【挿話】傘宮優理と見る性欲逆転世界のハロウィンin Shibuya
性欲逆転世界に転生して十九年目のハロウィンだ。
前世では「ハロウィン?いやー遠いしいいよ……」と都会に出るのを遠慮していた優理だが、今世では「あんな女だらけのところに行ったら危険よ?」と母親に止められ外出することができなかった。テレビすらも見せてもらえず、今世のハロウィン情報は完全にシャットアウトされていた。
男女比1:10のこの世界で男として生まれた優理は、過保護――とも言い切れない母親に純粋培養のごとく安全平和に育てられてきた。
性欲に満ちた女だらけの世界に童貞捨てたい欲の強い優理を放り込んだら、ほいほい適当な女に捕まって結婚&エッチ塗れの妊活コースを強制的に選ばされていただろう。母親の判断は正しかった、が、それはそれとしてだ。
精神年齢も大人に近づき、自分を客観的に見られるようになった優理は配信やなりきりエロチャット、ボイス投稿を始めた。前世と同じく向こうから恋愛が近寄ってこないなら、どうにか恋愛を捕まえて見せようじゃないか、という精神である。
ネット活動は半年である程度の成果を得られたが、今のところ現実に結び付く気配はない。
とりあえず、ネット活動は置いておくとして今日はハロウィンだ。イベント事の日である。
「よし……行くか」
ガチャリと音を立て、玄関から外へ。五感誤認アクセサリーは忘れず、ウィッグと化粧と女装も忘れず。
初めて自由に性欲逆転世界のハロウィンを楽しめると期待八割不安二割で家を出る。
今日向かう場所は日本で最もハロウィンがうるさい鬱陶しい迷惑派手明るい盛んと話題の(前世で)渋谷だ。
姿は由梨――優理の大学での通名――であるが、化粧の度合いや服装、誤認アクセサリーによる変声は割と変えている。ネットで取り寄せたコスプレは清楚系魔女っ子のもので、スカートは長めだ。とんがり帽子や杖もあるが今は鞄にしまってある。服も長いコートで隠し、目立たないよう地味を装っている。
「……割とコスプレしてるかも?」
電車に揺られながら周囲を観察し、こっそり呟く。
普段は徒歩で大学に行っているので、友達と乗る時以外あまり電車を使うことはない。とはいえ、普段と様子が違うことは見てわかる。
前世のハロウィンなんて優理はテレビネットでしか見ていないので詳しく知らないが、男も女もほとんどがはしゃぐために行っていたとはわかる。特に男は、あわよくば性欲を満たせやしないかと期待していたやつばかりだろう。一切の邪心がないと誓える男は、きっと一割にも満たない。優理も男だからそこはわかるのだ。それほどに、性欲とは厄介な代物だ。
対してこの世界、性欲が逆転しているので女の"はしゃぎたい"という目的に性欲が混ざることになる。
しかしここで問題が生じる。
男がいないのだ。そもそも渋谷に行ったところで男はいない。
男女比は1:10で、男側は多くが女だらけの場所を避ける傾向にある。男のほぼ全員がエッチよりも純粋な恋愛――つまるところの古き良き文通から始まる清き恋愛の方がいいんじゃねえかい?(優理の偏見込み)とか思っているわけだ。
改めて考えてみておかしい。どうなってるんだこの世界。
話を戻すが、ハロウィンだからって渋谷に男はいない。いるのは期待を落胆に変えた同類の女ばかりである。あとは普通にイベント気分で楽しもうとする女たちか。
独り身寂しく騒ぐ女たちを他所に、恋人同士になった男女は普通に家やひっそりとしたところでイチャついているのだろう。悲しいね。前世と変わらず、持つ者と持たざる者に分かれてしまっている。もちろん優理は持たざる者の側だ。
電車内をそれとなく見回し、気づいたことがいくつかあった。
一つ、露骨にハロウィンっぽいコスプレをしている人が堂々としていること。しかも結構数が多い。
