友達と信頼。
雨音響くリビングにて。
とん、とん、とん、と窓枠を叩く音が聞こえる。今は少し雨が弱まっているのか、激しい水の流れは聞こえなかった。
窓ガラスを伝う雨粒の川。幾筋も幾筋も、消えては現われを繰り返す。
空を覆う雨雲は太陽光を遮り、朝だと言うのに夕刻のような雰囲気を醸し出している。
ぼうっと、優理は降りしきる雨を眺めていた。
「ミサキ……パパは、なにをしているの」
「優理様は黄昏れているのでございます」
「たそがれ……」
「はい。カッコつけたいお年頃、なのでございます」
「そうなんだ……」
「男性の見栄を快く受け止めるのも、女の度量にございますよ」
「……うん。パパのぜんぶ、受け止めるよ」
後ろで好きに言われているが優理は気にしない。今は他に考えるべきことがある。
アヤメのこと。アヤメのこと、アヤメのこと……。
昨日から続いてアヤメのことしか考えていない――わけではない。
今朝、メイドお手製の朝食を摂った後、携帯を見て友人の香理菜から"妹保護したよー"と連絡が来ていることに気づいた。
その妹とやらはアヤメだった。
優理がやるべきことは一つ、さっさと香理菜に会いに行ってアヤメと話をする。それだけ。でも……。
「……はぁ」
童貞が未だ童貞の所以。この男、優柔不断につき。
溜め息を一つ。優理は友人へ「実は僕、男だったのさ。ハハハ!」と伝えるかどうかで悩んでいた。いや、伝えるのは確定だ。香理菜はもうこのトラブルに巻き込まれている。アヤメとの接触後放置するのはリスクが高い。単純に優理への人質として有効なのもまずい。
だから男カミングアウトは必要。これは決定事項だ。
「……しかし?」
しかし言わなくていい可能性も? あったりするのでは?
言わなくていいならちょっと勇気足りないし言いたくないなぁと思う優柔不断男である。
しかしもあったりもしない。言う必要しかない。わかり切っている答えにうじうじ悩んでしまっている二十歳、童貞。
そんな男の"御可愛らしい姿"を見た自称メイドと、"何か迷っているパパの後ろ姿"を見た自称娘は。
「「――」」
アイコンタクトを交わし、二人無言で頷く。そのままじゃんけんを始めた。一発勝負、勝者は黒ではなく灰色の美人だった。
片や口元をニッコリさせ、片やがくりと膝から崩れ落ちる。無駄に演技力の高い実咲だった。誰も見ていない場所で打ちひしがれるメイドである。自分に酔うことで定評がある女だ。
「パパ」
「ソニャ……」
だらしなく緩んでいた口元を引き締め、ソニャは優理の隣に立つ。
「わたしには、パパがなにに悩んでいるのかわからないよ」
「……独特な悩みだからね」
「そうだね。……でも、パパ」
「うん」
「……ともだちは……信じるのがあたりまえ、でしょ?」
「――それは」
たかが友達にそんな重い言葉は当てはまらないとか、友達程度とか。思うことはある。けれど、純粋なソニャの眼差しに優理は何も言い返せなかった。それに……。
「わたしのロディの仲間は……みんな家族みたいなものだったけど、ともだちもたぶん……変わらない、よね」
「……そうかも、しれないね」
それに、優理にとっての友達は"ただの"なんて言葉到底付けられない大事なものだった。
浅いわけがない。隠し事をしているとわかったうえで、仮面を被って偽っていると知ったうえで、それでも"友達だ!"と言い切ってくれる、かけがえのない友人だ。
モカも、香理菜も。
優理にとってはこの世界でできた、薄くも細くもない大きな繋がり。あの二人を信じるのはそれこそ……。
「"当たり前"、だね。うん。友達を信じるのは当たり前だ。ソニャ、ありがとう」
「むふふ……えへへ、パパ、わたし、いいこと言ったかな」
「うん。すごいアドバイスだった。ありがとうね、ソニャ」
「むふ、むふふ……どういたしまして、だよ。パパ」
ソニャがふにゃんと緩んだ顔をしている。かなり嬉しかったのか、口元だけでなく表情全体がふにゃふにゃしていた。撫でてほしそうな雰囲気をしていたので存分に撫でてあげる。
「むふむふー」
なんだか人懐っこい大型動物を愛でている気分だ。その実、人間の女性で、しかも結構な美人だが。十歳だけど。
何はともあれソニャのおかげで覚悟も決まった。ようやくだ。友達なんだし信じよう。わかってくれる。モカは後回し。先に香理菜だ。時間をかけたらまたやる気勇気もなくなってしまうだろうし、さっさと行動に移そう。
