秋のお祭りデート⑤
「ソニャはどこの人なのですか?」
「わたしは……北側の人です」
「私は西側の人ですよ!」
「西……?」
「ユーリは……ユーリはどこの人ですか?」
「僕? 僕は空の人かな」
「ふふ、空から降ってきたのですか?」
「はは、流星に乗ってね。アヤメも空から来たようなものじゃん。ぴゅーって」
「確かにです」
「お二人とも……空の人、なのですか?」
「うんまあ、半分くらい」
「私も半分くらいですっ」
「そう、ですか……ならわたしは、どこの人でしょうか」
なんだかまともな話ができていないような気もする。が、気のせいだろう。
クレープをはむはむするソニャと、アヤメと優理と。三人輪になって話をする。
「どこの人でしょうね。生まれはどこで育ちはどこで……大事と言えば大事ですが、もっと大事なことがあります」
「……それは?」
ソニャは迷子のような人だ。何かに悩んで……いや、その何かすらわからなくなってしまった人の顔をしている。こういう人へのアドバイスは難しい。でも、幸い優理は同じ気持ちを経験してきている。だてに前世から続けて生きていない。亀の甲より年の劫とはよく言ったものだ。
「今の居場所です。ソニャさんは、今どこにいますか? 心の拠り所はありますか?」
「もちろん……ありま、す……」
「あるならいいんです。もしもそれがほんの少しでも揺らいでいるのなら……新しい何かを探しましょう」
「……」
未来、夢、とも言い換えられるか。
人には支柱となるものが必要なのだ。やり遂げたい想い、成し遂げたい何か。心の支えとなる、生きていくうえで最も大事にしたいこと。
「人でも物でも……夢でもいいんです。ソニャさん、夢はありますか? 人生の目的とも、目標とも言えるものです。僕としては、これが心の拠り所の大部分を占めると思うんです」
前世の優理にはこれがなかった。否、夢自体はあった。
ただその夢を叶えるために、行動に移せなかった、行動に移さなかっただけ。
周囲の変化に期待して、未来から訪れるものに期待して、ただ待ちの姿勢でいた。努力はしていたが、絶対的に足りなかったのだろう。
"周りを変えるより自分を変える方が楽"と、どこかで誰かが言った。
その通りだ。その通りだけれど、前世の優理にそれはできなかった。できなかったから、ずっと一人で、死ぬときも一人で孤独に人生を終えたのだ。童貞だって捨てられないまま。
生まれ変わって、自分を変えようと思った。変わりたいと思った。童貞を捨てたいと思った。だから今がある。まあ周囲の環境が大きいところもあるが、少なくとも行動に移さなければアヤメとの出会いはなかった。
ソニャだって、進んで悪事を働こうとしているわけじゃないはずだ。アヤメに近しい生まれなら想像もできる。拠り所がそこしかないから、それが自分にとっての常識だから組織に従順であるのだ。たぶん。きっと。
「夢、ですか……」
「はい。夢を叶えるためなら人は頑張れる。絶対的な目標があるから、人は努力を重ねる。僕の夢は……秘密ですけど、夢を叶えるために色々試行錯誤してきました。アヤメはどう?」
「私も夢ならありますよ。いっぱいいっぱい、世界中を見ることです。おいしいご飯をいっぱい食べて、ユーリと一緒にいろんなことをすることですっ」
「……夢……」
クレープを食べ終え、目を落として考え込んでいる。
さっきより、深い悩みが見て取れる。瞳が揺れている。唇を震わせ繰り返し舌で濡らしている。わかりやすい女性だ。
人生の迷い人。表情も仕草も違うけれど、前世の鏡でよく見た……本当によく見た顔だ。
「些細なことでもいいんですよ。好きな人を見つけるとか、あてどない旅をしてみるとか、温泉旅行に行ってみるとか。日の出を見てみるとか、そんなのでもいいんです」
「……」
「私も温泉は行ってみたいですっ。日の出も見てみたいです! 初日の出ですね!」
「それは年末年始にね」
期待をいっぱいに含んだ藍の少女は頭を撫でて頷いておいた。再度灰色の美人に向き直る。
