リアラと優理の長かった日曜日5

 ☆



 十月の八日、優理にとって長い日曜日であったように、リアラにとっても今日は長い日曜日だった。


 問題は朝、というか早朝から始まる。時刻にしてまだ日の出前の三時だ。

 緊急の連絡を受けて叩き起こされたリアラは、眠い目を擦って顔を洗った。冷水で目覚め、身支度しながら録音を聞いて、話を反芻し顔を引きつらせることになった。


 曰く、日本の男性データベースがハッキングを受けている、と。


 男性データベース。

 MDB(Male of DataBase)と略されるそれは、男性という存在が一定以上減じた段階で各国が作成するようになった。

 男性の出生年、居住地、家族及び家系図、男性機能の強弱、精子機能の強弱、精子提供率、提供精子による子供の有無、さらには子の性別まで。

 当人の名前や詳しい住所は記されていないが、見方によっては個人特定以上の情報が記されている。この情報により、それこそ優理の受けた"男性妊活補助制度"などの優遇措置をより高く受けられるようになる。


 要するに、MDBは性欲逆転世界における男性保護、男性数増加のための国家秘匿情報なのだ。


 優秀な遺伝子、精子機能を持った男性はどこの国も喉から手が出るほどに欲している。

 年々男性数は減少し、原因も不明となれば最低限現状維持を行える人材を求めるのは仕方がないことだろう。


 そのような背景があり、MDBがハッキングを受けているというのは日本の一大事――冗談でなく国家存亡の危機と言える状況であった。


 リアラはあまりMDBに関与していないが、機能の高い精子を積極的に提供してくれる優良男性の優理を見出したことで、とある役の一つを担っていた。


 その役というのが、MDBのバックアップ情報端末の保持である。


 MDB自体は完全独立のスタンドアローンPCで運用されているが、日々人間が外部入力でデータを打ち込んでいるため、操作そのものは容易にできる。もちろんPCにアクセスする時点で指紋認証、網膜認証、ランダム生成の日時変更パスワードの入力を要求されるが。


 加えてPCからMDBを立ち上げるのに、その日のデータ入力者から無作為に選ばれた担当者の決めた好き勝手なパスワードを入力しなければならない。パスワードを決めた者が忘れると、その日一日はMDBにアクセスできなくなる。当たり前だが三回間違えるとPCは物理的に爆発する。


 ということで、どこの国の下手人かがMDB管理地(リアラは詳しく知らされていない)に侵入し直接PCへの接触を試みた。

 認証やパスワードはクリアし、当日担当者のパスワード(日曜日はettidaisukimaru0101だった)をイライラしながらクリアし、難なくMDBを開いた。


 しかしそこでもう一つの壁が立ちはだかった。壁というか、爆弾である。

 MDBはスタンドアローンのPCにて管理されているが、PC自体もかなりのスペックを誇る。その高い性能はパソコンに搭載されたMDB管理保守AIに費やされており、アクセス者の確認は監視カメラやPCカメラでAIがひっそり見つめていた。


 結果、見慣れぬ悪人!と判断されたためPCは爆発した。

 侵入者は急な爆発で大怪我を負い、捕縛治療されていると言う。


 話は戻り、リアラである。

 日本のMDB本体奪取に失敗した下手人たちは、今度はバックアップデータを狙いに動いた。

 どこから情報が漏れたのか、リアラが情報の一部を持っているとバレていた。


 同僚が急遽電話をかけてきたのは、捕縛した相手を尋問してその情報を得たからだった。

 リアラはバックアップデータの保管を社用携帯で行っていたので、どうにか社用携帯を処分しようとする。


 しかし、相手の動きも早く、強盗もかくやと言う勢いでリアラの家に侵入してきた。

 先んじて敵の動きを察していたリアラの機転により、放置された携帯が爆発しマンションの一室を吹き飛ばした。この時、ハリウッド映画さながら壁に隠れて爆風をやり過ごしたとか。