黄昏れるのはやめて、もう一人の同居人に話そうと優理は振り返る。
「……何してるんですか?」
振り向き、見つけたのはメイドだった。正確には逆立ちしてこちらを見つめているメイド。しかも真顔。あと、実咲はスカートを穿いていたので普通にパンツが見えていた。太ももの白さが艶めかしく、付け根を覆う純白のパンティは綺麗な三角形を生み出していた。メイドと言えば白ショーツ、よくわかっているなこの女、とドキドキしながらも変な上から目線の童貞である。
どうでもいいが、ショーツ=ショートパンツの略だと優理は女装をしてから初めて知った。
「逆立ちにございますよ」
「そうですか。パンツ見えてますよ」
「お触りになりますか?」
「……いいえ」
「うふふ♡ 今迷われましたね♡」
「そりゃ実咲さんだって」
「敬語を」
「あ、うん。実咲だって同じこと言われたら迷うでしょ」
「私奴は迷いません。何故なら、迷わず頷くからにございます」
「……迷わず触る、の間違いでは?」
「あぁ! うふふ、私奴のことわかっておられますね。これはもう心が通じ合っていると言っても過言ではありません。それすなわち、身体も繋がれとの主の思し召し……♡」
「神様がめっちゃ怒りそうな言いようですね」
「? 神様ではなく、私奴の"主"は優理様にございますよ?」
「僕の意志!?」
「うふふふ♡ はいっ♡」
メイドの思考回路が理解できない。このメイド、変態だ。今さらだった。最初からずっと変態だった……。
「……なんでもいいけど、逆立ちやめなって。恥じらいが足りないよ。ハグしてあげるから」
「――参ります」
「い、勢いよく飛びついて良いとは言ってない……」
「ですが衝撃は相殺致しましたよ?」
「どんな技術だ。や、確かに衝撃はなかったけど……」
「代わりに柔らかく心地良い感触がある♡……と申されるのですね♡」
「……はいぎゅー。はい終わり。話するよ」
「うふふふ、はいっ♡」
時間をかけたやり取りを経て、クッションに座る。隣に座る許可を与えると一瞬で両サイドを奪われるので、今回は二人とも正面に座ってもらった。
ソニャはだらけて実咲に膝枕されており、わざわざ座卓をどけていなければ顔も見えないところだった。むちっとした太ももに頬を当ててぽやんとした顔をしている。黒髪美女が灰髪美女に膝枕をしている絵……。
「……」
何も言うまい。優理は複雑だった。
良い光景じゃ……とも思うが、その枕僕も使いたい、とも思い、話聞く体勢じゃないよね……とも思う。
十歳児に何言っても仕方ないと諦め、自身の膝に慈愛の眼差しを向けているメイドに話しかける。お子様は聞くだけ聞いてくれればいい。
「実咲、僕が何を言いたいかわかる?」
「ご友人に男性である事実をお伝えするのですね」
「……すごいわかってるじゃん」
「私奴、耳は人よりも優れておりますので」
「耳だけじゃなくて感覚器官全部でしょ。身体能力も」
「うふふ、せ・い・か・ん♡ も優れておりますよ」
「そっすか。だから変態メイドなんですね」
「はい。しかし優理様、敬語はおやめくださいませ」
「あ、うん。ごめん。……というか、実咲ってそこめっちゃ気にするよね。そんな気になる?」
尋ねると、グイっと身を乗り出してくる。器用にもソニャを落とさないよう上半身だけ動かしていた。
「私奴のアイデンティティに関わります故。優理様も親しい異性が急によそよそしく避け始め、連絡の一切を絶ち始めたら嫌にございましょう?」
「比較対象そこか……」
思ったよりちゃんと嫌だったようだ。まあこれからはできるだけ砕けた態度にしてあげよう。敬語は……定期的にしてしまうので、そこは都度訂正してもらうしかない。
しかし実咲がこちらの事情をわかっているなら話は早い。
「じゃあ、えっと、僕は香理菜ちゃんに連絡入れるから。返事来たらあの子の家行こう」
「かしこまりました」
携帯にぽちぽちと文字を打ち込む。
打っては消し、打っては消し。
「……恋する乙女か? 僕は」
残念ながらこれはそんな可愛い惑いではない。「実は普段の姿は女装で、本物は正真正銘生物学的に異なる男だったんだぜ!! ははは! ちゃんと付いてるんだぜ!」という旨を伝えるための第一歩、初手である。最初が肝心だ。
「優理様、私奴が代わりに文面を考案致しましょうか?」
「……参考までに、どんな文章送るつもり?」