二つ、男はほとんどいない。当たり前だが。誤認アクセサリーをしているっぽい雰囲気の人なら見かけた。
三つ、コスプレ女性の多くが手提げ鞄やリュックなど、ある程度大きめの鞄を持っている。
優理は家の鍵や携帯に財布、緊急事態用の女撃退グッズを持ってきているため中サイズの鞄を持っていた。しかし、女性皆が大きめの鞄を持っている意味がわからなかった。
コスプレ自体は割と浸透しているのかと感心しつつも、鞄の意味がわからず疑問を浮かべながら電車に揺られていく。
思い思い好きな格好をして、露出もへそ出しミニスカくらいまでなら普通の範疇なコスプレイヤーたちと共に渋谷へ向かう。
都心に近づき電車を乗り継ぐと、その分人口密度が上がりコスプレイヤーも増えた。
電車内に会話も増え、無言で耳を傾けていると面白い話も聞ける。
「てか今日男の子とかいんのかな」
「いるわけないでしょ。いたら先にあたしが声かけよっと」
「いやいや、チナじゃ無理だって。いつも隣で見てっけど、一回も声かけ成功したことないじゃん。ウケル」
「は、はー?別にそんなことないし。今日は成功するし。余裕ヨユー」
「……はぁ、お前ら、男なんているわけないんだから期待すんなよな。それより菓子の用意は?」
「はいはいありますよー」
「超ある。あたしのパティシエテク完璧だから」
「それ……母ちゃんの前で言ってこい」
「……き、気が向いたらね」
菓子の用意って何だ。優理の疑問に答える者はおらず、仲良く歩く三人組とは早々に分かれることとなってしまった。
「トナ先輩って毎年ハロウィン来てるんですかー?」
「来ているわよ。毎年数え切れないほどクッキーを焼いて来ているわ。さっき見せたでしょう?」
「いやまあ見ましたけど……え、毎年あんな作ってるんですか」
「当然よ。むしろメイカザキさん。あなたは作ってこなかったの?」
「作りましたけど、十個とかですよ。先輩百以上ですよね。ちょっと意味わかんないです」
「はぁ……あなた、何のために渋谷まで行くというの?」
「へ?えー、そ、それはほら……あるじゃないですかぁー。ね?」
「あぁ、男漁りね」
「ちょ、直球過ぎる……もっと小声にしてくださいよぉ」
「事実でしょう。……けれど、それなら期待外れでしょうね」
「え、ど、どうしてですか?」
「だって渋谷のハロウィンに男性なんていないもの。……もしいたとしても、それを私たちに見破る術はないわ」
「どういうことです?」
「いいえ、こちらの話。普段から出会う機会のない男性と、ハロウィンだからと言って出会えるわけがないのよ」
「……そうかもしれないですけど。ならトナ先輩はなんで毎年ハロウィン来てるんですかぁ」
「それは――」
――メーダイマエ、メーダイマエです。
「っ」
一番聞きたいところを聞き逃してしまった。
電車が混んできている。由梨は椅子に座っているからいいが、二人組の話を聞き逃したのは痛い。もうすぐ渋谷だ。がやがやしていて、じっと話を聞き込める雰囲気ではなくなってきた。
それにしても、今の女性は誤認アクセサリーのことを知っている風だった。
基本的に世の中の女性に誤認アクセサリーの存在は秘密にされている。しかし知っている人は知っているらしい。察しの良い人も気づいているようだ。誰もが口を噤むのは、言っても与太話とされたり、国に注意されたりするからだろう。前者はともかく後者は噂に過ぎないが。
とはいえ、この世界の女性を見てきた優理には本当の理由がよくわかる。
自分からライバルなんて増やしたくないものだろう、普通。
ぼんやり思考の海に沈んでいると、気づけばもう渋谷だった。
あっという間だ。流れる人波が落ち着くのを待ち、立ち上がる。
歩き歩き歩き、外に出ると結構な驚きが優理を待ち受けていた。
「わぁ、すごい……」
つい由梨っぽい声音と喋り方で呟いてしまう。まあ、その方がいいかと自分を納得させた。
