第2話:アイデンティティ
健康寿命を80年と考えると、俺はもうすぐ折り返す年になる。
残りの半分は、人目を気にせず静かに暮らしたい。都会を離れ静かな片田舎でもう一度やり直すんだ。
俺は仕事を早期退職して実家に引っ越した。
俺の実家は、純和風で敷地がやたらと広い、いかにも農家の家。敷地内には二階建ての母屋と、庭を挟んで向かいに平屋の離れのがある。
母屋は父方の祖父母が2人で住んでいて、俺達兄弟と両親の4人は同じ敷地にある平屋の離れで暮らしていた。俺達兄弟が自立し祖父母が鬼籍に入ると、両親は平家から母屋に引っ越した。
離れは生前の父さんが「マイケルは甲斐性が無いから、家族が出来たらこの離れで住め。孫の面倒も見てやる」と綺麗に残してくれていた。
だが、甲斐性が無さすぎて独身を貫いている俺は、その心配にも及ばなかった。
1人で住むに母屋は広過ぎ、離れの平屋に住むことも考えたが、道路から見ると奥まった離れは、母屋に隠れて見え辛く、郵便屋が来ない。
いちいち張り紙や、不在通知に電話するのも面倒だから結局、母屋に住む事を決めた。
1人ぼちぼちと引越しの荷物を片付けていると、ガンガンガンッ!と直接玄関を叩く音がして「マイケルー!」と声がした。小学校から変わらないスタイルは、幼馴染のみかポンだ。
「インターホンがあるだろう、押せよ。小5男子かお前は」
鍵を開けようとサンダルを引っ掛けた俺に、すりガラス越しの懐かしいシルエットが笑い声に合わせて動く。ちょっと猫背で腰に右手をあて、右に体重移動して立つ癖は学生時代から変わらない。
「ちゃんと押して待ってたぜ?お前が気付かないんだよ」
はて?インターホンの音は俺の耳に届いていない。
「鳴ってねぇよ、インターホン」
「電池かえたか?」
「あ!」
「ドアホンにしろよ、この辺も外からの人が増えて最近ちょっと物騒だから」
我が家のインターホンは古い。昔ながらのスピーカーとボタンしかないタイプで、陽に焼けたカバーのプラスチックも割れてきている。電池の前にインターホンをまず換えないといけない。
鍵を開けてガラガラと引き戸を開けると、あの頃よりちょっと頬がこけた顔に無精髭を生やした、懐かしい顔が笑った。
「久しぶりだな!みかポン!結婚式以来か?」
「あぁ、2回目の?まぁどっちでもいいか。マイケル、太ったんじゃねぇか?」
「みかポンは
元々痩せている方でもなかったが、近頃気になる腹回りを撫でながら促すと、みかポンは嫁が居なくて早く帰るから立ち話でいいと断った。
みかポン地元の農協に就職し大学時代の彼女と結婚した。だが、農協がしている地産地消のスーパーのパートの女の子との浮気がバレて離婚。半年後その子と結婚し、農協を辞めて母方の実家のみかん農園を手伝いがてら、出荷出来ないサイズや傷ものみかんでポン酢を生産し、ネット販売も始めた。
たまに芸能人がローカルバスや路線を使って旅するような番組で紹介されたりもしているらしい。
「これ、うちのジュース」
はい、っと差し出されたエコバックの中から、オレンジジュースの瓶が擦れてカチャカチャ音を立てた。持ち手が何度か縫い直されたエコバックは、近所のスーパーのロゴが入っていてかなり使い込まれている。
「あれ?ジュースも始めたの?ポン酢は?」
「ポン酢だけでやっていけるかよ。ほら、中学で一緒だった田中いるじゃん?あいつが臨海線沿いで洋菓子屋やってんだけど、そこに頼み込んでみかんゼリー作ったり大変だぜ」
「田中?あ、3組の?いつも小指で鼻水拭いてた?」
「いや、3組だけどほらほら、家庭科部の!部長の!」
「あ!あぁ!そんな田中もいたな!」
俺たちの学年は各クラスに1人は絶対配置されるほど田中の多い、田中量産世代だった。ちなみにみかポンの1番目の嫁も田中だった。
「そんな事より、マイケル仕事辞めたって本当か?
