アネモネ
この年の
ランベールはその知らせを聞いた時、言葉を失った。
(国王陛下と王妃殿下が亡くなった……? 信じられん。何かの陰謀ではないか? 王太女殿下は大丈夫であろうか?)
突然の知らせだった為、ランベールの頭は追い付かなかった。
ランベールのように陰謀を疑う者もいた。しかし調査の結果、純然たる事故だと判明した。
間もなくルナは女王として即位した。ルナは全公爵家と主要な侯爵家と伯爵家、そして下級貴族や国民を味方につけていたので、即位を反対されることはなかった。
「「「「「女王陛下、万歳!!」」」」」
即位パレードの際、ルナは高貴で凛とした笑みだった。アメジストの目からは強さが感じられた。
歴代最年少の十五歳。若き女王の誕生である。
しかし、パレードを側で見ていたランベールは少し不安になった。
(王太女殿下、いや、女王陛下は両親を亡くしたばかり……。それでも民を心配させまいと微笑みを浮かべていらっしゃる……)
一国の女王たるもの、私情よりも国や民を優先すべきである。ルナは私情を一切捨てているように見える完璧な笑みだ。完璧であればあるほど、ルナが内側から壊れてしまわないかランベールは心配になった。
その後は目まぐるしい変化の連続だった。ルナは、民の税金の引き下げ、科学技術や知識産業の強化に向けて研究所の設立、ナルフェック王国の強みである農業、製糸産業の更なる強化、王太女時代から続けてきた識字率の向上に向けて六歳から十一歳までの教育費無償の初等教育学校の設立などを行った。長期的な目で見てプラスになる政策が多い。また、ダンマルタン伯爵家当主が人身売買に手を染めたことが明るみになり処刑された。ダンマルタン伯爵家も取り潰しになった。
ランベールもメルクール家次期当主として引き続き父の元で領地経営を学んだり、次期宰相の座を狙い勉強に励む日々だ。
ちなみに、宰相などの重要な役職はまだ代替わりしていない。
ランベールもルナも多忙になり、社交界くらいでしか交流がなくなった。しかしランベールはずっとルナを思い続けていた。
そして二年の歳月が過ぎた。この日はルナと彼女の婚約者シャルルとの結婚式が国を挙げて行われる。
(元々女王陛下とは絶対に結ばれることはないと分かってはいたが……いざあのお方の花嫁姿を見ると辛いものがあるな……)
ランベールは心の中でため息をつく。ズキンと胸が痛む。
シルクをふんだんに使用した純白のドレスを纏うルナ。ルナはいつもより神々しく美しかった。そして彼女の隣にいるのがシャルル。純白のタキシードを着用している。太陽光のように眩しい程のブロンドの髪に、サファイアのような青い目。背丈はランベールとルナより少し高いくらい。そして端正な顔立ちだ。
「あの、ランベール様」
不意に声をかけられた。少し控えめで、小鳥が
ふんわりと甘く可憐な、ベリーの香りがする。
「オルタンス嬢、どうかしたのか?」
「いえ、大したことではないのですが、ランベール様のお召し物に花弁が付いております」
オルタンスはランベールのコートの袖を指差す。赤い花弁が付いていた。ランベールはそれをそっと取る。
「ありがとう、オルタンス嬢。……何の花だろうな?」
「恐らく……アネモネだと思います。お姉様が持っている植物図鑑に載っていた気がします」
オルタンスは記憶を頼りに答えた。
「アネモネ……というのか」
ランベールは手の平の花弁を眺めてフッと笑った。
「ありがとう、オルタンス嬢。君のお陰で一つ知識が増えたよ」
「そんな、とんでもないことでございます」
オルタンスは頬をほんのり赤く染めていた。しかしランベールはそれに気付いていなかった。
ランベールは胸の痛みを抱えたまま、ルナを見つめるのであった。
♚ ♕ ♛ ♔ ♚ ♕ ♛ ♔
ルナがシャルルと結婚して少し経過した。ランベールはルナが少し変化したことに気付いた。ルナの表情が少し変わったのだ。とりわけ、シャルルに向ける表情が柔らかく穏やかな笑みになっていた。ランベールを始めとする他の者には絶対に向けたことがない表情だった。シャルルを見つめるルナのアメジストの目は慈愛に満ちていた。
(王配殿下が女王陛下を変えたのか……)
再びズキンと胸が痛む。ランベールは少し苦しげな表情で、遠くにいるルナを見つめるだけだった。
そんなある日、ランベールは王配シャルルと話す機会があった。
「貴方がランベール殿ですね。ルナ様からお話は伺っております。次期宰相を目指しているとか」
溌剌とした声。人懐っこいが品のある笑み。そして瑞々しく爽やかで弾けるような、柑橘系の香り。
「お初にお目にかかります、王配殿下。いかにも、私がランベール・ブノワ・ド・メルクールでございます。お声がけいただき大変光栄でございます」