気を取り直して渋谷駅だ。
何がすごいって、景色がハロウィン一色だったことがすごい。
まだ十七時とはいえ、太陽は既に沈み空は薄暗い。
すぐにでも暗くなりそうなものだが、ここは渋谷。人工灯の多い日本の都心だ。辺りは高いビルに囲まれ、有名なスクランブル交差点はビル群の中にぽっかりと空いた穴のようにも思える。
大きな商業施設もあれば、飲食店にカラオケゲームセンターと、前世でも今世でもあまり縁のなかった建物が多くて胸が躍る。躍るだけで行きはしない。
ガラス張りの建物にはお店や企業の名前がでかでかと飾られ、優理も見覚えのある名前がずらりと並んでいた。
思えば、前世と今世で企業名や飲食店の名前に大きな変化はなかった。
男性数の急な減少自体ここ百年そこらと言うから、歴史に変化がないのはわかる。しかし、男性が減れば生まれてくる人も変わり、例え同じ魂を持った人間だとしても育つ環境が違えば性格も人生も変わるだろう。ましてや性別が違うのだ。人生の違いは大きなものになるはず。
処女か童貞か。入れるか入れられるか。それは大きな違いだ。
うんうんと頷く優理だが、思考は変態のそれでしかなかった。
とまあ、男の減った世界でも企業や会社の在り様は変わらないということなのだろう。
会社の上層部や政治家、労働者のほとんどが男から女に変わっただけのことさ。わはは!
なんて笑っていた女性も昔はいただろう。しかし、今ではもう笑い飛ばすことさえできなくなってしまった。実際に少子化は進み、男性数の減少も進んだ。男がいなくなって人類滅びそうなのが現状だからね……。
遺伝子操作やクローン技術で男なんて量産できそうなものだけど……現実は非情である。遺伝子を操作しても男は生まれない。クローンで増やそうにも女になる。研究者も技術者もお手上げなのが現実だった。
前世と今世の比較をしつつ、優理は足を動かしていく。
「とりあえず近場から見てみよう……」
ぽしょりと呟きながら、そそそーっと人の波に逆らわず歩く。時間が少し早いからか、まだそこまで人は多くない。意外とスムーズに歩ける。
前世で見たテレビでは人に溢れ、人!人!人!コスプレ!といった形の渋谷ハロウィンだったが、今世ではちょっと様子が違う。
街灯や街路樹はハロウィン仕様に彩られ、お化けカボチャや可愛らしいドクロ、幽霊や妖怪をデフォルメしたような明かりが灯されている。どれもこれも暖色の明かりを採用し、オレンジ色の光がハロウィンっぽさを強めている。
ガラス張りの建物も、よく見れば内側にハロウィンの文字や壁紙が貼られている。それはもちろん企業のロゴだったり名前看板だったりも同じで、色彩や装飾でしっかりハロウィンになっていた。
優理が気に入ったのは、駅地下通路への壁にイケメンな魔法使いのコスプレをした男のデフォルメイラストが案内役のように道を示しているものだった。
人波で見る余裕もなかったが、思い返せば渋谷駅に来た時にも別のハロウィン仕様なイラストがあったかもしれない。
渋谷駅全体が、思ったよりもハロウィン色になっていて驚いた。
まるでクリスマスでも迎えるかのように、ハロウィンの装飾が街中に広がっている。
「……なんか、いいなぁ」
ちょっと感激だった。
前世のハロウィンは欲に塗れた、こう……「THE 人間」みたいなものだったが、今世は「Halloween celebration」っぽくて嬉しい。こっちの方が断然好みだった。
ハロウィンは元々収穫祭、慰霊祭を目的としていたものなのだ。
形は変わっても、祝祭という意味は変わっていないはず。それなら、ただ欲に染まるよりも一つの祝い事として、それこそ日本におけるクリスマスやバレンタインに似たものとしてあってほしいと思う。
あまりに騒がしいのが苦手な優理にとって、今世のハロウィンは参加しやすい種類のお祭りだった。
