見送り、そして新しい始まり。

 翌朝。

 月曜日、朝である。


 朝チュン――ではなく、同棲――でもなく、香ばしい料理の香りで目覚める――こともなく、物音を聞いて優理は目覚めた。

 ぼんやりしたまま視線を彷徨わせ、布団からこそこそ起き上がろうとしているリアラと目が合う。豆電球の光がしっかりと視線の交わりを教えてくれた。


 眠気眼で、なんだリアラさんかと頭側にある時計を見る。ぽちりと背部を押せば淡く橙色に光った。時刻は朝の六時。昨日寝たのは……いつだろう。覚えていないが六時間は寝たようだ。というか六時間しか寝られていない。


「……」


 次第に頭が起きていく。

 もう一度横を見た。


「……お、おはようございます」


 リアラさんがいた。寝起きに彼シャツ姿のリアラさんを見るとか、妄想がひどい。なんだ、夢か――――いや夢じゃないわ。サァァっと昨日の出来事を思い出して急速に目が覚めた。


「おはようございます……リアラさん、早いですね……」


 朝が早すぎてびっくりした。昨日家が爆発して疲れ切っていたのではなかったのか。気まずそうにこちらを見ている姿は特に疲れた様子を感じさせない。暗くて見えにくいが、服が乱れて……乱れていないか。残念がる童貞である。


「すみません、優理君。起こしちゃいましたね」

「いえ……ふわああぁ……あー」

「ふふ、まだ寝ていてもいいですよ。優理君、今日もお休みですよね」

「ええ、はい……リアラさんは仕事ですか?」

「は、はいっ。今日も仕事です」


 家爆発して燃えたりしたら、そりゃ色々大変だよなぁと呑気な優理だ。

 急な名前呼びでドキドキしている女がいることには気づいていない。赤くなった顔が暗闇で見えなかったことが幸いしている。


「大変ですね……うん。僕も起きますよ。朝ご飯、作りましょうか……あ、お寿司まだ残ってるか」

「そうですね……優理君、お吸い物の素はありますか?」

「……探せばあるかも?」

「ふふ、じゃあ探してみましょう」

「はい」


 二人してもそもそと動き出す。

 顔を洗い、うがいをし、言った通り吸い物の素を探し、寿司を準備し。


 吸い物の素、というよりは豆腐味噌汁の素を発見したので、リアラが湯を沸かし準備を進める。その間、優理はカーテンを開けて部屋に明かりを取り込んでいた。


 まだ外は薄暗く、空は深い灰色に覆われていた。

 昨日に引き続き、今日も雨のままだ。


「……ちょっと寒いか」


 呟き、雨空から目を逸らして自分の身体を見下ろす。

 上はインナーシャツのままだが、下は長ズボンを履いている。薄手の一年通し用ズボンだ。鬱陶しいが、さすがにリアラの前でパンツ姿はあまり見せられない。自分を女に置き換えるとブラショーツだけで歩き回っているようなものだ。エッチすぎる。


 早朝の肌寒さに身震いしながら、夏も完全に終わったなともう一度窓を見る。

 そっと鍵を開け窓を開く。ひゅう、と冷え切った空気が部屋に入り込んで頬を撫でた。雨の匂いがする。


「優理君……今日も雨ですか。少し肌寒いですね」


 背後からかけられた声に頷く。


「……もう秋ですね」

「そうですね。……今年も、あと三か月ですか」

「早いものです。……あぁ、リアラさんの誕生日、十一月でしたっけ」

「え?え、ええ。そうですが……」

「何日ですか?」

「えっと、二十三日ですが……」

「そうですか」

「はい……」

「リアラさん」

「はい」

「朝ご飯、食べましょうか」

「はい」


 窓を閉め、戸惑った顔のリアラに振り向き歩き出す。

 朝食にしよう。誕生日は、後でメモでも取っておこうか。十一月の二十三日。大人になって誰かから誕生日を祝われるなんてあまりないから……親しい人を祝える時は、祝ってあげたい。


