一夜明けて、雨の日に報せ。

「そういえば灯華さん」

「なんですの? 優理様」

「灯華さん、話し方変えました?」

「――お気づきになられて?」

「ええまあ。わかりやすいので……」


 ですわですわ言っていれば気づかないわけがない。前からお嬢様っぽいなぁと思ってはいたが、口調や言葉遣いはお嬢様ではなく上品な令嬢、といったものだった。片鱗は見え隠れしていたが、今ほどではなかったはずだ。


「うふふ、わたくし、気づいたのです」

「何にですか?」

「――優理様は、"お嬢様"という属性を好ましく思っているということにですわ!」

「……なるほど」

「……実咲さん? 優理様の反応が芳しくありませんけれど、どういうことですの?」

「動揺しているだけにございますよ。さあ優理様、あなた様の本音を吐露してくださいませ」


 美女二人が迫ってくる。片や楽しげに、片や不安混じりに目を見開いて。実咲はともかく、灯華は瞬きしてくれないと困る。怖い。


「……お嬢様は、好きですよ」


 漢、優理。性癖に嘘はつけない。

 お嬢様、いいよね。金髪縦ロールツンデレ系もいいけど、黒髪ロングな清楚系もいい。わかりやすい口調も好きだし、実咲ほどではなくとも超丁寧で慇懃に美しい所作をするのもいい。プライド高い貴族もいいし大和撫子もいい。お嬢様というだけで好感度が上がりやすい。これはもう仕方ない。だって可愛いから。


「ふふふふ、やはり私奴の審美眼は正しかったようにございますね。どうでしょう灯華様。私奴を存分に褒め讃え、崇め奉りくださいませ」

「確かに正しかったようですが、そこまではしませんわよ……」

「左様ですか」

「優理様。そういう事情ですの。わたくし、昔はこれ以上ないほどコッテコテなお嬢様でしたのよ。童心に帰っただけに過ぎませんわ。これからはわたくしのこと、"灯華お嬢様"と呼んでくださって構いませんわよ、おほほほほ」

