嘘から出た実
それから1週間が過ぎたある日。
起業だのなんだの騒いでいたこともすっかり忘れ、俺は新作のゲームに躍起になって取り組んでいた。
社畜どもが汗水流して働いてる時間にプレイするゲームは格別に面白い気がする。
そんな社会不適合者のような感慨に耽りながら、操作キャラに迫真の屈伸運動をさせて世界の何処かにいる対戦相手に喧嘩を売っていると、不意に玄関のチャイムが鳴り響いた。
「……なんか頼んでたっけ」
最近出不精を発病したので便利な宅配サービスにかかりっきりになっていたが、今は何も注文していなかったはず。
だとすれば来客は時代遅れな紙の新聞の押し売りか、そうでなけりゃ神の押し売りをしてくるお節介な宗教勧誘かなにかだろう。
「ったく、ゲームで忙しいんだから勘弁してくれよ」
居留守を決め込むことにしてゲーム画面に視線を戻した。
ピンポーン!
無視無視。
ピンポーンピンポーン!
シカトだ、シカト。
ピンピンピピピピピピピピピンポーン!
「うるせー!」
鬼のようなピンポンラッシュに根負けして玄関を蹴り開ける。
玄関前には見慣れた顔の女が、膨れっ面で仁王立ちしていた。
「出るの遅い。居留守しようとしてたでしょ」
などと、とんだ言いがかりをしてきたこの女は、何を隠そう俺の妹だ。
「おまっ……何しに来たんだよ、瑠璃」
「なんだっていーじゃん。上がらせて」
「あ、おい」
家主の許可もなく、ズケズケと家に上がり込む我が妹。
見られて困る本やらグッズやらは仕舞ってあるので問題ないが、もう少し配慮ってものを身に付けて欲しい。もう直ぐ高校3年生になるんだからさ。
「お前学校は?」
平日の昼間に私服で一人暮らしの兄貴の元を訪ねてくるとは、一体どういう了見なのか。
問うと瑠璃は「は?」と何故か半ギレの呼吸で俺を睨んできた。
「今日は祝日なんだけど? おにいさぁ……仕事辞めたせいで暦の感覚バグってんじゃない?」
「なん……だと……」
マジかよ。
スマホでカレンダーを確認してみると確かに今日は祝日だった。
まさかの正論ティーを鳩尾に喰らって沈黙する俺を無視して、瑠璃は勝手にベッドに腰掛けて、勝手にテーブルの上のペットボトルに口を付けて喉を潤した。自由かコイツ。
「で?」
瑠璃は威圧気味に一文字だけ発して俺の返答を待つ。
いや「で?」は俺のセリフなんだけど。
何しに来たんだよ。
「飯でもタカリに来たのか? 仕方ねえな、ピザでも頼むか」
「違うから、ピザはご馳走になるけど用件はそれじゃない」
「あー? だったらなんの用事で――」
「VTuberの事務所作るって言ったじゃん! その件について話に来たの!」
「VTuberの事務所……? ああ……」
そういやそんな薄っぺらな嘘を吐いた記憶があるような、ないような。
俺の反応を見た瑠璃は、全世界のジト目マニア垂涎もののお手本のようなジト目で俺を見据えた。
「なに? その、言われるまで忘れてました、みたいな顔」
「俺はいつもこんな顔だろ」
「普段の三割増しでマヌケ面だったけど」
ひでえこと言いやがる。
とはいえ忘れていたのは事実だ。
いや、忘れていたというよりは、面倒だから保留にしておいたという方が正しい。
起業についてあれこれと調べてみたが、手続きやらなんやらが思ったよりも面倒臭そうだったのだ。
まあ金はあるから、その辺りの面倒は専門家的なプロフェッショナルにアウトソーシングすれば解決するのだろうけど、そういうのも全部含めて溜息が出るくらいに怠かったわけだ。
そんな経緯があっての冒頭の怠惰っぷりなのである。
まさか我が妹がこんな直接的な手段で近況を監査しに来るとは思わなんだ。
前の電話の時点でかなり怪しまれていたし、仕方ないと言えば仕方ないのだが。
この件に関しては、突かれると痛いのは俺の方だ。
現在進行形で無職なことを両親に告げ口されないよう、口八丁手八丁で妹を言いくるめて、ピザを食わせてさっさとお帰り願うのが得策だろう。
それからのことは、それから考えるということで。
「まあ、なんだ、忘れてたわけじゃないぞ。事務所設立に向けてしっかりと準備は進んでいるとも」