 優理の前世では、多くの誕生日を一人寂しく過ごしていた。


 曖昧な記憶の寂寥を振り払い、昨日と同じように席に着く。朝から食べる寿司は……うん、昨日と変わらず美味しい。




「リアラさん、駐車場まで送りますよ」

「い、いえ。ここで大丈夫ですよ。雨降っていますし、外までなんて申し訳ないです」

「いいんですよ。外の空気も吸いたいですし。ね」

「それなら、はい。わかりました。……ふふ、優理君、頑固ですね」

「知りませんでしたか?」

「ええ。今知りました」

「それはよかったですね」

「はいっ、よかったです」


 時刻は朝の八時。

 職場に向かうリアラを送る。玄関までで良いと言うが、駐車場まで見送ることにした。


 優理の家からリアラの職場までは車でもそこそこ時間がかかる。本来ならもう少し早く家を出ないと間に合わないが、そもそも今日は休みだった。昨日の事件があってほとんど出勤しているだろうが、職員が集まるのは大体九時過ぎ。移動時間も考え、この時間までリアラは待っていた。


 ドアを開け外に出ると、首元をすり抜ける風に肩が強張る。

 傘を持つ手に力を込め、先を歩くリアラに付いていく。


 ある程度明るくはなったが、まだまだ空は雨雲に包まれたまま。

 深く呼吸すると、冷えた空気が肺に染みる。悪くない気分だった。


 エレベーターで一階に降り、エントランスホールの脇から駐車場に向かう。

 優理は使ったことがないが、リアラが車で来る時はいつも同じ場所に停車していた。優理部屋付の駐車スペースである。本来は追加料金が必要なところ、搾精官が通えるようにと国が確保してくれている。リアラによる申請だったり、優良精子提供者の特権だったりと、そういう裏事情もあったりする。


 日光浴ならぬ降雨浴をしながら、駐車場へ。

 傘を差し、運転席からこちらを見上げてくるリアラに微笑みかける。さっと目を逸らされた。どういうことだろう。照れているのだろうか。珍しい。


「リアラさん。お気をつけて」

「は、はいっ……優理君も、急な気温変化に気をつけてくださいね。その格好は……ふふ、さすがに寒いでしょう?」

「いえ、まあ……そうですね。ちょっと寒いです」


 くすくすと笑うリアラに肩をすくめ苦笑した。

 下はともかく、上はインナーシャツのまま出てきてしまったのだ。薄手で二の腕半分までしかない半袖はさすがに寒い。


「何かあれば、伝えた番号に電話してください」

「はい、優理君も。番号自体は変わらない予定なので、何かあれば掛けてください」

「ふふ、携帯新しくなっていれば届きますね」

「はい。着いたらすぐ新しい携帯を確認してみます。なかった時は……すぐには出られないかもしれません」

「了解しました。リアラさん――いってらっしゃい」

「――はいっ、行ってきます。優理君」


 優理は今の短い一言を言いたくて駐車場まで見送りに来ていた。

 新婚でも恋人でもなんでもないが、一度は言ってみたい台詞の一つだった。照れくささはあるも、感無量の童貞男だった。


 リアラもまた、予想だにしない"人生で言ってみたい、言われてみたい台詞"の一つを味わってしまって乙女ゲージが爆増していた。ちょっぴり感激している処女乙女である。

 ちなみに、乙女ゲージがMAXになると結構な妄想をするようになる。いや妄想ならいつもしていたか。リアラの乙女ゲージは既にMAXのようだった。


 雨が入り込まないようにと窓を閉め、小さく手を振ってくるリアラに手を振り返す。

 車を見送り、一つ息を吐く。


「……ま、雨降って地固まる、ってところかな」


 呟き、頬を緩めて部屋に戻っていく。

 昨日から大変な――それはもう本当に大変で長い時間が続いていたけれど、最終的には上手いところに落ち着いた。


 結果だけを見れば、信用・信頼していた女性と親密な関係になれた。この一言にまとまる。


 大変ではあったが、リアラと仲良くなれてよかったと思う。


 季節は秋。天気は雨。

 我が世の春来た……と言えるような時候ではないが、気持ちだけは晴れやかだった。

 優理は大きく伸びをして、不意に吹いた雨風の冷たさに震えながら急いで部屋に帰る。


 今日は絶好の配信……チャット……収録……女装……――引きこもり日和だ!!



