知らない人に付いて行っちゃいけません

「まさか、お食事をするだけで金銭を要求されるとは思いませんでしたわ」


 血のように紅い瞳を瞬かせながら、白髪の少女は涼しい顔で頭が痛くなるようなセリフをぶちかました。

 社会常識の欠如したロックな発言だが、なんとなくこの少女らしい言葉であるとも思えてしまう。


 何を隠そう彼女は正真正銘のお嬢様(多分)

 自分一人じゃドアも開けれないし椅子も引けない、となればお金の使い方すら知らなかったとしても何ら不思議ではない。それほどの箱入りということだろう。


 ただし、知らなかったで済めば警察は必要ない。

 無知は罪であり、罪には罰を与えるのが社会というものだ。


「金がねえのは分かったから、それならそれで親御さんを呼んで代わりに払ってもらうとか手段はいくらでもあるはずだぜ」


 怒るというよりも諭すような口調でマスターが代替案を口にする。

 しかしお嬢様は首を振って拒絶を示す。


「それがお母様とお父様とは先日から連絡が取れず、わたくしも困っておりますの」


「そんな馬鹿な話が……それじゃあ誰か他に頼れる人間はいないのか?」


「専属使用人も何処かに消えてしまいましたし、今のわたくしは着の身着のままですわ」


 凛と背筋を正して無い胸を張る箱入りお嬢様は、無銭飲食とは思えないほど堂々としていて後光すら差して見えるほどだ。


「考え方を変えてみてはいかがでしょう」


 お嬢様は何故かそこで椅子に座り直した。


「お食事に対する対価が必要であるというのでしたら、今日この日、わたくしという一個人に対してお料理を振舞ったという事実そのものをお代として受け取ればいいではありませんか」


「は?」


 あまりの盗人猛々しい発言にマスターが唖然とする。

 マスターだけでなく、側で事の成り行きを見守っていた俺と瑠璃、七椿までもが言葉を失ってしまっていた。


「わたくしという人間はこれから先、さらに人としての存在価値を高めていくことになるでしょう」


 一点の曇りもなく、自身に対する有り余るほどの自信を口にしながら、お嬢様がここではないどこか遠くを見るように眼を細める。


「いずれわたくしの名は天下にあまねく轟き渡り、わたくしの名を知らぬ者はこの世に一人もいなくなります」


 世界で一番自信に満ち溢れた無一文は、どう考えてもありないと言わざるを得ない未来を夢想する。

 だがしかし、凡人が語れば一笑に伏して終わりになるような大言壮語も、何故かこのお嬢様が口にすれば現実になるのではないか――そんな風に錯覚させられるほどの、口では説明出来ない謎の説得力を孕んでいるように感じてしまう。


「わたくしの名前は幽名かそな 姫衣ひめい。今日ここでわたくしが貴方の料理を口にし、そして満足して帰ったという事実こそが、このお店にとって後々にお料理の代金などとは比べ物にならないほどの財産となることでしょう。御釣りは結構ですわ、チップとして受け取っておいてくださいませ」