「うん、まぁな。色々あってな、俺・・・自分がちょっとわかんなくなってな」
我ながら思春期じみたふわっとした発言だな、と恥ずかしくなったが、みかポンはジュースの瓶を廊下に並べて、エコバックをたたみながら、うんうん、と頷いてくれた。
「あれか、アイデンティティってやつか」
「ま、そんなところだ」
ふーっとため息混じりに返事を返したが、アイデンティティが何かわからない。
人生の要所要所でぶち当たるこの言葉に一度も納得していないまま40歳を迎えた。自分のこともわからなくなっているが、それ以前にアイデンティティがわからない。でも「自分を見失った」「自分探し」に付随してくるこの単語はきっと「自分」のバーターなのかも知れない。
だが、今更言えない。アイデンティティってなんだ?って。
「まぁ、アイデンティティは一旦置いておいて」
急にみかポンはアイデンティティを置き去りにした。こうやって一旦置いて生きてきたから、この年になっても自分に蹴つまずくのかもしれない、早急に理解が必要だ。
「仕事どうすんの?」
「それな」
「1人もんだから焦らなくてもいいけど、まだ人生長いぞ」
「そうなんだよなぁ、勢い余って辞めちまったけど、生きていくにはこの先長いよな」
のんびりした俺の発言にみかポンは暫く黙り、開きっぱなしの玄関から見える平屋の離れを見た。
「本当に自分がわかんなくなってんな、マイケルらしくない。俺の知ってるお前は、見栄っ張りでいつもセカセカして、口ばっかりだけどプライドだけは高かった」
「シンプルな悪口だけは何年経っても変わんねぇな」
「大事にしろよ、こんなに悪いとこはっきり言ってくれる人そうそういないぜ」
「でも俺、たまには褒められたい」
「甘えるな、無職が」
「申し訳ございません」
夕日が沈みきって、ほんのり赤いだけの空。父さんが庭につけたセンサーライトが、体重移動したみかポンの動きを完治してパッと光を灯す。それと同時に何か閃いたみかポンが、パッと俺を振り向いた。
「あの離れ、賃貸で貸したらどうだ?うちの農園も収穫期にアルバイト雇ってんだが、家具付き格安で短期契約で住めるようなとこで共同で住んだりしてるって言ってた。なんだっけ?なんとかハウス」
「あぁ〜あれだ・・・シェアハウス?」
「それそれ!外国人労働者の組合がやってるとことかもあって、安いし即入居出来るから助かるけど、この辺りは少ないから少し不便ってよく聞くんだ。他府県から農業体験で来てくれる人もよくぼやいている」
「なるほどな。家賃収入ってやつか」
「せっかくこんな広い家残してくれたんだ、有効活用しろよ。親父さん、賑やかなの好きだったしな」
地元で住み続けるみかポンが、俺の父さんと交流していたのは、たまにビデオ通話で聞いていた。立派な息子の定義は息子の数だけあるとは思うが、父さんみたいな地域密着型の親父からすると、結婚に失敗しようが、浮気しようが、地域に根付いて土地を守ってくれるみかポンみたいな若者の方がきっと孝行息子なんだろう。
自分の父親の事なのに、俺はすっかり頭から抜け落ちていた。いつも自分で精一杯なんだ。
「あぁ、考えてみるよ。ありがとうな」
「いいって。俺達、幼馴染じゃねぇか」
そこは親友って言って欲しかったな。
その後みかポンは、やたらカッコいいカーキ色の軽トラで颯爽と帰っていった。最近は軽トラもオートマでデザインも色々あるらしい。父さんが乗っていたやたらガチャガチャ切り替える白いミッションの軽トラも、見方を変えればカッコいいが、やっぱりカラーバリエーションには敵わない。俺は外面をすぐ気にする男だ。
みかポンが置いていったジュースを手に取り、ラベルを見ると、子供が描いたであろう謎のみかんに手足が生えた生き物に吹き出しがついていて「ぼくおいしいよ!」と書かれていた。
なんて自己犠牲の精神の強いみかん。
俺も少しは見習おうと、一本開けて一口含んだ。常温のみかんの果汁が俺の口に広がり、懐かしくなる。
