映画見て泣いてご飯食べて。



「ふぇ、ぐす……っ」


 右からはぐすぐすと泣き声が聞こえる。ちらと見れば銀髪美少女が一生懸命タオルで目元を拭っていた。


「――……ぐす」


 左からは時折鼻をすする音が聞こえる。見れば目元をタオルで押さえる美人がいる。


「……」


 そして中心。漢、傘宮優理。


「ふ、ぐ……ぅ」


 漢泣きである。声を押し殺し、滂沱の涙を流す一人の漢がいた。


 ――映画終わり。


 三人仲良くシアターを退場する優理とリアラとアヤメである。

 それぞれの手には空になったポップコーンやドリンクの容器、ホットスナックのゴミが積まれている。


「ありがとうございましたー」


 ゴミの回収にトレイ他すべて渡してしまい、数時間ぶりの自由に喜ぶ。

 それはそれとして、優理は普通に泣き疲れていた。スッキリとした疲労感がある。


「映画、すっごく良かったですっ!!」

「そう、だよね! 私も選んだかいがあったかな。ふふ、アヤメちゃんいっぱい泣いちゃってたね」

「えへへー、リアラもいっぱい泣いていました!」


 わいわいと感想会を始める二人に「お手洗い」と告げ、一人女子トイレへ。

 スムーズに個室へ入り用を足すが、我ながらスムーズ過ぎてこれはなぁ、と苦笑してしまう。


「……」


 もう一端の可憐な女子だ。

 まあ二十年も生きていれば女子トイレに入ることへの抵抗もなくなる。おトイレ中に音を流してお小水音を消すのも慣れた。


 ちゃっちゃと手を石鹸で洗って外に戻り、さて、といったところで二人もトイレへ。話が楽しくて尿意を忘れてしまっていたらしい。にこやかに見送り、壁際に立つ。


 時刻は十四時を過ぎて、お腹の空き具合も結構である。

 ずっとパクパク食べていたアヤメや意外に飲み食いしていたリアラと異なり、優理はほとんど食べ物に手を付けていない。まあなんとなくいいかな、と思って食べなかったのだ。後のお食事を楽しみにしていたのもある。


「お待たせしましたー!」

「お、おまたせっ」


 とてとてやってきた二人に、ふわりと笑みを向ける。


「ううん。全然。行こうか?」


 にこぱーと笑む少女と、妙に照れている美人と。

 三人で外へ。急に明るくなった世界に目元をしばしばさせ、アヤメがぎゅーっと目をつむっているのを見てからから笑う。リアラは微塵も影響を受けていなかった。さすが国家公務員だ。


「……雨、止まないなぁ」

「そうだね。……ふふ、アヤメちゃん、ずっと楽しそうだね」


 映画を見終えてから、優理は心地良い疲労に包まれていた。リアラもまた大小あれど泣き疲れはしたらしい。感情が揺れると人は疲れる生き物なのだ。それに対して、銀色お姫様は元気いっぱいな様子。

