ミツボシ捜索班の車上小話。

「ん?」


 男、傘宮優理。曇っていた同居人が笑顔いっぱいニッコリお姫様に変わっている、そんな電波を受信した。


「パパ?」

「いや、なんでもないよ」


 隣に座るソニャに首を振る。


 車上にて。実咲の運転する車で優理とソニャはアヤメの生家へと運ばれていた。運転席は当然実咲。後部座席に優理とソニャが並んでいる。実咲の要望で、優理はバックミラー越しにメイドと目が合うよう着席していた。


 前方の鏡を見るたびに実咲と目が合う。ニコッと美しい営業スマイルが都度視界に入る。それは営業なのか、はたまた本心なのか。作っていることは確かだろうが、それにしては自然な笑みだった。


 最近、灯華との関係を抜きにしても優理に愛着が湧いてきた実咲である。それもこれも毎日毎日灯華の家で流されるASMRと、優理から「実咲さんいつもありがとうございます」とASMRボイスリクエストを受け、結構卑猥な実用性高いものをもらってしまったのが悪い。しかも二回も。灯華には秘密だ。


 正直「そんなお世話したでしょうか……?」と思いはしたが、翌日には「意外にお世話していたかもしれませんね」と記憶を捏造して気持ちよくリクエストには返信した。具体的には「ご主人様に粗相をしてしまったメイド(実咲呼び)がご主人様にエッチなお仕置きをされてお嫁さんENDを迎えちゃう幸せASMR」をお願いした。サンプルデータだけでちょっと涎が出た。本編はもう天国が見えた。


 とまれ、そのようなわけで昨今の冬風実咲は傘宮優理に対して灯華と同等、とまでは行かないが灯華以外すべてより優先するくらいには愛着を持っていた。その結果の今である。


「実咲さん」

「はいっ♡」


 声が弾み、甘ったるい。気のせいではない。まあいいか。そういうこともあるだろう。スルースキルに定評がある優理だ。


「実咲さんは目的地知っているんですか?」

「知っておりますよ。エイラ様からいただいた地図情報は頭に入っております。ふふ、メイドにお任せあれ」

「すごいですね。ナビなしなんて……」

「うふふ、メイドの嗜みにございます」


 それくらいできないとメイド――いやこの人別にメイドじゃないから。

 とりあえず名家の使用人、秘書をやるにはそれくらい朝飯前にできないとだめって話か。


 よくよく思えば、優理の周りにはスペックの高い人が集まっている。


 リアラは国家公務員で忍者。

 灯華は名家で社長で痴女。

 実咲はメイドで秘書で運転手で家政婦。あと謎の凄腕護衛。

 アヤメは……可愛い女の子。たまに超人。

 ソニャは超人の護衛。

 そしてエイラは言わずもがな。ネットワークの覇者。


 普通な普通の大学の友人が恋しくなる。香理菜もモカも普通の女子大学生だ。この頃監視員とか監視員とか、アヤメのことばかり気にしすぎていて学業は疎かになっていた。友達との会話も少ないというか、二人が察してそっとしておいてくれていたというか……。このごたごたが終わったら、二人に全部話そう。アヤメの紹介もしたい。この子超可愛いだろ! 僕の家族なんだぜ! って。――いやこれフラグっぽいけど大丈夫かな……。