そうして、ほんわかしながら歩くことしばらく。
街中を歩いていて、何度か――というより数え切れないほどお菓子交換を行っている女性たちの姿を見て気づいてしまった。
「……」
お菓子交換って、もしかして皆手作りなのだろうか……。
疑問が浮かび、誰かに尋ねてみようか考えて、でもそんなコミュニケーション力はなくて悶々とする。そこらのお店の店員に聞けばいいと思った時にはもう遅かった。
「――ハッピーハロウィーン!トリック・オア・トリート!お嬢ちゃん!お菓子くれなきゃ悪戯しちゃうよ!」
「え、わ、わ……は、ハッピーハロウィン……えっと、すみません。渋谷ハロウィン初めて来たんですけど、皆さんお菓子交換とかって……されていたりするんですか?」
「おー、珍しいね。ネットで見てこなかったんだ?」
「はい。……どうせなら現地で驚きたくて……」
「あはは。そっかそっか。いいね。あたし、割とハロウィン慣れしてるからね。ちゃちゃっと教えてあげるよ」
「あ、ありがとうございます」
急に話しかけてきた人。
よく日に焼けた小麦色の肌が眩しい。十月末でそこそこ寒いのに半袖を着ている。半袖というか、へそ出し肩出しのかなり露出が激しい格好をしていた。スポーツジムのインストラクターや看板に写っているモデルが着ているような服装だ。
ただ、そこまで色気は感じない。色気より筋肉だった。強くアピールしてくる腹筋に、しなやかだけど見るからに鍛えられた密度の高い腕の筋肉。長ズボンに包まれた脚は太ももも脹脛も大きく発達していた。
無造作に流された茶色がかった黒髪が癖っ毛っぽくハネて伸びやかに揺れている。
優理は若干上目になりながら、歩道脇に行って話を聞く。
この女性、かなり背が高い。
「渋谷のハロウィンはね。言い方悪くすると、みんな男探しで来てるんだ」
「あ、やっぱりそうなんですね」
「あはは、お嬢ちゃんは興味本位ってところかな?そういう子もいるけど、ほとんどは男探しだね」
「えっと……お姉さんもですか?」
からっとした笑みは一切含むものなく、優理の周りにいるタイプの女性とはまた違う。
健康的で、毎日仕事帰りにジム寄って汗を流して休日はランニングしたりプール通いしていそうだ。偏見だが、筋肉の付き方がインドア筋トレ派の優理とは違いすぎた。完全に実践で鍛えられたそれである。
「あー……うん。一応ね?でもあたしはほら、こんなだからさ。もし男の人がいたとしても見向きしないと思うよ?背も平均より結構高いからね」
「確かに背は高いですね。私はかっこいいと思いますけど……」
「はは、そう言ってくれて嬉しいよ。でもいいんだ。自分とも長い付き合いだからね」
苦みを含みながらも、さっぱりとした笑みで言う。
彼女の言う通り、背は結構高い。身長171cmの優理より10cmは高いだろう。少し目線を上げないと目が合わない。
「まあまあ、あたしの話はいいんだ。それで、みんな男探しで来てはいるんだけど男の人なんていないでしょ?」
「それはそうですね……」
いても確実に誤認アクセサリーを使っているだろう。優理のように。
「そのこともみんなわかってるからね。意味なくハロウィンに渋谷来るのもなぁって、誰が発端かお菓子交換し始めたんだよ。それが企業とか都とかにも広がって、今に至るってわけ」
「だからいろんなお店でクッキーとかチョコとか売っているんですね」
「そうそう。自分で作れる人はいいけど、時間ないとか料理苦手とか、そういう人のためにどこのお店も売り始めたんだ。バレンタインデーにいろんなところがチョコレイト売り出すのと同じだね」
「……商魂たくましいですね」
「はは、だね。でもお嬢ちゃんも今日はそれに乗るんじゃない?」
「……まあ、はい。せっかく来たので、お菓子交換くらいしなきゃ損かなって思ってます」
イベント事は参加してなんぼだ。