「ランベール殿、貴方とは是非お話ししたいと思っていたのですよ。ルナ様は、ランベール殿が仰ったネンガルド王国やアシルス帝国のような寒冷な気温の国と共同で寒さに強い作物を開発する案を高く評価しておりました」
ランベールはシャルルからそれを聞いて表情が少し綻んだ。
以前ルナとナルフェック王国が今後すべきことについて話したことがあった。ナルフェックの食料自給率は現在百二十パーセントを超える高水準だ。それ故に、寒冷で農業分野が弱いネンガルドやアシルスに穀物を輸出している。しかし、冷害や虫害で穀物を始めとする作物が育たなければナルフェックでも飢饉が起こる。そうなれば、ネンガルドやアシルスは更に食糧が手に入らなくなる。現在は二国共ナルフェックと友好関係を結んでいるが、それがずっと続く保証はない。故に、最悪の場合ナルフェックなど食糧が豊富な他国へ侵略して来る可能性もある。ランベールはそれを防ぐ提案をルナにしたのだ。
それがルナに評価されていると知り、ランベールはすっかり気を良くしていた。
「僕もランベール殿の提案に感服いたしました。それと、僕はルナ様の政策に力添えをするだけでなく、この国の文化も作っていきたいと存じているんです。例えば、男性の服装とか。例えば、今僕が付けているカフスボタン」
シャルルはジャケットの袖を少し上げて、中のシャツに付けているカフスボタンをランベールに見せる。現状の、単なる金属製のものとは違い、宝石を使用している。シャルルのカフスボタンはルビーだ。
「宝石を使用したカフスボタンを流行らせることが出来たらと考えています。そこで、この国の貴族令息達に影響を及ぼせるランベール殿のお力を是非お借りしたいと存じているのです」
シャルルのサファイアの目は、情熱に満ちており真っ直ぐランベールの目を見ていた。
「承知いたしました。私でよければ王配殿下にお力添えいたしましょう」
ランベールは気が付くと快く頷いていた。
「ありがとうございます、ランベール殿」
シャルルはキラキラとした、心底嬉しそうな笑みを浮かべた。
(何故だろうか? シャルル・イヴォン・ピエール王配殿下には……不思議な魅力がある。思わず警戒を解いて気を許してしまう。……王配殿下は情熱に溢れる赤い薔薇のようなお方だ)
ランベールはシャルルに対してそう感じていた。再び瑞々しく爽やかで弾けるような、柑橘系の香りに支配された。
♚ ♕ ♛ ♔ ♚ ♕ ♛ ♔
それからしばらくしたある日、視察先でルナが事故に遭い昏睡状態だという情報が流れて来た。
ランベールはその情報を聞いた瞬間頭が真っ白になった。
(女王殿下が……そんな……)
そして次に怒りが湧き上がる。
(何故現場の者は危険箇所の確認を怠ったのだ!? 一体何をしていたのだ!?)
現在ルナは王宮に戻っているが、まだ目を覚ましていない状態だ。
ランベールは急いで王宮へ向かった。
青白い肌で、目を覚まさないルナ。そしてそんな彼女の側に寄り添う夫のシャルル。シャルルも憔悴し切った様子だ。
「ランベール殿……」
シャルルはランベールが来たことに気付いた。
「王配殿下、女王陛下は……」
そこで言葉を詰まらせるランベール。
「ルナ様は……落ちてくる天井から僕を庇ってこうなってしまったのです」
それを聞き、ランベールは目を見開く。一瞬シャルルを責め立ててやりたいと思ったが、憔悴し切った、萎れた赤い薔薇のようなシャルルを見るとそんな思いも萎んでしまった。
「僕はどうなっても構わない。僕の命と引き換えでも構わない。だからルナ様にはどうか目を覚ましていただきたいのです。貴女には……生きていて欲しいのです」
シャルルは目を覚まさないルナの、細く青白い手を握る。その目は真っ直ぐルナを見ていた。どうしてもルナに目覚めて欲しいという思い、そして真っ直ぐなルナへの愛。ランベールはシャルルからそれを感じ取った。
(私は……先に怒りの感情が出てしまった。しかし王配殿下は誰も恨まず、ただ女王陛下への愛故に命を差し出すことも厭わないお方……。到底敵わない……。王配殿下がもっと嫌な奴であればここまで苦しまずに済んだ)
ランベールは瑞々しく爽やかで弾けるような、柑橘系の香りで支配された。
その数日後、ルナが無事に目を覚ました。
ルナはシャルルの隣で穏やかな、幸せそうな笑みを浮かべていた。まるで咲き誇る紫の薔薇のようだ。
(やはり私は王配殿下には敵わない。女王陛下が幸せなのであれば……それでいい)
胸の痛みは完全に消えたわけではないが、ランベールは少しスッキリとしていた。
その傍で、アネモネが静かに咲いていたのだった。
アネモネの花言葉:恋の苦しみ
赤いアネモネの花言葉:君を愛す
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