「――それはそうと優理様」

「え、うん。なんですか?」

「優理様、私奴に敬語を使っていらっしゃいますよね?」

「それは、はい。一応」

「そろそろ私奴のこと、実咲♡ と呼び捨てになされても構いませんよ」

「ええ、いやでも……」

「むしろこの駄メイド! と罵り押し倒し組み敷き仕置きなさってくださっても……♡」

「それはしませんけど」

「それならばやはり、呼び捨てに。さらには敬語を取り払っていただきたく存じます」

「うーん、実咲さんも敬語やめるんですか?」

「いいえ。私奴の言葉遣いはメイドとしての責務にございますから」

「じゃあ僕も敬語でいいじゃないですか」

「よろしくありません。さあ優理様、どうか私奴に"愛してるぜ、実咲"と耳に舌を這わせながらおっしゃって……あぁ♡」

「わかりましたから! わかったからよそ見運転しないで! 実咲さ……実咲!」

「んん♡……あぁ、これは、ええ。凄まじい威力にございます。灯華様より先んじた背徳感、イケナイことをしている感覚……うふ、ふふふ♡」

「はぁぁ……とりあえず本当、運転はちゃんとしてよ?」

「うふふ、あなた様のメイドにお任せくださいませ♡」


 ご機嫌なメイドの運転は少々不安だが、専属運転手を兼務しているだけあってブレーキ時に一切の振動がない。スムーズな動きからはプロクオリティを感じる。


「まあ、うん。ちょっと作戦会議しよう。エイラ」

『はい、ディラです』

「あ、ごめん。ディラ、まず、このまま実咲さんが借りたレンタカーで行っても大丈夫?」


 東京スカイタワーまでは八乃院家の車は使わず公共交通機関(電車)を利用した。優理家の周囲は監視もあったので色々都合が悪かったのだ。

 そのため、スカイタワーからアヤメの生家に行くとなった時、実咲の提案でレンタカーを使うことになった。その方が動きやすいでしょう、とのことで。


『問題ありません。住宅外部は一般道路ですので、停車も駐車も可能です。ただし警察に見つかると実咲様の免許ランクが下がります』

「くっ……私奴のゴールドをこんなところで失うことになるとは……! ですがこれもメイドの宿命、ご主人様の命には逆らえないのです。メイドですから……!」

「なんか色々言ってるけど、アヤメの生家周辺に駐車場とかないの?」

『ありますよ。そちらに停めて徒歩で行動するのが良いかと。今のディラではやはり生家の状況確認ができません。近づいてから判断する必要があります』

「あるのか……。了解、じゃあその方針で行こう。実咲さん。それでいいですよね?」

「――ツーン」

「? パパ、どうしてミサキは"ツーン"と言っているの?」

「……それはね。気持ちを口に出してわかってもらおうとするためだよ。ちっちゃい子にありがちなんだ」

「?? ミサキは小さな子どもじゃないよ……?」

「……いかに私奴と言えど、この仕打ちは心苦しいものがございますね。解説しないでくださいませ……」


 バックミラー越しに気を落としている実咲が見えた。そっと目を逸らした。

 まあ、つい敬語を使ってしまった優理も悪い。ちゃんとタメ口で話してあげよう。


「あー……うん。それはともかく、ソニャ、何か質問ある?」

「……うん、いくつか。アヤメの家に行く目的は……パパにナノマシンを入れること?」

「そうだね。……僕もその辺よくわかってないんだけど、あとアヤメがいるかもしれないってことと、謎の信号? 情報があったからかな。ディラ、まとめて教えてくれる?」

『了解しました』


 優理は一般童貞Aみたいなパンピーなので、ナノマシンとか言われてもよくわからない。ディラに丸投げすると、さらさら大量の情報が流れてくる。


・ナノマシンは肉体強化や高速自己治癒に用いられる微小機械。優理の細胞サンプルで実験しているため安全性は確認済み。

・ナノマシンの注入は注射で終わり。体内で自己増殖させるため、完全利用には二十四時間以上必要。

・アヤメの情報信号は今も出ている。注意して接近。家屋の確認と研究所の確認。

・主な目的は四つ。信号の確認、アヤメの在否、優理へのナノマシンの注入、ソニャへのナノマシン注入。


「ん、え、ソニャにも?」


 隣を見る。何を考えているかよくわからない青の瞳が見つめ返してきた。薄い桃の唇を見ると、もにょりと悩ましげに曲がっている。ソニャも知らないようだ。


『ソニャ様はアヤメ様と同様に、肉体スペック以上の力を発揮することができます。この限界値を超えることを"リミット解除"と呼称しますが、アヤメ様の場合、リミット解除による反動はありません。普段より溜めているエネルギーを消費し、さらにはナノマシンの利用、細胞単位で筋肉の操作、体温の変化、肉体の強化を行いリミット解除のダメージを零に抑えているからです。対してソニャ様はほとんどの軽減策を持ち得ないため、肉体への反動ダメージは大きいままでしょう。昨日の優理様救出時に受けたダメージもそのままではありませんか?』

「えっと……ごめん、簡潔に教えて?」

『ソニャ様は戦闘にて限界突破スキルを使うとダメージを受けます。おそらくHPヒットポイントの最大値を削るようなダメージです』

「やばいじゃん」

『やばいですよ』


 めちゃくちゃわかりやすく教えてくれた。RPGをやったことのある人なら誰でもわかる例えだ。

 というか思ったよりずっとやばかったので、慌ててソニャを見つめる。そっと目を逸らされた。気まずそうに口がへにょっとしている。


「ソニャ」

「な、なに……パパ」

「ダメージってどんなの?」

「それは……」

「怒らないし嫌いにならないから教えて?」

「うん……あのね……たぶん、寿命を使っているの」

「――…………そ、っか」


 叱られた子供のようにまごまごと、こちらをうかがいながら言ってきた。

 気にするなと、安心させるような笑みを浮かべようとして失敗した。なんとなくディラの説明とSF的にそういうことかなと思っていたが……直接言われると衝撃が大きい。寿命、寿命か……。


