第3話:ティップオフ

事後報告になったが、実家をリフォームしてシェアハウスにしたと東京の兄貴に連絡すると、すぐに電話がかかってきた。

一人息子が大海県おおうみけんの県境にある大学に通う為に一人暮らしをはじめたが、近隣トラブルがあって新しい下宿先を探しているらしい。ちょうど良いから住ませてやってくれないか?と頼まれた。

ここからなら通っている大学まで、快速電車で30分。そこからバスも出ていて、通えなくもない。それに今は授業も殆どリモートらしい。

「マイケル、助かるよ!息子をよろしくな!」

俺の返事も無しに、2人目の入居者は甥になった。

先日内見に来てすぐに契約をしてくれたキラキラ男子の冬季とうき君は、荷物の搬入は今日だが、入居自体は来月から。繰り上がって初めての入居者が甥になった。身内から始まる俺の新生活。

人生の地味さなら俺は誰にも引けを取らない。

連絡があった次の日に早速内見に来ることになった。兄貴と定期的に連絡は取ってはいるが、冠婚葬祭しか顔も合わせない。えくぼに会うのは小学一年生の初めての運動会に応援に行った後は、両親の葬式で少し顔を合わせた程度だ。

兄貴の一人息子で甥に当たる「新山にいやまえくぼ」は、俺と同じく不憫な名前の持ち主だ。

と、勝手に仲間意識を持っていたが、えくぼは身長が既に180に近い、すらっとした涼しげな青年で、俺の青春時代とは真逆に育っていた。

細い筆で縁取ってさらりと描いたような切れ長の目と同じく唇も薄く、ファッションも韓国のアイドルみたいだ。

一番驚くのは手足の長さ、それに付随する腰の高さだ。これは確実に遺伝子を操作されているとしか思えない。

新山家は代々、身長は高くても170㎝前後と小柄で、足の長さは控えめだ。顔は濃いめのスパイシーな顔で、アンパンマンよりカレーパンマン。だが輪郭はアンパンマンの、無駄にハイブリットだ。俺は一抹の不安が過ぎり、脇に汗をかいた。

本当は兄貴の子供じゃないんじゃないか?

歩き方や声なんかは兄貴そっくりだが、同じ遺伝子を分け合っている筈なのに、共通項が行方不明な部分が目立つ。

秘密裏にNASAが動いたのか?見れば見るほど、えくぼの佇まいは「平成生まれだから」の一言で納得出来ない部分が目につく。平成に生まれようが、昭和の兄貴と義姉、そして新山家の遺伝子が入っている筈だ。

こんな時、母さんは「お母さんのお腹に中にいらないもの置いてきちゃったのかねぇ」なんてお決まりの台詞で笑ったが、事件だろ、それは。

むしろ持って来過ぎだ、胎教に「遠慮」のトピックが必要な時代がきている。

母屋に上がったえくぼは、仏壇に手を合わせ、すぐに正座をといて長い足を畳に伸ばした。

「マイケルおじさん、入居者って他は決まっているの?」

「あぁ、今月中にもう1人内見が入っているのと、来月1人入居が決まっている」

えくぼは「ふうん」と声だけ頷くと、よく街中で見るアウトドアブランドのロゴが入ったトートバッグを肩に掛ける。俺達は母屋を出てシェアハウスに向かった。

母屋の玄関は庭の中心に面している。道路側にある方が出入りし易いし便利だと思うが、そうすると北向きになり「方角が良くない」とじいちゃんが南向きに作るように指示したらしい。だが、離れは何故か玄関が北向きで、庭を挟んで両玄関は向かい合わせになっている。じいちゃんがなぜ急に方角に対する配慮を欠いたのかは、二人が亡くなった今は知る由もない。

