
と、我が事務所FMKの所属タレント一号である瑠璃が、恐れ多くも代表取締役であるこの俺に対して顔面が気持ち悪いなどと失礼極まりない悪態を吐いてきた。
だが俺はそんな暴言も菩薩の心で受け流す。
「はっはっは、すまんすまん。俺としたことがちょっとばかり浮かれていたかもしれないなっ」
「テンションちょっと高いのもキモ」
「あんまりキモキモ言われると流石に傷付くからやめて」
全然受け流せなかったが、キモいくらいに浮かれているのはまあ事実だ。
浮かれている、というよりは浮足立って落ち着きがなくなっている、というのが正しいだろうか。
なにせ今日はFMK初となるVTuberたちの初顔合わせの日なのだから。
書類審査、動画審査、通話面談、面接と、長きに渡ったオーディションを終えて、ようやく決まった4人の魂たち。
俺は面接を通じて全員と直接顔を会わせているが(というか4人のうち半分は既知だったけど)、魂同士が会って話すというのは今日が初めてとなる。
これから一緒に切磋琢磨して配信していくのだから仲良くしていって欲しいものだ。
そんな感慨に耽りながら、事務所2Fの会議室で瑠璃と共に他の魂を待っていると、ノックの後にドアが開いて二人目が姿を現した。
「御機嫌よう~」
いつも通りのマイペースな空気を纏った幽名が、なんと驚くべきことに自分でドアを開けて会議室に入って来た。
「……人って成長出来るものなんだな」
幽名の進化に涙を禁じ得ない。
コイツが面接の日に一人でドアを開けて部屋に入って来た時は、思わずスタンディングオベーションで拍手をしながら「合格!」と叫んでしまったほどだ。
すぐさま七椿に机の下で蹴りを入れられたので、普通に面接をやり直したけど。
とまあ、元お嬢様で現在事務所に居候中である幽名姫衣も、なんとか無事にオーディションを突破してきた。
なんとか無事に、とは言っても審査員である俺の匙加減次第じゃねえかと思われるかもしれないが、これでも俺は厳正に公平に贔屓目無し忖度ゼロで審査をしたつもりだ。
合格したのはひとえに、幽名自身が強烈過ぎる個性とポテンシャルを持っていたからに他ならない。
「ほら、姫様。こっち座って」
俺が幽名の成長にほっこりしている眼前で、瑠璃が椅子を引いて幽名を席に座らせていた。
なんでドアは開けられて椅子は引けねえんだよ。
「甘やかしすぎだろ、姫様のためにならねえぞ」
「良いの! 姫様は私が付いてれば他に何もいらないんだから!」
「えっ、こわ……なんかお前依存してきてない?」
身の回りの世話を焼いているうちに情が移りすぎてしまったのか、瑠璃は過剰なくらいに幽名を甘やかしているようだった。
幽名も幽名で、されるがままなすがまま、世話をしてもらうのが当たり前だという顔でそれを受け入れているからタチが悪い。
所属タレント同士仲が良いことはよろしいが、依存しすぎるのはよろしくない。
そこんとこ今後は注意していかないとな。
「というか、お前ら分かってると思うが、今日が魂の初顔合わせなんだからな。二人とも今日初めて会いましたって
瑠璃が俺の妹であること、瑠璃はオーディションを通さずに魂に内定していること、幽名がオーディションの途中から事務所に居候していること。瑠璃と幽名が仲良しであること。
ここら辺の事情を、残る二人の魂に知られてしまえば、余計な勘繰りをされるのは目に見えている。
瑠璃が代表である俺の妹だから魂になれたとバレるのも、その瑠璃の友達だから幽名がオーディションで忖度されたなどと勘違いされるのも、事実にせよそうじゃないにせよ、明るみになれば余計な軋轢を生むことは避けられない。
なので二人にはしっかりと『面接後に初めて事務所に訪れて、初めて他の応募者と会うVTuberの中の人』を演じてもらわなくてはならない。
「御心配には及びませんわ、代表様。この幽名姫衣、身命を賭して『今日会う人とは全員初対面』という設定を演じ切ってみせましょう」
「マジで頼むな、姫様が一番の不安要素なんだから」
「心配性だなぁ、代表は」
「ですわね、わたくしは一瞬たりともわたくしを不安要素などと思ったことはありませんのに」
不安しかない発言を口にしながら幽名が平らな胸を張る。
もう全てが前振りにしか聞こえなくなってくるから、いっそのこと今日一日喋らないでいて欲しい。
なんて思っていると机の上に置いていたスマホに七椿からのメッセージが届いた。
『トレインさんが到着しました。会議室に通します』
三人目が到着した。
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