4.6 ちょっと提案したいのですが

 夏休みをともに過ごすことになった花泉蒼一と藤乃井紗夜、二人の朝は早い。

 午前七時。急な参道を登ってきた蒼一は、あくびを噛み殺すのに見事失敗している。昼間は紗夜の手伝いと自分のトレーニングに奔走し、帰宅後は勉強か魔法少女グロリアの付き添いに勤しむ、充実した日々の裏返しだ。スマホのアラームだけでは足りず、目覚ましを増やして頑張ってはいるが、姿を見せるのはだいたい集合時間ギリギリ。二の鳥居をくぐる少年を見つけると、上品かつ穏やかな声で挨拶する紗夜とは対象的だ。

 午前中はもっぱら神社の手入れに勤しむ。めいめい手ぬぐいやらタオルやら軍手やらで防御を固め、拝殿と宝物殿の扉を開け放って風を入れると、掃除と並行して建屋と収蔵品の状態を確認するのだ。傷んでいる箇所には処置をしたり、養生して保護したりするけれど、所詮は動画サイトを参考にしながらの素人作業だ。彼らの手に負えない修繕や処分は専門の業者に頼むのだが、見積もりの額を前にして、紗夜は頭を抱える羽目になった。

 唸り、悩む巫女を見た蒼一は、かつて所属していた少年野球チームが助成金を受けていたことを思いだした。カテゴリは違えど、文化財の補修や保存を対象としたものがきっとあるのでは、と一縷の望みをかけて役所へ駆け込んだところ、幸いにも条件に合致しそうな制度を見つけた。以降、二人の日課に役所への申請と書類の準備が加わる。単に神社の手入れの範疇を越えた域にまで、二人のは広がりつつあった。

 二人の活動範囲は屋内にとどまらない。蒼一は掃き掃除を紗夜に任せると、生命力あふれる緑色と取っ組み合いを繰り広げる。中腰のままでの作業が案外足腰に効くせいか、境内もみかけ以上に広く思える。おまけに、天からは陽光、地からは石畳の照り返しが彼にちょっかいを出してくる。紗夜が麦わら帽子を貸してくれたおかげでどうにかしのげているのが正直なところだ。

 とはいえ、自分から仕事を引き受けた以上、暑いだのなんだのこぼしてはいってはいられない。蒼一は黙々と――時々紗夜の方をちらりと見ながら――与えられた仕事に取り組む。可愛い少女と一緒の時間を過ごすという望外の特典は素敵だが、甘い夢想に浸ってばかりもいられない。やるべきことは次から次へと出てくる。

 を振り払うべく、時々自らの頬を張りながら仕事に精を出す少年をみて、紗夜は心配そうな顔をしていた。夏の暑さでどうにかなってしまったんじゃないか、と気をもんでいたのかもしれない。




 そんな二人にとって、昼は特別な時間だ。森をぬける爽やかな風が吹く縁側で、少年少女は並んで弁当をつつく。

 今でこそそこまで照れはないが、紗夜が初めて手製の弁当を差し出したときは、妙な緊張感が漂った。


「お弁当、い、いかがでしょうか?」


 行きがけに買ってくるコンビニ弁当を不憫にでも思ったのか、彼女が蒼一に手渡したのは、ライトブルーのクロスに包まれた大ぶりの弁当箱。その顔は夏のせいにするには赤く、繊細な指先もこころなしか震えているようにみえた。


「……あ、ありがとう。開けてもいいか?」

「ええ、もちろんです」


 年齢相応の修羅場をくぐり抜け、栄光も挫折も味わった蒼一だが、女子の手作り弁当と対面するのは初めてだ。緊張が伝わり、返事もちょっとだけ上ずってしまう。蝉の声も、別の世界にいるのかと思えるくらいに、遠くきこえた。

 二段重ねの弁当箱をあらためる。上段には唐揚げ、だし巻き卵、茹でたブロッコリーにミニトマト、ひじきの煮物といった色とりどりのおかずが、下段にはラップでくるまれたおにぎりと漬物が行儀よく収まっている。


「揚げ物はさすがにできあいですけど……」


 それ以外はすべて手作り、という言外の事実を受け、いただきますと合わせた蒼一の指先がも、改めて正座し直したその背筋も、自然と伸びる。

 親しい間柄なのに、漂う空気は妙に重い。そんな中で箸を手にした少年は、そっとだし巻き卵を切り分け、口に運んだ。


「む……!」


 蒼一が目を見開いた瞬間に走った緊張は、頬のほころびとともに溶けて消える。

 だしの香りも、おにぎりの塩加減も、ひじきの味の染み方も、すべて他所よその家庭の流儀だ。蒼一の体に馴染んだものとは違う。それでも、次の機会が与えられるならいくらでも頭を下げてお願いしたいと思えるくらい、紗夜が作ってくれた弁当は美味かった。

 対面の巫女を安心させるように大仰にうなずきながら、年頃の少年らしい旺盛な食欲が弁当箱を空にするまで、それほどの時間はいらなかった。それを見届けた紗夜は、まるで重圧から開放されたように、安堵の息をつく。


「ありがとう、藤乃井」


 ごちそうさまでした、と手を合わせた蒼一は、胸の底から熱くこみ上げたなにかに思わず目尻を拭う。


「花泉くん、何も泣くことないじゃないですか」

「んなこといったってしょうがねぇだろ」

「量は足りましたか? 花泉くん体おっきいから、もっと食べるかもって心配だったんですけど」

「別に部活やってるわけじゃねぇし、食いすぎると午後眠くなっちまうしな」


 彼女の弁当をきっかけに、二人の会話に残ったままだった一抹のぎこちなさが、徐々に払拭されてゆく。


「花泉くんのご両親って、厳しいかたなんですか?」

「普通、だと思うけど」

「いつも食前食後にちゃんと手を合わせてますし、お箸の使い方もきれいだから、もしかしたらって思っただけです」


 紗夜のなにげない質問に、蒼一は自らを省みた。

 幼い頃に世を去った父の記憶は、正直なところ、ほとんどない。祖父や祖母にいたっては顔も知らず、肉親といえば母親しおんだけ。彼女が行動の規範なのだが。しつけに関して口うるさくいわれたかどうかまでは、記憶が曖昧だ。

 男の自分では思いつかないところまでよく見てるもんだ、と感心していた蒼一だったが、不意に真剣な表情に変わった紗夜を見て、くずしかけた足をもとに戻した。


「ちょっと提案したいのですが」

「どうした、改まって」

「もし……花泉くんさえ良ければ、これからもお弁当を作ってこようと思ってるんですけど」


 少女がややためらいがちに切り出した申し出を断る理由なんて、蒼一にはこれっぽっちもない。

 体格も相まって、どこぞの野武士のように大仰な彼の一礼は、何もそこまで、と相手を慌てさせるほど堂に入ったものだった。


「ぜひ、よろしくお願いします……。ただ、無理はしなくていい」

「自分のついでもあるから、大丈夫です。何かリクエストはありますか? 嫌いなものとかはない?」

「全部おまかせで」

「まかされました。じゃ、ちょっとだけご期待ください」


 紗夜の謙遜は蒼一にとって大いなる楽しみなのだが、このままでは彼女の持ち出しが増える一方だ。


 ――彼女のために、なにかしなければ。

 

 そんな気持ちに後押しされた蒼一は、腰を浮かしかけた紗夜を制して席を立ち、大きな手で二人分の弁当箱をひっつかむと、ちょっとした手伝いから始めることにした。

 いずれにしても、紗夜の手作り弁当によって二人の関係が一歩すすんだのは間違いないところである。

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