だが、道路側から家沿いに少し周らなければならない奥まった玄関になったおかげで、ピンポンダッシュの被害を避けられるメリットはある。

俺達はシェアハウスの玄関で靴を脱ぎ揃え、真新しい共有スペースに入った。ダイニングテーブルと申し訳程度の台所家電はあるし、オール電化だから直ぐにでも住めるようにはなっている。

「荷物はいつ来るんだ?」

「明日、朝から業者が来てくれるから、ここに13時くらいに着く」

「電子ケトル用意し忘れたんだが、さっき言った入居者の人が家に余っているのを持って来てくれるらしい。明日ちょうど荷物の搬入に来るから挨拶しろよ」

「ふうん。男?女?」

「男だよ、28歳だったかな?内見に来たけど明るいキラキラ男子だ。今住んでるマンションが拠点で、たまにここに息抜きに来るんだってよ」

「キラキラ・・・おじさん、今はそんな言葉使わないよ?」

「・・・」

28歳は男子じゃないと、内見の帰りにキラキラ男子にもツッコまれたその傷口に、味方だと思っていた身内が塩を擦り込む。

「おじさんはな、自分の青春時代を誇りに思っているから、その当時の言葉を恥ずかしいなんて思わず使えるんだ」

「拗らせてるんだね。で、その人はどの部屋使うの?」

はっきりものを言うのは良いことだが、俺の世代は言わずに慮れと学んだ時代。この世の何が怖いかって、いつの時代も若さだ。老齢は前から走ってくるから構えられるが、若さは後ろから急に攻撃してくる。

誰かに「私もいつか行く道ですから」と敬って欲しい。

「入って右のこの部屋だ」

「じゃあ俺はその隣の小さい部屋にしよ」

個室の部屋の鍵を開けてやると、えくぼは鼻歌混じりで中に入っていった。個室はベットと作り付けのクローゼット、椅子とテーブル、エアコンだけを完備していて、真新しい壁紙の糊のにおいが鼻をツンと刺激した。えくぼがカーテンを開けると、日差しが白い壁紙に反射して眩しく、俺達は目を細めた。

不意にポケットのスマホが震え、画面を見ると「冬季」と着信画面にでている。噂をすればのキラキラ男子冬季君だ。俺はえくぼを置いて共有スペースに戻り、画面に触れる。

「もしもし」

それを開いた扉から見ていたえくぼが、暇そうに部屋の中でくるくる回りながら小さい声で悪態を吐く。

「通話の初めにもしもしって言うの、うちの父さんだけだと思ってた」

何気なく言ったつもりだろうが、その言葉は俺の気に触った。兄貴と俺は10歳離れている、一緒になんてして欲しくない。

「じゃあ・・・なんて言うんだよ?」

つい、通話中であることを忘れてえくぼを振り返った。

「はい」

「ハイ?欧米か」

俺達の無駄なやり取りに、電話の向こうで冬季君が笑った。まずい、通話中だったと急いでえくぼに背を向ける。

「あ、もしもし?すいません!」

「やっぱもしもしかよ」

えくぼの嫌味に顔をしかめて「はいはい?」とすぐ言い直したら、「ハイは一回」と訂正された。手厳しい。

「おはようございます、マイケルさん!雪永ゆきながです!荷物の搬入のことで管理会社に連絡したら、オーナーに直接してほしいと言われまして」

「私は暇人なので全然大丈夫ですよ。荷物の搬入は明日の午後からとお聞きしてましたが都合でも悪くなりましたか?」

「そうなんです、申し訳ないんですが今からでも大丈夫ですか?」

「え?今からですか?構いませんが・・・」

共有スペースにつけた大きめの掛け時計を見るとまだ10時。荷物を積んで昼過ぎくらいに来るのかな?と思ったら、開けっぱなしの玄関から車のバックの音と重なってタイヤが庭の砂利を踏むカリカリとした小気味良い音が近づく。

