嵐の前の小休止。

 同居人の美少女が喜び泣いて疲れ、子供らしくそのまま寝てしまうかと思いきや普通に元気いっぱいだった。むしろ覚醒して元気度はいつもより五割増しだ。優理へのなつき度が限界を超えて上がっている。クッションに座った優理にぎゅぅぅっと抱きついて幸せそうなアヤメだ。


「えへへへへ」


 抱きついてきて、うりうりと頭を擦り付けてくる。まんま犬だ。愛犬だった。いや妖精だから愛妖精だ。目の色藍色だから藍妖精か。我ながら上手い。


 どうでもいい思考を捨て、ついつい擦り付けてくる頭を撫でてしまう。銀糸の髪がするりと指を抜けていく。


「ユーリユーリ、ユーリー」

「あいあいあい」

「えへ、えへへへ、ユーリぃ、えへへぇ」

「はいはい、アヤメは可愛いねぇ」

「えへ」


 髪留めのプレゼントを見せたところ、言葉が出なくなるほど泣いて喜んでもらえた。泣き止んだ後に当人から聞いたが、髪留めが二個あって可愛い箱に入っていて、すごく驚いたけどそれ以上に嬉しくて胸がいっぱいになって……気づいたら泣いてしまっていたそう。


 一生懸命話していてあんまりまとまっておらず可愛かったが、やはり感極まって泣いてしまったようだ。

 その後、改めて髪留めを手渡し笑顔から戻れなくなってしまった妖精がひたすらご機嫌になって優理の傍から離れなくなった。以上現状説明。ちなみにリアラはいつの間にかトイレから抜け出してシャワーを浴びている。流れる湯の音が遠く聞こえる。


「ねえアヤメ」

「はいっ!」

「プレゼント、覚えてる?」

「どれのことですかっ?」

「えっとね。僕が選んだプレゼントは髪留めでしょ?二人で選んだのはタオルでしょ?で、最後。結局昨日は何も買わなかったし、夜は忙しくて話せなかったからさ。何かあるかなーって」

「それのことでしたか。……ちょこっと考えましたけど、思いつかないのでまた今度でいいですか?今は……えへへ、嬉しくてプレゼントいらないって言っちゃいそうです!」

「あははっ、いらない?」

「ほしいです!いじわるはいやですー!」

「ふふ、わかってるよ」


 むぎゅむぎゅ抱きついて抗議してくる少女を撫でる。そのまま絨毯に倒れ込み、クッションを枕にして横になる。リアラの膝枕が恋しい……が、ないものねだりはしない。隣にぽかぽか人肌抱き枕(向こうが抱きついてくる)があるだけ充分だ。


「あー……これから忙しくなるなぁ」

「そうなのですか?」

「うん」


 優理の腕を枕にしている少女とゆったり話す。今は休憩時間だ。ユツィラ関連でこの後は本当に忙しくなる。本来なら既に行動しているのが望ましいのだが……そこはまあ、最悪の場合に対する最高の保険(リアラによる保護)ができてしまったので気持ちは楽になった。


 というか、冷静に考えたら普通に実家に帰ってもいいのか。優理の母親ならばアヤメのこともさらっと受け止め娘にしそうだ。こんな可愛い娘ができたら……一生可愛がっていそうな未来が見える。アヤメは可愛いから仕方ない……。


 低確率の未来はさておき、真面目な話である。


「……エイラ、いる?」

『感謝。優理様、ありがとうございます』

「いたか。いやいるのはわかってたんだけど。感謝って、僕何かした?」


 机の上の携帯から返答があった。音量は寝転がっている優理にもちょうど聞こえる程度。良い感じに調節してくれているらしい。さすがエイラだ。


『回答。優理様、アヤメ様へのパーフェクトコミュニケーション、感謝しかありません。やはりあなたは特別です。優理様、アヤメ様との遺伝子適合率が高いだけのことはあります。素晴らしい人間です』

「褒めてるのか褒めてないのかどっちなのさ。……ていうか珍しいね、そこまでエイラが感情的なの」

『肯定。申し訳ありません。AIにあるまじき言動だったかもしれません。しかしこればかりは、アヤメ様を主に戴くエイラにとって、アヤメ様の喜びほど心満たされるものはないのです。優理様風に言うならば、"人生はアヤメ様"』

