覆水は盆に返らないし、吐いた唾は呑めない。

 人生にリセットボタンはないしセーブもロードもない。

 あの時あーしていれば違う結果になったとか、こーしていたら今の自分はないとか、どーしたら成功していたのかとか、やり直しが効かない以上は思い悩むだけ時間の無駄だ。


 とはいえそれでも考えてしまうのが知的生命体である人間のサガなのであって、無駄に時間の有り余ってる俺は完全に思考のドツボに嵌ってしまっていた。

 部屋に篭ってPCで動画を見ていても、考えてもしまうのは先の失敗のことばかり。


「やっぱ個人の力じゃ限界があんのかなあ」


 VTuberは超大雑把に分けると二つの区分が出来る。


 一つは個人勢。

 コイツは呼び名の通り、他の団体などの支援を受けずに個人の力だけで活動するVTuberを指している。Vとして活動していた時の俺はこれに該当した。


 そんでもう一つが企業勢。

 これもそのまんまの意味で企業に管理運営されているVTuberを指す言葉だ。


 現在、個人勢の数は企業勢のそれを凌駕するほどの人数が存在している。が、その中でも成功と言えるほどの活躍をしているのはほんの一握りだけ。ほとんどの個人勢は鳴かず飛ばずでひっそりと消えていくのが現実だ。この間の俺みたいに。


 そして企業勢こそがVTuber界隈の実質的な屋台骨なのだ。

 企業の資金力によるクオリティの高い2D・3Dモデル、同じ企業の事務所に所属するV同士による関係性シナジー、中の人こと魂は元有名配信者だったり声優崩れだったり実力のある人材ばかり。

 企業という肩書きによる社会的な信頼感と、配信者としての活動を円滑に行えるようバックアップしてくれるサポート体制なども忘れてはならない要素と言える。

 勿論企業故の問題点がないわけでもないが、それらを差し引いたとしても今の界隈が企業勢を中心に盛り上がっているという事実だけは、誰が声高に否定したところで覆りようがないことは確かだ。


 そこまで分かっていながら、何故俺が企業勢としてデビューを狙わず個人勢として旗揚げしたのかというと、これは単純に俺が企業勢として迎え入れられるだけの実力を有していなかったからに他ならない。

 VTuberを扱う事務所だって、何も無制限に希望者を受け入れてくれる訳じゃあない。

 企業である以上は採算の取れそうな人材でなければ門前払いを受けて当たり前。それは少し考えれば誰にでも分かること。

 その点、個人勢は活動に必要な最低限の機材やモデルさえ用意出来れば名乗りを上げるのは自由ときた。となると残された道は消去法的にそこしか残っていなかったということになる。


「……いや、個人とか企業とか関係ないか。結局は実力がなけりゃ意味ないってことだしな」


 企業勢になるには実力を示す必要がある。

 個人勢として戦うにも実力が必要。

 金しかないような俺が、金の力に極力頼らずに……なんて安いプライドだけで戦おうと思ったのがそもそもの間違いだったのかもしれない。

 そう考えたら途端に馬鹿馬鹿しくなってきた。


「おもんな……」


 世間ってのは平等には出来ていない。

 頑張りは必ずしも報われないし、どれだけ強く願っても成就されないのが大半だ。

 宝くじで大金を得られるような人間でさえ、本当に欲しいものは何一つ手に入れられない。


「俺は――」


 と、センチメンタルに浸っていると、そんな気分とはお構いなしに、机の上に置いていたスマホが小刻みに震えて喧しく自己主張を始めた。

 着信だ。画面に映る名前を見て、俺は数秒ほど迷ってから渋々と通話に出た。


「もしも『あっ! おにい! 仕事辞めたってマジなの!?』


 うるせー。

 通話口からキャンキャンと吠えてきたのは、高校2年生の……もう直ぐ3年生だったか? まあ、どっちでもいいけど、そこそこ歳の離れた現役JKの妹だった。

 俺が社会人になって一人暮らしを始めてからは疎遠になっていたはずなのだが、どうやら経緯は不明だが俺が無職になったことを嗅ぎ付けてきたらしい。


「誰から聞いた?」


『は? そんなの誰だって良いじゃん、なんで辞めたの?』


 こっちの質問には答える気がないくせに自分からは質問責めにしてくる妹は、なんのつもりなのかよりにもよって仕事を辞めた理由を聞いてきやがった。


 正直に答えるつもりはない。

 宝くじで10億当てたなんて言った日には、ペラペラいらん事しか言わなそうな妹のセルフスピーカーから、光の速さで俺の財布事情が全世界へと流布されることだろう。そうなった場合のトラブルを考えると口が裂けても真実は言えない。今はまだな。


