アンニュイな君へ
のじま
第1話
リュックサックの艶、革靴の硬さ、制服の真新しさ。まだ揃えたばかりの前髪は、私の意思に反して右にうねる。せっかくだから、って早く起きたのに。
4月3日朝7時14分。うん、それでもいい開張だ。
今日は中学3年生になる始業式。柄にもなく髪型を気にして、冬眠していた制服に言われもない初々しさを感じた。どうせ面子が変わるわけでもないのに、やはり物事のはじめは気合いが入るものなのだ。
朝食はおにぎりにお味噌汁、いつもないはずの目玉焼き。母も気合いが入っているのかと、食卓の太陽を潰す。羿になった気分で。
一歩家から踏み出すと、春を抱っこした風が私を吹きつける。やはり前髪なんて気にしたって意味がなかった。
最寄りから3駅の所にある駅に着く。人を押しのけながら改札に向かうと、随分と体が細長く、それであってえらく見知った顔が、キョロキョロと辺りを見渡していた。多分、というより確実に私を探している。
その人物は、私を見つけるやいなや、軽快なステップで急速に接近し、こんな一言を放った。
「うわーーー!」
耳障りな煩い声。ただでさえ朝の弱い自分が身を削って早起きしたというのに、世界は私を労りもしないのか。
「ぅるさい。」
「おはよーん。おははh」
「なんでそんな声が出るんだよ、訳分からんわ。しかも朝だし。」
「そんな声ってどんな声ぇ?いつもの声だし!」
「……。」
SF映画顔負けの奇声を発したそのエイリアンは、私の右腕に左腕をからませて腕を組んでくる。そして今度はミュージカル映画のような足取りで、駅の外へ誘導しようとしてきた。
この酔狂者の名前は片柳。私の最たる友人で、今日はこの駅で待ち合わせの後、共に登校する約束をしていた。が、あの声を聞いて、こんな約束を取り付けた往時の自分に唾を吐きたくなった。
けれど出会って5年余、この人と居て最後まで苦しい思いをするようなことは殆どなかった。詰まるところ仲良しなのだ。
駅通路の両脇には、鉄道会社の旅行案内板。キャッチーな謳い文句に、美しい景色の写真がズラリと並んでいる。その内の1枚に、一際目立つ湘南海岸の島があった。
江ノ島、あの江ノ島。海軟風と神奈川南西部特有の荒れた音が入り乱れるあの場所は、私たちにとって思い出に詰まった場所だった。
去年の初夏の記憶が蘇る。緻密に計画を立てて、2人で行った小旅行。慣れない土地を肩寄せながら探検し、自分たちが中学2年生であるという優越感と緊張感に板挟みされながら歩いたあの島は、思春期少女の脳裏にメモリーを焼き付けるには充分すぎる役柄だった。ややセンチメンタルな気持ちでパネルを横切ったところで、呼応したように片柳が言う。
「今年はどこにいく?夏。」
そう聞くべきでしょ?と言わんばかりに顔を見下ろしてくる彼女。その見立ては100点だ。
「どうしようかね。」
「もっと遠出もいいと思うんだ。」
「遠出。例えば?」
「島とか。神津島とかさ。」
「ハードル高いよ。」
「えぇ、夢があるじゃん。」
候補を挙げながら1歩1歩構内を進んで行く。
神津島、行きたいなあと思いながら、私はその不便さと昨年とのキャラ被り感を否めないでいた。
「他、他になんかないの?」
「他かあ、うーん。」
「あ!テラリーランド、テラリーランドでしょ!」
「え、テラリーランド?」
テラリーランドと言えば、言わずもがなの超有名テーマパークだ。学生、社会人、家族連れまでもが網羅できるような、とてつもなく身近な遊び場。気軽に行けるという訳ではないが、行ったことがない人の方が少ないだろう。
ただ、こいつからそんな場所が候補に挙がるとは予想外だった。誰かとオーバーラップしたり、流行りに乗ることに対していつも怪訝そうにしていたこの女が、ここまでありきたりな所を示すとは。