 お嬢様――幽名姫衣がそれだけを言い残して席を立った。

 そしてそのまま優雅な足取りで店の出入り口へと向かっていく。

 誰も動けない、止めるべきはずのマスターですら身動き一つ取れていない。

 それどころか息すら継げない、呼吸の仕方を忘れてしまったかのように口と鼻が機能を停止している。


 この場で動くことを許されているのは幽名姫衣ただ一人。

 何人たりとも彼女の歩みを妨げてはならない。

 彼女の許可なしに動いてはならない。

 そんな得体の知れない思考に取りつかれ、金縛りにあったかのようにその場に縫い付けられてしまっていた。


「……扉が」


 扉を自分で開けられない幽名が、見事に障害物に突き当たって助けを求める声を上げたところで、ようやく体の自由が戻って来た。

 大きく息を吸って肺に空気を取り込む。

 すぅはぁと深呼吸を繰り返し、ようやく冷静さが帰ってくる。


「な、なんなんだ今の怪現象は……」


 一人じゃ何も出来ない少女の言葉に、場が支配されてしまっていた。

 そうとしか思えない現象が起こっていたのは事実だ。


「――こりゃオレの手に負えねえな。後はポリスメンにでも任せるか」


 居合わせた全員が狐につままれたような感覚にしばし沈黙していたが、やがて我に返ったマスターが小さくポツリと呟いた。


 警察沙汰。

 無銭飲食どころか食い逃げ未遂までやらかしてしまっている。

 残念ながら当然の結果だろう。


「ねえ、おにい」


 俺の裾を瑠璃が思いっきり引っ張ってきた。


「なんだよ、っていうかおにいじゃなくて代表だろ。いい加減に慣れろ」


「そんなことはどうでも良いって。それよりもあの子、なんとかして助けてあげてよ」


「なんとかって、なんで俺が」


 確かに可哀そうだとは思うが、ここはマスターの言う通り警察に任せた方がいい。

 両親と連絡が取れなくなったという話が本当ならば、何やら面倒な事情もあるのだろうし。

 俺が他人の人生にそこまで踏み込んで助けてやるような義理はない。


 だが俺を納得させるに足る理由があればその限りではない。

 その助言を口にするまでもなく、瑠璃は扉の前で立ち往生しているお嬢様を指差してこう言った。


「あの子の成長性に投資してみたくない?」


 その一言で瑠璃が何を考えているのか分かった。


「お前、アイツにビビっと来ちゃったのか」


「うん」


 瑠璃はワクワクを押さえきれない子供のような顔で頷く。

 幽名姫衣をFMKのVTuberに。

 そう言いたいのだろう。


 確かに面白い人材だ。

 一般的な常識は一切ないが、それを補って余りある圧倒的な存在感。

 エンターテイナーとしての資質は未知数だが、成長次第では誰をも魅了する存在になりえるほどの可能性を感じる。ような気もする。


 俺は一瞬だけ考えてから、一つだけ条件を提示することにした。


「助けてやるのは構わないが、幽名を魂として起用するかは別問題だ」


「なんで?」


「今回はオーディションという形式で人を募ってる。その前提を無視して幽名を起用するのは、他のオーディション応募者対して失礼だ」


「言わなきゃ分かんないじゃんそんなの」


「そうかもな、でも俺は嫌だ」


「それもおにいの拘りなわけ?」


「ああ、そうだ。だから幽名をFMKのVTuberにしたいのなら、まずはアイツをオーディションに応募させろ。その上でしっかりと審査をクリア出来るほどの実力を示させてやればいい。そこまでお前がアイツの面倒を見てやれるってなら、この場は俺がなんとかしてやる」


「じゃあ助けてあげて」


 俺が提示した条件に、瑠璃は秒速で答えを出した。

 犬や猫を拾ってくるのとはワケが違うのだが、そこんとこコイツは理解しているのだろうか。

 ともあれ約束は約束だ。

 俺は今まさに警察と電話中のマスターに声を掛ける。


「ヘイ、マスター。取り込み中の所悪いが、あそこのお嬢様の代金は俺が払うことにしたから、その電話は直ぐに切ってやってくれ」


「なんだって――おい、あんた」


「釣りはいらねえ、とっときな」


 カウンターに諭吉を2枚放り投げ、エセアメリカンの店主に背を向けた。

 振り向いた先には透き通るような白い髪のお嬢様がいる。


「また、助けられてしまったようですわね」


 文無し・宿無し・頼る当て無しのお嬢様が、俺に優雅な一礼を向けてきた。

 まったく礼儀がないってわけじゃないんだよな。

 ただ酷く価値観が独特ってだけで……まあ、今はそんなことはどうでもいいか。


「気にすんな。それより、両親と連絡が付かないって言ってたけど、もし行く当てがないならうちの事務所に来ないか? どうやら妹が君を気に入っちゃったらしくてな。もしかしたら食い扶持くらいは自分で稼げるようになるかもしれないぞ」


 なんだか、いかがわしい事務所の勧誘みたいになってしまった。

 自分で言っててこれはヤバイと思ったが、世間知らずのお嬢様は柔らかな笑みを湛えて首を縦に振った。


「それではお言葉に甘えてご厄介になりましょう」


 スカートの端を摘まみ、箱入りのお嬢様は気品あふれる所作で頭を下げる。


「既にご存じのようですが改めまして――わたくしは幽名姫衣。周りのものからは姫様と親し気に呼ばれておりましたので、どうぞそのように呼んで頂ければと存じます」


「初対面で姫様呼びを要求してくるのは、ちょっと位が高すぎて引いちゃった。幽名でもいいか?」


「どうぞ姫様とお気軽に」


 はいを選ばないと進まないRPGのイベントかな?


「じゃあ……姫様、よろしくな。俺のことは代表とでも呼んでくれ」


 こうして一時的ではあるが、幽名姫衣が事務所に居候することになった。

 とりあえずまずは、知らない人に付いて行っちゃいけません、ってことを教えてやった方がいいかもな。

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