「そうですか。じゃあ灯華さんで」

「……ま、まあもちろんそれでも構いませんわ!!」

「灯華さん灯華さん。お嬢様の灯華さん、一日執事やるからお金ちょうだいな」

「!? もっちろんいくらでもあげますわ!! 一億までなら現金で用意できますわよ!!!!」

「冗談です。鼻血出てますよ。拭き取りますから……うん。大丈夫ですか?」

「――――」

「――灯華様、御臨終にございます」

「――生きておりますわよ!!」

「灯華様、御蘇生にございます」

「ふざけないでくださいまし!!」

「楽しそうですね」

「ふふふふ、物凄く楽しゅうございます」

「……わたくしは疲れましたわ。優理様のせいですわ……ですわ……」


 ある程度のじゃれ合いという名の別れの儀も終えたところで。


「じゃあ灯華さん。また」

「うぅ、寂しいですわ。……いえ、わたくしは八乃院灯華。また逢う日まで、お気を付けくださいませ、優理様。実咲さん、それとソニャ様、優理様をお願い致しますわ」

「無論にございます」

「まかせて」

「はい。お願いしますわね。……では優理様、名残惜しいですがお別れを。アヤメ様のことは……いいえ、わたくしが言うまでもなく、優理様ならお分かりですわね」

「うん。あの子は助けるよ。大人の僕らが助けてあげないとね」

「ええ、ふふ、はいっ」


 そんなこんなで、灯華と実咲が一言二言交わして国の調査機関を辞することになった。

 滞在時間はそう長くないのに、無駄に長時間いたような気がする。やはり灯華の勢いとパワーは侮れない。


 車に戻り、発進である。


「ねえソニャ。灯華さんどうだった?」


 運転席の実咲、後部座席の優理とソニャ。慣れた席に座った優理は隣のソニャに問う。


「ん……わたしのこと、警戒してた、ね」

「え、そうなの?」


 返事は隣ではなく前方からだった。


「そのようにございますね。あの部屋に居た灯華様を除く女性五名、皆様が一定以上の戦闘力を保持している方のようにございました」

「えっ」

「うん。……わたしでも、ぜんいんは無理……かも?」

「私奴であれば鎮圧は可能にございますが……護衛をしながらは少々手間取るかと。優理様の手足一本程度は奪われる確率が高いです」

「僕の手足なのか……」

「私奴は頑丈にございます故。うふふ、その時はしっかりと私奴がお世話♡ 致しますね」

「いいよ、ソニャにしてもらうから」

「むふむふ、わたし、がんばるね」

「ショックにございます……」


 優理は一般人なのでわからなかったが、戦闘力とかそんなのもあるらしい。実咲もソニャもわかっていたようだ。

 実咲に、先の人たちに知り合いはいたのか? と尋ねると「二名ほどリアラ様の近くでお見かけしたことが」とのこと。やはり国家公務員=忍者だったらしい。すごいな忍者。いろんなところにいる。


「家帰るけど、今からだと何時頃に着く?」

『その問いにはディラがお答えしましょう。これより一時間半の移動時間を挟み、優理様の自宅に到着するのはおよそ十八時五分になります』

「了解。……夕飯、どうしようか」

「わたしはなんでもいいよ」

「私奴もなんでも構いません」

「なら外で済ませちゃうか。適当に食べて帰ろう」


 食事は外で。上品な仕草で"あーん"してくる実咲を避け、なんでも美味しく食べるソニャにはたくさんのご飯を食べさせてあげた。アヤメと同じだなぁと思う一方、アヤメはお腹空かせてないかなぁと思う複雑な男心であった。


 お腹も満たし、家に帰ってシャワーを浴びて寝る支度を整え、思ったより疲れていたのか優理はすぐに寝入ってしまった。

 ソニャもリラックスして眠り、実咲はいつも通りに即寝て即起きられるよう身体を休眠モードへ移行させる。メイドの嗜みである。


 時刻は深夜二時頃。

 草木も眠る丑三つ時、といったところか。そんなおどろおどろしい雰囲気ではないが、優理は何故か目を覚ました。


「……」


 起きて、妙に冴えている頭で身を起こす。寝る前と同じく、優理の頭の中はアヤメのことでいっぱいだった。


 身じろぎで起こしてしまったソニャには首を振り、なんでもないと伝えておく。

 念のため振り返ると、夜闇に一対の瞳が光っていた。爛々と輝く黒の瞳。悲鳴は飲み込み、優理は無言で女の瞼を下ろした。さながら死者を悼むように。


 実咲の唇がだらしくなく緩んだのは見なかったことにした。メイドにもそういう気分はある。


 立ち上がり、窓の側へ。カーテンをめくり窓とカーテンの隙間に踏み入る。広がる深い夜の色。ひとかけの月が天鵞絨ビロードの空に浮いていた。


「……アヤメ」


 手を伸ばし、ガラス窓に触れさせる。

 アヤメはどこにいるのだろうか。寂しくしていないだろうか。泣いていないだろうか。そんな言葉ばかりが浮かぶ。


 届かぬ声。手のひらから伝わるのは冷たいガラスの温度だけ。寂しさの欠片が優理の口元に表れている。


 ――同時刻。


 偶然たどり着いた家にて、用意された布団にくるまっていたアヤメは、無性に目が覚めてしまい窓の側に立っていた。向かうは優理の――優理とアヤメの家がある方。


「ユーリ……」


 会いたい。話したい。手を繋ぎたい。ぎゅってしてほしい。なでなでしてほしい。傍にいてほしい……。

 どうしてこんな簡単なことが叶わないのか。答えのわかっている疑問に唇を噛み、少女はガラス窓へ手のひらをつけた。


 体温は感じられなくて、ぬくもりはそこになくて、幸せは湧いてこなくて。

 苦い気持ちだけが広がる胸に、銀の少女は小さく息を吐く。


 優理も、アヤメも。

 同じ時刻に同じ行動をとっている二人ではあるが、どれだけ想っていても、どれだけ願っていても、現実が変わることはない。

 今夜、二人の手のひらが重なることはなかった。




 朝である。

 気分はメランコリー。身体は疲労気味。そして天気は大レイニー。


「……めっちゃ降ってるじゃん」


 十一月二十日、月曜日である。友人に大学を休む旨を伝えていたが要らなかったかもしれない。予報によれば季節外れの大雨で講義のほとんどが休みになるそうだ。ネットでは警報注意報のオンパレードである。今日は公共交通機関の利用を避けた方がよいかもしれない。というか避けるしかない。


