第2話
長かった始業式が終わり、落ち武者のようにのそのそと移動する。長時間座っていたせいか、階段を上る足元はおぼつかなかった。
いくら今日が普段より新鮮と言えど、この雰囲気を味わうのは三度目。登校したての時の生き生きとした感情は無くなって、普段通りのメンタリティに戻っていた。
教室に戻り早々と解散となったところで、ふとドアの方に目をやれば、沢山の生徒が川の流れのように一方向に進んでいるのが確認できた。あまりの人流の多さにため息をついたら、空いてから行こう、と今度は時計の針を読み取る。
まだ、正午過ぎ。規定の下校時間まではあと20分程余裕がある。廊下はあんな様子だったし、少し校内をブラブラしようかな。
ブレザーの両ポケットに手を入れて、小生意気な雰囲気で廊下を闊歩する。傍らちらちらと他クラスを覗きながら、各々の情調の推測も兼ねていた。
二隣にあるクラス、今朝のエイリアンさんのクラスではなにやら集合写真を撮っている様で、中腰の片柳はギリギリのところで身体を保ち、早く終われとでも言いたげに口角を震わせる。
─パシャッ
並んでいる人達がぐったりと身体を丸める。カメラを構えていた先生は、にっこりと笑ってオーケーサインを左手で作った。
「どう?今年のクラスは。」
「まあまあ!うるさいクラスになりそうだよ〜」
「お前がいるクラスは、どこもうるさいけどな。」
「うるさいっ!」
左肩にタックルを食う。いくらさっきより人通りが少なくなったからって、廊下で格闘技を行うのはほとほと勘弁して欲しいものだ。お陰様で今朝の努力の面影は微塵も残っていないのだから。
ただこの適当さが、日常に戻ったことへの表れな様な気もして、振り解き切れなかったことも事実であった。
のんびりと廊下で話をしていると、何となく目に入った時計が下校時間の12時半を指し示していることに気づいた。焦ってリュックを背負い、下校を促す教師陣に急かされて、小走りで昇降口から下へ降る。
風光るこの季節の暖かさに相反して、せかせかしている学校を後にすれば、私の身体はすっかり陽春に包まれてしまっていた。桜が咲いていなくとも、この列島は全身全霊で季節を伝え歩いてくれる。なんと律儀な気候だろうか。
対する片柳は、歩きながら手元のパスケースを神妙そうな顔でなにやら凝視している。
「どうした?」
「いや……。」
「うーん、壊れちゃったかなあ。」
「どれどれ、ちょっとかしてみんさい。」
渡されたパスケースを見てみると、ケースとチェーンを繋ぐ金具部分と布部分が引っかかり、ケースが破れてしまっている。中のカードが剥き出しで、とてもじゃないが修復不可能な様子だった。
「あ、死。」
「え、だめかな。」
「破れちゃってるからなあ、どうしてこうなったん?」
「いやあ、朝駅ではしゃぎ過ぎちゃってさ。フラフラしてたら壊しちゃった。」
「えぇ……。」
ヘラヘラしながら受け答えをする片柳。相変わらずの緩みっぱなしの口元が、普段よりも溶けているように見えた。
「クソォお!!!お気に入りだったのにぃ…。」
「もっと身の回りに気を遣えよ。」
「違うよぉ!なんか知らないけどそうなっちゃうの!」
「この前もなんか壊してなかったっけ。」
「あれはぁ、事故!」
「でもまあいいや!あーたらしいの買おうかなぁ。」
「ん〜、あぁ、やっぱ悲しいかも…。」
「どっちだよ。」
春の気温のようにコロコロと情緒が変わる。隣のこいつの周りを指の額縁で縁取ってみれば、喜劇の一幕にすら見えてきた。粗悪な劇だが。
しかしそもそもこの女がこの様子なのは今に始まった事ではない。古今東西いつでもどこでもこの調子なのだ。むしろこうではない彼女を私は知らないに等しいと言えるだろう。
繊細のようで図太く、気にしているようで気にしていない、ぼさっとした雰囲気。ただおおらかに見えても頑固で、口では悩みを溢していても、大概自分の中では答えは決まっていることがほとんど。ふざけた態度でぼんやり振る舞いながら、その内に秘められたデザイアは誰よりも多く、話している相手に自身の欲求を満たしてもらおうと試行錯誤している。大体は空振りになってしまうが、まあめげずに続けているようだ。
例を挙げればこういうものに近いだろう。服屋で服を選ぶ際、結局のところ選びたいものは決まっているけれど、自身の考えに承認欲求が働き、どっちがいい?としおらしげに聞く人のような。
この場合は、“もう新しいパスケースを買っちゃいなさいな”という一言待ちなんだろうが、しょうもない癪に触ってしまったので、天邪鬼になってやろうと思ってしまった。
「まあ、新しい布かなんか買って、この形に貼り付ければ直るんじゃない。」
「えぇ、でも面倒だよ。」
「じゃあ同じやつ買ってくればいいんじゃない。お気に入りなんでしょ。」
「んん、それもなんか違う…。」
「いっそ財布に入れとけば?パスケースも財布もあんまり変わらないわよ。」
「やだー!カード専用なのが好きなの!」
「……駅で新しいの買うか。」
「うん!!!」
「流石!わかってるねぇお前は!」
わかってるんじゃ無くて、わからされてるんだろ。という言葉が喉まで上がってきたが、ぐっと飲み込んで寒さ残る枯木道を歩む足を速めた。やはりこんな日常は理想的とは言えないのかもしれない。妥協も大切だろうか。
アンニュイな君へ のじま @noji_kaki
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