そうだ、離れをリノベーションして、シェアハウスとやらをやってみよう。新しい生活、新しい人間関係。勤めていた頃に読んだ自己啓発の本にも書いていた。
人生を変えたければ、まず人付き合いを変えろと。
家賃収入にもなるし、オーナーなるものに一度なってみたかった。
ありがとう、幼馴染。やっぱりお前はちょっと甘くて俺は恵まれている。
片付けも早々に、俺は勇んでシェアハウスについて調べた。
「都市部でないと郊外は単身者が少なくて難しい」「普通の賃貸物件より入居者の距離が近い事もあって管理が大変」など、不穏な回答が多かったが、幸いこの辺りは2駅隣に大学もある。更にここ最近は人の多さに疲れて田舎住まいを選択する移住者も多い。国が拓けてうっかり外国人が来ても管理会社が対応してくれるからどうにでもなりそうだ。
その分、管理会社はかなり慎重に選んだ。みかポンにも時間が合えば同行して欲しいと相談しが「2回目の離婚訴訟で忙しい」と大人な理由で断られてしまった。この前「嫁がいない」と言っていたが、この事だったのか。
結局、元同僚で住宅部門の課長になった山尾に連絡を取って何社か紹介してもらった。
「建物もよく手入れされていて傷みも殆どないですね。日当たりも良い」
5社程回ってやっと決めた管理会社「おひるね」の
トラブル対応などこれから長く世話になるから、同じ年齢で話しやすいと言うのも理由にあるが、彼は家庭を持っていて子供も二人と、俺の描いた妄想みたいな一般家庭を築いている。子供は年子で中学3年生と2年年生、働き盛りである事情に俺は一番安心感を感じた。
若い単身者は移動が多いし、年配だと体調や介護の関係で急に担当が変わる。誰にも起きる止むを得ない事だが、俺はあまり変化を好まないから担当は出来るだけ変わらないで欲しい。
九鬼さんは、タックの入ったチノに白いコットンのシャツを着て、サイドをガッツリ刈り込んだ今時の短いショートカット。
「おひるね」は住みやすさを重視し、主に住宅街でシェアハウスを運営している。社風に合わせてなのか、スタッフはラフな服装が多いが、決して清潔感を損なわないスタンダードさが俺には心地よかった。
ビシッとスーツを着ていると取引先とのあれこれを思い出すし、前に伺った会社はすぐにでもパーティーが始まりそうな、小粋なヒゲの担当者が「マジ、〇〇ッスよ!」と、ティッシュ一枚くらいの軽さで対応してくれた。上司だった頃の俺は、部下のそれに柔軟に対応出来たが、客である俺にその対応は、流石に柔軟になれなかった。
「コンセプトを決めると入居者を集めやすいですよ」
一通り離れを見て周った九鬼さんは、玄関から上がってすぐの10畳のリビングダイニングで足を止めた。九鬼さん曰くここが入居者が皆んなで食事やコミニケーションを取る一番のメイン「共有スペース」になるそうだ。
「コンセプト?」
「はい。例えば「安心の女性専用ハウス」とか、近くにゴルフ場があれば「ゴルフ好きの集まるハウス」とか。簡単に言うとシェアハウスのアイデンティティーですね」
出たな、アイデンティティ。
例えがわかりやすくてピンときたが、後半戦が俺のターンじゃなかったせいで一気に迷宮入りしてしまった。青春時代の切れ端みたいなこの言葉が、まさかのシェアハウスの相談で出てくるとは全く予想していなかった。
やれやれ、人生ってのは本当に油断出来ない。
そもそも使い方はあってんのか?俺は確かにシェアハウスと言う人生を賭けた相談をしているが、そこにアイデンティティは必要か?言葉のリズムと雰囲気で言ってやしないか?
悩める俺を置いて、九鬼さんは手元のタブレットで我が家の資料を確認しだした。
「ここだと駅歩は20分と遠くなるので、広めの個室で家賃を少し高めに設定した方が良さそうですね。部屋も明るくて綺麗、周りも田畑が多く比較的静か。オーナーが同じ敷地内に住んでいるので安心感もありますし、新山さんの人柄も個性的で楽しい。売りに出来るポイントが多いです!
