リアラと優理の長かった日曜日2

 十月八日、日曜日。十二時前。

 曇天の空を見上げ、今にも降りそうな雨の気配を感じ取る。

 折り畳み傘でも持ってくればよかったかなと、若干の後悔を抱えながら広場の隅に立つ。


 場所は優理の自宅より数駅離れた都心との中継地点。

 駅近くに大きな総合スーパーとおしゃれなミニショッピングセンターがある。ショッピングセンターにはスーパー、書店、服屋、雑貨屋と多様な店が入っており、駅直結もしているので総合スーパーよりこちらの方が好きと言う人もいる。


 かく言う優理も、ショッピングセンター内の輸入食品店には何度もお世話になった。


 駅構内より外は空中歩道が続いており、一階はタクシー・バス乗り場となっている。

 広々とした空間は数十人が並んで歩けるほどで、遮る物のない空はいつもより少しだけ近く感じる。


 無名ではないが、あくまで中継地点としての駅。ぶつかるほどの人はいない雰囲気が優理は好きだった。


「……寒いなぁ」


 肌寒さに声を漏らす。思った以上に空気が冷たく、長袖とはいえ接触冷感の服は失敗だったかと気が沈む。どこか屋内に避難したい。


 待ち合わせは十二時ちょうど。あと五分くらい。

 几帳面な朔瀬のことだから、てっきり十五分前、三十分前にはいるかと思ったが……。まあ、ゆっくり待つことにしよう。



 ――十二時。


 誤認アクセサリーを付けているとはいえ、男として外にいると緊張する。

 服装は柔らかい生地の長袖ポロシャツと長ズボンだ。上は灰色、下は黒と、前世の服装にかなり近しい。地味で目立たず、年を取っても着れる楽な服。


 こんなものばかり着ているから彼女の一人もできなかったんだと思ってしまうが、今世では女装ばかりしているからそもそも着る機会が少なかった。


 女装は良い。

 服を選ぶのも組み合わせるのも楽しいし、種類が豊富だ。

 もしもこの世界で自分が女として生まれていたら、由梨として過ごす時のように毎日ファッションを楽しんでいただろう。

 それはそれで良い人生だったかもしれない。けど、性欲が多いのに相手がいないのは辛い。きついな、それは。――いや今も同じだった。前世でもそうだった。なんだ、変わらないじゃないか。どうなってるんだ、この人生。



 ――十二時半。


 携帯を睨み付ける。LARNは未読のまま返信がないので、追加で送るのも変な話だ。

 一応リアラの携帯番号は知っているので掛けてみようと思う。


「……」


 思うが、指は重い。たかが電話一つ。されど電話一つ。

 考えていても仕方ない。一度深呼吸して画面を押した。

 プルプルと発信音がして、ツーツーと音が切り替わる。どうやら向こう側に連絡が付かないようだ。電波が届かないか、電源が入っていないか……。


「……はぁ」


 溜め息を吐く。

 事故事件の可能性もあるが、自分にできることはない。ただ普通に連絡が来るのを待とう。


 もう既に疲れてしまった。帰りたい……いやいや、まだ諦めるのは早い。諦めるのは……最後でいい。



 ――十三時。


 周囲を見渡すと、目に映るのは女性ばかり。

 誰も彼も、案外他人のことなど気にしていないらしい。さっさと歩いて建物に入っている。皆、買い物をしているのだろう。ここからでも店内の様子が少しは見える。

 服を選んでいる人もいれば、スーパーへのエスカレーターに乗る人もいる。


 待ち合わせしている人は少ない。雨が降りそうだからか。空を見上げ、より深まった灰色に苦笑する。

 まだ、連絡はない。追加でLARNでも電話を掛けたが、そちらも繋がらなかった。

 "未読"の文字に心配が募る。同時に悲しみも。



 ――十四時。


 お腹が減った。くぅくぅ、なんて可愛くは鳴っていないがたまにぐるぐると音が聞こえる。これも時間が経てば消える。経験則だ。


 最初は男姿で外出なんて、と不安塗れだったが意外となんでもなかった。


 世の中生きていて、誰とも知らない他人のことなんて気にはしないものなのだ。

 思えば、前世でもそうだった。通勤中にすれ違った人のことなんて気にしないし、同じ職場でもなければ会話が発生することもない。電車の中で、同じ車両というだけで意識を向けるか。いいや、向けるはずがない。


 そんなものだ。希薄で、簡単に切れてしまうような関係性でしかない。


 相手がミニスカートや肌を露出する服を着ている女性なら話が変わるか。自然とちら見してしまっていたような記憶がある……それこそが性欲の業だった。性欲の逆転した世界なのだから、通りすがりに男がいたら顔やら手や足を見てしまうのも仕方ないのだろう。