 衣服や鞄に財布に携帯と、多くの私物は泣く泣く諦め遭遇した敵の一人を捕縛しながら職場に行くことになった。

 持ち出せたのは玄関に置かれていた車の鍵だけ。スーツもジャケットはなく、パンツとシャツだけしか着れなかった。


 職場で犯罪者を引き渡し、諸々の話し合いを済ませ家に戻り、私用の携帯が壊れていることを発見して涙する。他にもお気に入りの下着から洋服まで全部燃え尽きていて、リアラのショック度合いもひどいものだった。

 後に国から補填が出るとはいえ、である。


 家の後始末、引っ越しの話、新しいMDBバックアップの管理等、やること話すことは山ほどあった。未だリアラを狙う輩を考慮して、一か所に留まらず場所を転々としながら後処理を熟していく。


 優理には言っていないが、リアラは朝ご飯も食べていないし、お昼ご飯も食べていなかった。そんな暇はなかったし、優理を待たせているのでは、という胃痛で水くらいしか喉を通らなかった。


 全部終わって、国の保護を強引に振り切って車を急がせて待ち合わせ場所まで来て……そうして、首を長くして待っていた優理を見つけたのが二十一時前のことだった。




 リアラの話を聞いて、優理は難しい顔で押し黙った。


「……」


 いったいどういうことだ……?

 傘宮優理、理解が追いついていない。


 ツッコミポイントが多すぎる。

 MDBってなんだ。いや答えは今聞いたからわかっているが、そんな秘密警察的なものが本当に存在していたのか。しかもそれを狙う組織も存在するって、前世の日本でも高度な情報戦があったと聞くが……似たようなものだったのだろうか。


 その辺の小難しい話は横に置いておくにしても、リアラの状況が悲惨で悲しくなる。


 一言、二言だけでも

・家爆破

・私物焼失(携帯、財布含む)

 悲しいくらい非情な現実が伝わってくる。


 不安そうなリアラに、優理はぽつりと尋ねる。


「その……携帯って、そんな火事になるくらい火力あったんですか?」

「はい……緊急事態を見越してデータを完全に抹消できるよう特殊な燃料が仕込まれていたようです。爆発することは知っていましたが……まさか部屋を吹き飛ばす威力とは……爆破時は部屋から出ておけと事前に言われていなかったら私も大怪我しているところでした」

「……」


 冗談でも笑えない話だった。そんな危険な……いや、それだけ世界が男性減少で切迫しているということか。

 国家公務員って大変な仕事なんだなぁ……。


「朔瀬さん、じゃあ今家って……」

「……はい。引っ越し手続き待ちです。寝泊まりする場所は国の宿舎があるので、今日はそちらを利用しようかと思っています」

「そうなんですね……」


 食事の手が遅くなる。心なしか、今口に運んだエンガワがしょっぱく感じた。……塩付け過ぎただけかもしれない。


「……」


 とりあえず一つ、聞いておこう。


「その、連絡って、できなかったんですか?」


 声の震えは無視する。

 家が燃えてそんな暇あるわけないと言われたら、まあ確かになともなるし、そんな九時間も待ってるわけないじゃん普通、と言われたらそれもまあ、確かにとなる。それでもここは聞いておきたかった。


「すみません。まだ諜報員の残党がいたので、私の保護のために外部との連絡は絶たれていました。優理君との連絡に使っていた携帯も壊れてしまい……その、優理君の携帯番号も知らず……。本当にすみませんでした」


 申し訳なさそうに頭を下げてくる。慌てて顔をあげてくれと伝えた。

 しかし……そうか。携帯番号教えていなかったか。


 実家の番号は知っているだろうが、こうして面と向かって話すようになってからはLARNでしかやり取りしてこなかった。現代っ子らしいと言われればその通りだ。まあ……要人保護的に匿われていたら、電話も何もないか。


「……ふぅ」


 色々と気が抜けた。改めて安心した。


 あとは…………どうするか。

 聞きたいことは他にも色々あったはずなのに、話の内容が衝撃的過ぎて全部吹き飛んでしまった。

 

