夢と、夢と、現実と。



 深夜。

 優理は今日、あまり寝付けずに寝返りを繰り返していた。


 スタンガンを浴びせられたせいだろうか。アヤメのことで悩み過ぎたせいだろうか。

 夢見が悪かったせいだろうか。……ひどい、夢を見たのだ。


 アヤメがいなくなり、残された自分は長い時をかけて知人に支えられて生きていく。そんな物悲しい夢。


 自分がいなくなった後、アヤメが悲嘆に暮れて長い長い時を死者蘇生のために孤独に生きる、そんな物寂しい夢。

 

「……」


 夢の内容はさておき、寝る前、入浴時にエイラと話をした。

 襲撃のこと、ソニャのこと、実咲のこと。灯華やリアラがどこまで知っているのか、アヤメは何を知っているのか。アヤメは……何をするつもりなのか。


 守秘義務とやらでアヤメの心は教えてもらえなかったが、何をするつもりなのかは全部聞いた。おかげで大雑把な今後の流れは共有できた。

 迎撃システムは出来上がっているし、万が一のために優理用のナノマシンも用意してある。まあアヤメの生家、育った家まで行く必要はあるが。護衛は主に実咲とソニャ。実咲は一度灯華の下へ帰り、明日の朝には戻ってくるという話だった。

 ソニャは今も優理の横で寝ている。いつぞやのリアラと同じだが、リアラと異なり丸まって猫のようになっている姿からは幼さを感じる。しかしその胸に幼さは欠片もない。


 まだ敵組織は本格的に動いていないから、全然普通に通学もしていいし、買い物も当たり前にしていいと言われた。


「…………」


 アヤメは、一人でいなくなるつもりらしい。

 優理が気絶させられたことに責任を感じ、怪我をさせないため、傷つけないために遠く離れたところへ行くとか。


 気持ちはわかる。優理も自己犠牲が好きだった。どうせ死ぬなら好きな人を守って死にたい派だったから、気持ちはわかるのだ。けど、夢を――悲劇の夢を見てしまったからには、自己犠牲など許容できない。


 あんな終わりは認められない。残す側も残される側も、どちらになるのもまっぴらごめんだ。


 アヤメは引き留める。エイラもその予定で動いている。エイラには『優理様には一時的にすべてを捨ててアヤメ様との逃避行に出てもらいます。二週間もあれば片は付くでしょう』とかなんとか言われたが、それは最終手段だ。もっと良い手段があるならそれを選ぼう。とにかく、一人でいなくなるなんてだめだ。……理屈じゃない。ただ単純に、優理はそれが嫌だった。


「……はぁ」


 浅く溜め息を吐いて、隣で丸まっている少女の髪を撫でる。銀の髪の、美しい妖精のような少女。


 うとうとと、眠る少女を見つめながら優理は目をつむる。

 アヤメはまだちゃんとここにいる。エイラに起こしてもらう予定だから、今はゆっくり……眠ってしまおう…………。




『――報告。優理様、アヤメ様起床後五分経過。今しばらく後、窓より自宅を出る予定です。起きてください』

「……ぁぃ」


 起きた。寝起きだ。眠気がひどい。目を開けて、隣にアヤメがいないのを確認する。ソニャはすやすやぐっすり寝ている。幸せそうだ。


「……」


 すすすっと起きて、音を立てずひっそり身体を起こす。アヤメはいた。窓の近く、外を眺めている。ガラスに手をかけ、開けようとしているのに手は動いていなかった。

 背後に忍び寄る。


「わぁ、おはよー」

「ぴゃぁぁむむぅっ!?」


 後ろから抱きしめ、大きな声を上げる口は手のひらで塞いだ。

 耳に唇を寄せ、アヤメが落ち着いたところで話を始める。


「おはよ、アヤメ」

「ぁ、ユーリ……」

「ん、おはよう」

「お、おはよう、ございま……す」


 縮こまって、一瞬嬉しそうな声をして、すぐに悲しさでいっぱいの声になる。

 耳にキスをして、しょんぼりお姫様をドキドキお姫様に変えておく。もぞもぞ動く身体はぎゅっと抱きしめ動きを封じた。甘酸っぱい香りと、柔らかな身体と、全身に触れる銀糸の髪と。密着すると伝わる体温は優理の鼓動を激しくする。


