予定と雨の日。

 目覚めると添い寝されていた。

 男なら稀によくある。いやないか。普通はないが、転生を経験した時点で普通じゃないのでよくあってもいい。


 優理が目覚めると、いつものように銀髪美少女から抱き枕にされていた。服が涎で濡れている。悲しい。美少女の唾液に興奮する輩は多いが、優理はもうそういう時代を終えた。洗濯するのは自分だ。着替えるのも自分だ。洗うの増えて着替えが面倒なだけで、それ以上の価値はない。けど少女の甘く爽やかな色気漂う香りは吸っていて興奮する。ついアヤメを抱きしめて深呼吸してしまった。


「すぅぅ…………ふぅ」


 我に返る。こいつはよくないぜ……中毒になりそうだ。


 そっと少女の腕を外し、静かに布団から起き上がる。

 置時計を見れば時刻は夕方前の十六時過ぎといったところ。記憶を辿ると昼食から先何も覚えていなかった。寝落ちしてしまったらしい。ちょっと寝すぎじゃないかと思うが、たまにはこんな日があってもよいだろう。


 別に何も処理はしていないが、ささっと手洗いうがいを済ませ微妙に賢者タイムで椅子に座った。

 考えるのは明日、そして来週のこと。来週はまあまだいい。お祭りは行くだけだし、小銭の用意と移動経路を調べておくくらいだ。問題は明日。


「……特に何もないんだけども」


 呟きつつ、携帯を取って連絡を入れる。なんとなく考えていたことだ。



< リアラさん ✉ ☏ ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


【2028年11月11日(土)】


リアラさん明日ひまですか?

【未読 16:14】



【メッセージを送信】

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



 ぱぱっと連絡を入れ、明日の予定をぼんやり組み立てる。

 もともと誰かを誘おうとは思っていた。しかし優理の生活(女装、男隠し、誤認アクセ)を考えると気安く人を誘えない。

 学友のモカと香理菜、特に香理菜はホイホイ付いてくるだろうがまだ男暴露は早い気がするのだ。……いや先延ばしにしたいだけか。それも人間。人間らしくていいじゃないか。


 知り合いの灯華は呼べばくるかもしれないが、たぶん普通に忙しいのでやめておいてあげよう。メイドの実咲だけ呼んでも……あの人が混ざると私生活がすべてあの人色に染められそうで怖い。嫌いじゃないけど、まだそこまで仲は深まっていないのだ。実咲は距離感が良い意味でバグっている。


 そうなると、必然的に気安く誘えるのはリアラだけになる。

 おしとやかで、空気を読めて気が利けて大人レベルが高くて、アヤメへの理解も高く優理とアヤメからの好感度もすこぶる高い。完璧な人選だ。


「映画か……」


 アヤメのために一緒にしてあげたいことリストその1、映画鑑賞。

 遊園地や動物園水族館は手間暇かかるにしても、映画なら近くてサクッと行ける。ついでにまだアヤメを連れていっていない場所だからショッピングモールも買い物も、何ならゲームセンターも一緒に入ってしまおう。


 とはいえメインは映画。どんな映画を見よう。家のパソコンでならアヤメも見てきたから、映画館映えするものがいい。 


「ふーむ……」


 明日行こうと思っているところは映画館自体が大きいので、水飛沫があったり揺れたり音圧があったりするのがいいかもしれない。いいね。優理もなにげに体験したことがない。名案だ。ちょっと楽しみになってきた。


【暇です。どこでも行きます。お迎えに上がりますか?】

「早いな」


 数分考え事をしている間に返事が来ていた。

 リアラは暇らしい。それなら。


【明日映画見に行くつもりなのですが、リアラさんも行きませんか?時間は十時頃。××駅の東口で。お迎えはなくて大丈夫です】


 まだアヤメには何も伝えていないが大丈夫だろう。時間がだめなら少しずらせばいい。


 椅子を立って布団区域へ。お昼寝で丸まっている少女の傍に屈み、顔にかかった髪を後ろに流しておく。アヤメは髪留めをしていないと、顔もすべて髪で隠されてしまって大変そうだ。寝ている最中によく髪を除けている仕草を見ている。優理もまた、よく髪を流してあげている。


 慈しみを込めて少女を撫でる。

 この気持ち……これが、愛……ッ!!