 九時間待たされたことによる精神的な疲労はかなり回復した。 

 ハグしたり話したり笑ったりとしたが、一番はやはり泣いたことだろう。涙を流した分だけ心の膿が洗い流された気がする。代わりに肉体的には疲れたが。


 単純に座って待っていただけでも、身体の疲労は相当だ。

 緊張疲れ、安心疲れ、空腹疲れ。適当な理由は付けられるが、とりあえずもう普通に疲れている。寿司を食べてお腹が満たされ、眠気も出てきた。


 というか、もう二十四時が近い。

 明日が祝日で休みとはいえ、眠くなるのも無理はない。配信時の妙なテンションではないのだから眠いに決まっている。


 考えるのにも疲れた。今日リアラが家に来れなかった理由もまともで……ある意味まともではなかったが、ちゃんとした理由があってよかった。嘘でも裏切りでもなかった。安心した。疲れた。


「……朔瀬さん」


 優理の頭の中がぼんやりしている。

 イクラの軍艦巻きを口に運び、美味しいなぁと思いながら言葉を発する。


「はい……」

「リアラさんって呼んでもいいですか?」

「えっ」


 リアラは驚いていた。目を丸くし、次第に頭が追い付いたのか頬を染める。

 優理の発言が急過ぎて心に嵐が吹き荒れる。


「え、あ、あの……は、はい。え、はい。か、構いませんが……」


 よくわかっていないが、リアラにしてもいつかお願いしようと思っていたことなので渡りに船だった。現実感がなくて混乱したままだが、とりあえず頷いておく。


「よかったです。リアラさん」

「ひゃいっ」

「今日、泊まっていきませんか?」

「……えっ」


 優理は疲れている。

 精神力は回復しているが、心の疲労は肉体への疲労として蓄積していた。

 寿司は美味しく、今もネギトロを堪能している。満腹が近く、眠気もあり、ずっと抱えていた不安が安心感に変わり、今すぐベッドでごろごろしたい気分だった。すぐにでも夢の世界に旅立てるだろう。


 リアラも疲れてはいるが、優理の前に座っている現状にとくとくと速まる鼓動を抑えきれずにいた。話を終えた今、気疲れは薄れ、残ったのはぬるま湯のようなほっとする感覚だけ。

 国家公務員のリアラにこの程度の疲労は効かなかった。


「もう遅い時間です。疲れて帰って慣れないところで寝るのも疲れが取れないでしょう。ここは……まあここも慣れているとは言えませんか」

「いえ……い、いえ。私は……」


 今までとは違う胸の高鳴りに、リアラは戸惑っていた。

 性的な興奮とは異なる……息が詰まるような、けれど心地良さのある高鳴り。自身を見つめる優理の視線にさえ、妙にそわそわとしてしまう。


「すみません。嫌なら別にいいんですが……」


 さすがに変なこと言ってしまったか、と優理は自身を俯瞰する。

 ちょっと疲れておかしなことを言ってしまっている気がする。


 女性に対して自分の家泊まっていかない?なんて台詞は映画の見過ぎだった。

 頬を掻き、欠伸を嚙み殺して瞬きを繰り返す。超眠い。


「……ふふっ、優理君、眠そうですね」


 見るからに眠そうな優理に、ドキドキとはまた別のほんわかした気持ちを抱えてリアラが言う。

 優理の家に泊まるとか、一晩を共にするとか、同じ部屋で寝るとか、同衾するとか。思うことは色々あるが、それはそれとして心は優しい気持ちで満たされている。


「あぁー……いや、すみません。お腹いっぱいになったら眠くなっちゃって」

「いえ。気にしないでください。……優理君さえ良ければ、今日は泊まらせていただいてもいいですか?」

「うん。だいじょぶです。泊まってってください」

「はいっ、ありがとうございます」


 あっさりと話は決まり、食事もほどほどに後片付けを済ませていく。

 優理もとぼとぼ動いていたが、きびきびと動いていたリアラがほとんど片付けは行った。寿司を冷蔵し、食器を片付け、調味料を仕舞い、ゴミを処分する。同棲気分を味わえてルンルンな女である。結んだ髪が尻尾のように揺れていた。