 自分がその立場に置かれて寛容になれるか、と言われたら別の話になるのだが。



 ――十五時。

 

 何時間も外――嘘だ。外ではない。待ち合わせ場所すぐ近くのカフェに入った。

 窓側で、景色がよく見える。人が来ればすぐ見える位置に座った。


 水分補給とトイレも済ませた。

 ぼんやり外を眺めていると、時折男の姿が見える。

 一人で歩く姿もあれば、女連れのこともある。男二人組、稀に男三人組だっていた。


 季節柄か、既に皆長袖を着ていた。

 眺めていると、男とすれ違う多くの女性がこっそり目を向けているのがよくわかった。


 視線の向かう先に個人差がある。腕とか、足とか、髪の毛とか首とか靴とか。

 個人の性癖が露骨に視線で判断できて悲しい。前世の自分もあんなんだったのだろう。本人にはバレないようにしても、周囲から観察すればバレバレだった。視線ってすごいね。わかりやすい。


 個人的には後ろ姿を目で追うのは止めた方がいいと思う。

 相手に見えないからって何人もが目で追っているのは怖い。


 ただ、ちょっと辛くも感じた。

 目で追って、話しかけようと足を動かしてすぐ止めて。諦めた風に溜め息を吐いて沈んだ顔でその場を離れていく女性の姿が後を絶たなかった。


 わかるよ、その気持ち。

 異性に話しかけたいけど、気軽に声かけたりできないよね。断られたらとか、無視されたらとか、冷たい目で見られたらとか。色々考えて結局何もできないんだよ。


 女性の中には吹っ切れてぶつかる人もいるんだろうけど、前世とはその、いわゆる"ナンパ男(女)"の比率が違う。

 根底からして女は待ちの姿勢でいるし、そもそも男の絶対数が少ないから話しかける相手が全然いない。


 ままならないもんだな、と思ってしまう。

 もしもこの世界が男女比1:1だったら、もう少し積極的な女性も増えるのかもしれない。幼い頃から男と接する機会があれば、考え方も変わるものだろう。たぶん。



 ――十六時。


 雨が降ってきた。まだまだ店内に居座っている。ごめんなさい店員さん。たぶんまだ結構居座ります。


 しかし、それなりに雨が降っている。鞄に折り畳み傘はない。やはり傘はあった方がよかったかと後悔が嵩む。


 しとしとと降る雨のせいか、どんどん人通りは減っていく。外を歩く人の姿は既に疎らだ。一段と寒さも増した気がする。

 

 雨雲を見つめ、空はいいなと思う。

 何にも縛られず、何にも惑わされることはない。悩まず、迷わず、ただ揺蕩うだけ。


 少し、羨ましいと思った。

 ……少し、友達に会いたくなった。



 ――十七時。


 携帯の画面を、付けて、消して、付けて、消して。

 画面では"1723"の文字が点滅している。もう、こんな時間か。


 気づけば十七時。あと三十分で十八時になる。

 待ち合わせ時間から六時間だ。


 馬鹿だなぁと思う。こんな待つ意味ないだろうと思う。

 話してすぐのような関係ではないのだ。知り合って数年。面識を得て一年以上になる。


 何か理由があるのだろう。家に帰って、電話かメールか、説明を待てばそれでいい。こんな肌寒い日に、長々と待っている意味はない。……まあ室内だけど。


 既に注文は数度繰り返してしまった。

 朔瀬さんはどうしているのだろうか。何かトラブルに巻き込まれているなら連絡でもくれればいいのに。ここに来る可能性は……さすがに低いか。トラブルでもなんでもない可能性も……ないと思いたい。