「……おはよう」

「おはようございますっ、旦那様♡ 本日の朝食はスクランブルエッグにボイルしたソーセージ、カリカリに焼いたベーコン、レタスサラダにございます♡ ご注文があれば、私奴も召し上がりくださいませ♡ もちろん、性的に……♡」

「顔洗ってきますね」

「はいっ♡」


 全然堪えた様子のない実咲から逃れて洗面所へ。

 朝から強烈な一撃を喰らってメランコリックゲージが上昇した。


「……つめた」


 秋……もう冬か。十二月の近い今日。冷雨とでも呼べるような冷たい雨の日。グッと気温も低くなり、薄手の長袖一枚じゃ外出は辛いかもしれない。


 顔を拭き、化粧水と乳液を塗って鏡を見る。

 いつもの顔、いつもの自分。だけどどことなく覇気がない。こりゃ疲労も抜けていないかと苦笑してしまう。肉体的、ではなく精神的な疲労だろう。こればっかりはしょうがない。


 リビングに戻り、アルカイックスマイルを浮かべて待機していた実咲に座椅子をセットされる。よくできたメイドだとは思うが、そこには敢えて座らなかった。


「おはよう実咲さん」

「敬称は不要です」

「あ、うん。おはよう、実咲」

「はい♡」


 気が抜けると敬語になってしまう。毎度訂正してくれる実咲はありがたい。ありがたいか?


「実咲、ソニャ起こそうか」

「私奴が起こして差し上げましょうか?」

「いやいいよ。ちゃちゃっと起こすから」


 というわけで布団で寝ているソニャの下へ。

 優理と実咲の布団は既に畳まれ綺麗に置かれていた。仕事の早いメイドである。一人猫のように丸まっているソニャは、その大きな胸をたゆんと揺らして寝返りを打っていた。


 この十歳美女、夜はブラをしないらしい。そんなんじゃ胸垂れるぜ、とか乳首が服に擦れて痛いだろ、とか思ったが何も言わない。優理は女装癖があるだけの男なので、細かい部分で女性の繊細なアレコレはわからないのだ。何よりソニャは十歳児。子供の機微など一般成人童貞にはわからぬ。


「ソニャおはよー。起きてー」

「……んむむ……ぱぱ……」

「はいはい。君のパパだよー」

「ん……だっこ……」

「……しょうがないお子様だなぁ」


 重くないかと思いつつ、力なく伸ばされた腕を掴んで抱っこしてあげる。重い。ちゃんと重い。お姫様抱っこは難しかったので前で抱える普通の抱っこだ。


 大きいし重い。巨乳が優理の胸で潰れてノーブラなこともあってもう本当にアレだが、普通に重いせいで腕がきつかった。


「実咲、パス!」

「お任せを」


 重たい子供をメイドに渡してクッションの上へ運んでもらう。ソニャを座らせ、倒れないよう自分は隣へ。案の定もたれかかってくる美女を支え、頬で遊んで目が覚めるのを待つことにした。

 実咲も座れば、と伝えたが、「メイドはお傍に侍るものにございます」とか言ってソニャとは逆サイドに正座し始めた。座るには座るらしい。正面じゃなくて隣なのは意味がわからないが。そこに机はない。この座卓は四人用、ギリギリ五人用なので実咲の前に料理はなかった。


 当人は何も言わない。満足そうに太ももを擦り付けてくるので充分なのだろう。


「ん……パパ?」

「やあソニャ、おはよう」

「おはよ……むふ、パパ……むふふふ」


 にゃぁーんと猫っぽく頭を擦り付けてくる。なんだこの子、可愛いか。

 にゃんごろ大きな子猫を可愛がってしばらく。メイドが視線だけで「私奴も私奴も!!」と訴えてきたので、ニカリと笑って見なかったことにした。太ももをエロイ手付きで撫でられた。背筋がゾワゾワしたので、同じことをやり返した。実咲は目を閉じてふるふると瞼を震わせていた。