「今って今ですか?!」

「はい、今です!」

俺は急いで突っかけにしている近所のスーパーで198円で買ったサンダルを引っ掛けると庭に出た。それを見たえくぼの眉間に皺が寄る。

「何そのサンダル・・・」

「なんでもいいだろ、敷地内で履くんだから」

二人で小突きあっている間にSクラスの黒い国産車が停まり、運転席の扉が開いた。

「マイケルさん、急ですみません!」

よいしょ!っと呟いて庭に降り立った冬季君は、前と違って某有名スポーツブランドの上下黒のスウェット姿にサンダルのラフな姿で、ぐっと気持ちよさそうに伸びをした。ちらっとヘソが見えたのも気にせず、腰に手を当てふうっと長い息を吐く。

その様子におじさん臭さは皆無だ。俺が同じ動きをしたら、十中八九、えくぼに「おじさん臭いのやめて」と言われる。

こんな爽やかな「よいしょ」がこの世に存在しているせいで、世界はおじさんに不公平になるんだ。

助手席の扉も開き、目力が強い屈強な男がぬっと降り立った。

それを見て反射的に後ずさる。俺は臆病で泣き虫、全てを眼力と腕力で捩じ伏せそうなガタイの良い輩は苦手だ。男は目が合うと帽子をとってぺこりと丁寧に頭を下げてくれたが、油断は禁物だ。俺はトランクを開ける冬季君に人が聞こえるギリギリの小声で尋ねた。

「彼はボディガード?」

俺の言葉に「え?」と一旦体格の良い男に視線を移し、笑いながら俺の肩を叩く。

「まさか!ボディガードつける要人がシェアハウスで生活は許されませんよ!」

冬季君の笑い声に慌てて肩を引き寄せ、人差し指をしーっと唇に当てる。お願いだ、声のトーンを合わせてくれ。

「なんか無駄にガタイ良くない?急に大き声出して殴ったりしない?」

「まさか!彼はチームメイトですよ!この後一緒にご飯行くから来ただけです」

なんだ、チームメイトか。テーブルも拳で叩き割ってエビせんみたいにマヨネーズかけて食いそうだけどな。

「無愛想で近寄り難いけど、根は優しくて力持ちです」

そんな昔話に出てくる村一番の怪力男みたいな友達の紹介されてもな。

えくぼは俺たちの会話の切れ間に冬季君の前に出て、白く細い指の手を出した。こんな時に出るプライドの高そうな澄まし顔は血筋だと俺は冷静に思う。

「こんにちは。初めまして。マイケルおじさんの甥の新山えくぼです、明日から入居するので、今後ともよろしくお願いします」

出された手を冬季君は両手で優しく包んで、人懐こい笑顔を浮かべると「綺麗な手ですね」とまずえくぼを褒めた。

「こんにちは。初めまして、来月から入居予定の雪永ゆきなが冬季とうきです。オフの日にたまに利用するので殆どいないけど、ちょこちょこ来るからよろしくね」

「ありがとうございます。雪永って素敵な苗字・・・ですね。ん?なんかそんな名前の人いたような?」

えくぼの動きがはたと止まった。

握った手を冬季君にブンブン振られながら首を捻って考え込む。車にもたれてスマホを触っていた冬季君のチームメイトが、2人を見て笑い出し、釣られるように冬季君も笑い出した。

「そんなに無い名前だよね。多分それ、僕です」

「え?うそ・・・マジで?じゃあ今シーズン中ですか?」

「はい、シーズン真只中です」

「マジで!!!」

えくぼの声が張り詰めて、緊張が空気に乗って俺にも伝わった。

俺は、一人阿呆のように口をぽかんと開け、完全に置いてけぼりになっていた。どっかの会社のCEOじゃないのか?だとしてもえくぼがそれにこんなに興奮するだろうか。流行りのアイドルという感じでもないし、モデルでもない。あれか、インフルエンサーとかいうやつだろうか。