最初は大学が近いので、ドミトリーにして学生向けでまわそうと思ってましたが、比較的収入に余裕があるリモートワークの単身者や、田舎に移住を考えてる夫婦やカップルに貸し出すのはどうでしょう?」
「夫婦やカップルはちょっと・・・」
いきなりの暗雲。同じ敷地に幸せな空気は嫉妬してしまうぞマイケル。俺の脳内警備員が警告ランプを点灯させた。
「家賃を上げて長く住んでもらうのもありですよ!」
管理費が嵩むシェアハウスは稼働率が重要だ。
ドミトリーにして部屋数を増やし、その分家賃を下げ、どんどん回す。もしくは、広めの個室にして居心地を重視し、家賃を上げて長く住んでもらう事が主流らしい。
何にせよ空室は避けろ。そうあちこちで聞いた。
でもドミトリーで安く早く回すのは、その分トラブルが増えそうで、気後れしてしまい、選択肢に入れなかった。
だが、それよりも夫婦や若い男女はもっと無い!人の幸せに敏感な俺が、せっかく一からやり直そうとしているのに、拗らせを振り返してしまう恐れしかない。
上手い言い訳を探して口籠る俺に、九鬼さんはしっかりと間を取った後、思いついた様に人差し指を立てた。
「あ、駐車場の事が気になりますか?そうですよね、この辺りは車があった方が便利だし。ここの庭も2台は駐車出来ますが、新山さんの車がありますしね。
そこで提案ですが、家から徒歩3分の畑を駐車場にするのはどうでしょう?いずれ家族をもつ若い2人に車は必須ですもんね」
そうだよな、そう来る事はさっき予想した。こっちだって伊達に人生拗らせてねぇんだ、その提案は下げさせてもらおう。
「駐車場の案は良いと思いますが、折角庭も広いし、バイク弄りなんかも出来るガレージにしたいな、とか思ってまして」
精一杯の申し訳ない顔で俺は男臭い提案をした。入居者と一緒に無骨な趣味を楽しむナイスガイを押すことでカップルを遠ざける寸法だ。俺の提案に九鬼さんはパッと顔を明るくし、指をパチっと弾いた。全く昭和のリアクションだ。
「そうですね、田舎に移住を考えるカップルは、一緒にカッコいい趣味を持っている人も少なく無いです!多様性の時代にぴったりな素敵な提案ですよ!」
違う、そうじゃない。
九鬼さんはササっともう一度敷地の資料に目を通すと、共有スペースを抜け南向きの部屋に入った。ここは10畳あって日当たりもいい。俺達が住んでいた頃はリビングとして使っていた。そこから裏の畑に出る事も出来る。
「裏の土地も広いんですね」
父さんが母さんの為に、裏の畑の半分に洗濯場を作った。毎朝このサッシから外に洗濯物を干しに出ていた母さんの後ろ姿を思い出す。そんな母さんの想い出映像が九鬼さんの立派な背中と重なり、サッシの鍵が開けられた。カラカラと乾いた音がして、日差しと共に好きにのさ張りまくる草や何か分からん木が視界に入る。
「家庭菜園出来るシェアハウスなんかもいいですね!パートナーがバイクや自然でアクティビティを楽しむ間にのんびりと家庭菜園!」
それな。
「家庭菜園は女性にも人気ですし、土地が広いのでバーベキュー大会や夏は花火も敷地内で安全に出来ていいですよ!2人にいつか子供が出来て、広い家に引っ越しても、素敵な思い出があればまた次を紹介してもらえますし、口コミも高評価でもらえます!」
どうやら九鬼さんは「若い夫婦」「カップル」を押したいようだ。そういった取り組みにこの会社が協力しているのかもしれない。
「家庭菜園が出来るハウスは今女性に人気なんです、旦那さんがいない間のストレス解消ですかね!」
俺のストレスは一才、解消されないがな。
腕を組んで策を練る俺と、サッシから身を乗り出して外を確認する九鬼さんの気配を察知した隣の飼い犬が野太い声で吠えだした。
「あ、お隣わんちゃん飼ってらっしゃるんですね!」
「あぁ、柴犬の・・・」
名前。そう言えば犬の名前を聞いたこと無かったな、隣の奥さんとはたまにスーパーでも会うしよく話すが・・・まぁ何でもいいか、犬だし。
「シバ太だ」
「え?お隣、柴田さんでしたっけ?」
「いや、犬の名前」
「あ、へ・・・へぇ名前は分かり易い方がいいですよね」
わかってなかったじゃねぇか。と、ツッコミを飲み込む。
「あ!ここをドッグランにしてペット可のシェアハウスも良いですね!」
九鬼さんが揚々と俺を振り向いた。それだ!この辺りは犬を飼っている人が多いから鳴き声トラブルも起き難いし、ペットと暮らしたい単身者は多いはずだ!
