なんでもない二人の休日。

 朝食を終え後片付けも済ませた優理とアヤメは、片やベッドでごろごろ、片や椅子でゆらゆらと穏やかな時間を過ごしていた。

 家事全般は普段からアヤメが一緒にやってくれているので、そう時間はかからなかった。いつもいつもありがとうとなでなでをプレゼントしている。にこぱーと笑顔満開で優理の方がお礼を言いたい気分だった。太陽の笑顔は世界を明るくする。


 最近二人並んで布団を敷いて寝てはいるが、かなり場所を詰めて敷いているのであまりスペースを使ってはいない。ベッドルームと、引き戸を挟んでリビングルームの一部といったところだ。

 就寝時はともかく、アヤメはベッドがお気に入りのようでよくベッド上に転がっている。枕やマットレス等を片付けなくてよかったとしみじみ思う。


 以前優理が何故ベッドの上?と尋ねると、"ユーリの匂いがいっぱいします!"と嬉しそうに語っていた。優理は照れた。


 現在優理が携帯で調べているのは、本日の昼食についてだ。

 アヤメと同居するようになって、というかアヤメと同居する以前から優理はあまり外食をしなかった。それは実家暮らしだった時も同様であり、さらに言うなら前世からの習慣でもある。

 スーパーの総菜や弁当を買うことはあっても外食やテイクアウトはしない主義だった。お金かかるし、家から遠いし。


 アヤメと一緒になってからもそこは変わらず、今もベッドでご機嫌に鼻歌を歌っている少女は未だに外食経験がほとんどない。当然ファストフードや出前なんて食経験がなく、そのうち食べさせてあげたいなぁと密かに思っていた。

 優理の手作りで大喜びしてくれるアヤメだからこそあまり気にせず好き勝手お料理してきたが、バリエーションはきちんと増やしてあげたい。食の豊かさは人生の豊かさにも繋がる。どこかで誰かがそんな発言をしていた。たぶん。


「ユーリー」

「あーい」

「一緒にルゼルやりませんかー」

「いいよー」

「――本当ですかっ!」


 しゅぱ、っと気づいたらアヤメが真横に来ていた。顔が近い。


「ちかいちかい。ちゅーできちゃうよ?いいのかな?」

「そ、それはあの……したいのですか?」


 ぱっと頬に桜を散らし、いじらしく問いかけてくる。相変わらず可愛さが凄まじい美少女だ。


「ふふふ、秘密ー」

「むぅ……ユーリは秘密ばかりです」

「あはは、秘密を探るのもアヤメの楽しみでしょ?僕の名字だって頑張って見つけたじゃん」

「それは……カサミヤです。でも偶然です。お家に届いたお荷物を一緒に見ちゃっただけです」

「まあそうだけど」

「秘密探しは大変なのです。……私はユーリの全部を知りたいです」


 じっと藍色の瞳が見つめてくる。不思議と目を逸らせなくて、耳の横を掻いて息を吐く。

 手を伸ばし、頭より頬の方が好きと言ったアヤメのために彼女の頬を撫でる。もちもちつるつるとして触り心地がよい。


「大事なことは全部話してるから大丈夫だよ。アヤメはもう……僕のほとんどを知っているから」

「ん……えへへ、それならいいですっ」


 にゅぅっと口角が上がり目尻が下がる。可愛い可愛い雪妖精だ。

 少女と戯れながらゲームの準備をし、しばらくぽわぽわと遊び惚ける。優理は一度クリアしたゲームなので、あまり集中せずメインはアヤメに任せた。以前アヤメとリアラが一緒にやっていたシリーズとは別のものだ。


 一緒に遊んで、ただ相槌を打つ。ゲームにのめり込んで楽しそうなアヤメの横顔を見ているだけで幸せだった。

 恋人でもなければ妹でもなく、娘でもなければ家族でもない。本当にただの同居人なだけの少女。でも。


「……」


 でも、幸せだと感じた。

 自身が好意を持った女の子と一緒に過ごして、自身に好意を寄せる女の子が嬉しそうに笑ってくれている。こんな時間がずっと続けばいいのにと思った。前世では得られなかった幸福が、今当たり前に享受できている。