「雪永!あの雪永冬季ですよね?なんか似てるなぁって思ってたんだよ!!!ヤバい!マジでエグいって!!」

握手の手をしっかりと掴んだまま、水揚げされた魚のように口をパクパクしていたえくぼの顔が徐々に赤くなっていく。

「彼はそんなすごいのか?」

全くついていけない俺の素っ頓狂な質問に、弾かれたように顔を上げたえくぼは、首まで真っ赤にして「信じられ無い!」と大声を出した。

「ちょ!おじさん!知らないの?この人有名人!日本のスター!!」

「え?そ、そうなの?何?インフルエンサーとかいうやつ?」

やっと握手の手を離したえくぼは、その手で頭を抱えた。

「プロスポーツ選手だよ?ワールドカップ見なかった?おじさんマジで毎日何見て生きてんの?」

「おま、人をダメ人間みたいに言いやがって!おじさんは毎日自分の人生見つめ直して必死に生きてんの!のんべんだらりとしてる様に見えて、毎日ヒリついてんだからな!!」

「そんなの知らないし!てか、ワールドカップ観た?テレビでやってたじゃん?」

「見たよ?ちょっと。多分、ちょこっとね?俺だって色々ほら、ドラマとかニュースも見るし」

「今の言い方、絶対見てない」

「見た、あれだ外国と戦ってた!」

「そりゃそうだ、ワールドカップだもん!」

熱烈な握手から解放された冬季君はトランクから段ボールを引き寄せながら俺達の会話にくすくすと笑う。

「僕は、マイケルさんがそんな風にとてもおおらかだから助かりましたよ。他のシェアハウスのオーナーさんには丁重に断られてしまったんです。

すんなり契約してくれたのはマイケルさんだけです」

だからあの日、九鬼さんネクタイもしてちょっとソワソワしてたのか。

「セキュリティはマンション程無いし、良くも悪くも有名人だから住人とのトラブルにもなりかねないと。でも僕、マンションは契約したままで少し息抜きしたいだけなんだけどな」

冬季君はガムテープも貼っていない段ボールの蓋を開けて中身を確認し、適当に閉じる。それを後ろから腕を組んでえくぼが見つめる。

「そりゃ断りますよ、だって何かあったら大変だもん。日本の宝だし」

「いやいや、バスケはまだまだマイナースポーツだし、野球に比べたら大したこと無いよ」

2人の会話を聞きながら、俺の脳みそはフル回転しだした。言われてみると何か記憶に引っ掛かる。バスケット選手?雪永・・・今年、暇すぎてチャンネルをザッピングしていた時にチラッと映ったワールドカップのテレビ放送が脳内再生されていく。

コートの中を駆け抜けて切り裂くようにパスを放つ、一際目立つ小柄な選手が思い出される。

「あぁ!!!雪永冬季!!日本代表でワールドカップ出てたあのちっこいポイントガード?!え?こんなに小さいの?!普通の兄ちゃんじゃないか?」

俺の大声にえくぼは何を今更?と鼻白らんだ顔で「そうだよ?気付かないで契約したの?契約書の意味知ってる?」と腕を組んだまま大袈裟にため息を吐いた。

「黙ってたら分かんないよ、特に冬季は」

荷物を運ぶのを手伝いにトランクに近付いた屈強なチームメイトに、冬季君は遠慮なく段ボールを2つ積み上げて持たせた。然りげ無く俺をフォローし、更に重い物を持ってくれる彼は確かに「根は優しくて力持ち」だ。彼の身長はえくぼより高く、190センチはある。腕もがっしりと太く、洋服の上からでも鍛えられた筋肉がわかる。

