朝の時間(男と女と人工知能)
休日はイベント盛沢山だが、平日はそうでもない人が多いのではないだろうか。
前世の優理もそうであったし、今世の優理もそこは変わらなかった。
朝起きて、通学して、勉強して、帰って、配信して、寝る。
誰と会うとか、何をするとか細かい部分はあれど大まかには上記のように過ぎていく。
土日月と大忙しだった優理の平日、火曜日は一瞬にして終わった。気づいたら翌日。水曜日である。ちなみに優理は水曜日を全休(講義を入れない日)にしているため、実質休日でもある。大学生サイコー。
「……ふむ」
そんな水曜日の朝のこと。
優理は目覚め、意味深に鼻を鳴らして身体を起こした。意味深なだけで特に意味はない。
暗い部屋で欠伸をし、眼下で丸くなって眠っている少女を眺める。
暗闇でもわかる銀の髪の、超然的な美少女だ。名前をアヤメと言う。優理と"人生経験積んでいつかエッチしようね!"と意味不明な約束を交わした相手でもある。
「ふわぁ……ねむ」
欠伸が出る。眠い。
アヤメのことだから同じベッドで寝ることになって一睡もできない、という少女漫画的展開はなかった。関係値低いからまだ早いですね!と、普通にお客さん用敷布団で寝ている。掛け布団はアヤメ持参の、ちょっとどんな生地使っているのか謎な代物だ。
昨日は昨日で学校、女装、配信について教えたが、色々言えていないことも多い。
エロ侍従のこととか、旦那様は……アヤメなら知っているからいいか。優理のリアル交流関係についても教えておきたいし、学校行っている間の過ごし方についても話したい。外出は――良いこと思いついた。
やはり寝ると良いアイデアが浮かぶ。睡眠は大事だ。
「……エイラ、起きてる?」
小声で尋ねた。
アヤメの枕元に置かれた、枕サイズに大きく伸ばされた黒い液晶に文字が浮かぶ。
どんな素材だ、とか読みやすいよう文字列こっちに向けてくれてありがとう、とか言いたいことは飲み込む。エイラ関連に今さらツッコミはいらない。しても新しい謎が生まれるだけだ。経験済みである。
【肯定。省エネモードは解除しています】
「アヤメ寝てるよね?」
【肯定。ノンレム睡眠を確認しています】
「そっか。悪戯してもいいかな?」
【困惑。悪戯はアヤメ様に必要なものなのでしょうか?】
「ううん。必要じゃないよ。けど、こうして起こしてあげたらアヤメも楽しいかなって」
【理解。ユーリ様のアクションならばアヤメ様は喜ぶことでしょう。問題ありません】
保護者(人工知能)からの了承ももらったので、そっと床に足をつけてしゃがむ。
すやすや可愛い寝顔をさらす美少女の傍で――ちょっと犯罪っぽいな。
自分の行動を省みると辛くなるので、思考は放棄して布団の空いているスペースに膝をつく。手を伸ばし、さらさらの髪を撫で。
「んぅ……」
「っ」
目が覚めたのかと驚く。これが寝起きドッキリの気持ちか……。
ちらとエイラを見て【レム睡眠中】の表記に感謝し、触り心地の良い髪を撫で続ける。
「……」
いや本当に触り心地いいな。なんだこの髪。一生撫でていられるぞ。
頭を振り、手を滑らせてぷにぷにの頬を撫でる。
「みゅ……ぅ……」
まだ眠ったままだ。この頬も一生触っていられる。変態っぽいが……ぽいどころが変態か。でもしょうがない。前世でも猫を飼っていた時はこんなことをしていた。……猫、飼っていたのか。急に記憶が甦った。
ふ、っと短く息を吐き、郷愁を振り払う。
少女が起きないようにと、声を抑えてAIと話す。
「エイラ。アヤメの睡眠時間って足りてるの?」
【肯定。既に八時間三十四分が経過しています。アヤメ様の睡眠時間に問題はありません】
頷いて目礼で感謝を示す。
健康問題もないようなので、アヤメの頬をむにむにと揉んでむにぃと引っ張る。良く伸びるほっぺただ。
「……起きないな」
痛くない程度に弱い力で引っ張り、お餅を遊ぶ要領でぷにぷに触れている。起きる気配はない。割としっかり触っているが起きない。レム睡眠とは言うが、アヤメの眠りはそれだけ深いようだ。
「どうしようかな」
呟く。
これ以上やりたいことはない。関係値的にまだただの知り合い――よりは親戚の子くらいなので、より高度な遊びはできない。そういうのはもっと親しく仲良くなってからだ。
『提案。優理様。アヤメ様に口付けを落とすのはどうでしょうか。眠り姫を起こすのに必要なのは王子の口付けだと童話にはあります』
「まあそうだけど……僕が王子?」
