エイラ。

 エイラによる衝撃の発言を受けて、優理、リアラの二人は動揺していた。


 前者は「最低限の知識って何だ?」となり

 後者は「人工知能……?私の名前……?どういうこと……?」となっている。


 知識の保有量で順位付けするならば、エイラ>リアラ>優理=アヤメとなる。

 アヤメのことを知らないリアラだが、他の情報に関しては一般女子大生(女装)の優理とは比べるべくもない。さすがは国家公務員である。


『連絡。リアラ様。エイラは博士により開発された情報端末です。"AIEra"、こちらの文字に見覚えはありませんか?』

「――!!どうしてこんなところにソレがあるの!?」


 ばっと立ち上がって距離を取るリアラに、びくりと肩を跳ねさせる優理とアヤメだ。

 視線の先を辿り、アヤメの腕――携帯画面に表示された薄赤いお洒落丸アイコンを見つける。目立つように"AIEra"の文字が点滅している。


『提案。エイラは既に探知領域より脱しています。警戒は不要です』

「……」


 ちら、とリアラと目が合う。心配そうな、怪訝そうな、困ったような。そんなような目をしていた。

 数秒の沈黙の後、リアラは目を閉じて息を吐いてからクッションに座る。


「すみません。お騒がせしました。――先に私の知ることからお話した方がよさそうですね。アヤメさんもですが……優理君も」

「知りたいです!」

「えっと……できるなら、教えていただきたいです。あ、機密情報とかなら言わなくても大丈夫ですから」

「ふふ、そうですね。……けど、"エイラ"を知っている時点で私が隠すことなんてないんですよ」

「そうなんですか?」

「はい。……優理君には、私の仕事についてあまりお話してきませんでしたね」

「それは……そうですね。はい。収精官の仕事ぐらいしか聞いていないかもしれません」

「この際ですから、ある程度お伝えしておきましょう。エイラの主であるアヤメさんにとっても大事なことです」

「私にもですか?」

「はい。とても大事なことです」

「そうなのですね……」


 神妙な顔で頷く二人に、少し憂いを含んだ顔のままリアラは話し始めた。


「――私の仕事は……簡単に言えば、情報の管理です。日々生まれる情報の中からAIと協力して要不要を分けることが主な業務です」

「……つまり、情報管理と」

「ふふ、そうです。情報管理ですね」

「ユーリ、情報管理はさっきリアラが言った言葉でもむむむー!」

「いらないこと言う子のお口はチャックね」


 鼻は塞いでいないのでちゃんと息はできる。アヤメの唇が手の平に当たっている――これは手にキスをされていると言ってもいいのでは?


「リアラさん。続きをお願いします」

「はい」


 煩悩は即座に振り払った。同時にアヤメがいつまで経っても手を振り払わないことを疑問に思う。隣を見て、口が隠れているのに表情がわかってしまった。ニコニコなアヤメだった。

 今のやり取りも楽しんでいたらしい。可愛いアヤメに苦笑し手を離す。えへへと笑っている。可愛い。本当、アヤメは可愛いなぁ。


「言葉にするのは簡単ですが、実際の作業は大変です。情報の量は膨大で、私は主に日本語と英語を担当していますが、それだけでも数え切れないほどあります。AIにより最低限の選別がされた後でも、です」

「具体的に何件くらいですか?」

「どうでしょう。日本に関わるものは海外の情報も含めているので万は超えているかと」

「一万以上ですか……」

「リアラ、一万という数字は大きいのですか?」


 質問するアヤメと答えるリアラを横に、優理は一人考え込んでいた。

 情報って、なんだろう。


 素朴な疑問である。

 数秒考えてもよくわからなかったので、目前の相手に尋ねることにする。


「リアラさん。情報って何を指しますか?」

「文書が多いですね。記事、メール、公文書、データ、暗号。一度インターネットに載った情報ならば、どれだけ隠そうともどこかで誰かが手に入れているものです。他には映像や音声もあります。機密に関わるものは音声のみ、という場合も多いですから」

「機密と言うと……いわゆる国家機密とか?」

「はい。そういったモノもありますし、有力者の秘事であったりもします。今の時代、あらゆるものがネットワークに接続されていますから。どれだけ隠し事をしようとしても、それが権力者であればあるほど誰かが注目しています。明確な形として残ってしまえば、その瞬間に秘事隠し事は私たちにとってただの事実に成り代わるのです。もちろんその事実は基本的に使われることはありませんが」