 リアラからは再び即返事が来て、絶対行きますという固い決意を文面から感じ取れてしまった。

 アヤメが起きるまで今しばらく、優理は静かに銀の少女へ寄り添っていた。





 しとしとと雨が降っている。小雨だ。

 窓から見える曇天は深く、幾筋もの線を作り大地に薄い滝を降り注がせていた。窓に指を押し当てるとひんやり冷たく、微かな心地良さと共に感傷的な自分を慰めてくれるような気がした。雨は友達。優理は雨が好きだった。


「ユーリー、行かないのですか?」

「ん。行こうかぁ」


 叙情的な意識を振り払い、背後から聞こえたご機嫌な妖精ボイスに応える。

 今日は雨。お出かけの日。映画の日だ。


 振り返ると、小さめの鞄を背に、薄手の長袖シャツを着た銀の少女が優理を見つめていた。

 今日のアヤメは若草色のシャツに淡い青の長ズボンを履いた秋色爽やかコーデだ。大人っぽくもあるが活動的で、髪の毛はサイドで緩く結び束ねている。どこぞの公務員美人風で、ゆったりお姉さんなヘアースタイルは雪妖精にもよく似合っていた。

 ちなみに優理は適当な白シャツと灰色のズボンを履いている。女装していない自分の服に興味はない男である。


 肩掛けの鞄を取り、傘を持って外に出る。

 肌寒さはある。だがコートはまだ早い。そんな季節。


 雨空は色濃く、冷たい雨が降り止む気配はない。天気予報でも一日中弱い雨、気分はレイニー。いつも通りだ。


「ユーリ。元気ないですか?」

「どうして?」

「わかりません。なんとなくです」

「ふふ」


 マンションの廊下を歩きながら、そっと少女の頭を撫でる。

 この子は人をよく見ている。優しい子だ。


「……どうだろうなー」


 元気がない。確かに元気はない。

 アヤメとのお出かけは好きだ。雨も嫌いじゃない。映画だって見たい気持ちはある。外食もまあ、楽しみと言えば楽しみだ。じゃあ何が不満なのか。不満はない。ただ……。


「……ちょこっと疲れてるかなぁ」


 そう、疲れてるだけ。

 たまにある、急に全部疲れて投げ出したくなる時のアレ。こういうのは本当に急激に来るし、対処も何も時間経過を待つことくらいしかできないのでどうしようもない。あ、抜けばいいか。


「……」


 我ながら思考が酷くてしかめっ面になってしまった。隣のアヤメがすごく心配そうな顔をしている。これはよくない。映画楽しみでしょうがない女の子に、これはよくない。


「アヤメ」

「は、はい……わわ、ユーリ?」

「んー、もうちょっとだけ」

「え、えへへ。ユーリ甘えん坊ですっ」


 可愛いお姫様を抱きしめ、人の温もりで元気をチャージする。

 優理は童貞だが、少し前に学んだのだ。人肌の温もりは本当に心に効く。特にアヤメのような太陽の女の子は特効薬だ。抱きしめ返してくれる優しさと信頼が、心の奥にじんわり染みて心地良い甘さをもたらしてくれる。


「アヤメあったかいねー」

「ユーリもあったかいですよ?」

「そうかなぁ?」

「そうです!」

「ふふ、そっか。ふふふ、あははっ!あー元気出てきた。ありがとアヤメ」

「えへへぇ、ユーリが元気だと私も嬉しいですっ」


 たっぷりハグしてお日様雪妖精成分を補充だ。一切性的興奮を得なかったのは、それだけ精神的に落ち込んでいるということだろう。

 大人になって時々しんどさゲージがMAXになってしまうことが増えた。これを優理は抑うつ日と呼んでいる。まともな対処法は寝る、あとアヤメから元気をもらう、以上。


 ルンルンな少女よりひだまりエネルギーをもらって、気持ち上向きにマンションの外へ。

 傘を差し、二人並んで歩く。相合傘ではない。なんとなく、今日はそういう気分ではなかった。


「ユーリユーリ!水溜まりですよ!」

「ふふ、水溜まりだね。濡れちゃうから踏まないようにね」

「はいっ!」


 よっ、ほっ、わわっ、ややっ、きゃぁ、えへへ、と大げさなほどにぴょんぴょん跳ねながら水溜まりを避けて歩いていく。時折優理に振り向いて進むから歩みは遅いし普通に水を踏みそうになって慌てている。

 少女の愛らしさにほっこりする優理だ。さっきまでの鬱屈感は薄れ、もう外出てよかったなと思ってしまっている。自分の単純さに苦笑してしまった。いや、これもアヤメの為せる技か。天然美少女ぱわー、すごい。