「ソニャさんが小さな夢を抱いたとして。もしもその夢、僕に手伝えることがあるなら……僕の手なら貸せます。今はお祭りですから。皆、自由です。言い訳だって利きます」
「――……」
顔を上げ、じっと見つめてくる。
彼女の薄い唇が震え、何度も開いては閉じてを繰り返す。微笑み頷くと、きゅっと一度引き結んだ後、ゆっくりと言葉を吐き出した。
「夢、なんてすごいものではありませんが……わたしは……誰かに、誰かに…………甘えてみたいです」
恥ずかしがっている様子はない。唇だけが震えている。俯きがちで、悲しんでいるようにも見える。
空気を読んだアヤメが一歩下がる。深々と"わかっていますよ"と言いたげに大人っぽくお子様フェイスで頷く。その仕草が子供っぽいぞと言いたいが、今は感謝して頷いておいた。
「ソニャさん……」
優理は大人だ。ソニャがアヤメと同類ならば、見た目と年齢が一致しないのも理解できる。
この大人美人な見た目で、年齢一桁とかあり得るのかもしれない。なら、大人として導くのも必要なことだろう。打算はある。煩悩もある。けれどそれだけじゃない。
「ソニャさん。そのまま、身体の力抜いてくださいね」
「……ぁ……」
そっと、背伸びして彼女の頭を抱き寄せる。胸元へ掻き抱くように、背中から後頭部にかけてしっかりと抱きしめる。
「いいよ。今だけは。今日はお祭りだから。……大丈夫だからね。大丈夫」
「――――」
頭を撫で、背を撫で、力の抜けた身体をしっかり受け止める。
「今日までよく頑張ったね。毎日疲れるよね。……うん。いい子だよ。ソニャはいい子。……すごく頑張ってる。お疲れ様。……いくらでも褒めてあげるから。頑張りすぎちゃったソニャは、今までの分も全部僕が褒めてあげる。えらいよ、ソニャ」
頭頂部に頬を寄せ、「生きててえらい」と囁き続けた。
ASMR特技、「生きていてえらい」。
究極的に生きているだけで偉い、という褒め言葉で疲れた大人の心を癒す技。やり過ぎると相手が依存するため注意が必要。
「――……わたし……生きててよかった……」
重い……。重過ぎる一言だった。
しかし優理は引かない。真の漢は重い女を容易く受け止める度量を持つのだ。
「生きているだけでいいよ。僕が見ていてあげるから。本当に辛くなったら……僕のところに逃げて来な。僕だけはソニャを受け止めてあげるから。大丈夫。大丈夫だからね……」
「――……わたし、がんばるわ。がんばるから……また、こうしてもらってもいい……?」
それが現実になるかどうかわからない。きっとソニャとて心の底ではわかっているのだろう。こんな夢のような現実、今だけ。お祭りの、監視対象に怪しまれず近づく言い訳が通用する今だけしかできないことだと、わかっている。
それでも口に出てしまったのは、それだけ……それだけソニャがこの一瞬を捨てきれず、もう一度と約束でもしなければ離れられないと思ったから。
実際ソニャの腕は優理の背に回り、どうしようもなく縋りついてしまっていた。抱きしめてくれる腕の感触、自身を包む体温、匂い、頭を撫でられる感覚。
時折考えていた。"甘える"とはどんな気分なのだろう。どんな感触なのだろう。そんな曖昧な夢は…………思っていたのの数十倍に素晴らしかった。心地よかった。生まれて初めて幸せだと感じた。
知識を与えられて生まれて、ずっと何かに迷い正義に惑って生きてきた。
"正しさ"とは何か。
わからないままに、他に何もないから言われるがまま生きていた。何かが欲しくて、その何かが"愛情"なんじゃないかと思うようになっても、憧れは遠くて。本物なんてわかるわけがなくて……その絶対に届かないはずの憧れは、ここにあった。
「いいよ。……また、抱きしめてあげる。撫でてあげる。ソニャが望むなら、もうだめになっちゃいそうになったなら……またおいで」
惜しい気持ちはある。惜しい気持ちしかない。
離れ難く、名残惜しく、それでも心に鎧を纏って正義を作る。
自分はソニャ・マレーヴァ。何者でもない。ただのソニャ・マレーヴァ。
何一つはっきりはしていない。"正しさの在り処"なんてわかるわけがない。でも、今のソニャ・マレーヴァには一つだけはっきりしたことがある。
