リアラと優理の長かった日曜日4
自宅。傘宮優理家。
壁掛けの時計を見ると、既に時刻は"10"の数字を過ぎていた。
NIONで過ごした時間を加味しても、思った以上に長時間車の中にいたと気づく。泣いたり笑ったり話したりと、確かに色々あったから時間がかかったのも納得できる。
家に着き、急いで暖房を付けて衣服は洗濯籠に放り込んだ。二人分だ。
言うまでもなく、優理と朔瀬――リアラの分である。
十月の初頭に暖房は時期尚早な気もするが、風邪を引くよりは全然いい。一足先に文明の利器を使わせてもらおう。
お互いに服も髪も濡れていたが、よりひどいのはリアラだった。
最低限の水気を取っているとはいえ、濡れた量と比較すれば焼け石に水でしかない。
リアラには先にシャワーを浴びてぽかぽかになってもらい、優理はインナーだけのエロティックスタイルになる。期せず"女性が自宅でシャワーを浴びている間、下着姿で待つ"というシチュエーションを体験することになってしまった。複雑である。
これが初々しいエッチ前のアレコレならいいが、今は泣いて泣いた後の羞恥心やら疲労感やらに襲われている最中だ。あとお腹空いた。
全然興奮できなかった。性欲より食欲を満たしたい。それと待ち合わせに来れなかった理由も知りたい。スーツボロボロだった理由も知りたい。割とメンタル弱いですねとも言いたい。最後のはブーメランだが、同族……ガラスのハート仲間を見つけたようでちょっと親近感が湧いている優理だ。
「……にしても」
呟き、胸中で"リアラさんか"と続けた。
はにかんで名乗った時の顔は美人可愛く、結構な破壊力だったが今はいい。大事なのは名前だ。
仲直り……という言い方はおかしいか。重ねた信頼が嘘ではなく、改めて本物だとわかった。言葉にすると恥ずかしすぎて、考えた時点で顔が熱くなる。
椅子に座り、額に手をやり俯きがちに顔を隠す。絶対に赤くなっている。こんな顔、恥ずかしくて誰にも見せられない。
「……これが、恋か……」
適当にカッコつけて言ってみるが、自分でも違うとわかっている。
これは喜びだ。単純で嘘偽りのない、純真な喜びの感情。
信じた人が、信用し、信頼した人が同等の想いを返してくれた。
嬉しかった。すごくすごく、言葉にできないくらいに嬉しかった。
同性ですらなかなか得られない関係を、異性で築くことができた。
これがスタートラインだと、優理は思う。この時点で、ようやく初めて傘宮優理という男に、本当の意味での友人ができた。心から信頼できる人、信じ、頼り、寄りかかることのできる相手。
前世では、ついぞ得られなかった関係性の一つだ。
これが恋に発展するか、愛に移り変わるのか、今の優理は知らない。経験したことのないものはわからない。わかるわけがない。けど、悪くない気分だった。未来は明るい。今のリアラになら、これまでの数十倍はいろんな相談ができる。時間のあるときに、お泊まり会についても色々聞いてみよう。
さておき、名前についてだ。
車の中ではそこまで詳しい話をしなかった。誤解が解け、泣いて話して疲れていたのでひとまず家に帰ろうとなった。濡れていたし、お腹も空いていたし。
ほんの簡単に教えてくれたことと言えば、リアラの母方にアイルランド系の血が入っていることだけ。だからミドルネームもあるし、名前も英語圏のものになっている。ただし、日本に合わせた名前なので、名字・ミドルネーム・名前となっている。国籍も日本のものだ。
ちなみに英語はペラペラだとか。尊敬する。さすが国家公務員。
「……はー」
考えていたら余計にお腹が空いてきてしまった。小さな机の上にはビニール袋に詰まった寿司のパックが積まれている。醤油皿なんて上等なものはない。取りに行けばあるが、あとでいいかなと思っている。
食べたいが、雨のべたつきをどうにかしたいという気持ちもある。
ちょっと朔瀬さん遅くない?と時計を見れば二十二時十五分になっていた。
言うほど時間は経っていないが、今の状況で遅いとも言える。
まさか見に来てちょうだいのサインか!?一瞬煩悩が首をもたげるも、空腹と疲労に押し流されて消えた。
世の中みんな疲れ果ててお腹空いてたら性欲も消えてなくなるんじゃないかと思ってしまう。天才か?でも性欲消えると種族絶滅するし、終わりだね。人類、終了です。
一歩も動けずぼんやりしていたら、シャワーの音が消えてドアを開ける音が聞こえてきた。
今、脱衣所に全裸のリアラがいる。そう思うとさすがに優理も興奮してきてしまった。沈まれ。我が半身。
「――ゆ、優理君。お待たせしましたっ」
煩悩と争っている優理の耳に、透明度の高い声が届けられる。
視線を向けると、雨で濡れるのとは違うしっとりさを纏った女性がいた。白のYシャツに黒のスラックスを履いている。