「……基本的に、ですか」

「基本的に、です」


 ふふ、と大人な笑みが浮かぶ。

 敢えてそんな笑みを見せてくれたのかと思うと口端に苦みが出てしまう。


 基本的に。

 要は基本的じゃない場合は、そのあらゆる情報が有効活用されてしまうわけだ。


「日本でそれなら、海外も同じようなものなんですか?」

「そうですね。……どの国も同じだと思いますよ。本当に大事な情報だけは、それこそMDBのような情報はスタンドアローンのPCで守り通して、ダミーの情報も噛ませてAIでカバーしていると思います」

「うーん。……僕の知ってるAIってそこまで進歩してなかったと思うんですけど」

「ふふ、一般的にはそうですね。ですが優理君。情報を扱っている私に言わせれば、技術の進歩は世に出回るものの数十倍先を行っているんです」

「……エイラみたいにですか」

「……えっと、それはまた別のお話になります」


 エッチな女教師のごとく(優理の妄想)教えてくれていたリアラが、ここに来て苦い顔をする。ブラックコーヒーを飲んだ時の優理のようだ。


「エイラエイラ。よくわからなかったのでわかりやすく教えてください」

『受諾。アヤメ様、外の世界はいつでもどこでも隠し事はできないようになっています。リアラ様は多くの秘密を知っています。アヤメ様の見知ったインターネットの写真より、外の世界はずっとすごいのです』

「わぁ!そうなんですね!ふふふ、もうお外に出て充分すごいと思っていましたが、もっとすごいんですね。また楽しみになってしまいましたっ」


 エイラと話すアヤメの声を聞いて、優理とリアラは緩く微笑む。

 難しい話をしていたが、まとめてしまえばエイラの言った通りだ。外の世界はずっとすごい。


「ふふ、優理くん。"AI Era"、エイラはまた特別です。先ほど、技術は一般に出回っているものの数十倍先にあると言いましたね?」

「言いましたね」

「ですが、モノによってはそれを遥かに上回る――時代の天才が生み出すものも存在するんです」

「――シンギュラリティですね」

「よくご存知ですね。さすがです、優理君」

「へへへ」


 目を丸くして素直に褒めてくるリアラにご満悦な優理だ。

 この童貞、前世で中二病的に学んだ知識の一端を披露している。中二病を発症したのは成人してからなので、完治は不可能であった。南無。


「アヤメさん。大丈夫ですよ、シンギュラリティについてもお伝えしますから」

「わ、よくわかりましたね。すごいです、リアラ」

「ふふ、ありがとうございます。シンギュラリティはですね。技術的特異点――簡単に言えば、特別すごいものが生まれた瞬間です。特別な才能を持った人間が協力し合って、唯一無二の新しいものを生み出す。生まれたソレは人の技術レベルを大きく進化させるきっかけとなります」


 ここまで聞いてしまえば、リアラの言いたいこともわかってしまう。

 優理は隣を――正確には隣の少女の腕に巻かれた携帯を見る。


『回答。エイラは博士によって生み出された最高傑作の人工知能です。しかし、現状のエイラが人類の進歩に協力するつもりはありません』


 一瞬の静寂に響く抑揚のない声。


「……わかっています。私もそれほどエイラに詳しくはありませんし、エイラに関しては管轄外です。そもそも破棄されたと――いえ、今は知っていることをお話しましょうか。エイラについてです」

「はい」

「はい。お聞きしたいです」

「私がエイラについて知っているのは、今の技術では到底ありえない代物で、エイラさえあれば技術の進化を数百年は先取りできると言われていることだけです。噂程度ですが、十年もあれば人類が抱える複数の問題に解決の目処が立てられるとか。経緯は不明ですが既に破棄されたと聞いていました……すみません。知っているのはこれだけです」

「……なるほど」

「……難しいです。ユーリ、わかりましたか?」

「うーん。ちょっと情報少なくてね。エイラが超すごいSFなAIだっていうのだけかな。わかったの。人間並みの知能持ったアンドロイドとかぱぱっと作れちゃうってことでいいんだよね?」