 もしも"あなたは明日死にます"と言われても、今なら文句を言わず受け入れられそうだ。――いや嘘だ。イチャラブライフと童貞卒業までは死ねない。幸せは幸せだけど、諦められないものもある。それが童貞マインド。


「?ユーリ?」

「なんでもない。アヤメ、楽しい?」

「楽しいですっ」

「そっか。今、幸せ?」

「幸せです!」

「ならよかった」


 なでなでと。もちもちの頬を撫でる。妖精を愛でているような気分だ。

 目を細めて頬を押し付けてくる少女とスキンシップを取り、ふと横を見たら。


「あ」

「?ユー……ああ!!私たちのリアンが倒れていますっ!!」

「あぁ魔法戦士よ。あなたのぼうけんはおわってしまいました。あきらめますか?」

「絶対諦めないです!!」

「うむ。ならばふたたびぼうけんをはじめるのだ」

「はいっ!」


 ということでゲーム再開だ。

 ゲーム中に一時停止もしないで放置はよくない。アヤメと優理との約束だ。


 ――大体一時間半後。


 ゲームはそれなりに、ルゼルは区切り良いところで止めて再びご飯探しに戻る。今度はパソコンを起動し、アヤメと一緒にネットサーフィンだ。


「ふーむ。アヤメお昼何食べたい?」

「むむむ……」


 悩んだ顔。

 妖精は食に悩むと少し長いので、出前サイトを適当に眺めておく。個人的にはハンバーガー系のファーストフードがいいなと思う。ジャンクなパンと肉を食べていると"かー!栄養バランス悪いもの食べてるー!うまーい!"となる。


 優理家では米ばかりを食べているため、たまにはパンやパスタを出してもよいはずだ。バーガーだけでなく、総菜パンや菓子パンにだって美味しいものはたくさんある。


 そこまで考え、パンを買うなら買い出しに行った方が早いかもと思ってしまう。

 季節の食べ物も色々あるし、期間限定なんて商品もある世界だ。優理はあまり買わないが、その辺アヤメは好きになるかもしれない。


「季節か……」


 季節と言えば、今は十一月。ハロウィンは終わり、あとひと月もすれば十二月。クリスマスが来て年末年始。クリスマスケーキに年越しそば、おせち料理か。正月は神社に初詣。甘酒飲んだりお餅食べたり、だらだらしながら炬燵に蜜柑。炬燵はないけど。


 季節ごと、イベントごと。十月はあまりアヤメに新しい何かをプレゼントすることができなかった。同居し一緒に暮らしていくならば、毎日新しい何かを知ってほしいと思うのが親心というもの。


 悩むアヤメにマウスを渡し、優理は携帯を手に取り季節ごとを調べ始める。

 秋。秋と言えば紅葉。さらには銀杏いちょう。紅葉狩り、サツマイモ、栗、キノコ。


 食欲の秋、運動の秋、読書の秋と色々言う。優理にとっての秋は紅葉以外印象に残っていないが、確かに季節柄過ごしやすく食う寝る遊ぶとしやすいのだろう。


「……お」


 ネットを漁っていたら、あるイベントが目に入った。


【2028年 第47回 白紅原メープルもみじいちょう祭り】


 白紅原しろべにはらは優理の通う百原大学より電車で三十分とかからない場所にある地名だ。

 詳しく見て行くと、白紅原の街道に多種のモミジが植えられており、街道沿いの公園や川沿いにも数多くのモミジとイチョウの木が立ち並んでいるらしい。


 開催日は来週の今日。十一月十八日の土曜日だ。

 これはもしかしなくても、グッドタイミングじゃないか?偶然の発見に高揚しながらネットを見る。お祭りは良いが、モミジはカエデだし、カエデはメープルと言うらしい。だからお祭り名にメープルが入っているようだ。メープルは蜂蜜じゃなかったのか。……あ、蜂蜜はハニーか。ハニーシロップ。メープルシロップは別なのか。そういうことだったのか……。新事実に打ち震えていると。