 孫を見る老爺の気持ちで温かい目を送っていると、ふと思ってしまった。

 一度思ってしまったら止められない。男にはやらねばならぬ時がある。それが今。


「アヤメー」

「はいっ」

「おいでー」

「はーい!」


 とてとて寄ってきた少女は信頼に満ちた輝かしい目をしていた。既に罪悪感が湧く。しかしそれを振り切ってこそのお遊び。


「後ろ向いてくれる?」

「えへへ、いいですよっ」


 ひゅるっと振り向き背を向けてくれる。銀の風が舞って甘く澄んだ香りがふわりと漂う。頬を緩め、そっと後ろから少女を抱きしめた。

 ぴくりと跳ねた身体を気にせず、耳元に唇を寄せ。


「わー、お耳へのいたずらだぞー」


 悪戯したい欲がぐんぐん満たされていく。だてにASMR配信をやっていない。得意技は囁きだ。

 さて反応はと、静かに離れて前に回る。


「きゅぅ……」

「あ」


 顔を真っ赤にして目を回し倒れてしまった。素早く抱き留めたが、優理の方に倒れ込んでくれて助かった。軽い身体を支え、あぅあぅと呻いている少女を背負う。


「ねえエイラ。聞いてる?」

『肯定。聞いていますよ、優理様』

「今の僕の悪戯、やり過ぎだったかなぁ」


 しっかりアヤメを背負い、ゆっくり歩きながら人工知能と話す。こういう時のアドバイスはエイラにお任せである。


『肯定。今のアヤメ様に優理様の囁きは刺激が強かったでしょう。やり過ぎです』

「そっかぁ……。エイラ的に好感度ポイントは?」

『回答。ナイスコミュニケーションです、優理様。エイラはアヤメ様の恋路を応援しているため、優理様の行動には諸手を上げて賛成拍手喝采します。百点満点中五百点のラブ&コメディーな行動でした』

「……そりゃどーも。まさか気を失っちゃうとは思わなかったから、ちょっと反省だよ」

『肯定。ぜひ反省してください。そして次の悪戯はご自宅にて、アヤメ様を布団で抱きしめながら行ってください。そうすれば素晴らしい体験を得られるでしょう』

「どっちが?」

『回答。どちらも』

「そうですか……」


 アヤメへの大胆な行動を勧めてくるエイラは情操教育に良くない。けどもうアヤメは大人だし……大人の男女って難しいね。しみじみ学ぶ童貞だ。


 美少女を背負って一本の傘は差し一本は持ち歩くはめになったが、これも悪戯の罰と思って受け入れる。というか普通にエイラの端末がなかったら傘を固定できなくて雨宿りするはめになっていた。

 背中の柔らかな感触は意識しながら無視する。これが役得というやつだろうか。違うか。


 改札に着いた辺りで、とっくに意識を取り戻し無言でしがみつき、さらには優理の首に顔を埋め吐息を浴びせてきていた少女を降ろす。ずっと首裏がくすぐったくてしょうがなかったのだ。


 すぐに背中から離れてくれた少女に向き直ると、なんとも言えない複雑な顔をしていた。


「「……」」


 顔はまだ少し赤い。目を合わせると逸らしてしまうが、時々じっと見つめてくる。口元がもにょっとしたかと思えばにへらとだらしなく緩んで、眉間に皺を寄せたかと思えば眉尻も目尻も垂れて、怒っているのか喜んでいるのかわからない、二つの感情を行き来している顔だ。有り体に言って超可愛い。


「……ユ、ユーリ!」

「はい」

「私は、えと……怒っていますっ」

「ごめんね。アヤメが可愛くて悪戯したくなっちゃったんだ。許して」

「えへへぇ、仕方ないユーリです!許してあげますっ」

「うーん、ほんとアヤメは可愛いけどちょろすぎて心配になるよぉ」

「えへへー」


 抱きついてきた少女を撫で回しぼやく。銀の少女は笑顔でいっぱいだった。怒っているというのも気持ちの中のほんの一部だけだったのだろう。残りは大体照れとか羞恥とか喜びとかそういうの。優理もだいぶアヤメのことがわかってきている。これくらいはわかるのだ、これくらいは。


「まあ、うん。行こうか。手、繋ぐ?」

「……つ、繋がないですっ」

「おお、そっか。珍しいね」

「……ちょこっとだけドキドキしているので、今はだめですー!」

「ふふ、そっかそっか」

「むぅ……ユーリはドキドキしていなくてずるいです」

「ふふふー、これが大人の余裕です」


 可愛く照れている同居人を甘やかしからかい、なんでもない話を続けて映画館のある街へ。

 電車に乗っている時間もまたアヤメには新しい発見だらけで、あっちこっちと行ってみたいところが増えたようだった。知らない駅というだけで興奮度は十割増しだ。


 手を繋ぐことを恥ずかしがっていたのも最初だけ、すぐに優理の手を引っ張り先を歩くようになった。それでも道順がわからなかったり、あまり離れるのが嫌だったりと傍を離れない子犬のような距離感を保って目的地を目指す。


 目的の駅に着いたのは、二人が家を出て大体四十分ほど経った頃だった。





――Tips――


「抑うつ日」

社会人あるある。かどうかは人によるが、優理が社会人だった頃はよくあるモノだった。

定期的に心が沈み込み、何もかも投げ出したくなる。けれど投げ出せない。仕事は普通に行うし、日々の食事や入浴も当たり前に熟す。趣味や遊びに費やす時間が一切なくなるだけの話であり、生きるのに支障はない。ただしんどいだけ。

解決法・対処法は特にない。よく寝て時間が心を癒すのを待つだけが対処法と言える。――と優理は思っていた。しかし転生してひだまりのような美少女と同居するようになり、人肌の温もりを知ってしまった。これぞ最適解。しんどい時は良い匂いのする温かくて幸せなひだまりを抱きしめよう。おそらく自分に懐いている犬猫でも可。とりわけ人に優しい犬種であれば寄り添ってくれる可能性が高い。

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