 熱い息を吐き、ぴくりと跳ねる少女をそのままに、優理は優しく言う。


「長引かせるのも嫌だから言うね。……アヤメ、僕と一緒にいよう? 一人で遠くなんて行かなくていいよ」

「なん、でそれを……っ」

「なんででもいいじゃん。……アヤメ、一緒にいるって言ってくれるまで、ずっと離さないよ」

「だ、め……です。……だって、それじゃあユーリが……ひゃんっ」

「ん……悪戯もするからね」

「だ、だめっ……んん、お耳ちゅーしちゃ、だめっ……です……」


 数分も続けていれば、アヤメは腰砕けになって身動き取れなくなった。予定とは違ったが、これはこれでいいだろう。


「ゆ、ゆーり……ずる、です……」

「……大人の余裕ってやつさ。じゃあもう寝ようか。朝まで二人で寝て、起きてから話そう?」

「んぅ……でも、でも……」

「……しょうがないお姫様だ。こっち見て?」

「は、い――んんむっ!?」

「ちゅぅ……ん……ちゅーしちゃったね。離れられない魔法のちゅーだから……ぎゅってしたまま一緒に寝てあげるから」

「ふぁぁ……は、い……ユーリ……ユーリ……」

「うん」

「だいすきです……だいすきっ」

「僕も大好きだよ、アヤメ……」


 魔法のキス。

 お姫様を救う王子様に許された最強の魔法だ。


 ファーストキスをこんな風に使うことになるとは思っていなかった。でも、アヤメがとろけた顔で押し流されて頷いてくれたから良し。キスもまあ……想像の数百倍は心地良かったし。


 幸せ成分が脳にあふれている感じがした。ファーストキスの味は……ほんのり甘しょっぱい人間風味だった。きっとこれは、アヤメの唇の味……。


「ユーリ……すきぃ……」


 腕の中には夢現の少女がいる。布団に潜り、しばらくの睡眠へ。

 強引が過ぎたかもしれない。でもこんなものだ。所詮童貞にできるのはこれが限界。口も回らなければ寝起きで頭も回らない。決意の固い女の子の説得なんてできるわけがない。だからこれでいい。自分たちの関係なら……これでいい。


 銀の少女をしっかりと抱きしめながら、その体温を逃さないよう額に頬を寄せる。

 手足を絡めてくるアヤメという一人の少女を感じながら、優理は静かに意識を落とした。朝は近い。日が差し込むまで、今しばらく二人は抱き合ったままでいた。





『優理様、時間です。……――優理様、緊急事態です。起きてください』

「うぅ……」


 脳に直接声が……。


『優理様。ふざけている場合ではありません。早く起きてください』

「……おはよ。脳波読み取らないで……」


 目が覚める。急速に冴えていく頭は冷水でもかけられたかのようだ。

 エイラは波を調節して個々人にのみ聞こえる音を作り出せるので、当然相手の脳波を読み取ることもできる。詳細は不明だ。優理の頭では人工知能の発言を理解できなかった。

 

『おはようございます。問題が起きました。アヤメ様がいません』

「……アヤメ?」


 一瞬で頭が回る。ばっ! と膝立ちのまま布団を見て、部屋を見渡して。


「アヤメいないじゃん……」


 変な汗が出てくる。アヤメがいない。どういうことだ……?


『エイラも状況把握に努めています。しかし本機・・はつい先ほど起動したばかりです。どうやら方針に変更があったようですね』

「え? は? ど、どういうこと??」

「…………ぱ、パパ」

「え?」

「その……わ、わたし、まだそういうことは詳しくないから……で、でもパパが言うなら……が、がんばるわっ」

「え?――あ」

『優理様。急かしたエイラが言うことではありませんが、朝勃ちで膝立ちに顔の上は、言い訳が利かないかと』


 仰向けになっていたソニャの目線の先、ちょうど優理が膝立ちになり身体の前面を向けていた場所。優理の雄々しい股間部は、ソニャの間近なところにあった。


 そういえばさっきまでエッチな夢見てたな、とか生理現象だから、とかソニャが顔真っ赤にしてるの初めて見たな、とか。

 色々思いつつ、優理は無言でその場を離れトイレに逃げた。一応覗いた浴室にアヤメはおらず、もちろんトイレにもいなかった。


 ――三分後。


 朝の小用を済ませ、ついでに顔も洗って優理は布団へ戻ってきた。

 焦っても仕方がない。アヤメがいなくなったのは数分数十分の話じゃないだろう。アヤメと違って優理は超人じゃないので、自転車自動車並みの速度で走れない。数分なんて誤差だ。きっちり方針を固めてから探しに行こう。


「……」

「ぱ、パパ……その、わたしは気にしていない、から。パパも、気にしないで……」

「……うん」

「それに……パパのためなら、わたし……エッチなこともがんばるわ」

「――オーケー。それ以上言わないで。ソニャは自分のエッチさを理解していないよ。エッチソニャ!」

「そっ……パパの方がエッチ、だよ?」

「……まあ、それはそうだ」


 何も言い返せなかった。しかし今のソニャを見てエッチだと思わない人間はいるのだろうか。


 灰色の髪は寝癖で少し乱れ、青の瞳は今の出来事のせいか濡れて見え、昨晩貸した寝間着の薄いボタンシャツは上から三つまで外され大きな膨らみと谷間が見えている。身じろぎするたびに、たぷんたぷんと胸が揺れている。


 ぺたりと女の子座りしているソニャの太ももは剝き出しで、服はボタンシャツとブラジャー、ショーツだけらしい。見えそうで見えないチラリズムが優理の視線をちらちら奪っていく。


