6.4 ここを譲るわけにゃいかねぇよ
何分たったかわからない。非常に長い時間のようにも思えるし、ほんの一分もたってないかもしれない。
時間の感覚を失ったまま玄関先に立ち尽くしていた蒼一は、耳に馴染んだジープのエンジン音と、急制動に反抗するタイヤの悲鳴によって現実に引き戻された。
「遅くなってすまない、蒼ちゃん!」
「桃香……さん?」
運転席から飛び出した桃香は、雨を縫うように二人のもとに駆けより、あたりをうかがう。
「とんでもない瘴気の反応がしたから、なるべく急いできたんだが……現場がどこかはきくまでもないね」
「ごめん、俺も、見たもんが信じられなくて」
「それはいったん置いといて、まずはグロリアを中に入れよう。調子が悪いところすまない、手伝ってくれたまえ」
蒼一と協力して魔法少女を玄関に運び込んだ桃香は、看護師さながらの手際の良さでグロリアの容態を診ながらも、状況の把握と確認を進める。
「気を失ってるけれど、命に別条はない。呼吸も心拍も正常。
熱と混乱が治まらずに動揺を隠せない少年を安心させ、事の顛末を聞き取りにかかった桃香だったが、表情は話が進むごとに険しさを増す。
「蒼ちゃん、君のいう通り、藤乃井くんは魔物化してるとみて間違いないだろう」
「……そう、か」
想い人が瘴気に魅入られたこと自体は、当然ショックではある。それでも、どうにか受け止めることはできた。春からずっとグロリアに帯同してきたし、荒城の件もあったから少なからず免疫もできたつもりでいた。
だが、桃香が明かした推測は、少年の思考をさらなる混迷へと叩き込む。
「問題はここからだ。彼女は瘴気によって変貌したが、それでもなお人の姿を保っていた。それは確かだね?」
「お、おう。翼みてぇなのが生えちまってはいたけど、荒城みたいなことにはなってなかった」
「そうなると――落ち着いてきいてくれたまえ。彼女はたぶん、魔法少女だ」
「は? え、紗夜が?」
「我々に先んじて現場に駆けつけ、現場を制圧して姿を消した正体不明とか、荒城くんのときに乱入してきた黒ずくめのあいつ、覚えてるだろ? 全部が全部じゃないかもしれないけど、彼女がある程度関わっているのは、間違いないと思う」
一足飛びに思える説明に異をとなえようとした蒼一の脳裏で、二つの記憶が交錯する。
夏休み前、魔物となったとなった荒城を一刀のもとに斬り伏せ、力を持って製しようとした黒い剣士。
祭りの夜、揺らめく明かりに照らされて、舞台で剣を振るい舞った巫女。
普段の紗夜を知りすぎたか、あるいは近くにいすぎたゆえか。無意識のうちに排除していた関連性が表出し、さらには次々と疑問を呼び寄せる。
「あいつが魔法少女だとして、なにかまずいことあんのか?」
「魔法少女は御存知の通り、魔法を支配し行使する存在だ。それが魔物に堕ちる。なんとなく想像はつくだろ?」
「……なんか、それ、すげぇヤバいことにきこえんだけど」
「
自分は魔法少女だ、魔法少女と呼べ、とことさらにグロリアが強調していた理由を、蒼一はようやく理解した。
「瘴気が上乗せされるぶん、魔女のほうが魔法の出力で勝るケースがほとんどだ。どんなに練度が高い魔法少女せも、魔女が相手では……たぶん、【救済】は無理だ」
「……オフクロでも、か?」
「あたしの知る限り、魔女を【救済】できた例はない。倒すので精一杯、それも多対一で、だ」
かつて魔法少女として活躍し、前線を退いた今でも仲間を支える桃香の経験と分析は、刃となって
蒼一の身を
それでも、
――紗夜はなにを見た?
門扉から玄関に続くアプローチで、風雨にさらされるままとなった、二つの買い物袋。
玄関扉の鍵穴で揺れる、母の誕生日に贈ったキーケース。
未だ目覚めぬ制服姿のグロリア。
そこまで見れば、熱でぼやけがちな思考でも、なにがあったかの想像くらいはつく。
蒼一が床に伏している今日に限って、紫音はいつものルーティンを崩し、隠れ家に寄ることも
「待ちたまえ、蒼ちゃん」
先程までうなされていたとは信じがたい敏捷さで外出の準備を整える少年に、桃香は当然とばかりに苦言を呈す。
「まさか彼女のところへいく気じゃなかろうね?」
「俺とグロリアが、あいつの思ってるような関係じゃないって、ちゃんと説明しねぇと」
「無理だ。話が通るなんて時期はとうに過ぎてる。あの娘の機嫌次第じゃ、最悪、命を落とすのは君なんだぜ? 君の身に何かあったら、紫音に申し訳がたたない」
「そうかもしんねぇけど、俺もいろんな原因作っちまってるから、ここを譲るわけにゃいかねぇよ」
前に立ちはだかって止めにかかる桃香を、蒼一は力づくで押しのけようとはしなかった。
「お願いします。俺にチャンスをくれませんか?」
確かに、彼は魔女に対抗する術を持ち合わせてはいない。それでも、紗夜と真正面から向き合って、ちゃんと話をしたかった。
「……絶対に、無理はしてくれるなよ、蒼ちゃん」
少年を死地に赴かせるのだけは避けたい、と肩にかけられた桃香の指は想像以上に弱々しく、そっとほどくにも造作はなかった。
蒼一はいつものボディバッグ一つを背負って家を出る。瘴気の存在を声高く伝えつづける借り物の端末をみなくたって、紗夜がどこへ向かったかは想像がつく。
「こっちもグロリアを叩き起こして、すぐにそっちに向かう!」
桃香の言葉に、蒼一は小さく手を挙げるばかりで、振り返ることはない。
頬をピシャリと叩き、ともすれば熱ダレを起こしそうな頭に気合を入れた少年は、やまぬ雨に向かって自転車を漕ぎ出した。
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