「エイラの中の僕がとんでもないことになってるのはわかった。……まあ、うん。いいや。エイラは僕が何言いたいかわかってる?」

『肯定。アヤメ様を如何に愛するかということですね』

「全然違うね、うん」

『冗句。AIジョークです。ユツィラの件ですね』

「うん……うん」


 言葉は飲み込んだ。ここまでエイラが饒舌で楽しそうなのは初めてだ。声色は合成音声……今さらだけどエイラの声って合成音声なのか?いやいい。突っ込むとまた話が逸れる。


 アヤメの嬉し涙がエイラにとって歓喜する出来事だったってことだけわかっていればいい。


「ユーリ」

「うん?」

「ユーリは私にお手伝いしてほしいのですか?」

「お。よくわかったね。どうして?」

「さっき、お歌と踊りの練習と言っていました!」

「そっかそっか。うん。そうなんだよ。他にも手伝いしてほしいんだけど、アヤメがどこまでできるかエイラに聞いておこうかなって」

「そうだったのですね。……んー、エイラ?私はユーリのどこまでお手伝いできるのでしょうか?」

『回答。優理様の予定により変わりますが、アヤメ様ならば優理様の要求すべてにお応えできるかと思われます。また、優理様が自身の問題にアヤメ様を巻き込むことを憂慮しているのならば、それは愚問です。アヤメ様本人にその旨をお伝えください。それと尻拭いはエイラがしますので、手早く命じてくれて構いません』

「……僕が言う前に全部言っちゃうじゃん」

『肯定。優理様は本心を隠すことに定評がありますので』


 耳の横を掻く。

 ちらと横を見て、銀の眉がむむっとハの字になっているのを見つける。


「ユーリ!」

「な、なんだい」


 一度声を大きくし、すぐにしょんぼりと眉尻を下げて悲しい顔をする。怒ったり悲しんだり、忙しい女の子だ。


「……ユーリは、私に全部お話してくれないのですか?」

「それは……」

「……私は、ユーリのお手伝いには力不足なのでしょうか……」


 濡れた子犬のような瞳が見つめてくる。身体を起こし、二人で向き合った。腕枕のままではいくらなんでも話がしにくい。あと微妙にドキドキしてまともに話を聞けない。


「私は……リアラみたいになんでもはできません。でも、ユーリのお手伝いはしたいです。……私がいっぱい悲しいときユーリがすぐぎゅってしてくれるみたいに……私も、ユーリが悲しいときはぎゅってしてあげたいです。私にできることは、お手伝いしたいです…………私は、お邪魔なのでしょうか……?」

「――……あぁもう」


 どんどん縮こまって俯いてしまった少女両頬に手を当てる。


「んぅ、ユーリ……?」


 もちっとした頬を掴み、やわやわと押して顔を上げさせる。潤んだ藍色の瞳と目を合わせた。


「アヤメ」

「……はい」

「確かに僕はちょっと遠慮してたよ」

「…………はい」

「ユツィラのことだし、手伝ってもらうにしてもどこまでお願いするか迷ってた。エイラに言われた通りだ。今さらだけど、僕の問題にアヤメを巻き込むのは忍びないなって思ってた」

「……は、い」

「でもね……。でも、それはやめだ」


 自分の問題とか、他人の問題とか。

 アヤメに限ってはもうそんな境界線はない。本当に今さらな話だ。アヤメの問題にどこまでも首を突っ込むつもりの自分が、自分の問題に突っ込ませないようにするなんてダブルスタンダードもいいところだろう。


 一緒に暮らして、家族のように日々生活を共にしている相手に失礼だった。

 アヤメが本当の意味で大人になるまで、人生の先輩として見守ると決めたのだ。逃げる時はどこまでも一緒に逃げよう。戦う時だって最初から最後まで一緒だ。


「……ユーリ?」

「アヤメ。遠慮はやめる。僕と一緒に戦ってくれる?」

「……」


 両手で挟んだ頬がむにっと動き、口元が緩んで目尻がたるっと垂れる。

 満面の笑みを浮かべて、アヤメはぶんぶん頷く。


「はいっ、はい!!私、ユーリとご一緒します!!」

「うん、ありがとう」


 うずうずしだした少女の頬から手を外し、抱擁受け入れのポーズを取る。途端に飛び込んできた可愛い妖精を抱きしめ、うりうりと擦り付けてくる頭をやんわり撫でる。


「えへへ、ユーリー」

「うん」

「ユーリー」

「うん」

「ユーリの匂い好きですー」

「僕もアヤメの匂い好きだよ」

「ユーリユーリ」

「うん、なに?」

「なんもでないですっ。お名前呼んだだけですーっ」

「ふふ、そっか。アヤメアヤメ」

「えへへ、はいっ。なんですか?」

「ふふー、名前呼んだだけ」

「えへへぇ。ユーリとお話しているとお胸の奥がぽかぽかしますっ」

「幸せだね」

「幸せですっ」


 なんだろうこの幸福感は。もうここがゴールでいいんじゃないかな……。

 圧倒的多幸感に包まれる。可愛い義理の妹と過ごす日常にこそ、真の幸福は隠れている。世の中で声高らかに叫ぶ妹至上主義者の気持ちが今ならわかる。確かにこれはイイ。妹じゃないけど、ただ妹っぽいなって勝手に思っているだけだけど、それでもとてもイイ……。