俺の表情もみるみる希望に満ち溢れる。
「子供の代わりにペットを育てる夫婦やカップルも多いですし、新山さんこれ絶対ウケますよ!」
そこは要らねぇんだよなぁ。
「どの道、半分は入居者の洗濯干し場に整備し直した方がいいですしね。折角の日当たりが勿体無い」
いかん、反撃の狼煙を上げろ、マイケル。このままでは俺の拗らせセカンドライフが始まってしまって、本末転倒になる。
「いや、よく考えたら洗濯干すところに犬いたら嫌じゃ無いですか?毛とか飛ぶし」
「飼ってる方は気にしませんよ。それに部屋干しされる方が多いので、シーツや大型のものを干す際に使われるかと思うので、それ程問題ないですよ」
さすがだ。俺より5枚も6枚も上手過ぎる。それとも俺がチョロいだけなのか?彼女がいた経験はあるが、同棲経験もない俺は、完全に窮地に立った。九鬼さんはもう、カップルモード全開だし俺は焦ってなんも出ない。
俺の狼煙は一瞬で立ち消えた。
「この辺りも若い人が減ってきていますし、小学校も近い、地域振興の一環になりますね」
「九鬼さん」
「農協とも連絡を取って」
「九鬼さん!!」
もう限界だ。
「俺、金に余裕のある単身者を囲い込みたいです・・・」
「え?あ、はい」
無い知恵を絞るより、ドン引きするような素直さの方が閉口させれる事を、俺は学んだ。
無事に意見も通り、前より九鬼さんとの距離が近まった俺のシェアハウスは、10月の半ばにめでたくリフォームを終えた。
玄関は引き戸で広く取り、スロープにした。入ってすぐの共有スペースは大きめのダイニングテーブルと、アイランドのキッチン。部屋は共有スペースを囲む様に、予定通り両脇に6畳の洋室2つと、サッシから裏庭に出れる日当たりも良く、少し安めの4.5畳の洋室が2つの合計4部屋になった。
共有スペースは窓が無くなるから、平家であることを利用して天窓を付け、日中は電気なしでも明るく、電気を消して目を凝らせばまだギリギリ星が見えなくもない、ギリギリのロマンチックさも兼ね備え、何なら俺が住みたい程に仕上がった。
問題だったコンセプトは「徹底的に趣味を楽しむ隠れ家」とした。海も山も近いこの辺りの立地はレジャーに向いているし、元農家の家ならではの無駄に広い敷地を、入居者なら使って良し!更にペットとの生活も応相談と打ち出してもらっている。
入居者の募集も管理会社がSNSで呼びかけてくれるし、俺は一気に暇になったが、募集を出して直ぐに1人内見の予約が入った。幸先のいいスタートだ。
相手はかなり忙しい様で、急だが3日後来る事になった。九鬼さんは俺の予定を気にしてくれたが、全然良い。俺は暇だから逆に有り難い。
3日後、九鬼さんも立ち会って、その青年は出来立てのシェアハウスをキラキラした目で見上げた。
身長は170㎝の俺とほとんど変わらない小柄な青年で、キョロキョロとよく動き、その度にサラサラヘアーが揺れた。俺が高校時代にやった、スポーツ男子の定番、耳の上で切り揃えられたセンター分けヘアだ。顔は目鼻が特別大きい訳でもないが、バランス良く配置されていて、笑うと頬の下に愛嬌たっぷりの笑窪が出来た。
体格や顔が親しみやすいのもあるが、笑いかけられると「こいつ俺のこと好きなんじゃね?」と勘違いしてしまう、独特のオーラがある。
聞けば28歳で、あちこち移動の多い専門職をしているから、セカンドハウスとして仕事を忘れてゆっくりする時にここを使いたいらしい。勤め先は電車で約1時間の大魚市、俺も長く住んだこの辺りのシンボル都市だ。
「私も勤めていた時は大魚の企業でしたよ、大きなアリーナもあるし住みやすいですよね!」
企業生活のステータスが生きるターンが来た1俺は意気揚々と腰に手をあて、大人の風格を出す。
「そうなんですか?あ!じゃあ
「あ、