 ☆



「――全然メールできなくてごめんね。いやー、大変だったなーあはは」

『……むぅ」

「アヤメ?もしかしなくてもむくれてる?」

『ツーンです』

「言葉にする人初めて見たな……」

『アラインは私のことを見えていないので、見てはいませんよ』

「そうなんだけど……言葉の綾ってやつ」

『むー』

「やっぱりむくれてるでしょ」

『アラインはお馬鹿です』

「そうかなぁ」

『そうです!大お馬鹿です』

「そうかもなぁ」

『そんなひどい人を待ち続けるなんて……そんな、そんなの……うぅ、ずるいですー!』

「そう来ましたか……」

『私もたくさんたくさん待ってもらいたいです。そんな漫画みたいなやり取り、羨ましいです……』

「僕、アヤメが見つけれてくれるのずっと待ってるけどね」

『む……そうでした。アラインは私をずっと待っているのでした。けどそれももう……』

「え?アヤメ。声途切れてる……いやノイズかな。電波悪い?」

『ふふふー……私は……――』


 携帯の音量を上げるが状況は変わらない。

 どういうことかと首を傾げる。


 通話は繋がったままだが声は聞こえない。

 ただ待っているのもなんなので、椅子から立ち上がり水を取りに行く。


 冷水入りペットボトルを持ちながら時計を見ると、既に十五時を過ぎていた。SNSを熟し、短時間の配信を熟し、エロ侍従用の台本作りを熟し、色々やっていたらこんな時間になってしまった。何もしない予定が気づいたら何もかも行っていた。これがワーカーホリック……。


『アライン!』

「はいはい!」

『アライン、私が今どこにいるかわかりますか?』

「え、家でしょ」

『ふふふ、違います!』

「えー、どこだろう……」

『当ててくれたら良いことを教えてあげますよ』

「良いことって……今日の下着の色とか?」

『?それは良いことなのですか?今日は青ですよ』

「あー……そっか。うん。ありがとう」


 羞恥心の欠片もない言葉への反応は難しかった。

 こういうのは、「もう何言ってるのよバカ!」とか「そ、そんなこと知りたいんですかぁ?変態さんですね」とか「しょ、しょうがない人ですね」とか「えっち!変態!ばか!……ひみつだからね?」とか、照れながら言ってくれるからよいのだ。


 まあそれはそれとして、下着の色は頭に叩き込むが。

 銀髪美少女のショーツは青色か……いいね。


 しかし、どこにいるかって聞かれても困るな。

 アヤメ、どこにいるのだろう。


「お風呂場とか?」

『違いますよ』

「トイレとか」

『違いますー』

「じゃあ倉庫」

『違います』

「ええー……アヤメが家以外にいるなんてことあるの?」

『むぅ、あります。何を言っているんですか。私がお外に出られないと思っているのですか?』

「え、出られるの?」

『……た、確かに昨日までは出られませんでしたけど、今日から出られるようになりました』

「そうなんだ。すごいね、おめでとう」

『え、えへへっ、ありがとうございます。……そ、それでアライン。私の居場所はわかりましたか?』

「いやさっぱり。外にいるって言われてもね。……僕の後ろとか!」


 言いながら振り返ってみるも、どこぞの創作じゃあるまいし誰もいるはずはない。


『ふふふ、残念です。時間切れですね。アライン。窓を開けてください』


 言葉を聞いて、まさかと思った。いやそんな馬鹿なとも思った。

 疑問はあるも、言われた通り窓に近寄る。ベランダはあるがそんな広くはない。小さな屋根はあっても、昨日からの雨が降り込み全体が濡れていた。


 身を乗り出し、辺りを見回す。

 優理の部屋は三階に位置するので、意外と遠くまで見渡せる。


 電柱、屋根の上、空、雨雲、雨粒。目立つ銀色の姿は特になかった。残念なような、ほっとするような、何とも言えない心地になる。


「アヤメ、どこにいるの?」

『ふふ、ふふふっ。アライン、今私を探していましたね。ふふ、見えていました!』

「ええ……。いやいや、どこにいるのさ。全然見当たらないんだけど……」


 困ったことに、どうやら本当にアヤメは近くにいるらしい。しかしその姿が見つからない。どこに隠れているのだろう。


『しょうがないアラインですね』


 そんな言葉と共に、軽い物音が優理の耳を揺らした。

 背後ではなく、前でも下でもなく、音の元は――上だ。



「――――ふふふー!!!アライーーーン!!!!」



 大きな声が降ってくる。優理を――ただ一人、アヤメとのやり取りの時だけ使う名前を呼ぶ声が。


 優理の視界に銀色が舞う。

 長い銀髪を靡かせ、雨粒をきらめかせて銀の少女が降ってくる。


 雨雲なんて吹き飛ばすような満面の笑みを浮かべた少女が、颯爽と空より――――上の階のベランダより飛び降りてきた。


 そのまま落ちていくんじゃと一瞬の冷や汗を流すも、銀の少女――アヤメは驚異的な脚力とバランス感覚で宙返りし、ベランダの手摺に足を置く。完璧な着地をしてすぐ、とっ、と重力を感じさせない動きで優理に抱きついた。