その半分くらいの腕をした冬季君がトランクに片膝をついて手を伸ばし、奥の荷物を引き寄せた。

「そうなんです、こんなに小さいんですよ、びっくりですよね」

「あ!いや、それは・・・」

思わず叫んでしまった本心がシンプルな悪口になっていた事に気付き、俺は焦ったが、冬季君はいつものこと〜くらいで笑っている。

「いやいやいやいや、あの、ほら、彼があまりにもいい体格してるから余計にそう見えちゃって!パスの代わりに片手でボール破裂させそうじゃん!」

「どんなバスケだ」

「相手にボール奪われるくらいなら、消してしまう的な?」

「そんな奴にパスしません」

「でも、本当にここに住んで大丈夫なんですか?」

えくぼの質問の少し不安そうな響きに、俺は怒涛の速さで気持ちが退き、不安が高波になっていった。

管理会社が入るからと甘え過ぎて、経歴も特に確認しなかったのは俺の落ち度だ。もちろん、彼の経歴は申し分ない。ワールドカップに出場する一流の選手が絶対に悪さをしないとは言い切れないが、そうだからこそ、向こうもトラブルに対しては敏感だ。人気商売だし、地位も名誉もスポンサーも沢山の会社や人や金が自分の周りにある事を理解している。

問題はうちに彼が居る時に彼に何かあったら、俺は一体どうなってしまうんだろう?日本の宝なんだろ?打首にでもされるんだろうか。

彼は小柄だが絶対モテる、なぜならモテない男はモテる男に敏感だ、俺の本能が「モテ」を瞬時に弾き出している。スキャンダルとかないよな?嫉妬に狂って包丁持ったファンとか来たらどう対処すればいいんだ?

俺は素早く玄関の前に立って、汗でびっしょりになった手を開いて制した。

最後の段ボールを抱えた冬季君は「お?」と足を止め、片膝を上げて一旦ダンボールをそこに預けて抱え直すと、顔にかかった前髪をふるふるっと頭を振ってはらった。どんな時も爽やかさと微笑みを絶やさない。

「あ、あのさ、今更こんな事言うのもなんだけど、熱狂的なファンとか来ない?冬季君イケメンだし。おじさん急に不安になってきた」

俺の言葉にえくぼも不安を感じたのか、背後から加勢する。

「そうですよ、こんなセキュリティガバガバのとこで大丈夫ですか?おじさん、おじさんですよ?40過ぎのしがない早期リタイアが最終経歴ですよ?」

いや、思い違いだ、これはシンプルな俺の悪口だ。何で俺はいつも向かう所が敵ばかりなんだ。

「えくぼ、今さりげなく理解あるふりしておじさんを馬鹿にしただろ?おじさんは人生の折り返し地点の大事なシーズン真っ只中なの、ある意味冬季くんと一緒なの」

俺達の会話を黙って聞いていた冬季君は、段ボールをとすっと足元に置いて足を肩幅に開き、腕を組んだ。

「留学中はドミトリーで過ごしてましたし、堂々としてれば案外顔も指さないですよ。もちろん、皆さんに迷惑になりそうになったら早々に退去します。それも含めてシェアハウスを選びました」

真っ直ぐな視線で俺を見つめる。断固として意見を通す意思がビリビリと伝わって俺は気圧されるが、ここはちゃんと確認しておきたい。

「変な女遍歴とか無いよね?」

俺の質問に冬季君は目をパチパチさせ、軽く身を乗り出した。

「無いですよ、なんの心配?え?僕、お付き合いした女性から逃げてここに来たと思われてますか?」

「だって怖いじゃん、入居希望者が昔の好い人とかでも俺、見極められないよ?ファンに手とか出してない?」

「しません。僕から手を出すのはハイタッチと握手くらいです。僕の周りの人間関係って至ってシンプルですよ?」

「本当に?」

「はい」

「・・・・」

「・・・・」

俺達の間をピリリとした沈黙が流れる。

少し前に見たテレビ番組の浮気調査の特集で、行動心理学の専門家の先生が、問い詰められた時に「何でそんな事言うんだよ?」とはぐらかすのは黒だと言っていた。更に沈黙になった時に言い訳をしだすと完全にアウト。