 なんでもいい。

 別に一日潰すくらいなんでもない。……なんでもない。



 ――十八時。


 夜の街は寂しく見える。

 太陽は沈み、そもそも遮られていた光は一切なくなってしまった。

 雨が降り止む気配はなく、ただただ変わらぬ雫を落とし続けている。


 地面には点々と水溜まりができ、人工的な明かりを反射して鈍くきらめいていた。窓ガラスに張り付く雨粒がゆっくりと流れていく。


 人はずいぶんと減った。それでも優理の視線の先、ショッピングセンター前を行き来する人がいるのは駅近ならではだろう。

 客層は少し変わったか。日曜日でも仕事をしていたらしい、疲れた顔の人が増えている。買い物も洋服よりスーパーの食料品袋やマイバッグが多く見られた。

 優理の顔にも疲労の色が見える。


 連絡はない。もうほとんど諦めている。

 帰ろうとしないのは、ただ意固地になっているだけなのかもしれない。


 口に含んだカフェオレが、やたらと苦く感じた。



 ――十九時。


 お腹は減ったし疲れた。

 食べ物は喉を通る気がしなかったから一切注文しなかった。お腹が減った。

 空腹に重ねて、座っているだけでも身体はかなり疲れた。ただ今は、それ以上に心が疲れていた。


 前世でも、似たようなことはあった。

 その時は、こんなにも待っていなかった。一時間ですぐ帰った。というかご飯食べて買い物して家に帰った。心は痛んだが、最初から期待も薄くダメージは少なかった。


 ならなんで今は、こんなにも長い間待っているのだろうか。


「……」


 席を立つ。外に行こう。

 会計を済ませ、冷たい空気を吸って風に流れる雨を浴びて、自身を俯瞰する。


「――」


 声には出さず呟く。

 それだけ、期待していたからだろう。

 それだけ、信じていたいからだろう。



 ――二十時。


 ショッピングセンターの閉店まで、あと一時間。

 どうせなら閉店まで待ってみよう。もうこんな時間だ。お店が閉まるのと同時に帰ろう。……そうでもないと、区切りが付かない。付けられない。


 ずいぶんと、本当にずいぶんと長居してしまった。

 カフェにも、外にも。ほとんどカフェだった気もするが、そこそこお金は払ったから許してほしい。


 携帯を開く。

 朔瀬から連絡はない。モカや香理菜、他大学の恋愛相談相手から色々あり、アヤメからも連絡は来ている。ただ、今はメッセージを考える元気はなかった。


 あと一時間。あと一時間で終わりにしよう。



 ――二十一時前。


 あと五分もすればショッピングセンターは閉まる。

 いつ電気が消えるのか、そういえば閉店時に居合わせたことはなかったかもしれない。


 結局、連絡は来なかった。雨も降り続けたままだ。


「……ほんと、馬鹿だなぁ、僕」


 これじゃあお姫様系乙女を笑えない。

 来ない待ち合わせ相手を九時間も待ち続けたなんて、笑い話にもならない。


 こんな時間まで長々と待つことになったのは、やはり今朝の夢のせいだろうか。


 自分のために動いてくれた人間を、自分のために手を尽くしてくれた人間を。

 信じ、頼り、心開いている人間がまさか無言でデートをすっぽかすなんて考えたくなかった。


 もしも何か大きな事故事件に遭っていたとしたら……それはそれで考えたくないな。前回会ったのが今生の別れとかきつすぎる。心が折れそうだ。


 今日一日、色々と考えた。考える時間だけは山ほどあった。

 いろんなシチュエーションを考えてみた。


 第一、トラブルも何もなくただ嫌になった可能性。

 第二、連絡一つできない状況に追い込まれた可能性。

 第三、実は何度も連絡していたが、こちらに届いていなかった可能性。

 第四、他の男に……脳が破壊される。これはNGで。


 本来なら一度帰って、後日の連絡を待つべきだったろう。

 だが何故か、優理の足は動かなかった。


 もしかしたら来るかもしれない。

 そんな可能性が頭に過って、足が動いてくれなかった。


 万が一にも、積み重ねた信頼が全部嘘だったなんて思いたくなかった。もしもそんなことになってしまったら人間不信になりそうだ。ただでさえ恋愛苦手なのに、一生童貞のまま二度目の生も終えてしまいそうな気がする。……そんなの嫌だ。童貞が嫌なわけじゃなくて、いや童貞も嫌だけど、前世と同じように終わるのは嫌だ。今度こそ、イチャイチャラブラブして幸福レベルを更新するのだ。夢は終わらない。終わらせない。


「……はぁ」


 とはいえ。とはいえ、人の夢は儚い。

 引き伸ばしたって限界はある。長く辛い一日だった。


 電気が消えたら帰ろう。

 優理は背後の明かりから目を逸らすように、ようやく、ようやくと重たい足を動かし始めた。


 数歩。


「……?」


 歩いて、物音に気づく。

 足音だ。ショッピングセンターの横から通じる細道は木造になっているため、歩くとよく音が響く。コンコンコン!、とでも言えるような木を叩く音が雨の音に混じって聞こえてきている。