 下手しなくても一番泣いていただろうに、疲れは一切感じさせない。らんらんと傘を差して跳ねている。


「アヤメはお転婆お姫様ですから。子供は元気が一番ですよ」

「うん。いっぱい食べて、いっぱい泣いて……またいっぱい食べて?」

「あはは、またご飯ですからね。リアラさんはどうですか? お腹空きました?」

「あ、う、うん。な、泣いたらお腹空いちゃった、かも……お恥ずかしい限りです」

「ふふ、僕もですよ。結構泣いてお腹空きました。エスコート、お願いしますね?」

「ふふ、うふふっ。立場逆じゃないかな?」

「まあまあ、じゃあ車までなら……――さあお嬢様、お手をどうぞ」

「わ、え、えとえと……お、おねがいしよう、かなっ」


 遠慮がちな美女に腕を貸す。エスコートと言えばこれだ。傘を差し、腕を貸し、優雅……とは言えないが胸を張って歩いていく。案内をリアラ任せなのはご愛嬌。


「ユーリ、リアラ! 私もエスコートしたいですっ!」

「ほほう、ならリアラさんの逆の手を支えてあげると良いぞよ」

「ふふー、変な喋り方です! でも名案ですー!」

「え、ええっ!?」


 腕を貸すというか、自由に腕を組んでしまった。お転婆お姫様の真骨頂発揮だ。

 楽し気に髪を揺らして腕組み歩く。三人で並んで歩いているのに、目的地は一番動きにくい真ん中しか知らないのは変に笑えてしまう。


 口頭で指示を仰ぎながらあっちへ行ったりこっちへ行ったり。優理とアヤメでそれぞれいろんな方へ行くせいでやたら時間がかかってしまう。


「あははっ!」

「ふふ、もう、二人とも間違え過ぎだよぉ」

「ふふふっ、遠回りゲームです!」


 こんな楽しいことがあるかと、優理もリアラもアヤメも、どこまでも幸せそうに笑って時間を過ごす。

 お互いそれぞれ抱えているものはある。胸に秘めたことはある。これからあれしようこれしよう、と考えていることもある。


 けど、リアラとアヤメは今だけは全部忘れていた。昨日も明日も忘れ、今は今。現在だけを全力で楽しむ。


「はー、楽しいっ」


 優理もまた同じく今を楽しみはする。ただ、二人と異なり考える。

 人間、心の底から明日を忘れて今だけを楽しめたならば……それはきっと、人生を何倍も何十倍も楽しめることになるんじゃないかと。

 不安も惑いも忘れ、目の前の幸福だけを想えればどんなに良いかと。


 でも、同時に思うのだ。

 明日の不安があるから、人は備えようとする。今の優理であれば、アヤメのためにと想ってエイラと事を進めている。訪れる破局を単なる小さなアクシデント程度に変えるため、事前準備を重ねている。


 それらの不安を乗り越え、悪意を押し退けた先にこそ、本物の幸福があるんじゃないかと思う。


 だって、人生は積み重ねなのだから。

 すべてを投げ打ってでも助けようとする、世界中敵に回したって貴方と共にいる。その言葉の、その心の在り様のなんと美しいことか。それは紛れもなく愛だ。究極の愛の形だ。


 優理は前世でそれを学んだ。ゲームで。


 いつか全部乗り越えて解決した後に、アヤメと向かい合ったならば……彼女は何を言うのだろう。ありがとうと言うだろうか、大好きと言うだろうか。どんな表情で、どんな想いを込めて言葉を紡ぐだろうか。


 自分はその時、何を思っているだろうか。

 わからない。わからないが、きっと今抱く幸福の上限を容易く超えて、想像もできない感情の極みに辿り着けるのだと思う。


 だから、優理は明日を思う。今この瞬間は現在を楽しむが明日も忘れない。頭の片隅で常に明日への不安を抱えて今を生きる。


「――ま、なるようになるか」

「? 何のお話?」

「あはは、いいえ。ご飯めっちゃ食べられるかなーって思いまして」

「ふふっ、食いしん坊な優理君」

「むむ、私はユーリよりたくさん食べますよ!」

「どこに張り合ってるのさ……」


 肩をすくめ、微笑を苦笑に変える。

 悩んだってどうにもならない。その悩みを軽減するため、不安を消し去るために、優理はエイラに託しているのだ。人類史に残る最高傑作のAIにすべてを託している。


『……お任せください。エイラは、エイラの使命を全うします』


 どこかから、そんな声が聞こえた気がした。

 気のせいではないのだろう。波長を合わせ、優理にだけ聞こえる声を流した。エイラならそれができる。だってエイラだから。


 小さく頷き、電子の海を支配する人工知能に想いを託す。

 "アクシデント"の日は近い。未来演算がどこまで正しく――否、すべて正しいそれを上回る何かがあるのかどうか。明日が現在になる日まで、確定はしていない。





 今日だ明日だと悩めるのは生理的欲求が満たされているからと誰かが言った。

 衣食足りて礼節を知る。衣食足りて欲望を知る。食事足りて、悩みを知る。造、傘宮優理。


 優理はリアラの運転でお食事処にやって来ていた。

 未だ車に慣れていないアヤメは助手席をねだり、結果優理が後ろで一人座ることとなった。悲しい。ぼんやり外を眺めていればすぐ、女性二人の姦しいやり取りは心の癒しでもあった。


 三つ葉代駅より車で約十五分。

 どんなお店かと思ったら、意外も意外にラーメン屋だった。ただ、チェーン店やTHE ラーメン屋のような雰囲気ではなく、どことなくおしゃれな大人っぽい雰囲気を醸し出している場所だった。例えるなら回らない寿司屋、上品な定食屋、大衆懐石料理屋。そんなところ。


 壁は黒い木で、天井は白、大人しい色合いだが明かりは暖色系と雰囲気は柔らかめ。流れる音楽はジャズ寄りのピアノオンリーとハイセンス。


 ラーメン屋にありがちな食券方式だったが、メニュー自体は割と独創的。魚介、それも貝類で出汁を取ったラーメンとつけ麵、もしくは鳥出汁のラーメンつけ麵、これら四種がお店の定番らしい。サイドメニューはいくつかあるが、まあ今は置いておこう。