「へー……どんな感じなの?」
俺の嘘を察知して即座に噛み付いてくると思ったが、意外にも瑠璃は身を乗り出して興味深そうに瞳を瞬かせた。
な、なんなんだ、その反応は。
どういう感情だ。
「どんな感じって言われてもな……」
「器はもう用意してあるの!?」
器とはVのガワのことだ。
VTuberに興味なんてなさそうな瑠璃が、器なんて業界用語を口にしたことに驚きつつ、俺は更なる嘘を重ねるために口先を躍らせる。
「大量に用意してあるぜ」
「ほんと!?」
なにその食いつき方。勿論嘘なんだけど、なんか心がちょっと痛む。
マズいな。そこら辺の用意が皆無だと知れたら、起業自体のやる気を疑われかねない。どうしよう……。
「どんな器なのかちょっと見せてよ」
「それはダメだ。こっちにも守秘義務ってのがあるからな。たとえ実の妹だろうとそこは見せられねえ」
「ケチ」
見せるも何もモノがないからな。
しかし結構しつこく探りを入れてきやがる。
これは相当疑ってるに違いない。
このままだといずれボロが出る。
何とかして話を逸らさなければ。
「そんなことより腹減らないか? ピザ頼むけどお前は何がいい?」
「もう頼んでるけど」
「は?」
ピンポーン。
ピザが届いた。
着払いで。
当然支払いは俺だ。
「なにしてんのお前」
「どうせ頼むつもりだったんでしょ?」
「それはそうだけど」
「じゃあ、食べながら話の続き」
話題の転換に失敗してしまった。
どうやら妹の方が俺より一枚上手だったようだ。
「魂の方はどうなってんの? そっちは流石にまだ決まってないでしょ?」
「ん? ああ……そうだな」
特に否定する意味もないので頷いておく。
魂――すなわちVの中の人も当たり前だが用意出来ているわけがない。
無いものを無いって肯定するのは実に楽な作業だ。
やっぱり嘘は良くないからね。
なんて心にもないことを考える俺の前で、瑠璃がやけに嬉しそうに破顔した。
「そうなんだ、そうだよね! よかったー!」
一体全体何が良かったのか皆目見当が付かないんだが。
謎の安堵に頬を緩める妹は、こうして見ると昔のあどけなさの面影が見え隠れしている。
随分と口悪く捻くれて育ってしまったが、黙っていてくれさえすれば幼き日のままの美少女なのになあ。と、兄として残念に思う次第。
今となっては触れるモノみな傷付けるんじゃないかという性格の悪さになっちまったからな。少なくとも俺視点では。
「あー、そうだな……良かった良かった万々歳。これで誰も泣かない世界になるし、明けない夜はないし、ハンターハンターも連載再開決定だな。さ、というわけでお前はさっさとおうちにおかえり」
「何わけわかんないこと捲し立ててんの? 帰んないし、話はまだ終わってないんだけど」
ちっ、強引に話をまとめて追い出そうとしたが失敗か。
「まだなんか聞きたいことあんのか?」
「聞きたいことっていうかー、お願いしたいことがあるんだけど」
髪の毛の先端を指でくるくると弄びながら、瑠璃は視線を逸らして急にモジモジとし始めた。いつも言いたいことをズバズバと言ってくる妹にしては珍しい反応だ。これはこれで逆に怖い。
どんなトンチキ発言が飛び出してくるのかと身構えていると、やや間を置いてから意を決したように瑠璃が力んだ。
「わ、私さ……VTuberの魂やってみたいんだけど!」
「え? は? 何言ってんのお前?」
「だから! おにいのVTuber事務所に私を入れて欲しいって言ってんの! 勿論スタッフとか裏方じゃなくって、VTuberの中の人として!」
「――――」
絶句した。
まさか瑠璃がVTuberになりたいと思っていたなんて。
全然そういうキャラじゃないじゃん。
ギャルっぽく成長しちゃってるし、どっちかというとオタク文化を嫌悪してそうな見た目をしてるのに。
いや、だがしかし、やはり兄妹というべきなのか。
俺だってちょっとした気の迷いから、一時期だけVとして活動していたわけだし。
どう対応するべきか。
VTuberの事務所を作る準備なんてそもそも本当はしてないのだし、ここは口八丁で瑠璃を説得して丁重にお帰り願うのが良いだろうが、果たして俺が言って大人しく従ってくれるか怪しいもんだ。