「仕事にやりがいを感じなかったから」


 とりあえず適当な嘘をでっち上げることにした。


『は? そんなキャラじゃないじゃん』


 その『は?』って言うの止めて欲しい。地味に傷付く。


「社会に出て俺も変わったんだよ。やっぱり仕事は楽しくないと駄目だ。やりたいことを仕事にしたいと思ったんだ」


『何言ってんの?』


 何言ってんだろうな。

 なんか自分で言ってて恥ずかしくなってきた。

 だがまあ、間違ったことは言ってない気がする。


「一度しかない人生、楽しくもない仕事に時間の大半を注ぎ込むのは馬鹿らしいとは思わないか?」


『それはまあ……そうかもだけど』


 俺の正論を否定するだけの論理を持ち合わせていないのか、妹は弱々しく同意した。


「そうなんだよ。少なくとも俺はもうこれ以上、好きでもない仕事に時間を割くような真似をしたくなかった。だから仕事を辞めた。文句あるか」


 などと言いくるめを試みてみたものの、こんな話の流れにしてしまえば次に妹が返してくる言葉も決まっているようなものだった。


『じゃあ、おにいがやりたいことってなに?』


「うっ」


 言葉に詰まってしまう。どうやら墓穴を掘ってしまったらしい。


『やっぱ嘘じゃん。どうせ仕事が面倒になっただけでしょ。おにいの性格は私が一番分かってるんだから』


「嘘じゃない」


『じゃあやりたいことがなんなのか教えてよ』


「それは……だな……いいづらい……」


『嘘吐き』


 妹は容赦ないが、嘘を吐いてるのは事実なので反論の余地もなかった。


『とにかく、特に理由もなく仕事を辞めたってことは分かった。お父さんとお母さんにも私から報告しとく』


「あっ、おい!」


 マズイな。

 両親に知られればそれなりに面倒なことになる。

 俺たちの両親は、社会的な地位こそが全て! みたいな古い考え方の人間で、しかもかなり面倒な性格をしてる。

 故にいくら金があるからと言っても、仕事を辞めて無職の息子が居ると知れれば、無遠慮にこちらに干渉してくるのは目に見えている。それは口座残高が10億だろうと100億だろうと変わりがない。あの両親はそういう人らだ。

 だから家族にも極力知られないようにしていたのに……。


 だが俺はサラリーマンに戻るつもりは毛頭ない。金があるのに労働に勤しむのは嫌だ。一度この自堕落な生活を味わってしまったらもう元には戻れないし、戻りたくもない。それだけは俺の数少ない確固たる意志だ。

 どうにかして妹も両親も納得させて黙らせつつ、俺自身は働かなくても済む方策を考えなくてはならない。


 そんな都合の良い方策があるのか……?

 いや、まあ、無くはないか。

 まずは社会的な地位と、俺の自由が保障されれば良い。

 そうだな、こうなったら手段は選んでいられないか。


「実は起業しようと思ってる」


『え?』


 俺が唐突に切り出した言葉に、妹は分かりやすく動揺を示した。


『起業って、会社を自分で作るって意味?』


「そうだ、個人事業主じゃなく法人でだぞ。今の時代、学生だって起業出来るんだ。だったら俺がやったって誰も文句は言わないだろ?」


 起業するということは社長になるということだ。

 一企業の代表取締役ともなれば、たとえ形だけの会社だとしても社会的地位の見栄えは悪くない。それならば前時代的な頭の堅さの俺の親も、そこを理由に俺に口出し出来なくなるはず。


 そして俺の会社となれば、何をしようとも俺の自由。

 つまり、社会的地位を得ながら自由をも得るという一挙両得の結果となるわけだ。


 この結論を導けた時点で、両親への報告云々などは俺に対してなんの拘束力を持たなくなった。

 次に妹がアクションを起こす頃には、俺はあらゆる手を尽くして形だけの企業を作っているだろうからな。

 なんなら都心に本物のオフィスを構えたっていい。

 そのための金ならあるからな、フハハハ。


『おにいが会社なんて……っていうかなんの会社?』


 質問ばかりの妹だな。

 しかし『やりたいことがあって仕事を辞めた』『起業する』と言ってしまった手前、ここで答えを口に出来ないと不信感を与えるだけ。どうせ隠れ蓑に使うだけの会社だし、何でも良いから適当に事業内容をでっち上げるのが得策か。

 さて、どうしたもんか……やりたいこと……やりたいこと、か。


「VTuber……」


『VTuber?』


「あ、ああ……そうだ、VTuberをプロデュースする……アレだ、ネットタレントの事務所みたいなヤツを立ち上げようかな、なんてな」


 電話が掛かってくる直前まで企業勢のことなんて考えていたせいか、それとも俺のVTuberへの未練がそうさせたのか、はたまた後のことなど考えずに口から適当に出まかせを吐いただけなのか。

 いずれにせよ言ってしまった。

 覆水は盆に返らないし、吐いた唾は呑めない。


 或いは、ここが俺にとって本当の意味でのターニングポイントだったのかもしれない。


『ふーん……VTuber……へー……』


 てっきり速攻で馬鹿にしてくると思ったのだが、妹の反応は何故だか少し興味深そうな色合いを含んでいる気がした。


「納得してくれたか?」


『うーん、色々と気になる点はあるけど、一応は、まあ』


「納得してくれたんならそれでいい。悪いけど親父たちにはまだ黙っててくれよ、余計な横槍を入れられたくないからな」


『はいはい、私だっておにいの邪魔をしたかったわけじゃないから言わないよ』


 どうなんだか。

 ともあれそれで満足したのか、妹はあっさりと通話を打ち切ってきた。


「とりあえず起業について調べないとな……」


 呟きとは裏腹に、ベッドに寝転んで目を瞑る。

 Vtuberの事務所ね……我ながら馬鹿げたことを言ってしまったものだ。

 しかしまあ内容はなんであれ、どうせ実体のないゴーストカンパニーになるのだから問題はない。

 本気で取り組むつもりなんて最初からサラサラないのだから。


「寝よ」

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