 食券初体験なアヤメはそれはもうずいぶんと楽しそうだった。連れてきたリアラもとっても喜んでいた。保護者の優理もほっこりした。


 席に着き、しばらく歓談して注文品が届く。時間も時間なのでお客さん自体はあまりいなかった。故の早さか。お腹が空いていた優理としては嬉しい限りだ。


「おお」

「わー!」


 リアラはくすりと微笑むだけ。彼女は三回ほど来たことがあると言う。

 今回の席順はテーブル席で、左奥にアヤメ、向かいに優理、その隣にリアラという順だ。アヤメの隣は荷物置き場である。何故こうなったのか、それは注文品の量に由来する。


「どんどん来ますっ」


 ニッコニコの美少女が言うように、大盛りのラーメンに加え、サイドメニューのどんぶりが三つ運ばれてくる。いわゆる小丼と呼ばれるものだ。親子丼、チャーシュー丼、季節の貝丼。さらにトッピングのアレコレ。あと麺以外で地味に人気らしいカレーも。

 これだけ頼めば席も二人分は必要であろう。英断だった。お姫様はちょっぴりご不満そうだったが。ほっぺたをむにむにして機嫌は取った。


「こっちもすぐ来るだろうから食べていいよ」

「えへへー。いただきますっ!」


 律儀に待っている可愛い子へOKを出す。アヤメは良い子過ぎるので、いつまでも優理を待っていたことだろう。本当に、誰が育てたらこんな優しく可愛い世界の美少女になると言うんだ。僕か……! 優理は戦慄した。


「お待たせしましたー」

「ありがとうございますー」


 変なことを考えている間にちゃっちゃと持ってきてくれた店員に会釈する。ここでも店員は女性だ。無論店長も女性である。映画館でもそうだったが、どこに行ってもやはり見るのは女性ばかり。世も変わったものだな……生まれた時からこうだったわ。変わったのは優理の住む世界である。


「リアラさん、写真撮りましょう」

「え、う、うん」


 食べようと箸を持ち上げていた美人だ。優理の発言で慌てて取り繕う。そんな姿をバッチリ見ていた童貞だが、何も言わずニッコリ笑ってサムズアップした。

 顔を真っ赤にしたリアラにとかとかと腕を叩かれる。可愛い抗議だ。でもこれ本気出されたら腕破壊されるんだよね、そう思うと変な汗が出そうになる。公務員って怖いね。


 とりあえずラーメンを食べて満面の笑みを浮かべている銀髪美少女をパシャパシャ撮っておく。このカメラもエイラに弄ってもらっているため、誤認アクセを無視できる。さすがエイラ。さすエイ。


「アヤメー」

「んぅ? んふー」


 髪の毛は後ろに流し、ちゅるりとすすったラーメンのままにぱっと笑む。可愛い写真が撮れた。


「いやほんと可愛いな!」


 写真映えすると知っていたが、本当に可愛すぎてちょっとびっくりした。なんだこの美少女、天使か? 天使だったわ。


「本当、可愛いね……」


 リアラも驚くくらいの破壊力抜群、魅力にあふれた笑顔だった。

 可愛すぎる写真を見ていると、どうせなら自分も写りたいなと思ってしまう。ささっと自撮りしてピクチャーメモリーに記録を残しておく。いつの日か、彼女が見返した時に懐かしめるように。その隣に自分がいなくとも……。


「……」


 いけない。明日とか未来とか考えていたら妙に感傷的になってしまった。

 優理の悪い癖だ。ネガティブネガティブ、もっとプラス思考で生きよう。エイラが居る時点で九割はパーフェクトゲームなのだから……いやでも一割は……。


「ユーリ、食べないのですか?」

「え? あぁ、うん。食べる食べる」


 リアラとの写真撮影にも付き合い、少し考え事していたらアヤメに問われてしまった。不思議そうな顔の少女に首を振る。アヤメ、スープとか服に跳ねてないといいな……ちゃんと後で見てあげよう。


「え、うま……」


 一口スープを飲み、その味に驚く。

 貝の風味が口いっぱいに広がる。濃厚と思えて意外に後味はすっきりしている。食べやすい、飲みやすい。美味しい。


 こりゃ確かにハマるか、とリアラへ感想を告げておく。連れて来てくれた美人さんも嬉しそうだ。ほっとしている。アヤメの反応は言わずもがな。いつも通り幸せいっぱいなお顔を見せてくれている。


