4.8 花泉蒼一は、あの日に死んだ
「成績はどうだったの?」
「リトルとシニアあわせて、日本一は三回とった」
「え、すごいじゃない!」
驚嘆する紗夜とは対象的に、蒼一には笑顔がない。
「今になってみりゃ、オフクロが喜んでくれたから続けられたようなもんだったな。監督とかコーチから褒められた記憶、全然ねぇもん。俺たちが教えてんだから勝って当たり前、負けるのは選手がバカで下手なせいくらいにでも思ってたのかもしんねぇな、今振り返ると。試合で勝った次の日も休みなんてないし、下手すりゃダブルとかトリプルヘッダーで練習試合やらされて、そこでずっと投げてた」
「そんなチーム、もう絶滅したと思ってた……。でも強いチームって、控えの選手も多かったりしない?」
「勝ちに執着するチームだったから、レギュラーもほとんど固定でな。入れ替わりがあるのは重い怪我したときくらいだったかな。練習試合も公式戦も、投げんのはだいたい俺だった。関東大会だったかな、ベンチの控えが明るい顔してワイワイやってるチームがいくつかあったけど、内心羨ましくてしょうがなかったの、今でも覚えてる」
マウンドに上がって繰り出すのは、力感あふれる投球動作から繰り出される豪球と斬れ味鋭い変化球。打席に立てば体格を利したパワーで白球をスタンドに叩き込む。時代遅れにもほどがある歪んだワンマンチームの中心で奮闘し続ける蒼一は、幼くしてプロのスカウトからも注目を集めていた。
だが、酷使は成長期の体を静かに蝕んでいた。
「ヤバいって思ったのは中二のとき、全国大会に出るのが決まったくらいだな。そっからはもう、日毎にどんどん痛くなってさ。監督の知り合いに痛み止め処方してもらって、それ打ちながら投げてた。それでも足りないときは飲み薬も使ってた」
他に投げられる人はいなかったのか、なんて問いは成り立たない。彼に並ぶ別の看板が建てられたのなら、運命は変わっていたはずなのだから。
「結局、病院行けたのは、全国で優勝決めたすぐ後でさ。オフクロにもその時バレて泣かれて。医者にもすげぇ怒られた。なんでこんなになるまで投げたんだ、って。即座に地元に帰らされて、有名な先生に手術してもらって、リハビリもやったけど、あとはご存知の通り」
蒼一はゆっくりと右腕を持ち上げてみせるが、肩の高さより上に上がる気配はない。それどころか顔を歪ませるものだから、慌てた紗夜に止められる体たらくだ。
「あの時みたいな
残念ながら、もう野球はできません――
医者にそう告げられたのは、つい一年ほど前。その直後の蒼一の記憶は断片的だ。
「投手がダメなら野手として頑張りたいっていったんだけどさ、認めちゃくんなかったな。俺、全国でもホームラン打ったし、なんならチームの中で一番打点稼いでたのに。投げられないお前に価値なんざないとか、有力校からの引き合いもテメェがぶっ壊れたせいでご破産だとか、いなくなれポンコツとか、そんな感じのこと、散々いわれた」
「……他のチームに移籍するとかは、考えなかった?」
「気持ち、完全に切れちまってさ。野球続けるのも嫌になった」
大好きな野球ができなくなった傷心の蒼一に、同じ釜の飯を食っていたはずのチームメイトが、さらに追い打ちをかけた。
蒼一の活躍におんぶにだっこだったこと、絶対的エースが不在となって以降の成績不振の原因が自分たちにあることを、彼らは頑なに認めなかった。それどころか、怪我に苦しむかつての盟友に罵詈雑言を浴びせかける始末だ。
「コーチたちからなにか吹き込まれたのかもしれねぇな。『今年勝てなかったから、俺達は野球で進学するの諦めなきゃいけない、どう落とし前つけるんだ』ってきたもんだ。それきいたらもう、怒る気力すらどっかいっちまってさ。その後なにがあったかは正直、覚えてない。気がついたら家にいて、顔がすっげぇ腫れてた」
「それって」
「殴られたんだろうけど、記憶、全然ねぇんだよ。体が拒否ってんだと思う」
同情か憐憫か。感情の高まりは、雫となって紗夜の瞳を濡らす。
「チームやめて帰ってきた後にさ、オフクロに頼んで片付けてもらったんだ」
「……何を?」
「野球に関するものほとんど。グローブも、バットも、ユニフォームも、トロフィーも、メダルも、賞状も、集めた雑誌も映像も」
答えはわかりきっているはずなのに問うてしまった後悔は、巫女の表情を重く曇らせ、頬を濡らす。
「ごめんなさい」
「あんたが謝ることなんか、なにもない」
「でも、辛い話をさせちゃって」
「はなすって決めたのは俺自身だし、聞いてくれて感謝してる」
面白くもなんともない、彼の野球人生の顛末。
野球を国技と崇める人々が暮らす国に生まれ、プロ野球選手を父にもち、才能を遺憾なく発揮した少年。そんな彼が、今は野球に極力触れないように生きている。すべて終わったことと割り切ってなお、湧き上がる胸の痛みは止められない。
それでも、紗夜になら――親密になったこの少女になら、どういうわけか打ち明けてもいいと思ったのだ。
「野球できなくなってから、あんまり頼られる自分ってのが想像できなくてな。藤乃井がこうして頼ってくれて、今は充実してる。礼をいうべきは俺の方だ」
重しが少し取れたような安堵を覚えた蒼一とは対照的に、そばに座る紗夜は唇をかみ俯いたままだ。
その涙が止まるまで、少年は何も言わず、小さい背中にそっと手を添え続けた。かつてのように動かない右腕でも、自分のために泣いてくれる少女に寄り添うくらいならできる。
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