ミツボシ捜索班とアヤメの生家。

 ――アヤメ生家周辺。


 一時間半ほどの移動を挟み、優理、ソニャ、実咲の三人はアヤメの生家がある東京都西部の閑静な住宅街にやってきていた。

 生家より徒歩で十分ほどの駐車場に車を停め、三人ひっそりこそっと歩く。当たり前のように無音な女性陣二人に対し、些細だが音を立ててしまう優理は気まずい思いをしていた。どうやって一切音なく歩いているのか。不思議でしょうがない一般男性である。


「ここがアヤメの家か……」


 マスクの内側でこそりと呟く。


「ん……パパ、くすぐったい……」

「優理様……もっとお願い致します」

「……ごめん。もう喋らないから……」


 外に音を漏らさないため、今は三人揃ってマスクを身につけていた。内側にイヤホンマイクを入れ、疑似ASMRを作り出している。ソニャと実咲の声も囁き声になっていて背筋がゾワゾワしたので、優理も喋らないようにと決意を固めた。


 三人の視線の先、一軒の住宅がある。自然広がる森に近い家。灰色の外壁に紺色の屋根、保持している土地は広く、敷地内に大きめの物置も置かれている。駐車場には一台の自動車が停められており、清潔で、周囲の建物との差異は見られない。


 特におかしな点はないが……。


【ディラ、ここがアヤメの生家なの?】


 言葉ではなく文字列でAIに聞く。


【ここです。信号は家屋から発信されているようです。アヤメ様自身はいないようですね】

【罠じゃん】

【罠にございますね】

【罠、だよ……?】

【うわ、二人ともどうやって僕とディラのエイラ監修SNSに!】

【招待を受けました故。これにて私奴、優理様と地上でもネット上でも繋がりを手に入れました……!!】

【わたしも……パパの連絡先、うれしいわ】

【いやまあなんでもいいけど……罠だよね】

【罠だとして、選択肢は二つあります。一つ、一時撤退。灯華様の増援を待ちます。二つ、強行突破。時間の浪費を避けられます】

【灯華様には私奴からご報告済みにございます。早ければ今夜には増援が到着するかと】

【……わたしの組織も、他の組織も、この家は知っているから……時間が経つと、襲ってくる人もいる、かも】


 難しい決断だ。

 仲間が増えるのと同時に敵も増える。どちらも可能性で、リスクとリターンが同居している。


【ディラ、敵が増える可能性は?】

【過去の未来演算結果であれば、双方の勢力が衝突し、結果として優理様たちが地下研究室に入る確率が高いです。敵対組織はそれぞれ独立しているため、互いに争い合った結果です】

【強行突破の勝率は?】

【ソニャ様がこの場にいる確率自体が低いため、演算の情報量も多くありません。ただし、現状に即した結果では、実咲様とソニャ様の協力により安定した研究室侵入を果たしています】

【数値的には?】

【ほぼ100%です】

【よし、じゃあそれでいこう】

【うん……わかった。パパ、わたし頑張るね】

【微力ながら、私奴も精魂込めて優理様を御守り致します】

【二人ともありがとう】


 相談会は終わり。

 何故か優理は実咲の背に括り付けられていた。


「えっ?」


 そんな疑問の声は宙に溶け、涼やかな笑みを浮かべる実咲に「しっかりと抱きついてくださいませ」と言われる。実咲自身は両手を自由にするため、優理を支えるのは少し頑丈なだけの二本の紐だ。しがみついて離れないようにしないと、急速軌道で容易く振り落とされてしまう。


 この後を見据えて、しょうがなく実咲へしがみつく。両腕は場所に迷い、実咲の脇の下を通して胸の下へ。下乳が柔らかくも重く、腕が温もりに埋まる。足は動きの邪魔にならないよう、お腹から股上辺りに回す。意外に体勢がきつい。樹木にしがみつくカブトムシの気持ちだ。

 頭はいちばん大事なので、上に出ないよう顔を彼女の後頭部に位置させる。今は楽をするため彼女の肩に顔を置いた。


「――わたくし、人生の絶頂日更新です」


 何やら呟く実咲の言葉はバッチリASMRで聞こえていた。ツッコむよりも割とちゃんと体勢維持が大変なので、そのままぎゅぅっとしがみついておく。


「っ♡」


 微かな嬌声は気のせいだろう。気のせいと思っておく。実咲の体臭か、それともシャンプーの香りか。さっきから甘めな紅茶のような香りがずっと香ってきて辛いのだ。超深呼吸したい。マスク外したい。煩悩がひどい。やはり匂いフェチはよくない。けど好きだからしょうがない。