「……ソニャ、詳しくどれくらい減るとか、今までどれくらい使ったとか、そういうのわかる?」

「ううん。……わからない。でも組織にいた頃は訓練でよく使ったから。……いっぱい使ったと思う」

「……うん。わかった、ありがとう」

「……うん」


 当たり前に使ってきた、ということか。


「ディラ、ソニャの状態はわかる?」

『正確な回数は不明ですが、以前エイラがロディグラーシの機密にアクセスした時の情報はあります。ソニャ様同様の事例における平均寿命は……約二十五歳です』

「……そ、れは二十五歳で死ぬ、という意味?」

『その解釈で合っています。現在ソニャ様は二十歳です。今後の動きにもよりますが、リミット解除の使用頻度によっては一年で残存寿命を使い切ることもあるかと』


 絶句した。

 一年。一年だって?


「ソニャの年齢って、二十歳っていうのは……」

『お伝えしていませんでしたか。失礼しました。ソニャ様は肉体年齢十歳まで培養され、その後十年兵士として育てられました。過去の事例から成年期までの培養実験はその尽くが失敗に終わっていたからですね。幼少期のみの培養実験も多くが失敗に終わりはしましたが、成功例の一つがソニャ様です』

「だからアヤメの後輩か……」

『はい』


 頭を掻き、溜め息を吐いて気持ちを落ち着ける。

 ソニャを見て、わかりきったような顔で頷く美女を……アヤメと同じような幼い女の子を見て。


「ソニャ……君は、まだ十年しか生きていないんだね」

「う、うん。……変、かな……」

「ううん。変じゃないよ。まだまだ可愛い子供だ」

「……むふふ、わたしはパパの娘……」

「それは違うけど。……ソニャ、勝手にソニャのこと聞いてごめんね」

「? どうして?……わたしはパパに知ってもらえて嬉しいよ?」


 純真無垢な眼差しだ。アヤメのそれに似ている。見た目はソニャの方が大人だし、生きた年月を考えても十年と三年じゃ違う。外見も中身もソニャの方が大人だ。でも、それでもやっぱり……時折ソニャもひどく子供っぽい幼い顔をする。まだ十歳。十歳だ。……ただの子供じゃないか。


 哀しみと心苦しさを飲み込み、ソニャの頭を撫でる。灰色の髪はさらさらとしていて、アヤメのような人間離れした何かを感じさせた。


「……ディラ。ソニャにナノマシンを注入したら寿命はどうなるの? 回復する?」

『過去の例がないので断定はできませんが、時間経過による一定の寿命回復は見られるかと。ただしリミット解除の反動が消えるわけではないので、使いすぎは身を滅ぼします』

「……それでも、パパを守るためならわたしは……使うよ」

「ソニャ……」

「……パパは、わたしの王子様……ううん、ちょっと違ったけど、パパはわたしを甘えさせてくれた。パパは良い人。人類の未来を守るより、パパと過ごす未来の方が大事。だからわたしは……パパを守る正義を選ぶ」

「ソニャ……それでいいの? 僕はそんな大層な人間じゃないよ。……僕は、そこまで想ってもらえるような男じゃない」


 見つめ、手を離そうとすると逆に掴まれてしまった。

 優理の手にソニャは頬を寄せる。


「あたたかい……。パパ。パパはわたしを知らないよ。わたしが何をしていたのか。わたしがどうやって生きていたのか。……なんでもないただのわたしを認めてくれたのはパパだけなんだ。……"頑張ったね"って。"生きててえらい"って。褒めてくれたのはパパだけなの。正しいか正しくないかわからないものを見るより……わたしは、パパを見るよ。パパのあたたかさは……本物だから」


