黄色いゼラニウム

 二年後。ランベールは十歳になった。ルナへの恋心は健在だ。いずれナルフェックの女王になるルナの側にいたいという思いから、宰相を目指すようになった。これがランベールのルナに対する最大限のアプローチだった。

 そんな春のある日、またキトリーからお茶会の招待があった。社交界デビューの予行演習として定期的に子供達だけのお茶会を開催している。招待されるのはランベールとマルセル、そして時々ルナも加わる。しかし、今回ルナは婚約者のシャルルと会う日だった為、不参加だ。

「今日は紹介したい人がいるんだ。入っておいで」

 キトリーはニッと笑いそう言うと、ゆっくりと扉が開く。

 ふんわりと甘く可憐な、ベリーの香りが漂う。

 部屋に入って来たのはランベールより年下に見える小柄な少女。

 アッシュブロンドの真っ直ぐ伸びた髪にヘーゼルの目。外に出たことがないかのような白い肌。触れたら壊れてしまいそうな儚げな雰囲気だった。髪と目の色以外はキトリーとあまり似ていない。

「彼女は私の妹、オルタンス。私より二つ年下で、今年七歳になる。体が弱くて家族や使用人以外の人と接するのは今日が初めてなんだよ」

「……オルタンス・デルフィーヌ・ド・ヌムールでございます。よろしくお願いします」

 糸よりも細い声。オルタンスは少し緊張してオドオドした様子に見えた。

「キトリー嬢に妹君がいる話は以前聞いたことがあるが……キトリー嬢とはあまり似ていないな」

 ランベールはキトリーとオルタンスを見比べた。

「私はお父様似、オルタンスはお母様似だからね」

 ハハっと笑うキトリー。

 オルタンスは少しモジモジとしていた。

「オルタンス、この二人は私の幼馴染。メルクール公爵令息ランベールとジョーヴラン侯爵令息マルセル。社交界デビュー前の練習がてら挨拶してみるといいよ」

「はい、お姉様。えっと……」

 自信なさげにランベールとマルセルを交互に見るオルタンス。

「オルタンス、ランベールは筆頭公爵家の令息だからカーテシーで礼をる。マルセルは侯爵家の令息だからオルタンスから声をかけるんだよ」

 キトリーは優しげにそう教えた。

 爵位や家格が上の者には、礼を取り話しかけられるのを待つ。下の者には自分から話しかける。これが貴族のマナーだ。

「分かりました、お姉様」

 オルタンスはゆっくりとランベールの前に来て、緊張気味にカーテシーをする。

 再びふんわりと甘く可憐な、ベリーの香りが鼻を掠めた。ピンク色のシクラメンを彷彿とさせる少女だと、ランベールは思った。

「初めまして、オルタンス嬢。ランベール・ブノワ・ド・メルクールだ」

「お声がけありがとうございます、ランベール様」

 オルタンスはホッとした様子で頭を上げた。

 その後、オルタンスはマルセルにも挨拶を終え、お茶会が始まるのであった。

 ランベールはオルタンスの扱い方に少し困っていた。以前の傲慢な態度はもってのほか、キトリーやマルセルに対するような無遠慮な、気軽な態度は取れないと感じた。

 窓辺に飾ってある黄色いゼラニウムが存在感を放っていた。






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 季節は過ぎ、秋になった。幼馴染のキトリーやマルセルからの誘いは相変わらず定期的にある。主にキトリーからの誘いが多いが、時にはマルセルからの誘いもあった。今回はマルセルからだ。過ごしやすい気候になったのでピクニックにでも行かないかと手紙が届いた。キトリーとオルタンスも誘っているようだ。特に断る理由もなかったので、ランベールは行く返事をした。

「ここは空気が良いね、マルセル」

 キトリーは、うーん、と伸びをする。

 ジョーヴラン領は絹の生産が盛んであり、栄えた町と豊かな自然がある。

「ありがとう、キトリー嬢。のんびりするには最適な場所だと思ってね。キトリー嬢もランベール殿も私も将来に向けて色々と勉強しているけれど、たまにはこうやって息抜きも必要だ。それに、オルタンス嬢にとっても空気が綺麗な場所の方がいいだろう」

 マルセルは優しげな笑みだ。

 ランベールはメルクール家次期当主兼宰相になる為に、キトリーは婿を取りヌムール家次期公爵夫人として、マルセルはヌムール家に婿入りすることが決まり、領地経営の勉強をしている。ちなみにキトリーとマルセルはこの年の夏に婚約者同士になった。貴族によくある政略結婚だ。キトリーもマルセルも幼馴染で気心知れているので不満はない。

「ありがとうございます、マルセル様」

 オルタンスはふわりとした笑みを浮かべた。

「確かに、息抜きも必要だな」

 ランベールは口角を上げる。

「久々の羽休めというところか。次期公爵夫人としての教育は息が詰まる。やっぱり私は医学やヌムール家の領地経営をやりたい。ルナが女王として即位したら女性も家督、爵位を継げるように制度を変えてくれるって言ってたけど」

「キトリー嬢、それなら私を傀儡にしても構わないさ」

 マルセルは全てを受け入れたような、包容力のある笑みで言った。

「マルセル殿にはプライドというものがないのか? それに、女性が家督や爵位を継ぐことには反対派の者が多い。特にカロンヌ伯爵がな。……まあ全公爵家と主要な侯爵家、伯爵家を全て味方につけた王太女殿下なら簡単にやってのけそうだが」

 ランベールは二人の会話を聞いてやや呆れ気味になった。

 オルタンスはクスクスと笑っている。

 その後、キトリーは珍しい薬草を見つけたので、マルセルを連れて採集に行った。

 ランベールはオルタンスと二人きりになった。

「オルタンス嬢、体調は大丈夫なのか? 以前キトリーから君は体が弱いと聞いたが」

「ええ、気にかけてくださってありがとうございます。ランベール様」

 ふわりと儚げな笑みのオルタンス。

「こうして外に出て、皆様とピクニックに来られたことを、わたくしはとても嬉しく思います」

 オルタンスはふふっと心底嬉しそうに笑った。

「そうか、それならよかった。オルタンス嬢は普段何をしているのか?」

 オルタンスとあまり関わったことがないランベールは、会話を途切らせないように話題を考えるのであった。会話で女性を楽しませるのも紳士として必要な能力なのだ。

「体調のいい時は、家庭教師からの淑女教育の他に、読書をしたり刺繍や編み物をしたり、ピアノを演奏しております」

 オルタンスは嬉しそうに話し始める。

「ピアノか。ではオルタンス嬢はガーメニーのゲルト・フォルツという作曲家を知っているかな?」

「ええ、存じております。彼が作曲したピアノ協奏曲は今練習しておりますの。それ程有名な方ではございませんのに、知っていらっしゃる方がいらして嬉しいです。ランベール様」

 小鳥が囀るような声で楽しそうに話すオルタンス。

 ランベールはその様子を見て少しホッとした。また同時に、妹が出来たような気分にもなっていた。



黄色いゼラニウムの花言葉:予期せぬ出会い

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