「そうそう!タレがちょっと独特の辛さで!僕、一時期ハマっちゃって週一で通ってました!一度くらい会ってたかもしれませんね!」
釜山は接待でよく使われる老舗韓国系焼肉屋、そこに週一?ボーナスが入った時だけの俺のご褒美釜山が日常とは。かなりの収益がある若者だ。九鬼さんも俺の対応の時はラフだったのに、今日はキチっとネクタイをしてソワソワと落ち着かないでいる。たまに返す相槌の声も裏返っていて、カッターシャツの脇汗のシミもすごい。
彼は実は財閥の坊ちゃんかCEOか?3日前に電話で簡単に聞いていたが、近くの小学校の下校時間の放送と重なってよく聞こえなかったのだ。
「マイケルさん、アリーナの側で働いてたんですか?」
「近くと言えば近くですが、最寄りは大魚駅の西口でアリーナとは逆でしたね。東口のアリーナ側に行った方が食事処も多いので同僚と行くこともありましたが、一駅隣の小魚駅の高架下が多かったかな」
「そっかぁ。スポーツ観戦はされないんですか?」
「まぁ、テレビで野球くらいは観ますが、現地観戦までは。帰り道が混むのも嫌ですし」
大魚駅周辺はこの辺りの全てのトレンドが集約されていて、特に大魚駅の東口から直結しているアリーナシティの集客はすごい。飲食店やアパレルも充実しているし、天然温泉が出るホテル併設、そしてその奥にラスボスの如く構えているのがチームの拠点「HeavenSアリーナ」だ。
アリーナのある駅の東口は、常にチームカラーの青一色で、選手の横断幕や季節の催しのコスプレをしたポスターが貼り出される。シーズン中はまるでアイドルのおっかけみたいな女の人が、大はしゃぎしながら写真撮影しているのをうんざりしながら眺めていた。営業成績が悪い時なんか、ホーム戦があると混んで迷惑!と嫌味ったらしく聞こえるかどうかくらいの声で言ったこともある。
高架下に行っていたのも、本当はあの辺りで飲んでいると99.9%「マイケル!ジョーダンみたいに一発かましてこいよ」と同僚に茶々を入れられるのが嫌なだけだ。
思い返す度に人として小ささが露見されるな、俺。
それにしてもやたらとアリーナ付近のネタを出すな?さてはバスケファンか?人生を最高させ、キラキラ男子でバスケファン。彼は俺の高校時代の拗らせた眠れる獅子を刺激してくる。
「混むのが苦手でしたら、花火大会なんかも嫌い派でした?毎年ビーチでやってる」
「え?あぁ、花火ってのは遠くから見るもんでしょう、煙いし、音がうるさい」
「わかります!大きい音びっくりしますよね。花火はどこから見ても丸いし、綺麗です。あの花火大会、
「へぇ〜、それは知らなかった、お詳しいですね!地元こっちなんですか?」
「いいえ、僕は東北です。北生まれなのにチビってよくバカにされたんですよ」
「わかる!俺なんかマイケルなのに日本人ってよくバカにされましたよ!」
気が合いますね!と笑って彼は少し背伸びをした。ポンポンと自分の頭を軽く叩いて地面に踵をつけると口角を上げる。
「関係ないですよ。そう生まれたんですから、そう生きるだけですし」
彼の言葉に俺は少し心を刺された。その考え方は40年間俺が探し求めて一度もできなかった考え方だったからだ。
その後彼は部屋に入って5秒で「契約します」と言って更に俺の度肝を抜いた。
俺なら2ヶ月はあちこち見て悩んで問題点をあぶり出し、全ての答えが出揃うまで先送りするだろう。彼はきっと決断力検定があれば即免許皆伝だ。
自分と全く真逆の考え方だが、嫌な気分にならない。新しい人間関係にピッタリではないか。俺はそっと九鬼さんに向けて親指を立てて見せた。
それを見た九鬼さんは、風船の空気が抜けたようにホッとした顔で頷き、青年に契約の説明を始めた。
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