不特定多数の人から手作りお菓子をもらうのはちょっと怖いが、そこは焼き菓子かチョコレイトだけと決められているそうなので最低限の安心はできる。あと、手作りを持ち込んでいる人は保険として一緒に写真を撮ったりオリジナルの名刺を渡したりもしてくれるらしい。これも個人個人がマナーとして行っていることだと言う。
この世界のハロウィン参加者の民度が高くて優理は感心していた。前世のマナー違反どころかルール違反の観光客たちに見せてあげたいほどの意識の高さだった。
「――それじゃあお嬢ちゃん。これも何かの縁だ。親切なお姉さんから、お菓子のプレゼントをあげよう!」
「ええっ、私なんにも持ってませんよ!?」
「はは、プレゼントと言ったでしょ?大丈夫、お返しは要らないよ。可愛い魔女さんに、狼女からの贈り物だ」
「わ、あ、ありがとうございますっ」
「うんうん。それじゃあね、一緒に名刺も入ってるから、具合悪くなったら通報して良いよー!またどこかで縁があればね!」
「あっ、はい!ありがとうございました!つ、通報はしませんよーー!」
大きな身体で人の合間をするりするりと抜けていく姿は、本当に俊敏な獣のようで狼女と言うのも本当かと思ってしまう。
けど……。
「あの百均で売ってそうなコスプレ耳だけで狼女設定だったんだ……」
お姉さん、ちょっとコスプレ雑すぎじゃありませんか……。
親切な狼女のコスプレお姉さんからハロウィンについて詳しく教えてもらったので、魔女っ子コスの優理は早速近くのお店でお高いクッキーを爆買いすることにした。それなりに物の入る鞄で来てよかったと心底思う。
ネット活動のおかげで懐に余裕があり、いろんな種類のクッキーを買うことができた。
ちょっぴりお高いクッキー詰め合わせにでも入っていそうな、数枚詰めの袋をたっぷりと鞄に詰める。一緒にもらった紙袋には先のお姉さんからもらった可愛らしい花型クッキーを入れておいた。
あの筋肉お姉さん、見た目に似合わず少女趣味なお菓子を作る――いや、この言い方は失礼か。けどあの筋肉ならプロテインクッキーとか……いやいや偏見がひどい。でも筋肉が意識に先行する……筋肉が悪いよ筋肉が……。
「――ハッピーハロウィン!!トリック・オア・トリート!お菓子くれなきゃ魔法かけちゃうぞー!」
道端でわいわいと声をかけ始める。
普段の優理なら絶対しないことだが、今は女装防御を固め、なおかつハロウィンという非日常の雰囲気に浸かっている。イベント事特有の空気感が心の栓を緩めていた。
「イエーイ!ハッピーハロウィーン!!もちろんトリートだよ!!けど魔法は効きませーん!なぜなら私も魔法使いだから!ふはは、見習い魔女よ、お菓子を差し出しなさい!――あ、これ私の手作りです。どぞどぞ」
「テンションの落差が激しい……けど、ありがとうございます!じゃーん!私の高級お菓子をお受け取りください!」
「店売り――ってこれ一袋五百円以上するやつ!?す、すみません先輩魔女が調子に乗って……へへ、お嬢様、もっとお菓子恵んでくれてももも、痛い痛い!ちょっと黒魔道士ちゃん!?耳引っ張らないでよ!?」
「だーれが黒魔道士だ。年下の女の子から菓子をせびろうとするなっての」
優理と同じ魔女風衣装(違いはスタイルの良さ)の女性と、横から現れた黒一色の魔法使いっぽいローブを纏った女性。長い杖を持っていてコスプレレベルが高い。
急に始まった漫才に戸惑うが、黒魔道士の女性がぺこりと頭を下げてお菓子を渡してくれる。
「あ、ありがとうございます」
「いーのいーの。ごめんね、うちの馬鹿が調子に乗ってさ」
「ば、ばかとはなんだい!」
「うちの阿呆がね」
「あほー!?」
「い、いえ。美味しそうなお菓子ありがとうございます」
「うん。そんじゃうちらは行くから。ハロウィン楽しもうねー」
「は、はいっ!ハッピーハロウィン!」
