アスチルベ

 ランベールが十六歳になる年の春。

 ランベールは少し緊張した面持ちで王宮に向かっていた。

 この日は成人デビュタントの儀が行われる。それはその年に十五歳になる貴族令嬢が社交界に出られることを示す場、つまり貴族令嬢の社交界デビューの場だ。

 今年で十五歳になるルナを、ランベールがエスコートすることになったのだ。ちなみに、ルナと同じく今年で十五歳のキトリーは婚約者のマルセルにエスコートされる。

 ルナは紫色の、シルクをふんだんに使った上手物じょうてもののドレスを纏っている。紫は王族の紫ロイヤルパープルと呼ばれ、王族以外は身につけることを許されていない。流行に左右されない、上品なドレスである。ルナは昔からそういったスタイルだった。

 甘美で格調高くエレガントな薔薇の香り。いつものルナの香りだった。

 ランベールはボウ・アンド・スクレープで礼をる。

「ランベール、おたいらになってちょうだい」

 その声は華やかで品があるだけでなく、威厳も感じられた。相変わらずランベールよりほんの少し身長が高いルナである。

「王太女殿下のエスコートが出来ることを光栄に思います」

 これは紛れもないランベールの本心だった。ルナの結婚まで後二年。絶対に叶わぬ恋ではあるが、二年はルナをエスコートしたり、近くにいることが許されている。ランベールは自分の恋心を出さないように抑えていた。

「ではランベール、早速会場までエスコートをお願いするすわ」

 上品かつ王族としての風格のある笑みのルナだった。

 会場に入ると、ランベールとルナは一気に注目を浴びた。王太女と王位継承権を持つ第二の王家とも言われる筆頭公爵家の令息が共にいるからだ。それだけでなく、二人共長身なので目立つ。ランベールは同世代の令息より頭一つ分、ルナは同世代の令嬢より頭一個半程背が高いのだ。

「王太女殿下がメルクール公爵令息にエスコートされて入場したぞ」

「王家とメルクール公爵家は対立していないのね」

 ランベールがルナのエスコート役に選ばれた理由は、王家とメルクール家が友好関係にあることをアピールする為だ。

 国王ルイ・ジルベール・マリレーヌ・アルテュールの祝辞が終わるとダンスが始まる。ランベールはルナを引き立てるようにリードする。誰もが思わず見惚れてしまうほどの華麗なステップ。やはり二人は注目を浴びていた。

「そういえば、最近カロンヌ伯爵家当主が失脚して代替わりしたそうですね」

 ランベールは意味ありげな視線をルナに送る。

「ええ、そうですわね」

 ランベールの言葉にルナは品良く口角を上げる。

「ここ数年で伝統的な保守派の者達や、問題があるが処罰されていない者達が失脚したりしておりますね。それに、取り潰しになった家もございます」

「そうですわね」

 ルナは表情を崩さなかった。

「彼らの失脚や家が取り潰しになる理由とタイミングがあまりにも自然すぎて……逆に不自然だと私は思いましてね。もしかして王太女殿下が何か関わっていたりするのでしょうか?」

「さあ、どうでしょうか。わたくしは#特別なこと__・__#は何もしておりませんわ」

 ルナは美しく、腹の底を読ませないような笑みを浮かべる。ランベールはそれを為政者らしい表情だと感じた。

「左様でございますか」

 ランベールはそれ以上踏み込むのをやめた。

 清廉潔白なだけでは魑魅魍魎ちみもうりょう跋扈ばっこする貴族社会の中で生き残れないのだ。

(美しい薔薇には棘がある。目の前にいる紫の薔薇のような女性は、ただ美しいだけでなく時には狡猾な手段も厭わないのであろう)

 甘美で格調高くエレガントな薔薇の香りが、ランベールを包み込んだ。

 その時、丁度ダンスの曲が終わった。

 ルナは他の貴族達に挨拶回りに行くと言うので、ランベールもそれに付き添うことにする。

「王太女殿下、素敵なドレスをお召しになっておりますね」

「お褒めのお言葉、嬉しいですわ。こちらはジョーヴラン侯爵領のシルクをシャテルロー子爵領で採掘される色付き牡蠣ユイトゥールクルールの貝殻から作られた顔料で染色していますわ。シルクと馴染みやすい顔料ですの。色付き牡蠣ユイトゥールクルールの中身は食材として、貝殻は様々な色がありますから顔料として使用が出来ますので無駄がありませんのよ」

 色付き牡蠣ユイトゥールクルールとは、様々な色をした貝殻を持つ牡蠣である。中身は至って普通の牡蠣だ。

 ルナは次期女王としてナルフェック王国の頂点に君臨する。女王は政治をおこなうだけでなく、流行も作り出さなければならない。

(ジョーヴラン侯爵領のシルクをシャテルロー子爵領で採れる色付き牡蠣ユイトゥールクルールから作られた顔料で染めたドレス。王太女殿下はこれをご婦人やご令嬢の間で流行させるおつもりなのか。……確かに今まで色付きのシルクの需要はあった。しかし、シルクを染めることの出来る顔料はなかった。そしてシャテルロー子爵領にはこれといった特産品がなかった。王太女殿下は二つの課題を一気に解決する道を探し出したのか)

