3.4 絶対モノにしてみせる

「ねぇ荒城、パーッとやるのはいいけどさ、全部やるってなったら時間も何もかも足んないよ?」

「……そうなんだよな。得るためには、かならずその代償を支払わなければいけない」

「……夏休みの予定って、そういう悩みかたして立てるもんか?」

「むしろ蒼一ちゃんがのほほんとしてられる理由を知りてー」


 日奈の助け舟で調子を取り戻した荒城に無策扱いされ、蒼一は己を顧みる。

 夏、何ができるか、何をしたいのか。今までは野球、あるいは復帰のためのリハビリに明け暮れていればよかったのだが、今年はそれらが一切ない。

 夏って何すりゃいいんだっけ、と密かに戸惑う蒼一をよそに、荒城は腕を組み、がっしりした顎をなでながら夏の予定の候補を絞る。人生最後の食事でも選んでるのか、と疑わせる苦悶の表情だ。


「二つにはどーにか絞れんだけど」

「ロクな理由じゃないだろうけど、一応きいとくわ。なにで悩んでんのさ?」

「海と……プール……」

「アンタ、もうちょっと下心隠しなさいよ……。水着姿を拝みたいって欲望ダダ漏れじゃん」


 悩みに悩んで絞り込んだ二択は、どんぐりの背比べもいいところ。呆れるほかない日奈を前に、荒城は弁明めいた持論を並べる。


「そりゃ見てーさ、水着。だって男だもん。男が夏の水辺に行く理由なんて他に要るかよ? 蒼一を見てみろ! こんな厳しいツラして、内心じゃグロリアちゃんの水着姿を拝みたくてしょうがねーんだ!」

「え、ヤダ、花泉はもっと硬派だと思ってた」

「オトコは一皮剥きゃみんなオオカミなんだよ、コイツだって例外じゃねー」

「無理に水着じゃなくても、なぁ」

「あ? 物足んねーってか? そしたら後はハダカしか残ってねーぞ?」

「花泉、サイッテー」

「バカ、そっちじゃねぇよ! どっちかっつうと、浴衣のほうが好きってだけだ」

「ん、なるほど、一理あるな……さすが蒼一、夏の陽を浴びて揺れる果実よりもほのかに漂う色香を選ぶか……」


 彼と同じ括りにされては溜まったもんじゃない。慌てた蒼一は、何が悲しゅうてグロリアははおやの水着姿を拝まにゃならんのだとだけは言わぬよう気をつけながら反駁はんばくするも、成果は今ひとつだ。荒城と日奈、それぞれ神妙な顔つきでも、方向性がまるで違う。将棋の妙手を見せられたような前者に対し、後者は蒼一の評価をあらためているようにみえる。

 蒼一も荒城も、属す宗派こそ違えど信じる神様は一緒、魅力的な女性とお近づきになってあわよくば一線超えた甘い関係になりたいと願っている――。

 そう悟ったように日奈は一言、


「このスケベどもが」


と小さく吐き捨てた。

 だが、それくらいでは荒城を止められない。ベンチに座ったままの二人の前に立ち、身振り手振りを交えて、朗々と自分の趣味、嗜好、性癖を披露しつづける。


「やっぱ、夏ってーのはイイ季節だな! 朝は制服。制服というだけで素晴らしいけど、夏のそれは格別だ。白いシャツに透けるブラの線に、スカートの下で踊る太もも」

「そういう視線、丸わかりだからやめなさいよね……」


 開演早々、日奈はまずいエサを無理やり食わされた猫のように顔を歪める。身体をかばう仕草は故意か本能かは定かでない。


「昼は水辺。否が応でも露出が増えるってのがたまんねー。揺れる二つの膨らみに、輝く太陽のもとで光る汗。いいニオイがする、絶対に。そーだろ?」


 蒼一の引きつった沈黙も、疑問に満ちた眼差しも、もはや荒城を止めるブレーキとしては機能することはなかった。


「あと夜の浴衣な。宵闇に浮かぶ白いうなじは見てるだけでワクワクする。In the spring time of my lifeだ! 夏だけど!」

「……花泉もさ、浴衣が好きっていってたよね? やっぱおんなじようなコト考えてんの?」

「さすがにここまではねぇよ……」

「脱がすのも趣あっていいよな! 襟の合わせから手を突っ込んで、帯を解く非日常感! 最&高!」


 友人二人の戸惑いをよそに、荒城の妄想はエスカレートする一方。下心で塗り固めた枕草子に名曲の一節を恥じることなくぶち込む始末だ。もはや処置なし、と荒城の矯正を諦めた日奈は、頼みの綱とばかりに、蒼一へ最低限の良識を求めていた。