なにせ主導権は瑠璃の方にあるのだから。
「あー……もし俺がダメって言ったら諦めてくれんの?」
「その時はお父さんとお母さんに、おにいが今無職だってことチクる。なんか怪しい芸能事務所モドキを作ろうとしてるって言う」
コイツ……。
そんなことをされたら確実に面倒なことになるのは目に見えてる。
いっそのこと高飛びでもして逃げちまおうか。
いや、あの両親のことだ。俺が日本の――世界のどこに逃げようとも必ず見つけてくるだろう。
むしろ逃げたりしたら余計に立場を悪くするだけ。
俺は何も悪いことはしていないのだから、堂々としていればいい。
ただし、やはり無職のままではいられないだろうけれども。
いよいよ退路を断たれたというわけだ。
俺は頭をボリボリと掻いてから、瑠璃の眼を正面から真っすぐに見据えた。
真剣な表情だ。キラキラと瞳が輝いてさえいる。
夢とか目標とか、俺が持っていないものを持っている奴特有のきらめきが見える。
「お前さ……なんでVTuberになりたいの?」
「好きだから」
「それは見るのがじゃなくて?」
「見るのも好きに決まってるじゃん。好きだから自分もなってみたいって思ったの。それって変なことなワケ?」
「いや……変じゃないな」
プロ野球選手の活躍をテレビで見た男の子が、自分もこうなりと思って野球を始めるのとおんなじだ。
好きなものになりたいってのは、誰もが一度は思い描く憧れの未来像。
だけれどいつかは現実に直面して気が付くのだ。
夢は所詮、夢だってことに。
努力は必ずしも報われない。
世の中は平等とは程遠く、輝けるのは、いつの時代だってほんの一握りの成功者のみ。
持たざる者は、そもそもたったの一度のチャンスにさえ恵まれないことだってある。
生まれか、親か、環境か、或いはそれらの不遇を跳ねのけられない自身の力不足が原因か。
なんにせよ、スタート地点が同じでないというだけで、人生という名のゲームは救いようのないクソゲーであり、全人類は生まれつき不平等なレールの上で争うことを定められた、愚かで悲しい動物だっていうことだ。
でも、だけど。
俺には妹の夢を叶えてやれる力がある。
隕石に直撃する確率よりも高い倍率をクリアして手に入れた、10億という金の力が。
俺にはやりたい事が一つもない。
そんな空っぽな俺だからこそ、ぶっちゃけ10億なんて大金、持て余して使い道に困っているというのが本音だ。
だったらそのマネーパワーを、夢はあるけどチャンスに恵まれなくて、燻っている奴らのために使うのは有りなんじゃないだろうか。
例えばそう、VTuberに憧れる、目の前のたった一人の可愛い妹のためとか。
「瑠璃」
「うん」
「聞いて欲しい話がある」
「話って? ていうか返事を聞いてないんだけど」
「まあ聞けよ、大事な話なんだから。それから途中で口を挟まず最後まで聞いてくれ。多分……お前にとって悪い話にはならないはずだ」
最後にそう付け加えると、瑠璃は渋々といった感じだが大人しく口を噤んだ。
俺も居住まいを正して真面目な顔で瑠璃と向き合う。
ここから先は嘘は無しだ。
何故ならコイツには運命共同体になってもらうのだから。
そうして俺は、妹の瑠璃にだけ真実を告げることにした。
宝くじで10億を当てたこと。
だから仕事を辞めたこと。
思い付きでVTuberとしてデビューして失敗したこと。
電話で嘘を吐いたこと。
起業の準備なんて全くこれっぽっちも出来ていなかったこと。
それから――今はちょっとだけ、珍しくやる気になっているということを。
■
数ヵ月後。
ネット上にて新たなる企業VTuberグループのオーディションが開催されることになる。
それが俺と、触れるモノみな傷付けるようなやべえ奴らとの出会いに繋がるのだが、一つだけ先んじて言っておきたいことがある。
金にルーズな女にロクな奴はいない。ということを。
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