ちょうど目の前にいた女子高生らしい人が、カバンにテラリーランドキャラクターのぬいぐるみを付けている。ピンク色で可憐な容姿をしたそれは、私の意識をほんの少し引き付けた。
この際、テラリーランドに行くのも良いかもしれない。私自身テラリーランドに行ったことが少なければ、最近新エリアも開発されたとついこの間小耳に挟んだし。それに費用はかかれど、無理に辺鄙な場所に行くよりはよっぽど手軽だろうから。
「いいね、テラリーランド。行きたいかも。」
「えぇー!やっぱそうだよね、行きたいよね!」
「絶対良いって言うと思ったんだ!可愛い写真もいっぱい撮れそうだし、私乗りたいアトラクションある!」
「あとねあとね、変な顔のマカロン!なんだっけ、えっと、なんとかなんとかズ?っていうキャラクターなんだけど…。」
急に片柳の口が回りはじめる。欲しいものを買ってもらった子供のように破顔して、いかに自分がテラリーランドに行きたいか、嬉しそうにプレゼンをしていた。次第に体もフラフラと揺れていって、歩きにくいったらありゃしない。
最初からテラリーランドにする気満々だったのか。それならそうと言えばいいのに、昔から芥子粒程度の顔色伺いをするのは変わらない。
新学期の学校は、いつにも増して活気づいて賑わっていた。言を俟たないことだなと思いながらも、心の片隅ではこの殷賑な空間を密かに楽しんでいる自分がいることがわかっていた。
昇降口に入っていって、置かれた衝立を見る。自分と隣の奴の分を確認した後も、まだ探している風にクラス名簿表を凝視していた。
3分ほど経過して、今年のクラスは良さそうだな、と勝手に解釈してから靴を履き替えようと上がり框の方を向き、別段新しくない上履きを取り出す。雑に靴を床に落とせば、毎朝聞いていたタッタッという落下音に安心感を覚えた。
慣れた足取りで長い廊下を歩きながら、片柳と新しい学期について談笑する。彼女は別のクラスになったが、なにぶん小さな学校のため特に気にすることもなかった。少人数制の学校の良さは、こういうところも含むのだろう。
教室の前についてそれぞれ別れれば、新しいドアを潜る。プール前のシャワーの下に入るような、少し胸がざわつく感覚。今日からまた学校が始まるんだという複雑な気持ちを背負いながら、重た軽いリュックサックを下ろした。
「やほー。」
「やっほー。」
気の抜けた会話を学友と繰り広げること十数分、さっき潜ったドアから見慣れない顔の男性が入ってきた。灰色のスーツに大股な歩き方。筋肉質だが太い訳ではなく、齢50といったところだろうか。厳格そうな顔つきで、教卓から目線を右から左へと動かして、うんうんと2回頷いた後ぱんっと手と手を合わせた。
「はい、おはようございます。」
はじめの時の印象と違い、柔和な声で喋るその人。今年から私のクラスの担任をするそうで、始業式が始まるまで自己紹介をしていた。その間じっと先生の顔を見つめながら、頭ではこれから始動する1年のことを考える。
今年はどんな年になるだろうか。なにか悪いことが起きたりするのだろうか。それとも良いことが起きるのだろうか。勉強への志や、恋愛への熱い期待。そんなものはないけれど、面白いことは起きたら良いな、と軽薄な願望を膨らませていた。
今季の桜は遅咲きで、窓から見える裸の桜木は寒そうにしている。換気のために開けている隙間からは、ヒューヒューと今朝私を邪魔だてした春風が鳴いていた。その声は凍える木々達の必死な喝采の如く、密かに頑張る自然の奮闘歌が、この学校全体を包み込んでいる様だった。
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