そんな柄じゃない。王子よりは……城の外で営業スマイル浮かべている商店の男Uが良いところだろう。それも背景にすら乗らない、世界観に溶け込んだただの設定だけの人物。
そんな旨を、ひっそりとエイラに吐露する。
『疑問。優理様は自分が嫌いなのですか?』
「嫌いじゃないよ。嫌いじゃないけど……自信とか肯定感とかはあんまりないかな」
『疑問。何故自信がないのですか?』
「何故って……」
どう、答えるのが正解なのだろう。
前世からの凝り固まった価値観です、とは言えない。今世の二十年間でこんな考え方になる出来事なんてなかった。
「……誰かに認めてもらいたいからかな」
抽象的で、エイラの質問の答えにはなっていない。けれど、こうとしか答えられなかった。
誰にも認めてもらえなかったから、自信はなくて。
誰かに認めてほしかったから、いろんなことをやってみて。
けれど、長い時間と共に作り上げられたマイナス思考はインターネットで他人に認められても変えられるわけがなくて。
どんなに愛されて、認められて、赦されてもこの自己否定感が消えることはないんだろうと思う。他の誰よりも自分自身が自分を認めてあげられないのだから……もう、しょうがないことだ。
『理解。優理様は、生きているのですね』
「……うん。そうだね。生きてるよ。ずっとずっと……うん。生きてる」
一切皆苦、という言葉を知っているだろうか。
前世の優理が座右の銘としていた言葉である。
仏教の用語で、簡単に言えば"世の中思い通りにならないことばかりである"という意味になる。
漢字だけを切り取って世の中全部生きることは苦しいことだ、とも優理は解釈していたが、座右の銘としては二つの意味を胸に留め生きていた。
必死に、真っ当に、いろんなことを受け入れて諦めて、それでも生きていた。
前世の優理は最期まで……記憶は不確かで朧げだが、最期までちゃんと生き抜いた。無論、童貞のまま。
今の優理も、現状を変えようと藻掻いてあがいて生きている。
自信なんてなくても、本当は天から授かりものみたく彼女の一人でもできやしないかなと思っていたりしても、不純な気持ちしかなくても頑張っている。
優理なりに、この性欲逆転世界を生きている。
「……」
視線を落とし、眠る少女を見やる。
この子は、幸せになってほしいと思う。幸せにしてあげたいと思う。金銭的余裕はある。精神的余裕もある。肉体的余裕だってある。アヤメが物事を学んで、愛の在り方を知って、それでも優理を好きだと言うのなら、その時は誠心誠意向き合おう。
優理こそがアヤメを幸せにしてあげようと思う。
純粋に美しいまま、自分のように疲れた心を持たずに日々を幸福に過ごさせてあげたい。これが母性……いや父性……いや、兄性……いやいや親心というものか。違うか。
「エイラ。口付けはしないよ」
『理解。優理様の心を尊重します』
「うん。ありがとう。でもね……」
銀の少女の頬を撫で、安らかな顔の眠り姫に目を細めて微笑み、そっと続ける。
「僕がただの商人Uだとしても、僕が選ばれたのなら、商人なりにお姫様はきちんと愛して幸せにしてみせるよ。商人は強かなんだ。エイラも知ってるでしょ?」
『肯定。はい。存じています』
「うん。……よし、朝食の準備してくるから、三十分後には起こしてあげてね」
『受諾。了解しました。優理様。いってらっしゃいませ』
「ふふ、うん。いってくるよ」
AIと朝からこんな湿っぽい会話をすることになるとは思わなかったが、なんとなくエイラには知っておいてもらいたかった。
なんでも情報を得られるAIだって、人の心の内側までは知れないだろうから。いつか、もしもアヤメがエイラに相談することがあれば、こんな男がこんな話をしていたと言ってくれてもいいかな、なんて。
ちょっとかっこつけ過ぎたかな。
小さく笑って、優理は音を立てず戸を閉めリビングを歩く。明かりも付けずキッチンで行う作業は、なんだか本当に同棲でもしているような気がして胸の内がくすぐったかった。……あ、本当も何もこれ同棲か。祝、同棲童貞卒業。朝食は豪華に卵を多めにしよう。
いつも通り益体のないことを考えながら、優理は卵を手に取った。
☆
微かな物音が聞こえる、リビングより薄い扉一枚を挟んだベッドルーム。
アヤメが同居するに際し、少し物の配置を変更した部屋だ。
下着入れはリビングのクローゼット近くに置き、ベッドは窓際に近づけスペースを確保した。空いた場所に敷布団を敷いてアヤメの寝る空間が完成した。