 誰が走っているのか。胡乱な眼差しを向け、疲労と苛立ちを音の主にぶつける。

 顔は合わせていないのだからこれくらいいいだろう。八つ当たりだなんてわかっている。それでも、行き場のないこの感情はどうにかしたかった。


 長い十数秒の後。

 足音の主が姿を現す。


「――――」


 時間が止まったような気がした。


 優理の視線の先に立つ、一人の女性。

 傘を差さず、はぁはぁと息を荒げている。


 髪は乱れ、長い黒髪は結ばれず流れるまま。

 荷物はない。身を包むパンツスーツはところどころ擦れ、雨でわかりにくいがかなり汚れていた。

 スーツのジャケットは着ておらず、濡れた白シャツが張り付き淡いライトグリーンを透けさせていた。シャツの二の腕部分も裂け、雨のせいで変に縫合されたかのようだ。よく見れば手先は何か所も絆創膏が貼られ保護されていた。


 目元はアイシャドウかアイライナーか、黒みを帯びた滲みが広がっている。

 髪をかき流し、何かを探すように視線を彷徨わせる。


「……」


 優理は、何を言えばいいのかわからなかった。

 その服は、傷はどうしたのか。怪我はしていないか。どうして連絡がなかったのか。


 聞きたいことは多く、けれど考えている時間はなかった。


 向こうの女性も――朔瀬もまた、立ったままの優理に気づいたからだ。


「――っ」


 誤認アクセサリーを付けていても、見慣れた人間にはわかるのだろう。

 一瞬戸惑った顔を見せ、目を見開き。


「どう、して……っ」


 聞こえなくらいの声で呟き、夢や幻でも見たかのように、信じられないとでも言いたげな顔で首を振って。

 それからひどく……ひどく、泣きそうな顔をして。


 明らかに雨とは違う雫をこぼしながら、そっと歩み寄ってくる。


 何を言うか。何を言えばいいのか。

 こういう時、何を言えばいいのかわからなかった。今世でも前世でも、こんな経験はしたことがなかった。


 でも、優理にはいろんな知識がある。

 恋愛のシミュレーションなら何度もしてきた(ゲームで)。似たようなシチュエーションも味わってきた(漫画で)。どんな対応が正解かの知識も得てきた(本で)。


 待ち合わせに来なかったのなら、何も言うことはなかった。

 けど、そんな必死に、こちらの顔を見た途端に涙を流すような姿を見せられたら思うこともできてしまう。


 自分が傷ついたように、朔瀬もまた傷ついたのだろう。

 それは物理的な意味でなく、心に負担がかかったという意味で。


 優理が同じ立場で、どうしようもなく待ち合わせに遅れてしまったら、相手に申し訳なくて仕方ない。泣く……かどうかはわからないが、確実に落ち込む。数週間は引きずる。


 ならばきっと、ここで優理が言うべき言葉は一つだけだ。


 短く深呼吸し、唇を震わせた朔瀬が何かを言う前に先を取る。


「――遅かったですね。僕、待ちくたびれちゃいましたよ」


 明るく、なんでもないように。ほんの五分十分遅れただけのように、優理は柔らかく微笑んで伝えた。


 朔瀬は。


「あ……あ、ぁぁああっ。ゆ、優理く、んっ。ご、ごめんね!ごめんなさい!私、わたし……っ!ごめんなさい、ごめんなさい!!」


 子供みたいに泣きじゃくって、何度もごめんなさいを繰り返していた。

 雨に打たれ、立ったまま涙する朔瀬に優理はそっと近寄る。


「謝らないでください。来てくれただけで、もういいじゃないですか。僕は朔瀬さんを待っていた。朔瀬さんは約束通り来てくれた。それでいいんです」


 自分と同じくらいの高さの肩に腕を回し、濡れて冷たくも女性らしい身体を抱きしめる。

 こくこくと首を振りながらも、堪えきれない嗚咽をこぼす背を優しく撫でる。


 自分より少しだけ背が高く、同じように見えてもやはり高い上背をしているというのに、こうして抱きしめた身体はずいぶんと柔らかく華奢に思えた。


 花や果物を思わせる清潔な香りの中に、雨の匂いと煙臭さが混じっていて苦笑する。これは第二の可能性が高いか。


 空を見上げると、目に雨粒が触れて微かに痛んだ。目尻を流れるそれは、雨か、それとも涙か。


 今日はもう、雨は止みそうになかった。





――Tips――


「国家公務員」

性欲逆転世界における国家公務員は普遍世界の国家公務員と同じだが、男性に関わる省庁の場合事情が異なる。

勤める職員には様々な技能が求められ、場合によっては荒事にも巻き込まれる。そのため、職員全員がある程度の戦闘技能を保持しており、映画やドラマ等創作の題材に取り上げられることも多い。事実は小説より奇なりを地で行く職業である。

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