白のYシャツを着ている。大事なことだ。優理は感激していた。ついニッコリしてしまう。
「えっ、優理君?嬉しそうですが……ど、どうかしましたか?」
ものすっごく困惑されてしまった。
怪訝そうな顔をしている。シャワー後で頬が上気し、人工灯で艶々する黒髪が色っぽい。
「いえ、なんでもないです。服、お似合いですね」
再度ニッコリ。
抑えようにも抑えられない。開き直ってニコニコしておこう。彼シャツ。最高すぎる。夢が一つ叶った。性欲の神様、ありがとう。悔いだらけだからまだ死ねないけど、この調子で夢を叶えていったら後悔なく逝けそうだ。
「あ……は、はい。ありがとうございますっ……」
恥ずかしそうにするのもまたポイントが高い。揺れるシャツの裾がとても良い。薄っすら見えるライムグリーンの下着がさらに良い。Yシャツを選んでよかった。優理の家には女装用で女性物の服なんて腐るほどあるが、敢えて男の服を選んだ。後悔はない。反省もない。
「朔瀬さん。ちょっと僕もシャワー浴びてきますね」
「そ、そうですよね。はい、お待ちしています……ゆっくり入ってください」
「ありがとうございます」
しおらしいリアラの横を通り、さっさと風呂場に行く。
隣を通った時に香ったシャワー上がりの匂いは由梨のウィッグ用のそれだった。嗅ぎ慣れた匂いで悲しい。こんなもの求めていなかった。
言うまでもないが、お風呂場もまた、由梨用のシャンプーコンディショナートリートメントの香りしかしなかった。世は真に、諸行無常である。
優理がシャワーを終えリビングに戻ると、リアラが床にクッションを敷いて正座していた。
見慣れた景色。ちょっと前にも見た光景だ。
こちらと目が合い、ちょこんと頭を下げてくる。
シャワーでリフレッシュしたはずだが、心の中はそうでもないらしい。まだまだいつもの調子には程遠い様子だった。
まあそれもしょうがないかと優理はこっそり頷く。
だって九時間も待たされたし。僕が待たせる側だったらそりゃ落ち込むよ。
内心ではうんうんと頷くも、表には出さない。同意同情したって喜びはしないだろう。むしろ恐縮する。優理だったらそうだ。リアラもまた、きっとそうだろう。なんとなくだが、優理にはリアラの根っこの性格が読めていた。朔瀬・C・リアラという女性は、自分と似ている。
「朔瀬さん。ご飯を食べましょう」
「はい……」
しょんぼりしている。いつもの美人なお姉さんと違って、今はしょんぼり儚げなお姉さんになっている。これはこれで美人可愛いお姉さんになっていて好きだが、そういうのを考えるような気分でもなかった。お腹減った。
NIONのビニール袋を開け、寿司のパックを机に並べていく。
一つ、二つ、三つ、四つと置いた時点でもう置けなくなった。袋の状態では重ねていたからギリギリ置けていたが、いざ食べるとなると無理だ。あと四パックある。冷蔵庫に入れておこう。
そそくさと冷蔵しに行き、ついでに醤油皿も持ってきた。小皿ならなんとか置ける。二枚分のスペースはないので、皿は一つだけ。二人で一つの醤油皿を共有する……。ちょっと同棲っぽくて嬉しいかもしれない。
「朔瀬さん。食べますよ。いただきます」
「い、いただきます……」
ちらちらと見てくる朔瀬の視線は気付かないフリをして、まずはネギトロを……。
「……うま」
美味しすぎてびっくりしてしまった。優理の臓腑が喜んでいる。
定番だが、空腹は最高のスパイスだった。本当に。誇張無しで美味し過ぎる……。さっきのニッコリと同等の笑みが優理の口元に浮かぶ。
リアラは優理の笑みを見て……眩しそうに目を細めて、ゆっくりと微笑んだ。
「……ふふっ」
「?な、なんですか……?」
「ふふ、いいえ。優理君は……本当に優理君のままだな、と」
「そりゃ僕は僕のままですよ。……朔瀬さんだって、朔瀬さんのままじゃないですか」
もぐもぐとサーモンを食べながら言うと、リアラの笑みが深まりくすくすと綺麗な声をこぼし始める。相変わらず、笑い方まで綺麗な人だ。
「ええ、はい。そうですね。私は私のままです……。優理君、お寿司、私もいただきます」
「どうぞどうぞ。食べてください」
上品に丁寧に寿司を食べる姿は様になっていて、ちらちら見える明るい緑がエッチだった。
二人して寿司をぱくついていると、少しずつ少しずつ会話も増えていく。
「朔瀬さん。ずっと醤油だけって飽きません?」
「え?いえ、私は飽きませんが……」
「……そうですかー」
「あ。ふふ、優理君、目玉焼きは色々かけると言っていましたね」
「そうなんですよ。お寿司もね、醤油だけじゃなくて、塩とかマヨネーズとか、塩とか塩とか塩とか」
「ふふふ、塩ばかりじゃないですか」
「とりあえず塩欲しいですね。あとサーモンとイカにはマヨネーズ欲しいです」