「わあああ!わぁぁ……」


 一般人の優理はワンテンポ遅れて叫び、既に胸に飛び込んできていたアヤメに言葉尻を薄めていく。


「ふふふ、アライン!!!アヤメです!ついにアラインの下へ辿り着くことに成功しました!!」


 まん丸きらきらな藍色の瞳が、優理の視界を占領する。写真でも綺麗だったが、本当に美しい少女だった。


「えー……あー、うん。うん。……アヤメ?」

「もちろんです!携帯もありますよ」

「僕とのやり取り……え、何その携帯。新機種?――いやそれより、ええ……本当にアヤメ?」

「ふふふ、驚いていますね。アライン……はぁぁぁ……これがアラインの匂いですか……えへへ。ようやく会えました」

「う、うん。……よく来たね」


 携帯っぽい謎の端末は気になるが、首筋に頬を擦り付けてくるのはやめてほしい。良い匂いする。ドキドキする。くすぐったい。

 とりあえず引き離す意味も込めて頭を撫でるが――うわ髪さらさら。指通り良過ぎる。


「えへへぇ、アラインアラインアライーン。んふふぅ、嬉しいです。アラインずっとお会いしたかったです」

「僕も会いたかったけど……急すぎて喜びより驚きの方が強いな」

「むむ、どうしてですかー!私はこんなにも嬉しいのに……不平等です!」

「あ、これ完全にアヤメだ」


 狭いベランダでハグし、ぷんすかと怒るアヤメをなだめる。

 電話していた時と同じ反応に頬が緩んでしまう。これはアヤメだ。超可愛い美少女だが、やはりアヤメだった。


 優理がほんわかし始めたところに、差し込む形で三人目の声が響く。


『提案。アヤメ様、アライン様に事態を告げるべきかと思われます』

「――あっ、そうでした!アラインアライン!大変なんです!」

「え。いやいやいや。誰!?携帯の方から声しなかった?大変って……あぁ、ええと、うん。とりあえず話聞くよ。オーケー、教えてよ」

「さすがアラインです。飲み込みが早いですね」


 笑顔のアヤメに見惚れつつ、飲み込むも何もいったん考えるのやめただけなんだけどねと思う。言葉にはしないが。


 うんうんと頷くアヤメが、真剣な顔を作――ろうとしてふにゃっと笑顔になり。


「えへへ。アラインー!」

「あー……嬉しいのはわかったから、そのままでいいよ。教えてもらえる?」


 優理と会えたことが嬉しくて堪らないのだとわかってしまう。優理もまた、そこまで思ってもらえるのが嬉しくも恥ずかしく、照れくさそうに耳の横を掻いて微笑む。


「えへへー、アライン大好きですっ。はいっ、実はですね」


 えへ顔でニコニコ嬉しそうにしながら、アヤメは続けた。


「――私、変なオバサンたちに追われているんです!」


 笑顔満点に物騒なことを言うアヤメから目を逸らし、優理は雨天の雲遠くを見つめ思う。

 昨日も長い一日だったが、今日もまた、長い一日になりそうだ……。

 




――Tips――


「変なオバサン」

性欲逆転世界には変なオジサンが存在せず(男が少ないため)、代わりとばかりに変なオバサンたちが台頭し始めた。アヤメの言う変なオバサンとは異なるが、性欲に脳を焼かれ犯罪に走る女たちもいる。露出狂、変質者、少年青年を探し求める変態等、数は少ないが危険なので、鍛えていない男は夜中に一人で外出してはいけない。






※あとがき

感想☆フォロー等ありがとうございます。

まだの方は☆3つ入れてくれるととても嬉しいです。


実は全然章末っぽくないですが、これで一章終わりです。この小説はヒロイン攻略と見せかけた主人公攻略物だと最近気づいたので、そのうちそういうテイストで進むかもしれません。未定です。

ちなみに基本登場人物みんな恋愛よわよわ勢なので……。優理君の今後にご期待ください。

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