かれこれ2人で1分は見つめ合っているが、冬季君の意思の強さと真っ直ぐな視線の美しさに、やってもない浮気を俺が「やりました」と言ってしまいそうだ。

大丈夫だ、冬季君に嘘はない。

「じゃ、外国の要人とかに遠征先でさ、ちょっと呼ばれたりとかは?・・・アントニオ猪木も北朝鮮に訪問してたじゃん?」

「総理大臣にはお会いした事ありますけど、本当に普通です」

「総理に会うのは普通じゃないよ?!冬季君!?」

「選挙で街頭演説してる」

「あ、それな」

「陛下にお会いした事もあります」

「え?あ!引っかからないぞ!正月に一般参賀やってるもんね!」

「ははは!マイケルさんフェイント引っかからない!」

「俺は臆病だからな!もし俺が魚だったら絶対にルアーに引っかからない自信だけはある!」

「マイケルさんはとても思慮深いんですね。そんな人の方が僕は安心ですし信用しちゃいます」

これぞキラースマイル。と言いたくなる彼の屈託の無さは、少年の面影がまだ残っていた。だが、酸いも甘いも世界も知っている大人の男。サッと段ボールを持ち上げて、するりと俺の脇を抜いて玄関に入ってしまった。

遅れて振り向いたら、勝利を確信した背中が共有スペースに吸い込まれ「わぁ、天窓って明るくて気持ちいいですね!」と段ボールを床に置いて振り向き親指を立てた。

俺は今、とても複雑な心境の波の中にいる。

えくぼの言う通り、セキュリティガバガバの俺のシェアハウスに有名人の彼を住まわせる事に不安しかない。だが、もう契約を交わしてしまったし、彼を説得させる自信も無い。苦手なのだ、自分に自信がある人間が。

喉の奥から聞いたことのないような唸り声が出る。そんな俺の肩をえくぼが呆れながら叩いた。

「で、どうすんの?俺は別に良いけど。ってか、大歓迎。人生でこんな凄い人に近づける事なんて自分にはないと思ってたから」

俺はえくぼの肩を引き寄せ、頭を突き合わせて小声を出した。

「えくぼは彼を知っているだろ?どうなんだ?女癖とか?」

まだそれ?と、肩を落としたえくぼは、スマホを触りながらぶっきらぼうな態度で適当に返した。

「知らないよ、スーパープレーとか、対戦成績くらいしかトレンド入りしないし、俺別にブースターじゃ無いし」

「なんだブースターって?あ、わかった、ポケモンだな?」

「何でだよ!サポーターみたいなやつ!」

「お、おおん、な、なるほどな?専門用語だな?」

「はぁ、冬季さん優しいなぁ。おじさんにイラついたりツッコんだりしないし本当に大人、一流マジ尊敬」

「でもあいつ、俺にフェイントかけてきたぞ?!」

「常套手段。バスケット選手だもん。ファウル誘ってなんぼでしょ」

「スポーツマンシップに則ってない!」

もうこの際だから有名人は諦めるが、俺の心はモヤモヤが少しずつ膨らみだした。思春期の拗らせから解放されるために俺は新しい生活を始めたのに、その根本であるバスケット選手、しかも日本を代表する大物が来てしまった。

自分に蕎麦アレルギーがあるのに、手打ちのざる蕎麦を注文するようなもんだ。生きてきて一度たりとも発動しなかった引きの良さがこんな所で発動するなんて。俺は前世に何かしたんだろうか。

「マイケルさん!」

本格的に前世を疑い出した俺の背中に、爽やかな冬季君の声がする。急いで顔を上げて振り向くと、肩に重機でも乗っけているのかと思う程に屈強なチームメイトの肩から、ひょこっと冬季君が顔を覗かせた。それを見たえくぼが「はぁ」と息を吐きながらしゃがみ込む。

「小さい、あざと可愛い、俺もあぁ言うのやりたい」

「お前がしたらなんか嫌味だな」

諦めついでに嫌味を返すと、左手で顔を覆ったままのえくぼがバッと平手を上げた。「こわいこわい!」と俺は急いで叩かれないように身を捩る。

ふざけている俺達の所に冬季君は合流すると、申し訳なさそうに胸の前で手を揉んだ。

「契約の時点で僕の事ご存知かと思ってましたが、そうでなかったみたいで、お騒がせして申し訳ありません」

悪戯がバレた子犬のみたいに肩を竦め、上目遣いをされるとそれが相手の策略かも知れなくても、俺は良い人ぶってNOと言えない性格だ。

「いいよいいよ、ちゃんと知らなかった俺も良くないし」

「契約続行か、もし迷惑なら1ヶ月だけとかでも大丈夫ですけど」

多分、俺とえくぼの会話を聞いていた屈強なチームメイトに何か言われたんだろう。さっきまでの自信が嘘のように、冬季君は体を窄めた。

俺はそんな彼を見て腹を括る。

今まで嫌なことは避けてばかりの人生だったが、これは神さまが「マイケル、そろそろ拗らせるの本気でやめろよ?」と言っているのかも知れない。もしくは、バスケ大好きな父さんの強い思い。いや、もうここまで大物を召喚したら立派な呪いだ。

「心配無いさ、俺は父さんの呪いを受け入れるよ」

「呪い?」

「いや、君を受け入れる。これからよろしくな!」

「ありがとうございます。マイケルさんの懐深さに本当に助けられてます」

後で知った情報だが、冬季君はリーグ内でも1、2を争う程の「人誑し」で有名だった。少し、解せない。

冬季君の荷物は本当に少なかった。

衣類の入った段ボール、スティッククリーナーに加湿器と空気清浄機と布団。スマホの充電器やらちょっとしたガジェットと、後部座席を占領していた、マックスサイズの人をダメにする事で有名なビーズクッションが1つ。

目にも止まらぬ早業とチームプレーで片付け、冬季君達は颯爽と高級車で去って行った。


次の日、届いたえくぼの荷物を2人で片したが、血を分けた親戚なのに彼等のようにすんなりいかない。チームプレイの凄さは、日々の共同生活もあるが、相手を観察し思いやれること。新山家はその思想を両親の代で枯渇させている。

えくぼの荷物の殆どは洋服や雑誌、ぬいぐるみだった。前に住んでいたのもシェアハウスだったらしく、家電や大きな荷物はない。ダラダラと口喧嘩しながら片付けながら、前のシェアハウスを参考程度に聞いてみた。

「前のシェアハウスってどんな感じだったんだ?」

すると段ボールを開けながらえくぼは少し顔を歪めた。

「もっと広くて部屋数が多かった。人数も多くって色んな経歴の人がいて、それなりに楽しかったよ」

「もっとないのか?ほら、こんなイベントしてたとか、起きがちなアクシデントとか」

「・・・人が多けりゃ、何でも起きるよ、考え方も違うし」

影を落としたえくぼの横顔を見て俺は黙る。そうだ、近隣トラブルがあったと兄貴も言っていた。聞いてやってもいいが、と思って俺が口を開けたと同時にえくぼが話を逸らした。

「あ!おじさん、冬季さんさぁ電子ケトル持ってきてた?」

「え?」

「今晩、疲れたからカップ麺食べようと思うのにキッチンに無いんだけど」

「えぇ・・・鍋で沸かすか、俺のとこに食いに来いよ」

「やだ。あったかいコーヒーもすぐ飲めないじゃん?電話して?持ってきてもらって」

「向こうの好意で持ってきてくれるって言ってるものを催促する電話なんか出来るかよ!」

「おじさんなら出来るよ、失うものなんか何も無いでしょ?」

はい、今すぐ。と言われ、弱い俺は渋々冬季君に電話した。

シェアハウスのコンセプトを「敬老」にすればよかった。後悔は先に立たない。

前にあれば全力で回避できるのに。

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