「アイツはもう帰ってこれそうにないから、花泉はせめて、今のままでいてね」

「………努力はするけど」

「グロリアはああいうのも受け流せそうな感じするけど、お紗夜は今どき珍しく純な子だからさ。荒城あいつの毒牙から、アタシたちで守ってやんないと」


 刻一刻と闇の色が深くなり、虫の羽音に似たノイズと共に街の明かりが灯ってなお、荒城の弁舌は冴え渡る。どうしてそこで藤乃井が、という蒼一の問いかけは、坊主頭の勢いに押されて結実しなかった。


「よし決めた。グロリアちゃんを花火に誘おう。オレは、そこで、男になる! 蒼一、協力しろ!」

「なんで俺が」

「あのコと一番仲がいいの、どう見たってオメーじゃねーか」

「まあ、お兄さんに似てるってだけで、あそこまで懐かれるかなって気はするよね……。つーか荒城、アンタのゲスな下心なんて、あの娘はとっくにお見通しだと思うけど?」


 蒼一の背中に、つっと冷や汗が垂れる。

 本来の目的――学校近辺に現れては消える瘴気と魔物の反応を追う――もあって、蒼一とグロリアは何かと一緒に行動することが多い。

 そのうえ、彼女は折に触れて蒼一へしてくる。時に称賛を求める視線を、またある時は親愛のアクションを蒼一へよこすのだ。「お母さんもなかなかやるでしょ」という主張なのだが、同級生たちからみれば秋波ながしめにしか見えない。隠しごとが同級生の勘違いを生む構図は今もなお続いている。


「譲んねーぞ!」

「はぁ?」

「オメーがどう思ってようが関係ねー、土下座しようが泣いて頼もうが知らねー、グロリアちゃんは俺のもんだ!」


 仁王立ちしてこちらを指差し、宣戦布告してみせる荒城を前に、蒼一はなぜか申し訳ない気持ちに駆られていた。

 荒城の気持ちが徹頭徹尾理解できないわけではない。グロリア本人に直接伝えることはないだけで、魅力的なのは認めるところだ。本人にその気はなくとも、言葉で、仕草で、表情で、立ち振舞で、そしてスタイルで、男子生徒の心を揺さぶる。もし仮に、彼女が自分の母親でなかったら、蒼一も友人たちに混じって熱を上げていたかもしれない。

 だが、現実は違う。

 グロリアの正体は、高校生の息子を持つ母親しおんだ。男子生徒たちに向ける眼差しは、子どもたちを見守るそれと同質。でも、少年たちはそれに気づけない。

 筆頭は熱弁やまぬ坊主頭だ。彼らがどれほどの熱量と劣情をぶつけたとて、グロリアしおんなびくことはありえないはず。母を信じていないわけではないが、万が一紫音がことになれば間違いなくグレるだろうし、同級生が義父おとうさんになるくらいなら死んだほうがマシ、と蒼一は内心思っている。

 そんな少年の隣で、日奈は変わらず身を守るように腕を組み、柳眉を逆立てて荒城を睨みつける。その箴言しんげんは舌鋒鋭く、虚しく響く十八時のチャイムくらいではかき消せないほど容赦がない。


「グロリアがからむと周りみえなくなんの、どうにかしなさいよ、荒城。みっともない。さんざフラれてるんだからいい加減諦めろ」

「うるせー、お前にモテない男の気持ちがわかるか!」


 モテないから見境がなくなるのか、あるいはその逆か。

 日奈の言葉に、蒼一は異論を挟まなかった。下心やスケベ心は隠せなくも、蒼一たちに気分転換の誘いをかけ、言葉が過ぎれば詫びを入れられる。荒城勇はそんな正しい心根の持ち主のはずだが、今の彼は完全に、守ってきたはずの一線を踏み外していた。


「絶対モノにしてみせる、邪魔されたって関係ねー、アレはオレのもんだ」


 たじろぐ蒼一と日奈の目の前で、荒城の顔が激情に赤く染まる。こめかみに走る血管は目に見えて強く脈動し、裂けんばかりに見開かれたまぶたからは血走った眼球が飛び出そうだ。


「あのやわらけー肌も、スイカみてーにぶら下がった乳も、くびれた腰もケツも何もかもむしゃぶり尽くして犯して汚して――」


 噛み合わせた歯をむき出しにし、唸るように口にした直後――荒城は潰れるように膝を折り、その場にうずくまった。

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