「ハッピーハロウィーン」
「ちょ、まだ話のとちゅ――あぁハッピーハロウィーーン!!」
嵐のように去っていく魔法使い二人と別れ、優理は次の標的に――。
「――やあやあ!そこの魔法使いのお嬢さん?今日は良い祝祭の日だね!」
「――可愛らしい魔法使いさん?お姉さんの吸血スイーツ食べてみない?――あ、トマト味だから安心してね?」
「――わー!わたしと同じ魔女っ子だね!写真撮影しよ?お菓子も交換しよー!あっ、言い忘れてた!ハッピーハロウィン!!」
「――ふふふ、バターの香りに誘われて、食い倒れ女参上よ。私のおすすめお菓子とあなたの上等限定クッキー、交換しない?」
「――トリック・オア・トリート!お菓子くれなきゃ――って早い!?もう差し出されてる!?いいよいいよ!私のお菓子も持っていきなーー!!」
次から次へと話しかけてくるコスプレ女性の群れ。
自分から声をかける暇もなく、わいわいきらきらとお喋り&お菓子交換&たまに写真撮影が続く。
最初に渋谷ハロウィンについて教えてくれた女性によれば、トリック・オア・トリートに対する返しはいくつかあるらしい。
一つは「トリート」、お菓子交換に応じる時のセリフだ。ほとんどの人がこれか二つ目の言葉を言う。
二つは「ハッピーハロウィン」、これもお菓子交換に応じるセリフで、優理の体感、トリートとハッピーハロウィンを両方言っている人が多い印象だった。
三つは「トリート・ユー」、悪戯を選ぶセリフで、発言者が相手に悪戯を行うことになる。
四つは「トリート・ミー」、三つ目の逆であり、発言者が悪戯を受けることになる。
トリック・オア・トリートは言った瞬間にお菓子を交換するか悪戯をするかされるか強制的に決まる魔法の言葉だった。
他人から悪戯を受ける可能性もあるので、度胸も必要である。
もちろん危険なことや不快なことをしてはいけない。しても胸を揉んだり尻を揉んだり、ハグしたり写真撮影したりと、その程度だ。全員女――という推定なので、その辺はボディタッチに寛容だった。
「……ひー、ちょっと休憩ー」
せっせとお菓子交換に励み、気づいたら鞄は空。紙袋はぱんぱんに詰まり、一部は入り切らず空になった鞄に入れることになってしまった。
お菓子交換してくれる人はほぼ全員手作りで、既に数十枚以上の名刺を手に入れている。これが前世なら絶対に悪用される。その点、この世界は男が絡まなければ前世よりも全体的に平和な気がする。男が絡まなければ。
ざわざわ動く人の波を眺めながら、波より数歩外の建物下で息をつく。
どこを見てもお菓子交換する人であふれ、深呼吸すれば甘かったり香ばしかったりと、お菓子の良い香りが全身に広がる。
ちらと袋を覗くと、やはり焼き菓子が多かった。中にはチョコレイトをコーティングしたものやデコレーションしたものもあり、手の込んだお菓子に頬が緩む。誰かのキラキラな想いの詰まったお菓子だと思うと、見ているだけで嬉しくなってしまう。
優理もいつかお菓子作りしてみよう、とそんなことを思う。思うだけで本当に作るかどうかは不明である。
改めて平和で心甘くなる光景を眺め、前世とは違うなぁとはっきり思った。
喧嘩もなければ言い争いの声もしない。お酒を飲んでいる人もいなければ、騒いでいる声もしない。皆がルールとマナーを守って行動しているおかげで、優しいお菓子交換の渋谷ハロウィンが守られている。
これでいいと思った。こういうのがいいと思った。
性欲逆転世界に生まれ変わっても恋人一人できず女装して配信してエロチャットしてエロボイス投稿してと意味不明な生活を送っているせいで、やっぱ世界ってゴミですね!とか思いそうになっていたが、この世界の渋谷ハロウィンの良さにちょっと思い直し――いやでも、僕に恋人がいないのは事実だし女の子とイチャイチャもできてないからなぁ。やっぱ世界ってゴミですね!!