「ユーリ」

「ん?うん。はい」


 雪のお姫様が食べたいものを決めたらしい。きらきらな目が真剣さを帯びている。


「私はお肉とお魚が食べたいです!」

「おお。二種類かー」

「だ、だめでしょうか……?」


 不安そうな顔をするアヤメの頭を撫でる。そう困った目をするものじゃあないよ。


「両方にしようか。ちなみにどんな魚と肉がいいの?」

「え、どんな……む、難しいです」

「そっかー」


 むーっと悩んでしまう少女の頬を緩く引っ張っておく。

 単純に肉と魚を両方とも食べたかった、ということなのだろう。この一か月で色々食べさせてあげたが、レパートリー自体は多くない。パスタソースを乱用した弊害か……。


「……ふむふむ。アヤメ、僕から提案があります」

「はいっ」

「ちょっとお買い物に行かない?」


 短くぽやっとした顔を見せ、すぐに満面の笑みを浮かべる。頬に触れた手が自動的に持ち上がり、少女の喜びを伝えてきた。

 今日もアヤメは元気いっぱい、笑顔満点だ。





 買い物を終え、帰宅。

 今日は遠出せず、駅近くのとあるファーストフード店に行ってきた。


 秋の香り漂う街中に気分も秋色。既に金木犀の時期は終わってしまい少々の寂寞を感じる。金木犀フレーバーの灯華を思い出した。あの人は仕事が忙しくてあまり会えていない。通話はしているが。頑張る大人はすごい。優理にできることならなんでも――はしない。それを言うと絶対エロいことを頼んでくるから。灯華はそういう女だ。


「はぁ……ふぅ……はぁぁ……」


 帰宅後、まだ昼食には少し早く、優理は日々の運動ルーティンを熟していた。

 床マットを敷き、腿上げしたり走ったり腕立て伏せしたりと、全身運動を三十分ほどかけて行う。時間がないときは十五分で終えるが、今日はゆっくりちゃんとやれる。


『エキサイティング!最高だね!今日も筋肉が喜んでるよ!!』


 優理はソロ筋トレを続けられない男だったので、ゲームという形で継続している。トレーニングごとに毎度褒めてくれるのだ。すごい。フィットネスゲームってすごい……!


「エイラー。ユーリはいつも走っていますが、楽しいのでしょうか?」

『回答。優理様は楽しんでいるわけではありません。前世代型人類は運動を継続しなければ肉体が衰えていきます。肉体機能維持のために行っている必要な行動です』

「そうなのですね」


 何やら次世代人類の羨ましい会話が聞こえてくる、が無視。

 運動しないと筋肉衰えるから仕方ない。やらねばならぬ。


 ひぃこら言いながら運動を済ませ、だらりとマットに倒れているとアヤメが覗き込んできた。髪を押さえた仕草の可愛いこと可愛いこと。


「はー……つかれた」

「ふふーっ、ユーリがへにゃんとしています」


 まん丸な目をゆるっと山なりに細めて笑う。可愛い。


「私も倒れていいですか?」

「いいよー……ぉぉ……おも、うぅ微妙な重さだ」

「えへへぇ」


 許可して一秒、瞬きの次には少女が優理の上に乗っていた。変な意味はない。

 うつ伏せで首元に頬を擦り付け抱きついてくる。ひだまりの温かさに甘酸っぱい香りが全身を包む。あと色々柔らかい。

 心地良さはあるが、それはそれとして人間ってやっぱり重いんだなと思う童貞だ。いくら次世代人類のアヤメとはいえ30kgはある。身体の上に30kgが乗っていれば重くも感じる。