 ちょこちょこと会話しながら食事を進め、当然のように優理とリアラは先に食べ終わる。

 アヤメがもぐもぐ食べる様子を見ながら、「ゆっくりでいいよ」と言ってあげる。微妙に急ぎそうな表情をしたのですぐに気づいた。頭を撫で、ゆるりとお食事中の頬も撫でておく。にへら、と笑む少女は可愛らしい。


「リアラさんって再来週誕生日じゃないですか?」

「!?!? けほこほっ、ななな、なにをっ」

「あ、再来週っていうか、もう来週か。今日日曜日だし、二十三日は木曜日だし」


 リアラがお水でむせているので、とんとんと背を叩いてあげる。

 今日は十一月十二日なので、九日後。来週の木曜日がリアラの誕生日だ。二十八歳。懐かしいような気もする。前世の優理はそんな年齢普通に超えていただろうから。たぶん。


「お、覚えててくれたん、だ……っ」

「それはまあ……」


 告白してきた相手のことだし、忘れるわけない、とは言えない。さすがにちょっと恥ずかしい。

 頬を染めて、うるっとした眼差しで見てくる美人から目を逸らす。気恥ずかしさが上がる。


「誕生日、何かしてほしいことありますか? 僕、木曜日は午前中だけなので全然お祝いできますよ。アヤメと一緒にケーキでも買いに行ってきましょうか?」


 つけ麵を食べて美味しそうな顔をする美少女に、ね? と目で問う。

 アヤメは首を傾げ、「リアラさんのお誕生日」と告げると、すぐにふんふん頷く。やる気に満ち溢れている顔だ。


「嬉しい……本当に、嬉しいっ」


 花開く笑みを浮かべ、リアラは呟いた。柔らかな笑みのまま、だけど、と続ける。


「まだ、ね。予定わからないから……ごめんね? ケーキは買わなくてもいいよ。ありがとう、優理君、アヤメちゃん」

「あぁ、そうですよね。公務員ですもんね。当日じゃなくても、後日でも祝えますから、いつでも言ってください」

「うんっ、ありがとう!」


 優しい顔のまま、リアラは優理とアヤメに慈愛の目を向ける。それが気恥ずかして、なんとなく目を逸らしてしまった。アヤメはご飯に夢中であまり気にしていない。


 優理がアヤメのことで頭の中いっぱいになっている現在であるが、実を言えばリアラもまた考えていることがあった。今すぐどうこうではなく、仕事としてやらねばならないもの、ではあるのでいつも通りと言えばいつも通りなのだが……。


 それこそ誕生日付近になるまで放置できることなので今日は頭空っぽで過ごしていた女である。ただそれが、優理からお誕生日のことを告げられ、愛しい相手が自身の誕生日を覚えてくれていたと知らされ……一つ、決意が固まる。


 守護まもらねばならぬ。

 奇しくも優理がアヤメに対して抱いた感情を、リアラは優理とアヤメの二人に対して抱く。国家権力に服従する身として、その権力の強さは知っている。リアラがある程度自由にモノを動かせるのは、リアラ自身が国に臣従しているからだ。国から二人を守るために、リアラは決意を固めた。


 この決意が優理とアヤメに関係してくるのは、まだ先の話。


「んふふぅ、おいひいー!」

「はいはい。よかったね。僕に一口くれてもいいよ」

「んぅー……あーん、ですっ」

「おお、あーん……美味しい、ありがとうね」

「えへへー、リアラも、あーん」

「え、えっと、えと、あ……ん……ん、美味しい、ねっ」

「はいっ!」


 今はただ、現在を楽しむだけである。





――Tips――


「守護らねば」 

「守護らねば」と書いて「まもらねば」と読む。

ルビに深い意味はない。高まった感情が「守る」を「守護る」に変換しただけ。しかしたぶん、ただ「守る」よりも「守護る」の方が防御レベルは高い。覚悟の度が違う。

優理の場合、「僕のすべてを捨ててでもアヤメを守ろう」という決意。

リアラの場合、「私の何を捨ててでも優理とアヤメを守ろう」という決意。

とことん似ている二人である。自分たちがいなくなった後、残される側の気持ちを考えていない。少しは考えているだろうが、それよりも自身のエゴを優先している。

一例として優理がいなくなった後のアヤメの動向を描いた世界「【番外編】if、二百年間ずっと、あなただけを愛してる。」があるので参照されたし。

ちなみにリアラがいなくなった場合、優理とアヤメは罪悪感に駆られ、その死を乗り越え、もう二度と同じような過ちが起きないようにと世界を奔走することになる。世界統一政府爆誕ルート。技術レベルはたぶんどの世界線よりも早く進む。何故ならエイラが人類(優理&アヤメ)に全面協力するため。

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