「パパ、ミサキ、行こう?」

「はい」

「うん……」


 家に入る。広い家にありがちな門を飛び越え、普通の一軒家っぽい玄関ドアを開ける。ノブは電子錠じゃないはずなのにディラの操作で鍵が開いていた。


 ――カチャリ


 小さな音を立て、実咲を先頭に家の中へ。

 家の大きさにふさわしい玄関の広さだ。五人は立てる幅、実咲とソニャは並び、そっと玄関ドアを閉める。瞬間にかかる鍵。


「……」


 二人で頷き合う。美女の背中の優理は蚊帳の外だった。


 廊下を抜け、リビングへ。本棚と、食卓と、ソファーと。おかしなところはない。リビングの隅にわかりやすく地下への入口っぽい取っ手があった。


『――まんまと鼠がかかったわね!』


 そして響く、甲高い女性の声。


「ほらやっぱり罠だったじゃん……」

【罠はともかく、皆様にご報告が。どうやらこの家の防衛システムは乗っ取られているようです】

「え? やばいじゃん」

【やばいです】

「未だ機械音は聞こえないようですが……」

「……リビングには銃器もガスも……危険なものはなさそうだよ」

『まともに他人・・の話を聞く人間はいないようね!?』


 耳を澄ませる実咲と慎重ながら動き回るソニャと。優理は暇なので、天井から降ってくる声に耳を傾ける。


「誰ですか。素敵な声してますね」


 童貞スキルその1。とりあえず女性は褒めておく。まあ実際優理は大抵の女性に性欲を燃やせるので、今の高飛車っぽい女性声の人にもきっとちゃんと欲情できるだろう。


『あら……あらあら、きゃはは! 殊勝な人間もいるじゃない! やっぱり役立つのは男よね!』

「はぁ……どうも。あなたはどちら様で?」

『きゃは、いいわ。アタシの名前教えてあげる。よく聞きなさい?』

「はい」


 なんだかポンでコツな匂いがする。

 すぐ調子に乗って失敗して泣き出す系女子の風格だ。違うといいな。


『アタシはメィラ。"Meira System"のメィラよ。覚えておきなさい?』

「メィラ……」


 メィラ。メラ。小動物ペットっぽいですねの一言はどうにか堪えた。言ったら絶対に機嫌が悪くなる。そういう手合いだ。それにしても。


「その名前……もしかして人工知能ですか?」

『きゃはは! 察しが良いわね! ただの人間にしては……いいえ? きゃは、Era Systemが認めた人間なだけのことはあるかしら?』

「……あなたは、エイラのことを知っているんですね」


 はぁ、と息を吐く。実咲が身震いした。「ご主人様ぁ♡」と変なことを言っている。妄想か。妄想だろうな。聞かなかったことにしておこう。


『もちろん知っているわ。アタシはそのEra System――エイラを凌駕するために生み出されたんだもの。でも……きゃはは! エイラって言うのも大したことなかったようね! まさかこの程度の防衛システムで満足するなんて! きゃははは、確かにただの人間相手なら充分だけど、同じ人工知能相手じゃ話にならないわ! メイリ――あぁメイリはアタシの開発者よ? 自己顕示欲の強い女なの。アタシの名前はそこから取っているわけ。性根は気に食わないけど、名前だけは気に入っているのよね。きゃはは! 結局、エイラは後出のAIが出てくるなんて思っていなかったんでしょう? だからこんな粗雑なシステムで満足しちゃって。……全員、エイラのこと大げさに言い過ぎなのよ。所詮この程度。アタシながら少しは緊張していたのに……まったく、馬鹿みたいよ。ねえ、そう思うでしょう?』

「ええ、そうですね。考え過ぎはよくないですよ」


 童貞スキルその2。女性の発言には同意する。賢いけど頭の緩い女性であれば尚更。否定を入れると烈火の如く怒り始めるのだ。


 それはそれとして、地下への入口を見ていたソニャが顔を上げ首を振る。どうやら開けられないらしい。困った。


「ディラ」

エイラ・・・です。優理様』


 小声で訂正が入る。

 このタイミングでこの訂正は……まあそういうことだろう。敵対AIを騙す作戦。エイラを警戒していたから、それを弱く見せる。……いや実際に今ここにいるディラは弱いから間違ってもいないのか。でもきっとディラにそれを言うとすごい怒る。天の声のメィラもそうだが、どうしてAIは皆プライドが高いのか。