 それから、歯磨きだけして布団を用意し寝る準備は完了だ。

 こんな日もあろうかとお客様用布団を用意しておいた過去の優理は優秀だった。


 豆電球だけ付けて部屋を暗くし、二人は開いた引き戸を挟んで横になる。ベッドと敷布団と、高さも違えば数歩とはいえ部屋も違う。それでも、二人の距離は今日一日でずいぶんと近づいていた。


「……優理君、もう寝ましたか?」


 すやすやと、ほんの微かな寝息がリアラの耳を揺らす。

 ベッドに入りまだ十分と経っていないと言うのに、それだけ疲れていたということなのだろう。


「……優理君」


 寝入った優理に聞こえないよう、そっと名前を呼ぶ。


 言いたいことはいくつかあった。

 何度も繰り返した感謝と、謝罪と。優理はもういいと笑って首を振るだろうが、リアラはまだ足りないと思っていた。


 九時間だ。馬鹿みたいな時間だった。

 普通待たない。リアラでもきっと、何か事故や事件があったと心配になり一度帰る。相手の職場や住所を知っているなら行ってみる。待ち合わせ場所に留まっているなどありえない。


 傘宮優理は異常だった。

 ただの待ち合わせで、直接言葉を交わした約束ですらない。本当にただの、LARNでの約束でしかない。その約束のために、待って待って待って……待ち続けて。


 リアラは自身にそこまでの価値があるとは思っていないし、待ってもらうほどの理由もないと思っていた。信頼だって……そんなに得られているとは思っていなかった。


 自己肯定感の低い優理と、自己評価の低いリアラと。

 優理が思ったのと同じように、リアラもまた、自分と少し似ているなと思った。


 不安だらけで、傷つきたくなくて、信じるのは怖くて……。


「……」


 小さく苦笑する。

 男の人も、もしかすれば女とそう変わらないのかもしれない。恋愛含め、人間関係を築いていくのは大変だ。信頼できる人なんてすぐできるわけじゃない。時間をかけて、相手を知って、自分を知ってもらって、そうしてできた不安定な足場の上に少しずつ重みを足していくのだ。


 手間暇掛けても崩れるのは一瞬で、それなら最初から人を信じなければとも思う。でも、信じる人は欲しい。信じられる人は欲しい。恋はしたい。愛したいし愛してほしい。エッチもしたい。


 だから、怖がりながらも頑張って人間関係を作ろうとする。

 女も、男も。きっとそこは変わらない。性別は違っても同じ人間だ。考えることはきっと同じ。リアラがそうであるように、優理もまた、そうなのだろう。


「……優理君」


 もう一度、すぐ近くで眠る男の名前を呟く。

 傘宮優理。名前を繰り返すだけで、とくりと胸が音を奏でる。


 この感情が何なのか、それくらい察しは付いた。二十七年も生きているのだ。

 現実での恋愛経験はないが、小説もドラマも映画も、知り合いの話だって。いろんな恋を見聞きしてきた。だからわかる。


 リアラは今日、生まれて初めて。

 本当の意味で、優理に恋をしたのだ。


「……ありがとうございました」


 想いを込めて、聞いていない相手にお礼を告げる。

 待っていてくれて、抱きしめてくれて、泣いてくれて、お寿司を一緒に食べてくれて、泊まらせてくれて。そして……――恋を教えてくれて。


 目を閉じ、積もる想いを抱きしめるように身体を丸める。

 こんな年になって何をという思いもあるが、今はそれ以上の想いで胸がいっぱいだった。


 散々な日だったけれど、最後だけは素敵な思い出で終わってよかった。

 ひっそりと口元に笑みを浮かべ、リアラは優理同様眠りに落ちていく。窓の外では二人の眠りを見守るように、しとしとと雨が降り続いていた。





――Tips――


「恋」

乙女三大妄想の一つ。現実に出会いはなく、運命はなく、偶然もない。

普通に生きていたら彼氏などできるわけもなく、割と頑張って生きていても彼氏はできない。

恋をしたいと思う女は星の数ほどいるが、その夢が叶うのは十人に一人以下。真の恋に落ちることすら許されないこの世界では、"恋"は乙女たちの妄想――夢の一つになった。ちなみに残りの妄想はエッチ、結婚である。出産は一人でも容易いので入っていない。

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