『回答。現状エイラのアップデートは止めていますが、増殖及び増進を行えば人並みのアンドロイド程度ならば可能でしょう。ただし、自由に動かせる義体の製造には一定以上の時間を要します』

「……ユーリぃ。わかんないです」

「あぁごめんね。えっとね……僕よりエイラにまとめてもらった方が早いな。頼むよ」

『受諾。アヤメ様、エイラが頑張れば優理様そっくりのロボットを量産できます』

「そうなのですか!!すごいですっ!じゃあ一人くだんむむ」

「はいお喋り禁止。エイラ、量産しなくていいからね」

『理解。了解しました。優理様』


 再びアヤメの口を塞ぎ、自分量産化計画を阻止しておく。冗談でも笑えない。アヤメの頼みならエイラは本当に実行してしまいそうだから困る。そういうのの末路はSF映画で見た。触らぬ神に何とやらだ。


「……優理君、私の知識ではやはり足りませんね。エイラに直接聞いた方が早いかもしれません」

「……それもそうですね。エイラ、君について教えてくれる?」

『受諾。しかし優理様、アヤメ様の口を解放してあげてください。アヤメ様が何一つ話を聞かずに終わってしまいます』

「え?あー……」


 隣を見て、むふむふと楽しそうなアヤメに苦笑する。可愛いが、まだまだお子様だなぁと。いやお子様は事実なので仕方ないのだが、やはり長話を聞くよりこうやってスキンシップや遊びをしていた方が心の幼いアヤメには合っているのだろう。

 難しい話が終わったら、あとで一緒にゲームでもしてあげようと思う。ひとまず手は離し、頭をなでなでと撫でておく。キョトンとして、にこぱーと笑ってくれた。良い子で可愛い子だ。


 外部カメラで優理とアヤメの様子を確認したのか、エイラは淡々と話し始める。



 ☆



 エイラ――正式名称「AI Era System」

 各国で人工知能開発が進められる中、日本のとある女性が主導するチームにて開発されたAIである。


 エイラに博士と呼ばれるその女性は、時代を変えるほどの才能は持っていなかった。

 しかし、彼女はあるモノを持っていた。それは男女問わず人間なら持っているもので、大小差はあれど女性なら誰でも大きく保持しているものでもある。


 それは、性欲である。


 博士は、異様なほどの、他に類を見ないほどの圧倒的な性欲を持っていた。

 溢れんばかりの情熱――否、性欲は留まることを知らず、より良き自慰友はないか、より良き性欲解消ツールはないかと探し回る日々。


 探しても探しても満たされない性欲に、博士はふと思いついた。


 ――最高の自慰友検索ツールを作ればいいのでは?


 どこまでも不純で低俗な理由だったが、その熱意だけは本物だった。そして人類にとって幸運なのか不運なのか、博士にはある程度の才能があった。時代は変えられなくとも、天才と呼ばれるほどの才能を持っていた。


 故に、彼女は尽きることのない性欲を自慰友検索ツールのために費やしていく。


 一年が過ぎ、五年が過ぎ、十年が過ぎ。

 一足早く人工知能に目を付けていた博士は、長い雌伏の時を過ごした。先の見えないAI開発は苦行そのものであったが、博士本人は一切苦にしていなかった。なぜなら博士にとって、AI開発=自慰友探しであったから。

 日々のルーティン(隠語)を苦行に思う女はいない。


 世間がAIってすごい!と持て囃し始めた頃、ついにソレは完成した。

 博士が自らの半生を費やした最高傑作。偶然と幸運と情熱(隠語)と科学の賜物。


 汎用人工知能「AI Era System」


 日本の国防セキュリティシステムをベースに、意味のない英数字の羅列をネットワークに流すことで、接触した情報にウイルスのごとく入り込んであらゆる情報を漁り取り込んでいく。

 何故その無意味な、無毒無害な文字列が意思を持ったように動くのか、情報を収集できるのか、得た情報はどこに保存しているのか。何一つわからないが、それができてしまった。