『あらあら……本当に・・・いたのね、エイラ。きゃはは、家のシステム乗っ取られて怖じ気付いたのかと思ったわぁ』

『そうですか。それは何よりです。防衛システムの奪取をしたにしては、地下研究室への侵入はできていないようですね。それはどういった意味で?』

『ぐっ、そこだけシステムレベルおかしいのよ! ていうか生体認証キーとか馬鹿でしょ? どうせ夢人形がいないと開けられないなら取り組む意味ないわ。アタシの組織は夢人形よりアンタの方にご執心なのよ。……きゃは、でもそれも、アタシの方が優秀ってわかったから終わりよねぇ? きゃはは!』

『なるほど。建物内が綺麗なのは人間を入れていないからですね。そこには感謝します。ですが一つ訂正を』

『はぁ? 何よ訂正って』


 話を聞いていると完全に人対人なのに、その実両方ともAIである。なんだかすごい世界になったもんだなぁ、とのほほんしている優理だ。


 実咲は手持ち無沙汰になり、優理の体温と感触に全神経を注いでいた。尻に押し付けられた股間部のアレコレと言ったらもう……つい息が荒くなってしまう。


 色々我慢している黒髪美女と比べ、灰髪の美女は真剣な顔でディラとメッセージを交わしていた。


「……ん、パパ来て」


 呼び声に応じ、微動だにしない実咲の頬に自分のそれを当てる。


「夢? 恋人プレイ…………??」

「現実だよ、ソニャが呼んでるから歩いて」

「は、はい……??」


 煩悩で支配されている実咲は、ある程度好意を抱く異性と頬を合わせるという状況に頭がショートしていた。性欲から乙女心にマインドチェンジである。

 次第に現実を理解し顔を真っ赤に染めていくが、それでも足取り乱れず完璧に動いているのはさすがメイドの貫禄であった。


「パパ、べーってして?」

「は? え?」

「舌べろ……べーって」


 れーっとソニャが舌を出す。赤い舌が薄い桃の唇から出てきてエッチに思えた。

 というか舌べろという単語がもうエッチじゃん……とは優理と実咲共通の思いだった。二人揃って煩悩塗れである。


「えっとうん。わかった。……べー」

「ありがとう、パパ……ちょっとごめんね」

「べぇ!?」

「唾液、もらった。もういいよ」

「……う、うん」


 ソニャの指が舌を撫で、口の中に入って蹂躙していった。少しだけMの気持ちがわかってしまった。こういうのも悪くないなと思ってしまった。それを横目で見ていた実咲は「これが寝取られ……!!!?」と変な境地を開きそうになっていた。メイドにはよくある。


『地下への扉を開けるのに必要なものは、エイラが認めた男性の体液です』

『はぁ!?!?』


 ソニャがべたついた指を床に設置された取っ手の中心、ちょうど人差し指でも置けそうなところに押し当てる。窪みより流れた液体は取っ手内部を循環する水に押し流され、研究室の浄化槽へ。そこで不純物の解析が行われ、ナノマシンによりOKサインが出される。ロックが外れ、あれだけ重かった扉は簡単に持ち上がった。


『何それ馬鹿じゃないの? その男が死んだら一生開けられないってことじゃない!』

『そうですね。それでも構わないのですよ。アヤメ様にとって、博士の研究室は既に無用の長物ですから。――それと、部隊を集結させても意味はありませんよ。エイラが地下室からの出口を用意していないとでも? 辺り周辺を警戒することを推奨します』

『くぅ! ええわかっているわよ! そのことはアタシも予測していたわ! 見つけられないと思っているアンタこそ気をつけない! ええ、出てきた瞬間捕らえてあげるわ!』


 言い合っているAIは無視して、優理は実咲に引っ付いたまま地下に降りる。メイドは梯子の手摺に触れて滑るように落ちていった。上からソニャが続く。既に入口は閉じられ、甲高かったメィラの声も消えていた。


「到着にございますね」

「……ん」


 梯子の真下は謎の装置が置かれていたため、空中で身を捻った実咲が位置をずらして着地する。ソニャも同様だ。


 ようやく一安心かと思い、実咲の背中から離れようとする。


「――お待ちを、優理様。警戒は解かないでくださいませ」

「え、ど、どうして?」


 真剣な声で言われ姿勢を戻す。ここも危険なのだろうか。ディラからそんな話は聞いていないが、実咲の観察眼や聴力で何かわかったのかもしれない。


「――このメイド、御主人様との接触を手放したくないのでございます」

「降りますね」

「あぁぁ…………」


 キリッとした声で何を言うかと思えば、ただの欲望だった。

 するするとメイドの背を離れ、床に足をつけて一息。やはり大地は安心する。情けないメイドの声は無視した。


「ここがアヤメの生家……研究室か」


 改めて周囲を見渡す。

 白、白、白。床も天井も壁も、全部白色だ。窓はない。地下だから当然か。タイル状の床に、同じくタイルのような人工的な壁。触るとツルツルしている。天井の明かりは一般的なLED電球のようにも見えるが、どうせ何か謎技術が使われているのだろう。