小窓には遮光のロールカーテンが引かれ、部屋は僅かな光のみを闇に広げていた。
元は開かれていたリビング間との引き戸も優理によって閉められ、部屋はより暗さを増している。
すやすやと、静かに寝入るアヤメに暗がりから人工的な声が届けられる。
『報告。アヤメ様、エイラはアヤメ様の狸寝入りを感知しています』
「……そうですか。エイラにはバレていたんですね」
『肯定。アヤメ様の体温、肉体の活性、呼吸の変化、様々な動きにより感知しています』
「……わかりました。なら、私が聞きたいこともわかりますか?」
『否定。アヤメ様の聞きたいことはエイラにはわかりません』
優理とエイラの話を、アヤメは聞いていた。
あれだけ頬をむにむにされて起きないわけがない。嫌じゃなかった、というよりもっと遊んでもらってもよかったし逆に優理の頬をむにむにもしたかったアヤメだが、エイラの発言で狸寝入りするはめになってしまった。
具体的には口付け発言である。
「ユーリは……生きていると言っていました」
『肯定。優理様は生きています』
「私は生きていないのでしょうか……」
アヤメには二人の会話がよくわからなかった。
自分が好きとか嫌いとか、自信があるとかないとか、認めるとか認めないとか。
何言っているのか全然わからなくて、でも真面目に話をしているのだけはわかったから。だから、しっかり覚えておこうと思って聞いていた。
アヤメに刷り込まれた常識だと、人が"生きている"ことは呼吸をして、意思疎通が可能な状態を指していた。けれど、先ほどの優理の話に出てきた"生きている"は意味が違ったように思える。
優理が生きているのに対し、自分はどうなのか。アヤメは生きているのか、それがわからなくて、布団で丸まってエイラに聞く。答えを聞くのは少しだけ怖かった。
『否定。アヤメ様は生きています。限りある生を謳歌し、日々を生きています。比べるべくは優理様とアヤメ様ではなく、過去のアヤメ様と今のアヤメ様です』
「過去の、私……」
思い出す。
色のない、灰色の時間。ただ生きるために食べて、寝て、食べて、寝て。健康であるため。そのためだけに食事もお風呂も睡眠も熟していた。そこに感情は伴わない。喜びも楽しみも、悲しみも面倒と思う一瞬でさえない。
あの日々は確かに……確かに、"生きている"とは言えないかもしれない。
比べて、今のアヤメはどうだろう。
美味しいものを食べて喜び、優理と話して笑い、優理に撫でられてふわふわし、優理に抱きしめられてドキドキし、一人の時間に寂しさと楽しさを持ち、エイラとの話に興味と面白味を持ち、ありとあらゆることに新しい喜びを見出している。
世界は色鮮やかで、毎日が驚きの連続で。
これは……これは、確実に"生きている"と言える。そんな日々。
「……私、生きていました」
『肯定。アヤメ様は生きています。生きることを楽しみ、生きることを喜び、人間としての生をその身で余すことなく受け止め生きています。今の自分を、生きる自分を忘れないでください』
「……はい。そうですね。私は生きています。ありがとうございます、エイラ」
『肯定。どういたしまして、アヤメ様。サポートAIとして当然のことをお伝えしたまでです』
不思議な温かさだった。
ちょっぴり落ち込んでいた気分が元に戻っている。むしろぽかぽかと心地よくさえ思う。
「私、知らないことだらけなんですね」
『肯定。アヤメ様はこれから多くを学び成長するのです。優理様もまた、いくらでもアヤメ様の助けとなってくれるでしょう』
「ふふっ、そうですね。……けど、ユーリはどうしてそんなにも自信?肯定感というものがないのでしょうか」
エイラと話していて、改めて優理の言葉を思い出して疑問が湧いた。
アヤメも特に自信満々とか自己肯定感MAXとかではないが、それでも自分は大好きだしユーリのことも大好きだし、外の世界も家の中も大好きだった。今のところ嫌いなものは……一人ぼっちは嫌いかもしれない。それくらいだ。
『推測。優理様は、人に愛されたことがないのでしょう』
アヤメの全身に衝撃が走る。
まさか優理が愛されたことない!?ぱっと起き上がり、意味はないのにエイラの方を見てしまう。特に文字も表示されていなかったので普通に布団に戻った。ぬくぬくする。
アヤメが落ち着くのを待って、エイラは続ける。
『優理様は、おそらく家族以外の他人から愛された経験がないのです。故に自分を認める存在を知らず、誰からも認められない自分を認められないのでしょう。総じて成功体験の少ない人間にありがちな思考ですが、優理様の場合、生来の熟考癖が悪い方向に流れてしまったようです』