「優理様、もう一度……できれば、より深いところをお願い致します」

「図々しいな……」


 お願い、というかただのエロイおねだりだったので「ご飯食べよう」と告げる。

 切なそうな眼差しは無視。性欲より食欲。ソニャも同じ気持ちだ。二対一で観念したのかメイドは息を吐いて立ち上がった。


「スープはお飲みになられますか?」

「僕はいいや」

「わたしはのみたい、な」

「かしこまりました」


 朝食はのんびりと済ませ、歯磨きもゆったりと。

 LARNには

リアラから「かおりさんは私が一緒にいるから安心してね」と連絡があり、

灯華から「優理様、この争いが終わった暁には……わたくしと今度こそお茶会を!」とフラグっぽい連絡が来て、

実咲から「優理様♡ 私奴との初めて♡ のツナガリ、大切に致しましょうね♡」と意味不明な怪文が送られ、

大学の友人(モカ)からは「今日大雨で学校なさそうよー」とグループチャットがあり、

大学の友人(香理菜)からは「なんか由梨の妹っぽい子うちに連れ帰っちゃったけど、家出した? 前言ってた子だと思うんだけど」と写真付きでメッセージが来ていた。


「……ん?」


 何かおかしいのが混じっていなかったか。リアラには「ありがとうございます」と返事して、灯華には「スケジュール教えてください」と伝え、実咲は無視。


「……はいはい。大切にするから目で訴えてこないで」

「うふふ、はいっ♡」


 隣に返事をして、モカには「ありがとー☆」と入れ……。


「いや……え……ええ?」


 最後の香理菜。写真付きのメッセージ。金髪碧眼の美少女の振り向き絵。絵画のような一枚写真。長い長い髪を揺らす少女の……疲れたような顔をした少女の……。


「……アヤメ」


 五感誤認アクセサリーにより認識がずらされた写真だけれど、どこからどう見てもアヤメ・アイリスその人が写った写真だった。


 ここに来て、まさかの優理の――いや、由梨の友人が絡んでくるとはさすがの童貞も予想外。天を仰ぎ、ディラに一つ。


「ディラ、聞いてる?」

『はい。聞いていますよ』

「これ、想定内?」

『未来演算に可能性は描かれていましたが、エイラの誘導が入ったことは間違いないでしょう』

「想定内かぁ……」


 アヤメが一人ぼっちじゃなくてよかった。でもよりによって由梨の友達か。

 これはもう……男COしろという性欲神のお達し。いやでも、しかし。


「……どーしよ」


 由梨ちゃん困っちゃう☆

 ふざけようにもなかなか迷いが晴れない優理だった。




――Tips――


「香理菜とアヤメの出会い」

特別何かがあったわけではない。ただアヤメが優理の足跡を追ってエイラの案内で優理の通う大学に行った。香理菜は学校に用があり、たまたま何やらうろちょろしている外国人っぽい女の子を見つける。エイラはアヤメに、「優理様のご友人です」と告げ、優理とエイラを信じたアヤメは香理菜と行動を共にすることに。

優理に連絡がつかない香理菜は「困ったなぁ」と思いつつ、明らかに見た目より幼い女の子を放置するのも忍びなく、しょうがなく家へ連れて帰った。

香理菜は家業故、友人を家に連れて帰ったことがなく、彼女の母は娘が友人……の妹とはいえ、知り合いを家に連れてきたことをたいそう喜んでいた。

寂しさが紛れるアヤメと、由梨にどう説明しようと思う香理菜と、「この展開もやはり悪くないですね」と満足するエイラと。

女子会、と言うには盛り上がりに欠けるが、普段の優理(由梨)について話す二人はすぐに仲を深めていった。

優理と香理菜、互いに抱える秘密はそのままで、香理菜は「これもタイミングかな……」と先に由梨へ秘密を打ち明けようと考える。アヤメは夜中になって再び膨らんだ寂しさを抱え、一人窓辺に立つ。

それぞれの夜は更けていく。明日、三人の道が交わる……かもしれない。未来を知るのはただ一つのAI、エイラだけ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る