「むふー」


 胸いっぱいに深呼吸してご満悦なお子様を撫で回し、犬系彼女に戯れられる彼氏の気分を味わう。コレガ……リアジュウ……。


「あー。そういえば汗臭くないの?」

「ユーリの匂いがします。汗も……ユーリの汗ですっ」

「そっかぁ」

「はいっ」


 人それぞれ香りはあると言うが、汗もそうなのかと微妙な納得だ。

 まあ、アヤメが良いなら良いと思考を放棄しておく。


 汗のべたつきでシャワーを浴びたいのと、銀の花に包まれたままでいたいのと、このまま美少女を甘やかしてあげたいのと、自身の鋼鉄の理性を褒めてあげたいのと。

 いろんな思いが入り混じって薄い息となり天井に昇っていく。


「アヤメさ。最近考え事してる?」


 少女の身がぴくりと震えたのを服越しに感じた。


「し、してないですっ」

「……」


 我が家の妖精ながら、嘘が下手過ぎて可愛い。

 銀糸の髪を撫で、続ける。


「まあ、うん。たまにね。寝る前とか考え込んでるみたいだからさ。言いたくないならいいんだ。けど気になることあるなら相談してくれてもいいからね」

「……」


 顔を伏せていた少女がおそるおそると目を上向ける。

 不安――とも違う、曖昧な感情が藍の瞳に宿っていた。


「……言いたくない、わけではないのです。でも……ユーリが秘密をしたい気持ちも少しわかりました。だから私、ユーリの全部を知りたくて……私、悪い子かもしれません」

「ううん。アヤメは良い子だよ」


 しょんぼり下がった眉を両手で解し、頬を撫でて身体を起こす。わ、わ、と驚く少女をハグし、体温の交換をする。


「僕はもうあんまり秘密ないけど、確かに秘密にしたいことってたくさん生まれるよね。それって人にとって当たり前のことなんだよ。全部全部心開けるのが理想ではあるけど、どんなに距離が近くても理想は理想。人の心は複雑で面倒くさくて……自分でも操れないものなんだ」

「ユーリ……」

「うん」

「ユーリはすごいです。……もやもやいっぱいなのに、私にたくさんお話してくれています」

「ふふ。すごいでしょ。僕、大人だからねー」

「……すごいです」

「ん。ゆっくりでいいよ。ゆっくり少しずつ、学んでいけばいいから」

「はい……」


 少女の後ろ髪を撫でる。しがみついてくる雪妖精に、人間って大変だなぁと思う。

 アヤメが何を考えているのかはわからないが、天真爛漫でひだまりみたいな女の子でも悩むことはあるのだと苦笑してしまう。


 優理にできるのは、この幼く可愛い妖精のために言葉を尽くし傍にいてあげることだけ。

 今日も明日も明後日も、アヤメが本当の意味で大人になるまで隣で手を繋いでいてあげよう。それがアヤメという少女に手を差し伸べた人間としての義務。責務。そして、傘宮優理という男の願いでもあるのだから。





――Tips――


「義務、責務、願望」

誰かのために"しなければならない"と誰かのために"したい"は大きく異なるが、両立はする。

アヤメのために動こうとする人間は、例えば灯華なら責務が多く、リアラなら義務と願望が半々で、エイラならば願望のみとなる。優理の場合、それら三種が混合している。

アヤメ・アイリスにとっての幸運は優理と出会えたこと。

アヤメ・アイリスにとっての不幸は優理と出会ってしまったこと。

アヤメ・アイリスが傘宮優理を知らなければ、きっと彼女はあらゆる懊悩も、あらゆる憂悶も、あらゆる悲愛も味わうことはなかっただろう。

何も知らなければ心動かされることはなく、憧れを憧れのままで終えることができる。多くの人はそれを哀れむかもしれないが、同時に人々は思うのだ。"知らなければよかった……"と。

アヤメと優理だけならば物事はそう上手くいかない。リアラや灯華がいてもそれは変わらない。けれどこの世界には願望のみを携えたエイラがいた。エイラがいれば、アヤメの世界は救われる。なぜなら人工知能のエイラは、他の誰よりもアヤメのためのハッピーエンドを追い求めているのだから。

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