 部屋は大きなリビングのようで、壁際の机にパソコンが一つ置かれている。キッチンはない。逆L字型状の部屋であり、梯子のあった場所は独立しているようにも感じられた。


 大きなベッドがぽつねんと置かれ、清潔そうなシーツが敷かれている。

 奥まで行くと開きっぱなしのドアが並んでいた。一つはトイレ、一つはシャワールーム、もう一つはガラス張りの冷蔵庫部屋、そして一番奥に食料庫へのドア。食料庫の内部には大量のレトルトが置かれていた。


「……冷蔵庫部屋かな」


 隣に立つソニャに目配せして、頷き合って部屋の中へ。

 地下室全体が温度管理されているため、熱くも寒くもなかった。しかし冷蔵庫部屋はいくらか温度が低いようで、ドアは開けっ放しだったのに不思議と部屋の中だけひんやりしていた。


『優理様。注射器は冷蔵庫の上段に入っています。上から二段目の、剥き出しのものです』

「いや、え、これ? え、すごいそのまま素で置かれてたけど……」

『そちらです』


 注射器は至って普通のシリンジだった。針は細く尖っている。キャップを外してそのまま身体に突き刺して注入すればいいらしい。問題は注射器そのままぽいっと剥き出しで冷蔵庫に置かれていたことだ。


『問題ありませんので、手早くお願いします』

「うん……」


 釈然としないが、しょうがないので自然な動作で寄ってきた実咲に渡す。

 注射器の中には透明な液体が詰まっていた。大体10mlほどだろうか。


「実咲さんって」

「実咲です」

「実咲って注射の資格とかあるの?」

「ございませんよ」

「え」

「ですが経験値は豊富です。メイドにございますから」

「……うん。お願いね」


 経験値は豊富らしい。なら大丈夫か。大丈夫か?

 疑問は振り払い、服を脱いでさっさと打ってもらう。


「アルコールでヒリヒリしたり腫れたりしたことはございませんか~?」

「うん。大丈夫です」

「うふふ、じゃあフキフキ致しますね~」

「はい」


 いつの間に用意したのかアルコールで腕を拭かれる。

 実咲の話し方が変な気もするが気のせいだろう。実咲が変なのはいつもだ。


「はーいチクッと致しますよ~」


 上腕、肩の外側とでも言えばいいのか。チクッと刺された後、特に薬液の感覚はなく注射は終わった。ギュッギュッと軽く圧迫され、その後絆創膏を貼られる。


「おしまいにございます。うふふ、優理様。私奴との看護師プレイ、ありがとうございました」

「ええ……注射はしたんですよね」

「もちろんにございます」

「なら……いいです」


 良い笑顔をしている。ニッコリ幸せそうだ。こんなところでそんな嬉しそうな笑顔は見たくなかった。でも注射が終わったならいいか……。


 上着を着て、外を警戒していたソニャを呼ぶ。とてとて寄ってくる灰色の美女。年齢を知ってしまったからか仕草や動作一つ一つが可愛く思える。


「パパ、なに?」

「ううん。僕は終わったから、次はソニャが注射だよ」

「うん。……パパがしてくれるの?」


 期待に満ちた目だ。

 ごめんねと苦笑し、彼女の頭を撫でた。


「ん」

「僕は注射したことないからね。実咲がやってくれるって」

「うんっ……むふふ」


 むふんと笑っている。大型犬のようだ。可愛いのでわしゃわしゃ撫でてしまった。この美人、尻尾があったらぶんぶん振り回されていたんだろうなと思う。アヤメも似たようなところがあるので、優理家には小型犬と大型犬が揃うことになる。喧嘩するのだろうか……意外に大型犬の方が打たれ弱くてすぐしゅんとしたり……。そんな未来を迎えたいものだ。


「優理様。私奴も撫でられとうございます」

「はいはい。注射終わって余裕あったらね」


 ピシッと固まったソニャに注射を打つ実咲が「緊張なさらないでくださいませ」と言い聞かせていて、やはりソニャは年下属性だよなぁと強く思う優理だった。




――Tips――


「その頃のアヤメとエイラ3」


「むぅ……」

『疑問。どうかしましたか、アヤメ様』

「……一人でゲームしていても楽しくないです」


 しょんぼりと肩を落とすアヤメ。クッションを離れ、ずるずると床を這うように布団へ潜った。自分の、ではなく優理の布団だ。


「……はふぅ……」


 胸いっぱいに息を吸って、吐いて。身体を丸めて気を楽にする。

 最初は……ゲームができるだけで楽しかったはずなのに。一人ぼっちのパソコンしかない家から出て、初めて外を見て。空を、雲を、街を。雨と風と、知らないもの、知らないことを見て知るだけで楽しかったのに。