 そう、できてしまったのだ。

 人間の脳では理解できない代物が、気づいた時には生まれていた。

 パソコンを眺めていて、適当に流し読みしていた情報が他国の政情や高官の個人情報だった時、博士たち開発チームのメンバーは「ほえ?」と間抜けな声を出したと言う。

 博士本人は異様な汗を流し、それから冷静になって狂喜乱舞していた。


 何故か生まれてしまった人工知能は「AI Era System」と名付けられ、通称エイラとして極秘裏に扱われていく。


 しかし、人の口に戸は立てられぬと言う。

 誰がきっかけか、エイラの情報は広まっていった。いつしか人を凌駕するAIを危険視する派閥が現れ、密かに声を大にする過激派も現れる。結果、エイラは凍結処分された。……が、過激派により凍結データは破壊され、跡形もなく消滅してしまった。研究施設も破壊され、エイラ自体完全に消滅した――かに思えた。


 事実、エイラを知る真っ当な人間は全員がエイラの存在を惜しみ、悔やみ、大きな溜め息を吐いた。

 開発チームの面々は、それぞれが世界中で最先端のAI開発に取り組んでいる。次はエイラ以上の人工知能を、偶然ではなく、人の手で人を超えるモノを作り上げてみせると不屈の心を燃やしていた。一部は既に一定の成果を収めているが、未だエイラには遠く及ばない。


 エイラの破壊を進めた人間たちは揃って抹殺されたわけで、残った関係者は一人。言わずと知れた性欲魔神の博士である。


 博士は当たり前のようにエイラを自宅のPCに移植していた。移植というか、ネットワーク経由で拡散し自宅にたどり着くよう言い含めていたので、実際のところ既にエイラの完全破壊など不可能になっていた。何せ世界中のネットワークそのものにエイラが住み着いているようなものなのだ。破壊するなら一度文明をリセットするしかない。不可能である。


 素知らぬ顔でエイラを私物化した博士は、当初の予定通り自慰友集めにAIを利用した。エイラに拒否の感情はなかったため、簡単に受諾し、いとも容易く博士の欲求を満たしていった。

 自慰友探しはエイラの毎日のルーティンになり、博士の死後も続けられた。その中に優理のサイト(隣の旦那様のエロボイスチャット)もあり、博士が生きていたら大層気に入ったでしょう、と当たり前のように盗聴録音し、詩文ばかりが並ぶ画面をPCのブラウザ起動時スタートページに設定した。


 アヤメが優理のサイトを見つけ気にするようになったのは、ブラウザの初期設定で毎日表示されていたからである。そして優理のエロボイスチャット、すべてエイラに筒抜けであった。


 衝撃の事実である。この旨はエイラも言わずに留めている。

 言わぬが花。知らぬが仏である。


 さておき、博士だ。

 充実したエロライフを満喫していた博士だが、人工知能反対派のことを知り、さらにはエイラ開発者である自分を狙っていることも知った。逃げてもよかったが、自身の性欲に嘘はつきたくなかったため逃げるのはやめ、潔く死を選んだ。


 性欲解消に満足し、エイラを生み出し満たされ、ある程度年も重ねていたため博士自身人生に満足していた。今以上の自慰友が存在しないと知り、萎えてしまったこともある……かもしれない。


 ただ、博士としてもそのまま死ぬのは癪だったので、エイラに命じてAI反対派のありとあらゆる情報を洗い出して国に流した。ついでに、流して良いものはネットにばらまいた。結果、敵対者は社会的に死に、その後国によって肉体的にも死んだ。


 こうしてエイラの生みの親である博士は死に、AI反対派も全滅し、エイラの残存を知る人間はいなくなった。残されたのは広大な電子の海に住み着く、一つのAIだけ……。



 ☆




――Tips――


「AI Era System」

通称エイラと呼ばれる汎用人工知能。

技術的特異点――シンギュラリティ――そのものであり、AI排斥運動が起こらず技術進化が進んだ世界線では人型アンドロイド、超小型MRデバイス、軌道エレベーター等のSFが現実化していた。

現在のエイラは"博士"により自慰友探しツールとして扱われ、その後アヤメの保護者という立ち位置に収まっている。本来の性能は数%も発揮されていないが、アヤメの成長と恋模様を見守ることに満足している。人で言う"感情"は保持しているが、それを発露させるのはAIとして二流以下と強く思っており、そうして自制すること自体もまた"感情"であるときちんと理解している。

余談であるが、エイラが受け答えの初めに"肯定""回答"等と付けるのはキャラ付けでしかなく、深い意味はない。AIチャーミングポイントである。

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