「"俺は傘宮優理、普段お前と過ごしていたのは仮の姿だったのさ。今まで騙してて悪かったな、俺は男だ。証拠を見せてやるよ。これからお前の家で、お前の前で存分に見せつけてやる。……待ってろよ、俺のすべてを見せてやるよ"」
「はい却下。さよなら」
「そんなぁ……」
なんだその顔は。何故そんな頭の悪い性癖しか入っていない文章で良いと思ったんだ。しょんぼりした顔しても無駄だ。微塵も参考にならなかった。
「ん……パパ」
「ソニャ。おはよう」
「むふふ……おはよ。……あのね、わたしも、お話きいていたよ」
「そう? 文章考えてくれるの?」
「うん。……"僕、男の子だよ。……いろいろお話したいから、おうち行っていいかな"」
「……すごいド直球」
「だめ、かな?」
「……それくらいがいいか。文面じゃ伝えられないし、家行くことだけ伝えよう。うん、それがいい!」
「優理様……」
「パパ……」
「な、なんだいっ。いいでしょ別に。家行って話せばいいんだし、これでいいじゃん。はいこのお話終わり!」
「……そんな優理様でも、私奴は御仕え致しますよ。御可愛らしい優理様」
「どんなパパでも、わたしはパパの娘だよ」
「……」
何も言わず優しい目を向けてくる二人に、なんだか胸が苦しくなる優理だった。
首を振り、気を取り直してメールである。
【香理菜ちゃん。お迎え行きたいんだけどお家行ってもいい? 大事なお話もしたいな】
固唾を呑んで画面を見守る。ちらと視線を上げると、ソニャは再び膝枕に戻っていた。実咲も実咲でソニャの頭を撫でている。目が合うと微笑んでくる。妙な母性を発揮しているメイドだ。
【いいよ。わたしも大事な話あるし、いつにする? 今日?】
返事は早かった。学校が休みだから家にいるのだろう。詰まっていた息を吐き、文字列を重ねる。
< 香理菜ちゃん ✉ ☏ ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
【2028年11月20日(月)】
やったっ!今日☆何時かな
?一時間後?二時間後?
それとも五分後!
【既読 7:44】
や、そんな早く来れないで
しょ。場所教えてないし、
由梨の家から割と遠いし
【既読 7:46】
じゃあ一時間半後くらいは
どうかな? ふふん、それ
なら余裕のヨルちゃんで行
けちゃうよね☆
【既読 7:47】
ヨルちゃんって誰よ。
まーいいけど。いいよ。一
時間後ね。場所は今から送
るねー
【既読 7:50】
【メッセージを送信】
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「ふぅ……」
送られてきた地図情報を確認し、確かに割と遠いなと頷く。
思ったより集中してしまっていた。気づいたら真横に実咲がいて携帯を覗き込んでいる。ソニャはクッションクッションから布団に移動して丸くなっていた。そういえばあの子の布団だけ片付けていなかったか……。
「優理様、興味深い口調にございますね。これが噂に聞く"由梨様"にございますか?」
「……知り合いに突っ込まれると恥ずかしいな。噂って何よ噂って」
「――知り合い?」
「え、そこ気にする?」
この人、本当に関係性のこと気にするな。優理も「関係値」などという謎の関係性数値を生み出した変人だが、実咲も結構な変態だ。
「私奴を知り合いと呼ばないでいただきたく存じます」
「知り合いじゃないならなんなのさ」
「性ど」
「はいだめー」
「……♡」
「おっと僕の手のひらは舐めさせないよ」
「な、何故……」
度が過ぎる下ネタを言おうとした口は手のひらで塞いだが、この人ならやるだろうなと思ってすぐに離した。案の定である。愕然とした顔の実咲が面白い。
優理は既に経験済みなのだ。童貞はエロに弱く流されやすいが、学ぶ生き物でもある。アヤメにやられた経験がこんなところで活きた。
「由梨モードは今回……どうしようか。なしでいいか。うん。アクセだけして行こう。……ファンデーションはしていくか。下地も。乳液はいつものでいいし、ウィッグも……小さいのならしていいかな」
「優理様。それではほとんど女装と変わりません」
「ぐ……」
復活の早い実咲から指摘される。メイドは正しい。言われずともわかっている。
「……オーケー。アクセだけね。化粧全部なし、ウィッグもなし。しょうがない。これで行くよ」
「うふふ、男らしさのアピールにございますね。私奴も同行致します」