「サーモンはわかりますけど、イカもですか?」
「はい。結構美味しいんですよ。朔瀬さんも試しましょうよ。ね?」
「そ、そこまで言うなら私も……はい、試してみますっ」
「よっし、なら調味料取ってくるので待っててください!」
「ふふっ、そう急がなくても大丈夫ですよ」
塩とマヨネーズと、ついでにごま油も持ってきて、食べ終えたパックをどけて新しい皿を置く。
色々試しながら、目を丸くして口元を押さえ驚くリアラは結構な可愛さだった。優理のドキドキ満足度もぐんぐんと上がる。
ある程度食べ進め、空腹も満たされてきたところで思い出したことがあった。
「朔瀬さん。僕は思い出したことがあります」
「なんでしょうか?」
「お互いの好きなネタを当てよう、という話を覚えていますか?」
「あっ。お、覚えていますよ。……すみません、すっかり忘れてしまっていました」
「いえ、いいんです。僕も忘れていたので。今決めましょう」
「わ、わかりました……」
ということで始まる好きなネタ当てゲーム。
地味に恋人ができたらやってみたかった妄想の一つで嬉しい優理とリアラだった。両方ともが同じ妄想をしている。悲しい童貞と処女だ。
ちなみに優理の好きなネタはネギトロで、リアラの好きなネタはイクラであった。
「朔瀬さん、玉子好きでしょう」
「好きですが……その、一番というわけでは……」
「……ふむ。じゃあ次朔瀬さんの番です。いいですよ」
「あ、そういう感じなんですね……ネギトロはどうでしょうか?」
終わった。早すぎるだろう。期待を含んだ眼差しに嘘はつけない。というか、こんなところでくだらない嘘をつくものでもない。しかし。
「……ちなみに、理由はなんですか?」
「優理君、最初にネギトロを食べていたので……」
「よく見てますねー、大正解です!わーわーぱちぱちぱち!」
「え、やった。ありがとうございますっ。ふふ、ユツィラの配信みたいですね、今の優理君」
なんだ今の仕草。超可愛かったんだが。
こう、ぎゅっと胸元でガッツポーズするようなやつ。あざと可愛い。あと下着エッチ。定期的に透けて見えるブラジャーの破壊力がやばい。
スーツを着ている時はそこまでと思わなかったが、彼シャツ姿だと胸の大きさがはっきりわかる。……良いものをお持ちで。できれば触らせていただきたく。セクハラ?確かにそうかもしれない。無念。
脳内おふざけを繰り広げつつ、改めてリアラの言葉を拾う。
「いや配信と言われるとちょっと……普通に恥ずかしいですね」
ちゃんと恥ずかしいのはやめてもらいたい。
まるで普段からユツィラみたいな振る舞いをしているようじゃないか……。いつもそのままの振る舞いだったかもなぁ。
「ふふ、恥ずかしくないですよ。いつもの優理君も、配信上のユツィラも。私にとってはいつでもかっこいい素敵な優理君のままです」
「――――そ、れは……え、っと、はい。ありがとうござい、ます」
さすがに卑怯じゃないか、それは。
真正面からの褒め言葉、それも男性的にかっこいい素敵大好き愛してるはやばい。リアラが露骨な好感度稼ぎに走っている……!無論、そんな考え優理の妄想である。
「……朔瀬さん。景品、何かほしいものありますか?」
「……そういえば、そんなお話でしたね」
何を言われたのかと戸惑い、その後すぐに合点がいったのか頷く。続けて、私がそんなものをもらえる権利、と言いそうな顔をしていたので首を振ってニッコリ笑っておいた。
リアラは気恥ずかしそうに微笑し、それならと口を開ける。
「優理君」
「はい」
「私の話を、聞いてくださいますか?」
「……そんなことでいいんですか?」
「はい。そんなことでいいんです」
「朔瀬さんがそれでいいなら……聞きますよ。いくらでも、いつまでだって聞きます」
変なニュアンスになってしまったが、言いたいことは伝わったらしい。
時間ならもう、飽きるほどかけた。心が軋むような九時間と比べれば、話を聞いている時間なんて屁でもない。
いくらでも、いつまでも。待って聞こう。
「――ありがとう、ございます」
そっと指先で目元を拭ったリアラには何も言わず、じっと耳を傾けることにした。
女の涙に言葉は不要。無粋な横槍は入れない、空気の読める漢優理だった。
――Tips――
「異性の家でシャワーを浴びる」
女の夢、乙女の夢、人の夢と言われるものの一つ。
単純な宿泊以上の意味を持つ行為であり、一人でシャワーを浴びる場合もあれば異性と二人、狭い浴室でシャワーを浴びる場合もある。性欲逆転世界では、シャワーシーンも含めた"乙女の夢"と呼ばれるシーンがあらゆる創作で取り入れられている。
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