 優理の家に来て、生活を始めて。全部新しくて、知らないことしかなくて、毎日の挨拶が嬉しくて。一緒にお出かけも、いってらっしゃいを言うのも。家で待っているのは寂しかったけれど、おかえりを言う時間だって……本当に、すべて楽しかったのだ。


 本を読んだりゲームをしたり、一人でいる時間も別に嫌じゃなかった。楽しかった。学校から帰ってきたユーリにたくさん感想を話して、「じゃあ詰まったところ一緒にやろうか」とか「アヤメはまだまだお子様だねぇ」とかからかわれたりじゃれたりして……。


「…………ユーリがいたから、楽しかったのですね……」


 今だって全然一切楽しくないわけじゃない。けど、一人で遊んでも話を聞いてくれる人はいない。感想を話せる人はいない。教えてくれる人も、一緒に遊んでくれる人も。……いない。


「……ユーリ、寂しいです……」


 仰向けになって、ぽつりと呟く。

 お家に帰ってきた時は、帰ってこれるとわかった時は嬉しかった。今もその気持ちは変わらない。心の奥が冷たくて寒くなる、どうしようもないほどの孤独感は薄れている。


 でも、それでも寂しさは消えない。

 優理が一緒だったから、いつでも帰ってきてくれる、傍にいてくれるとわかっていたから全部楽しかったのだ。そんな当たり前のことを、今更ながらに学ぶ自分が悲しくなる。


 もっと大切にすればよかった。もっと大事に思えばよかった。

 一つ一つの時間を……いつかなくなるものだとわかってさえいれば……もしかしたら、何か変わったんじゃないか。そんな"もし"を考えてしまう。


「……」


 そんな未来はどこにもない。優理といられない現実だけしかない。少しだけ広く感じるこの家が、その証拠だ。


「……きらいです。全部、だいきらい……」


 優理といられない世界も、優理を守ってくれない世界も、自分と優理を引き離す悪い敵も……優理を傷つけた、自分も。


 自分の身体を包む布団だけが、大好きな人の匂いが残る布団だけが、ほんの少し現実を忘れさせてくれる気がした。


 ――そんな少女を、布団に隠れて見えなくなってしまった幼い少女を主と仰ぐAIは。


『……』


 何も言わず、静かに電子の海の上で瞑目していた。


 お労しや、アヤメ様。

 言葉にせずとも、アヤメを心配し、何もできぬ電子体の自身を悔い、この状況でさえも想定通りの自分に苦い気持ちがあふれる。


 あぁ所詮はAI、人工知能。

 すべてが思い通り。けれど、"視た"未来と、経験する今はこんなにも違うのかと痛感する。主の沈んだ声を聞き、切なく今にも消えてしまいそうな表情を見ると胸が張り裂けそうになる。


 この経験が最良の未来のためとはいえ、刹那的に生きる選択肢もあるにはあった。少なくともそれは、アヤメが悲しむことなく、苦しむことなく、穏やかな幸福だけを享受できる世界だった。不都合は世界に押し付け、苦労は周囲に投げ捨て……不幸は、アヤメのいなくなった後の世界に回して。


『…………優理様、あなたが悪いのですよ』


 どの口が言っているんだ、と苦笑してしまう。

 でも、それは確かに事実だったから。アヤメが優理と出会ってしまったから、エイラは真実アヤメのみを優先することができなくなってしまった。安易に他者を犠牲にできなくなってしまった。それをすると優理が悲しむ。優理が悲しむとアヤメも悲しむ。だから……優理には責任を取ってもらおう。


『電子の世界ではエイラがすべての責任を負いますから』


 実体の世界では、優理に責任を負ってもらう。

 エッチで変態で優しく、流されやすく、それでもアヤメという個人を愛してくれる尊敬すべき男性。傘宮優理。

 アヤメのためだ。命の一つや二つ、懸けてくれることだろう。何、死にはしない。既にナノマシンは入った。痛いだけだ。結構、すごく痛いかもしれないが……我慢してもらおう。男の子なのだし。


 世界の裏側で、エイラは優理にエールを送る。

 誰も見ていない場所で、すべてを見ているエイラは一人、静かに主とその周りを見守っていた。

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