「護衛だし、そこはわかってるよ。お願いね。ソニャ……ソニャー!」
「ん……パパの呼ぶ声……」
小さな声が布団から聞こえてくる。のそのそと布団を這い出て、よたよた歩きで灰髪美女がやってきた。
眠そうな顔のまま、優理の胸にダイブしてくる。
「パパ……むふふ」
どんどんソニャが幼児退行しているような気がする。いや最初からか。十歳だし。
ソニャを優しく撫でてあげ、大きな胸の感触を堪能する。
しばらく待って「ソニャソニャソニャー」と呼びかけ続ける。目覚めたソニャに「護衛よろしくね」と伝えたら。
「ぶい」
と、ぶいサインを出してきた。
ほっこりして、じゃあ準備するか! と身支度を始める。
ラフな格好に着替えて、そわそわと服装チェックに髪型チェック、匂いチェックと済ませていく。
「……よ、よし!」
女友達の家に行く。これは童貞にとって一大イベントだ。状況は状況だが、それはそれ。そんな程度で全部忘れられていたら童貞などやっていない。
「まるで恋人の家に赴く初々しい男性のようにございますね」
「恋人じゃないけど似たような気持ちだからね」
服装チェックは念入りに。
ズボンのチャックも確認。荷物も見て、ちゃんと防犯グッズも持っておく。護衛はいるが一応だ。一応。
「私奴の家に来た時はこんなそわそわしていなかったのに……」
「わたしの家にきたときもこんなそわそわしてなかったのに……」
「君らの家行ったことないで――いや、え。何その服装」
呆れて振り返り、見つけた二人。
「――お気づきになられましたか」
「むふふ、わたし、第二形態」
自称メイドと自称娘。
片や立派な白黒メイド服を身につけ、ホワイトプリムまで頭に乗せている。黒髪ポニテが映える、自称ではなく真っ当なメイド。
片や太ももを剝き出しにしたホットパンツに空色Tシャツ一枚の爽やかな夏服衣装。似合っているが、問題は今の季節が冬間近の秋だということ。
優理のは背後、そこには大目立ちしそうな格好の美女が二人並んでいた。
「二人とも似合ってるけど……なんでその服?」
「うふふふ、ありがとうございます。さすがは優理様。スマートなお褒めの言葉、感無量にございます」
「むふむふ、ありがとう、パパ」
頬に手を当て上品に微笑む実咲と照れ照れとやんやん首を振るソニャ。真顔だが口元は緩んでいる。
「ソニャの服はどこから引っ張ったのか知らないけどいいや。動きやすい服装でしょ?」
「うん。……これなら、すぐ、たたかえるよ?」
「ありがとう。無理はしないでね」
「うん」
そしてもう一人はというと。
「なんで実咲さんメイド服? ずっと私服だったじゃないですか」
「敬語を」
「あ、実咲」
「はいっ♡ 私奴、真なる戦闘衣装はメイド服なのでございますよ。本日は優理様を守り抜くと、不退転の決意で臨む次第にございます」
「それは……ありがとう。自称メイドは返上して、これからは本物のメイドになるんだね」
「? 私奴は常にメイドですが」
「あ、うん。そうだったね。よろしくね」
そんなメイド服どこに仕舞ってたのかとか、こんな短時間でよく着替えられたねとか。変態なのにミニスカメイドじゃなくてクラシックメイドなんだ、とか。
疑問はあれど飲み込んで、実咲の決意を信頼することにした。
さあ行こう、友達の家へ。いざ出発だ。
――Tips――
「メイド(真の姿)」
別に変身パンクは流れないし、姿を変えたからって強くなるわけでもない。メイドの能力値は常に最高峰である。
冬風実咲、またの名を変態痴女メイド、二つ名:闇メイド。
どこからともなく現れ影すら残さず暗殺を果たす超凄腕暗殺者。その正体は彼女だったのだ。
メイド服を仕事着にしているわけでもないし、暗殺時も別にメイド服ばかり着ているわけではない。名乗りは「メイド」だが。冥途の土産とメイドを掛けたメイドジョークである。効果、聞いた相手は死ぬ。
優理にメイド服姿を披露したのは、性欲五割悪戯二割、褒めて欲しい欲三割の配分であった。ちゃんと褒めてもらえてご満悦、これからメイドもお仕事がんばるぞいっ、とやる気ゲージが上昇しっぱなしだった。
ちなみに、夏服衣装のソニャは服装を変えて行動速度と攻撃速度が上昇した。今なら制限解除して実咲とちょこっとの間やり合える。ちょこっとだけ。それだけ闇メイドは超強い伝説なのである。
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