さすがは最先端を駆け抜ける人工知能であった。
優理のマイナス思考の根底を軽く暴いている。普通の人間は、成功体験がなくともここまで悪い方悪い方と考えない。まあそんなものさと思って終わりだ。だが優理の場合、そこに原因を求めた。求めてしまった。
結果、辿り着いたのは自分だ。人生が中途半端で上手くいかなった理由は自分にあった。自分にしかなかった。まあ事実なので仕方ない。世の中、ほとんどの人間が思う通りになんて生きられないものなのだ。それこそ一切皆苦と。
優理の性格はほぼエイラが言い当てたが、いかに人工知能と言えど優理の前世までは読めなかった。
成功体験の無さから生まれるマイナス思考は、二十歳程度で持てるものではない。優理の年齢を知るエイラにとっては大きな謎だが、そこまで深く考えたりしない。エイラの興味は基本アヤメに向いているし、人間と違って熟考してドツボにはまったりなどしない。とことん優秀なAIである。
「ユーリは……ユーリも、本当は私と同じで愛を知らないのですね」
『肯定。女性経験のない優理様もまた、アヤメ様と同じく愛を知らないでしょう』
「そうなんですね……」
神妙な顔で頷くアヤメだが、この会話を優理が聞いていたら絶句していたことだろう。事実だけど、事実だけどさぁ……と、そんな悲痛な童貞の声が聞こえる。
『報告。アヤメ様、優理様は確かに愛を知らないと思われます。ですが、それでも優理様はいつかの果てにアヤメ様を愛し幸福にすると言っていました』
「あっ、そうでした。私がお姫様で……ユーリが商人の王子様で」
微妙にアヤメの妄想が混じっているが、全肯定エイラは間違いを訂正しない。主人の願いを全力で叶えるAIだ。
『肯定。自信がなく、自分を認められず、自己肯定感の低い愛を知らない優理様ですが、それでもなおアヤメ様への深い想いを持っています』
「ふふ、そうですね。ユーリ、私のこと大好きみたいです。私もユーリのこと大好きです」
エイラからは結構な言われようだが当人には聞こえていないので一切問題なし。
アヤメはアヤメで相変わらず好意ド直球なので、当人が聞いたら赤面していたことだろう。
『推奨。アヤメ様はアヤメ様のまま、思うが儘に優理様と時間を共にすればよいかと思われます。それがアヤメ様の求める愛を知る近道かと』
「そうですね。……私、難しいことはよくわかりませんから。ユーリとエイラのお話もあんまりわからなかったです」
言葉を止め、暗い天井を見上げる。エイラは空気を読んで何も言わなかった。ただアヤメの続きを待つ。
「……だから、わからないままでユーリといっぱいお話していっぱい一緒に居て、知ろうと思います。ユーリのことも、私のことも、人間のことも、世界のことも。もちろん愛のことも」
『肯定。アヤメ様らしい、素晴らしい考え方です』
「えへへ、ありがとうございます。ふふ、エイラのことも忘れてませんからね」
身体を起こし、エイラの端末の縁をそっと撫でて言う。
主人の微笑みに、エイラは。
『ありがとうございます。アヤメ様』
抑揚なく、けれど決められたワード以上の意味を滲ませて感謝を告げた。
「はいっ。それじゃあエイラ。私はユーリから目覚めの口付けをもらいに行きます。一緒に行きましょう!」
『理解。作戦は不要です。アヤメ様の思うまま、今のアヤメ様なら容易く口付けを勝ち取れるでしょう』
くすりと笑う銀の美少女と、主人のことになるとちょっぴりポンコツになる超高性能AIと。
優理の家で、優理のいないところで交わされた、二人の一幕である。
ちなみにこの後、アヤメは無事優理から額に口付けをもらった。顔を真っ赤にして部屋の隅に逃げた美少女がいたかどうかは、家の主と人工知能のみが知る。
☆
――Tips――
「愛され体験」
傘宮優理が漫画と小説と映像とASMRでしか知らない体験。家族からの愛ではなく、恋人や配偶者からの愛を指す。
他者より愛されると、活力が湧き、希望に満ち溢れ、未来が明るく思えると言う。愛を知らないからといって不幸になるわけではないが、知っていた方がより人生は豊かになる。
優理は真の意味で愛を知らないため、未だ多くの劣等感と否定感を抱えている。そういう時にこそ、全肯定ASMRで自信を取り戻すのだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます