冗談みたいな存在

 同じ作業を延々と繰り返していると、人はどんどん感覚がマヒしていって、最終的には物事を正常に判断する機能を喪失する。小説やゲームなどの創作に携わる人間が、作っているうちに自分の作品が本当に面白いのか分からなくなってくる感覚と同じだ。

 面白いという感情も、つまらないと感じる心情も、全ては刺激に反応する心があってこその情動なのであり、その刺激に脳が慣れてしまえば何が良くて何が悪いかなんて判別は不可能になってしまう。

 今の俺がそんな感じだ。


「なんかさ、こう……一周回ってこの人とかスゲー才能の持ち主なんじゃないかって思えてきた」


「どの人? ……って、この人思いっきりボイチェン使った男じゃん。プロフィールにも自分で男って書いちゃってるし」


「逆に有りじゃね?」


「確かにそれで伸びてる個人もいるけど、今回はそういうのじゃないって……。っていうか女性限定の応募なのに一定数男が混じってるの本当になんなの? バカ?」


 瑠璃は苦々しい顔で俺が見つけてきたボイチェンさんを不可に振り分ける。


「じゃあこの人はどうよ。アラビア語しか喋れないみたいなんだけど」


「ないから。ってかアラビア語しか分からないのにどういう経緯で応募してきたのこの人」


「翻訳サイト使って頑張ってフォームの記入欄も全部埋めてきてるんだぜ?」


「努力が涙ぐましいけど需要が偏りすぎてるって、却下」


 ダメかー。

 声は可愛いしイケると思ったんだけどな。何言ってるか分からんかったけど。


「この人はマジで凄いぞ、何せ刑務所の中から応募してきてるからな」


「どうやって!?」


「さあ……」


「獄中VTuebrは危険過ぎだって、せめてシャバに出てからにしてもらってよ」


 まあ継続的な配信とか難しいだろうしアウトか。


「次が本命な。齢90のお婆さんなんだけど」


「含蓄のある話を聞けそうではあるけど色々とキツイって」


「ちなみにこの人は老人ホームから応募してきているらしいな」


「配信環境に難がある人が多すぎる……」


 締め切りまで2週間を切って、総数が2000を超えた応募者の中から、俺が時間を掛けて頑張って発掘してきた人材に、瑠璃が片っ端からNGを出していく。

 なんて手厳しいやつなんだ。


「やれやれ、文句ばかりだな」


「文句しか出ないに決まってるじゃん。お……代表、真面目にやるつもりあるの?」


 真面目なつもりだったのだが、瑠璃には不真面目にやっているように見えたらしい。


「原石見つけたと思ったんだがなぁ」


「本気で言ってるのなら代表の目は必要ないね、私がくり抜いてあげようか」


 冗談はさて置き、長時間事務所に籠って動画を見続けていたせいで、脳が疲れて面白いとつまらないの境界線がぐちゃぐちゃになっているのは確かだ。

 このままでは本物の原石を見逃す可能性だってある。

 一度脳みそをリフレッシュして正常な思考能力を取り戻す必要があるな。


「というわけで休憩するか」


「じゃあ、私も。あ、そうだ、下の喫茶店で何か奢ってよ」


 下の喫茶店とはビルの1FにあるU・S・Aのことだ。

 ここに事務所を構えてから一月近く経つが、実は俺はまだ一回も利用したことがない。外食とかあんましない派なんだよね、俺。

 だがそれを口にすると、また瑠璃に拘りがどうのこうの~と言われそうなので黙っておく。

 とりま、気分転換にはちょうど良さそうなので、喫茶店で休憩することに異論はない。


「七椿も一緒に休憩しないか?」


 無言でキーボードを叩いていた七椿に声を掛けると、ピタリと手を止めて無感情な瞳をこちらに向けて来た。


「今の仕事が片付いたらご一緒させて頂きます。お二人はお先にどうぞ」


 それだけ告げて視線をパソコンのモニターに戻す。

 七椿はオーディションの選考以外にも色々と仕事を振ってある。なので俺や瑠璃の倍以上は忙しい。

 その働きに見合うだけの給料は保障しているが、あまり根を詰めさせ過ぎるのも良くないだろう。もうちょっと俺が頑張らないとな……。


「じゃあ俺と瑠璃は先行ってるから」


「待ってるね、沙羅さん」


 俺が頑張る頑張らないの問題は棚上げしておいて、まずは休憩するために事務所を後にした。


 ■


 事務所を出て階段を下りる。

 エレベーターもあるのだが、2Fから1Fに行くだけなので今回は使わない。

 階段を下りたら一度外に出て、ビルをぐるりと半周すると喫茶店の入り口がある。


「沙羅さんてロボットみたいだよね」


 喫茶店までの短い道中で、瑠璃がボソっと失礼な事を口にした。


 久々のFMK要素が出たな。

 お前のそういう口の悪さでどれだけの人間が傷付いて涙してきたことか。

 本人に悪気がないのが尚更タチが悪い。


「ああいうのはロボットみたい、じゃなくてクールビューティーって言うんだ。言葉一つで随分と印象が変わるもんだぜ勉強になったな」


「なんかそこはかとなく馬鹿にしてない?」


「してないしてない……ん?」


 足を止める。

 喫茶店の入り口近くまで来たのだが、入り口の扉を遮るように人が立っていた。


「――」


 思わず呆然とした。

 目を疑うほどの白く美しい髪。

 ルビーを彷彿とさせる紅く輝く瞳。

 日本人とは到底思えないようなパーツで顔面を構成した絶世の美女。

 その美貌もさることながら、儚げで幽い雰囲気を漂わせた深窓の令嬢が、形の整った綺麗で高い鼻がぶつかりそうになるほどの至近距離で、喫茶店の扉をどういうわけか穴が開くほど見つめ続けていた。


 なんだろうアレは。

 瑠璃と顔を見合わせるが、当たり前だが答えは出てこない。

 白髪赤目の少女は、恐らくは瑠璃と同い年くらいだろうか。

 なんとなく声を掛けづらい浮世離れした雰囲気が出ているが、喫茶店に入るためにはまずは少女に退いてもらわなくてはならない。

 どうしよう。


「あ」


 迷っていると、不意に少女がこちらを向いて声を上げた。

 やべっ、なんだか分らんが目が遭ってしまった。


「そこの方、ちょうどいいところに」


「えっと……もしかして俺に言ってる?」


「わたくし、今とても困っておりますの」


 さらっと質問を無視されたが、どうやら俺に言っているようで間違いないらしい。


「困ってるって何かあったのか?」


 流石にこの状況で困っている理由を聞かないわけにもいかないので聞いてみると、謎のお嬢様は喫茶店の扉を見て本当に困ったように眉根を寄せた。


「扉が……」


「扉が?」


 もしかして建付けが悪くて開かないとかか?

 どんだけオンボロな喫茶店なんだよ。


「ちょっと退いてもらっていいか?」


「はい」


 お嬢様に代わって扉の前に立つ。

 古めかしいオサレなノブを捻って力を込めると、扉はなんの抵抗もなくあっさりと開いた。

 んん?


「開いたけど」


「ありがとうございます、助かりましたわ。それでは御機嫌よう」


 唖然とする俺の横を通り抜けてお嬢様が喫茶店に入っていく。

 ……えぇ、どゆこと?

 

「なんなの今の人?」


 瑠璃も困惑しているようだった。

 扉を開けられなくて困っていたように見えたが、扉そのものに問題があるようには思えなかった。

 謎は深まるばかりだ。


「真相を確かめるべく、我々調査隊はアマゾンの奥地へと足を踏み入れるのだった」


「何言ってんの?」


 お嬢様を追うように喫茶店U・S・Aへと入店する。

 アンティークで落ち着いた雰囲気の古めかしい喫茶店だ。

 しかし何故か店内のBGMはドイツ国歌が流れている。なんで合衆国国歌じゃないんだよ。

 USAという店名にあるまじきBGMにモヤモヤしつつも店内を見渡すと、謎のお嬢様は直ぐに見つかった。

 お嬢様は、今度はカウンター席の椅子の前で棒立ちになっていた。


 一体何が……。

 そう思っていると、またもお嬢様は俺の方へと視線を向けて来た。


「あら、貴方は……先程はありがとうございました」


「ああ、うん。それで今度はどうしたんだ?」


「ええ、はい。困ったことに椅子が……」


「椅子が?」


 どこからどう見ても喫茶店のオサレな椅子だ。

 さっきの扉同様、何もおかしなところはないように見える。

 いや……だが、待てよ、もしかして。


「こういうことか?」


 まさかと思いながらも椅子を引く。

 するとお嬢様はパァっと顔を明るくさせた。


「まぁ、ありがとうございます。感謝の念に堪えませんわ」


 そう言ってお嬢様は、俺が引いた椅子に優雅な動作で当たり前のように腰をかけた。

 それを見て確信する。


 おかしかったのは扉でも椅子でもない。

 この謎のお嬢様そのものだったのだ。


「こ、こいつ――ドアを自分で開けれないし、椅子も自分で引けないタイプの本物のお嬢様だ……!」


「嘘でしょ……こんな冗談みたいな存在が実在してるの……?」


 息抜きのつもりが、とんでもない存在とエンカウントしてしまった。

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