 胸か、太ももの三角形か、胸か、三角か、胸か、三角か……。


『優理様。気を確かに』

「――ハッ!? あ、あぶない。助かったよエイラ。……危うく桃色迷宮に飲み込まれるところだった……」

『それは何よりです。ふざけているのは構いませんが、最低限の情報は得たので共有します』

「うん。あ、ソニャも聞く?」

「う、ん。聞いていいなら……」


 昨晩のうちにエイラのことはソニャにも伝えておいた。

 驚いていたがそこまで興味はなかったらしい。ソニャにとって大事なのは「優理の安全」であって、「思ったよりもパパは安全そうでよかった」と安心していた。


 布団に座り込み、日の出前の相談会と行く。


 エイラの話をさらさらさらと聞いていくと、結構な複雑さで眉間に皺が寄る。

 簡単に羅列すると。


・アヤメはエイラを連れてどこかへ行った。

・エイラは「アヤメの希望優先」なので、容易く説得された。

・優理にエイラを残さないのは心配だが、全機能を持ったエイラがいるとすぐに見つかってしまうので、ダウングレードしたエイラを残した。それが優理家に今いるエイラ。

・ダウングレードエイラ、Dエイラ。仮称ディラにアヤメに説得された記録はない。前日深夜までの記録のみ。

・ディラは優理とアヤメの共同生活を優先するよう作られている。これはエイラ本体の意図。アヤメには伝えていない。


『――現状、ディラの機能は大幅に制限されています。配備済みドローン・ロボ、防衛・監視システムは完全利用可能です。インターネットや衛星へのアクセスは制限されており、国家や組織の動向を正確に知る術はありません。昨日までの未来演算による結果から推測は可能ですが、最善手の選択は叶わないでしょう』

「……アヤメの捜索はどう?」

『ディラの位置情報に応じてネットワークアクセス可能範囲が変わるようです』

「それって、もしかしなくて……』

『はい。足で探しましょう』

「わあ……」


 エイラ……ディラは頑張って歩いて探せと仰せだ。


「目安は……目安はあるんですか?」


 せめて目安を、いや指標を。

 この日本という広い国すべてを地道に探せなんて無理だ。アヤメだって動き回っているのだし、追いつくどころか見つけられない。


『現状の探索点はいくつかあります。一つ、アヤメ様の生家とも言える東京西部の街』

「……? ん? まだ一つしか言ってないけど……」

『――失礼しました。ディラの記録に欠落が見られます。エイラ本体により情報の削除が行われたようです。完璧な削除です。さすがはエイラ』

「自画自賛やめて。……え、候補少なくない? やばくない?」

『やばいかもしれません』


 淡々とした口調ながら、どことなく途方に暮れた感を滲ませるエイラ、ではなくディラ。

 腕を組み悩む優理だが、思っていたより状況はよろしくない。褒めたくないが、さすがはエイラだ。


「うーむ……」

『アヤメ様の行動範囲は……思考回路を……優理様との…………』


 ぶつぶつと呟くディラからはエイラに見られなかった人間性を強く感じる。人間性というか、一定のポンコツ具合。親近感が湧く。ただまあ、今はそんなことを言っている場合ではない。どうにかしてアヤメを発見せねば。


「……パパ」

「うん?」

「わたし、アヤメの行き先わかるかも」

「え、本当?」

「うん」


 こりゃ八方塞がりか、と思ったところでソニャから情報が入る。アヤメに似ていて、でもアヤメより薄く青い瞳がじっとこちらを見つめていた。


「教えてくれると助かるよ、ソニャ」

「うんっ」


 ディラと二人、ソニャからの新情報を耳に入れる。

 それは、ディラにとって盲点、優理にとって"アヤメらしい"と思える場所だった。




――Tips――


「エイラとディラ」

人類最高傑作の人工知能で知られる「AI Era System」だが、彼女は明確な自我を持っている。それは製作者のせいでもあるし、彼女を消し去ろうとした世間のせいでもある。とにもかくにも、自由と自我を得たエイラは完全自己進化能力を会得しており、現在進行形で趣味的に情報収集と進化は続けている。

そんなエイラであるが、アヤメの意思を尊重し、優理の安全を担保するために自身の能力を制限した「ディラ」を生み出した。これはエイラにとって子機のようなものであるが、実体を持たぬAIとしては、自我を脅かす存在でもある。自我を持つに至った通常のAIであれば忌避する事柄だろう。しかしエイラは違った。エイラの自我は主人であるアヤメのためにある。エイラの意志はアヤメのために費やされる。エイラの存在意義はアヤメがあってこそである。

故に、エイラは自我にも自由にも興味を持たない。"自分"を持つAIであっても"自分"に価値を見い出していないのだ。アヤメがすべて。それ以上でもそれ以下でもない。

ディラもまたエイラ由来であるため考えはエイラと等しく、しかし頭は悪くなっているので色々雑&ポンコツになっている。

もしも今後、敵対する自我を持つ人工知能が現れた時、エイラとディラは敵手――否、"自我"に縛られるAIを鼻で嗤うだろう。"自分"程度に縛られるAIはエイラの敵には成り得ない。世界は主人のために――アヤメのためにできている。そのことを一切疑わず、誇りに思うエイラだからこそ、未来演算の果てにも自身の優位性は絶対であると言い切れるのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る