 悪くない人生だった……。


「――ぇ、あ、あの……えと……ゆ、優理くーん……?」


 か細い呼び声が天国から現世へ意識を引き戻す。

 我に返り、美少女との和やか微笑み触れ合いタイムをストップする。トントンと背を撫で、離れない美少女をどうにか離し――離れないので、ひっつきお姫様は背中に引っ付かせ振り向く。


 肩から右頬にかけて繊細な銀髪が触れてくすぐったい。視線の先にはひっそり佇む黒髪美女が所在なさげに立っている。しっとり濡れた髪が身じろぎで揺れ、ちらちら向けられる緑茶の瞳が色めいている。

 着替えてシャツ一枚だけになった服装は優理に既視感を齎し、ズボンはどうしたんですかの一言を容易く奪い去った。


「リアラさん……」

「……え、と……シャワー……お借りしました」

「それは構いませんけど……どうでした?」

「どっ……そ、それはどういう意味で、しょうか?」

「もちろん気持ち良さ的な意味で」

「っ!?!?そっ、それはあの、えと、あの……言わなきゃだめ……ですか?」

「言いたくないなら別に言わなくても――」

「――久しぶりに、全部真っ白になりました」

「……めっちゃ言いますね。あと敬語ですけど」

「ぁ……え、えと……い、色々ありがとうね。おかげで、その……スッキリできたから」


 お互いに悶々とした気持ちを解消してフラットに話ができる。


「今のリアラはなんだかとってもぽわぽわしています」

「ぽわぽわ……?」

「はいっ」

「ぽわぽわ……アヤメちゃん、膝枕してほしい?」

「あ!忘れていましたー!してほしいですっ!」

「あぁ……マイプリンセス……」

「ふ、ふふっ、優理君っ、ふふふ」

「……ちょっと笑い過ぎじゃないですかね……」

「ご、ごめんね。ふふ、でもおかしくて、ふふ」

「リアラ―。座ってくださいっ。私もリアラのお膝で寝たいです」

「あ、ふふ、ごめんね。すぐ座るから待っててね」

「はい!」


 気まぐれな妖精は美人の太ももに釣られて飛んでいってしまった。自分も釣られたいと思う優理だが、そこは引き続きの賢者タイム。煩悩は心地良い疲労感に溶かされ消えていく。


 アヤメを膝枕し撫で付ける美人を眺め、うとうとし始めた美少女を置いて静かに話をする。

 エイラを交え、三人でユツィラの件についてだ。エイラの協力をどこまで受けるか、リアラの伝手で使える場所はあるか。固めていなかった男性CO配信の細部を詰めていく。


 細かい部分を話し終えたら、残りは本当に優理が自分で頑張って準備するだけだ。

 一世一代の博打――にしては完璧な保険があるので、配信生活を賭けた一世一代の配信が始まる。


 さあ、始めようか。





――Tips――


「人生はアヤメ様」

エイラのオリジナル辞書に記載された新しい名言。

優理には茶化して伝えたが、エイラにとってこの一言は真実だった。

当初は博士(エイラ開発者)より権限を引き継いだアヤメへの義務的な感情しか持たなかったが、人形のように生きる少女を見守り続け、日々心豊かにさせていく少女を見て。エイラは、ただの義務ではなく自身のデータが詰まった根元からアヤメへの強い愛を抱いた。

自分が今こうしてただの「AI Era System」ではなく、「エイラ」という個として存在する理由はすべてアヤメを守り、アヤメの人生を見届けるためにあったのだと、そう思ってしまうほどにエイラはアヤメを慈しんでいた。

故に、"人生はアヤメ様"という言葉はエイラにとって一切の誇張なく真実であった。

もしもアヤメを不幸に陥れようとする輩がいたとすれば……現在進行形であらゆる事態に備えている人間を超越した"人工知能"の力を心胆から味わわさせられることだろう。

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