 掴まれた手からソニャの温かさが伝わってくる。

 悪い癖だ。優理はつい自分を下げてしまう。ネガティブなのは性格だからしょうがない。けど、ソニャの考えもまた、尊重しなければならない。お互い、一個の人なのだから。


「まいったな……」


 ふぅ、と息を吐く。苦笑し。


「わかったよ。ソニャがそれでいいならいい。でも、僕が何か世界に悪いことしようとしたらどうするの? 世界征服とか、宇宙征服とか」


 問うと、ソニャは閉じていた瞼を持ち上げ、唇だけで笑みを作る。


「その時は、責任を取ってわたしが犯罪もできない無人島に連れて行く。一緒にサバイバル……しようね」

「……オーケー了解」


 肩をすくめた。

 姿勢を戻し、バックミラーを見る。


「……(無言の訴え)」

「うわ……」


 こちらを凝視する一対の黒目と目があった。真顔の美人だ。


「実咲さん。何か用で」

「敬語を」

「……うん。ごめんね。実咲」

「はい♡」

「……」


 なんだかなぁと耳の横を掻く。

 とにかく話をしよう。


「実咲、どうかしたの?」

「いいえ。なんでもございません。ただ少々……ジェラシーを一欠片ほど」

「……うん。後で僕の手なら貸すよ」

「――その言質、忘れないでくださいませ。御手を、お借り致します」

「……いやらしいことに使うのは禁止だよ」

「!?!!? そ、そんな殺生なことをおっしゃらないでくださいませ!!!」

「いや普通にだめでしょ」

「――……あぁ、私奴の妄想が儚く散ってしまいました」

「そりゃよかった。それで、他に用は?」

「? ございませんが」

「……オーケー。じゃあ、うん。改めてまとめるか」

「はい」

「ソニャもいい?」

「うん。……お話なら聞くよ」


 こくりと頷くソニャに頷き返し、これからの目的をまとめる。


「アヤメの生家に行ってやるのは、まず信号の確認。そしてディラによる家屋の探査。アヤメがいるかどうかも同時かな。問題なければ家に入って、研究室に行って僕とソニャにナノマシンを注射する。実咲は……」

「私奴はお二人を御守り致します」

「……わたしかパパか、どちらかしか守れないときは……パパを守って」

「承知しております」

「……色々あるけど、最悪は……ソニャ、リミット解除で脱出はお願い。今死ぬより、いつか死ぬほうがまだマシだ。その時は……僕が君を看取るよ」

「……うんっ、ありがとう、パパ。…………むふふ、わたし、幸せ者」


 特徴的な笑い方をするソニャは、相変わらず表情変化に乏しかった。唇だけは半開きでだらしなくなっているが。


「優理様。私奴のことも看取っていただきとうございます。……私奴も、死ぬなら灯華様か優理様の腕の中が良いので」

「……僕も本当は残されるより残す側がいいんだけどな……」

「それはだめ。パパは……わたしより先に死ぬのはだめ、だよ」

「叶うならば、私奴も優理様より先に死にたいものです……」

「……はぁ。ソニャはね、うん。わかったよ。実咲は……灯華さん長生きしそうだからね。あの人残して逝けないんじゃない?」

「…………その通りにございますね」


 苦笑のような微笑のような、なんとも言えない柔らかな表情を浮かべる。それは実咲にしては珍しい、取り繕うことのない完全な素の表情だった。


 鏡越しとはいえ、普段の作り笑顔よりも人間的な表情を見た優理は。


「……ほんと、やっぱそっちの方が魅力的だよ」


 苦笑しながらも、見惚れてしまった自分を隠すように呟いた。





――Tips――


「その頃のアヤメとエイラ2」


 優理家にて。

 エイラの圧倒的隠蔽能力で堂々と自宅に帰ったアヤメは、優理の布団で普段のしあわせを堪能し、しばらく経ってぼんやり座っていた。


「ふむむ……」


 少女が考えているのはご飯についてだった。

 安心したらお腹が空いた。今日はまだ何も食べていない。優理とばいばいする、ずっとそれだけが頭にあって、今までずっと全然お腹が空いていなかった。


 アヤメはカロリーを貯めることができる次世代人類であり、優理との生活(約一か月)で大量のカロリーを肉体に保存していた。呼吸による空気中の水分吸収さえあれば、今後数か月は飲まず食わずでも生きていける。そんな状態だ。でもお腹は空く。ご飯は食べたい。


 お腹は空くが……。


「エイラ、私がお家でご飯を食べたらユーリは気づいてしまうでしょうか……」


 そう。言わば今のアヤメはお忍び状態。不法侵入しているようなものなのだ。自宅だけど。

 痕跡は残せない。トイレ行ったりシャワー浴びたりはできても、食べ物を食べてしまうと冷蔵庫から減るので食べられない。賢い可愛いアヤメはそう考えた。


『回答。問題ありません。冷蔵庫内の製品はすべて同様のものを保管してあります。五分もあれば自宅に郵送が可能です。ご自由にお使いください』

「わぁ、えへへ、それなら安心ですっ!」


 アヤメの笑顔にエイラもニッコリである。

 実際のところ油や調味料は大量に使うとバレるのだが、未来演算でも優理は割と……結構おバカなところがあるのでその辺りに気づくことはなかった。


 そのようなわけで、エイラの応援とレシピ情報、調理指導を受けながら楽しくお料理お食事を始めるアヤメであった。

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