 ランベールは思わず目を見張った。

 話が終わるとルナは他の者に話しかける。

「トゥアール子爵、肺腐病はいふびょうの薬の開発についての進捗はいかがでしょうか?」

 肺腐病とは、その名の通り肺が腐り空気中の酸素を体内に取り入れられなくなる病だ。現在は発症から二、三年で死に至る。

「恐れながら王太女殿下、現在原薬の抽出に成功したところでございます」

「早いペースで進んでおりますわね。流石はトゥアール子爵」

「勿体ないお言葉でございます」

「晶析はいつ頃出来そうですの?」

「今年中を目指しております」

「期待しておりますわ、トゥアール子爵。わたくしも研究室に顔を出す頻度を増やせるようにします」

 ルナは満足そうに微笑んだ。

(肺腐病……。不治の病とされているが、王太女殿下は治療薬の開発も試みているのか)

 ランベールは脱帽する思いだった。

 トゥアール子爵との話が終わると、ルナはまた別の者に声をかける。

「ご機嫌よう、ダンマルタン伯爵」

 ルナは王族らしい気品溢れる笑みだ。

「これはこれは、王太女殿下。お声がけくださり光栄でございます」

「ダンマルタン領はその後いかがでしょうか?」

「はい、可もなく不可もなくと言ったところでございます」

「左様でございますか。しかし、ダンマルタン領にも多くの人がおりますわ。人の労働力というものは、時に金を生み出しますのよ」

 ルナは腹の底を読ませないような、ミステリアスな笑みになった。

(……今のはどのような意図があるのだろうか? ダンマルタン伯爵……これといって目立ったところがない人だが……)

 ランベールは首を傾げた。

 ダンマルタン伯爵との話が終わった後、ルナは相変わらず腹の底を読ませないような笑みでランベールを見る。

「先程のダンマルタン伯爵との会話、ランベールはどう感じたのです?」

「恐れながら、私には王太女殿下の意図が全く読めません」

 ランベールは正直に白状する。

「それなら一旦庭園へ出ましょう。人気ひとけのない場所で答え合わせをしますわ」

 ルナは上品な笑みを浮かべた。

 ルナに連れられて王宮の庭園までやって来た。周囲には誰もいない。少しひんやりとした風が吹き、アスチルベの花を揺らしている。

「王太女殿下、先程のダンマルタン伯爵とのやり取りの意図は、あまり人に聞かせることの出来ないものでございますね」

 ランベールは気になったので口を開いた。

「正解ですわ、ランベール」

 ルナはふふっと品よく微笑む。

「ダンマルタン伯爵はクーデターを起こすつもりですのよ」

 その言葉を聞き、ランベールは零れ落ちそうになるくらい目を大きく見開いた。対してルナは全く表情を崩していない。

「ダンマルタン伯爵家の者は、わたくしの祖母の代からずっとこの国を支配することを考えておりますの。周囲に気付かれぬよう、力を蓄えておりますのよ。ランベールも気付いていなかったでしょう」

 相変わらず上品な笑みのルナ。

「ええ。ダンマルタン伯爵家はこれといった特徴がなかったものですから」

 ランベールはようやく頭が追い付いてきた。

「そうやって隠れていたのですわ。しかし、まだクーデターを起こす資金が足りていない様子。だからわたくしは資金源になるヒントを与えたのです」

「敵のクーデターを手伝うと? ……いや、王太女殿下は先程人の労働力は金を生み出すと仰った」

 そこでランベールはハッと目を見開く。

「まさか……!」

「ええ、そのまさかですわ。このまま上手くことが進めば、ダンマルタン伯爵には人身売買に手を染めてくれるでしょう。そこを摘発すれば、ダンマルタン伯爵家を取り潰すことが出来ますわ」

 ルナは満足そうに微笑んでいる。

 ナルフェック王国では人身売買は固く禁止されている。もしも人身売買に関われば死罪は免れない。その上関わった家ごと取り潰されるのだ。

「相手の欲を煽ることを仰る。確かに、王太女殿下は#特別なこと__・__#をせず政敵を破滅に追いやるのですね」

 ランベールはカロンヌ伯爵家当主やその他保守派の貴族が失脚した原因について腑に落ちた。

わたくしはこの国の為、民の為ならどのような手も使いますわ。ランベール、貴方は国の為にどのようなこともする覚悟はあるかしら?」

 ルナのアメジストの目からは、強さと覚悟が感じられた。甘美で格調高くエレガントな、薔薇の香り。この香りも少し強くなったように感じた。

「私は……」

 ランベールは真っ直ぐルナを見る。

「私は宰相となって、貴女様をお支えしたいと存じます。次期女王陛下である貴女様を」

 宰相となり、ルナに仕えること。それがランベールの最大限のアプローチだ。

(私は王太女殿下のお側にいられるだけで十分だ。それ以上望んではいけない)

 直接的にルナに愛を伝えることは出来ないのだ。ランベールの胸の中の、炎のように燃える想いは行き場をなくしていた。

 再び風が吹き、アスチルベの花が揺れた。



アスチルべの花言葉:消極的なアプローチ

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