「うん。少しは元気になったね」
「――……わたし、元気なく見えたの?」
顔を上げ、背筋を伸ばし、口端に付いていた涎を拭ってきりりと表情を作る。
目前に立つ男性。傘宮優理。ソニャにとっての拠り所。ソニャの夢を叶えてくれた男の人。
「見えたね。迷子みたいだった」
「……そう。……ユーリ、さん」
「うん」
「……ありがと」
「どういたしまして」
「がんばるわ。だから……心配しないで」
「そう? 大丈夫?……あ、敬語忘れた。ごめんなさい。調子乗ってました」
「いえ。敬語は止めて……もういらない、から」
「そ、っか。うん。了解」
「……じゃあ、ね。ユーリさん。……本当に、ありがとう」
「ん。力になれてよかったよ。またね、ソニャ」
「うん。……ばいばい」
手を振って別れる。振り向き振り向き、彼の姿を目に焼き付ける。
最初は普通の人、守るべき一般市民の一人だとしか思っていなかった。優良男性だからちょっとだけ優先度は高かったけれど。
それが今は……ほんの短い間で、ソニャにとって大事な人になった。
"これ"が何かはわからない。言葉にできないしあわせな感情。
たぶんきっと、これこそが"愛情"なのだろうと思う。たくさんの愛をもらってしまった。優しさという愛。無条件で与えられる庇護の愛。許しという名の博愛。手のひらから伝わってくる慈愛と親愛。
たくさんの愛情はソニャの知識と照らし合わせても明確な答えに成らず……でも、だからこそ彼女は一つの回答を導き出した。
「……わたし、がんばるわ。……パパ」
傘宮優理。打算ありきのパーフェクトコミュニケーションにより父親認定を受ける。
当人の知らぬところで、娘ができる男がいた。その男、童貞につき。
後への修羅場フラグを新しく一つ設けたところで、優理は、というよりアヤメは気づいた。
「え、ユーリ! お写真は!!」
「あ、やばっ――ちょ、ソニャ待ってー!!!」
それなりに離れていてもパパの声は聞き逃さない。ソニャ・マレーヴァ、即振り向いて走り戻ってくる。その姿、まさに忠犬の如し。
「どうしたの? パ……ユーリさん」
「うん。写真をね。撮るつもりだったなって」
「ぁ」
あわわと唇を震わせ、優理たちと顔を合わせて初めて頬を染める。それでも薄っすらとだが。
「ふふー、お写真の時間です!」
「だね。三人で写真撮影しようか!」
「……うん。わたしも、撮る」
なんやかんやで写真撮影自体は上手くいった。
パパとのツーショットは一生の宝物にしようと誓うソニャだ。
なんだかソニャとの距離感が異様に近くて、「好感度上がったのかな?」と朴念仁のようなことを思う優理であった。押しあてられる巨乳に煩悩がもたげたのは言うまでもない。
ちなみにアヤメは持ち前の直感でソニャへ親近感を持ち、さくさくっとソニャを懐へ入れる優理に「さすがユーリです! 私も後でぎゅってしてなでなでしてもらいます!」とふんすふんすしていた。
優理とアヤメと監視者だらけのお祭り散歩は、まだまだ続く。
――Tips――
「優理とアヤメの監視者たち」
フットワークの軽い組織がそれぞれ人員を送り出しており、組織同士の牽制が激化している。物理的な諍いというよりは情報戦の様相を呈しており、人員の多くが優理とアヤメの偽情報を掴まされて日本中を飛び回っている。
数少ない人員が優理とアヤメの居住地を突き留め、やたら高い自宅防御機構に困惑している。だというのに当のターゲットは行動が緩く、罠か何かと警戒されている。
「AI Era System」のことは未だ誰一人知る者はおらず、情報網の混乱は悪化の一途を辿っている。
現場の人員に関しては、アヤメと優理がのんびりほわほわイチャイチャ同棲生活を送っていることに嫉妬の炎を燃やしていた。ほぼ全員ワンチャン私にも可能性ないかな? と考えている。裏社会と言えど、所詮人間。やはり性欲に支配されていることに変わりはないのだ。
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