哀れな童貞の叫びである。
益体のないことを考えつつ、そろそろ帰るかーと携帯を見る。時刻は十八時ちょっと過ぎ。優理が渋谷に来てちょうど一時間といったところだ。
お菓子もたくさん交換できたし、渋谷ハロウィンも体験できてここに長居するのもな、ということで駅に向けて一歩踏み出――。
「あ、あの……」
――そうとした足を戻す。
顔を横に向け、声の主に目を向ける。
「は、はっぴーはろうぃん……です」
見るからに"お菓子交換初です!"な女の子が優理に話しかけてきていた。
顔を真っ赤にして、もじもじっとしている。可愛い。しかし悲しいかな。優理にお菓子のストックはなかった。
「ハッピーハロウィン!ごめんね、もう自前のお菓子なくなっちゃったんだ」
そこですっごく悲しそうな顔をする少女に、優理は微笑み続けた。
「だからトリート・ユー?楽しい悪戯、させてもらっていいかな?」
「え、は、はいっ。ど、どうぞいつでもきてくだしゃいっ!」
少女の傍に立っている子は友達か何かなのだろう。微笑みながらも、警戒するような視線を優理に送ってきている。私ワルクナイヨーと安全アピールに重ねウインクをしておいた。胡散臭いものを見る目で見られる。なぜだ。
気を取り直して、これから可愛らしい少女にする悪戯だ。
見た目、黒髪ミディアムなふわふわっとした小柄な少女だが、年齢はたぶん優理と同じくらい。二十歳前後だろう。行う悪戯はもちろん悪いことではない。そんなことをしたら捕まるし、この平和な空間で変なことをしたくもない。自己嫌悪で死んでしまう。
なので、ここは優理らしく、優理にしかできないことをやってみる。
悪戯と聞いた時点で、これネットじゃなくてリアルの女性にどこまで効果あるんだろう、と思っていたこと。
こそこそっと首元を弄り、五感誤認アクセサリーのボイスチェンジャー機能をオフにする。
スッと近寄り、少女の耳元に唇を寄せた。
「じゃーん。実は僕、本当は男でしたー。悪戯だいせいこー(囁き男声」
「――――」
サッと身を引き、少女の様子を確認する。
目が合う。みるみるうちに顔が赤くなり、何か言いたそうに唇が震えていた。じっと見つめ、やんわりと微笑む。既にボイスチェンジャーはオンにしているので問題ない。
「――――ぴぅ」
「ありゃ」
変な鳴き声を上げて隣の子にもたれかかってしまった。
漫画だったら湯気でも出ていそうな顔の赤さだ。耳まで真っ赤になっている。林檎色の頬が可愛らしい。
隣にいた子が慌てて支え、同時にこちらを睨みつけてくる。文句を言われそうだったので、先に伝えておく。
「おっとっと!そう睨まないでよ。私は何もしてないよ!悪戯は……ほら、ちょこっとかっこいい台詞言っただけだから!心配なら傍にいてあげてね!私もう行くから!ハッピーハロウィーン!!」
「い、言われなくてもそばにいます!!」
後ろから聞こえる声に手を振り、たたたーっと駆けて……はいけないので、人の波に呑まれていく。
※数分後、少女二人の会話※
「……ねえみすずちゃん。わたしつかれたよ。そろそろ立ってよ」
「ご、ごめんねミコちゃん。足に力入らなくって……」
「ううん……いいけど、ほんとうに男のひとだったの?」
「……う、うん。声だけだけど、男の人って言ってたよ」
「そうなんだ……ふつうに女の子にみえたけど」
「私もそう見えたよ……けど、えっちな声してたなぁ……♡」
「……みすずちゃん、たぶん今のみすずちゃんがいちばんエッチだよ……」
人波を逃れ、優理はリアルASMRを振りまきながら渋谷駅を目指していた。
時間が経つに連れ人は増え、歩みはゆったりとしか動かなくなっている。人の多さに対し一切諍いなく、平和に隣合った人とお菓子交換を始めるのはこの世界における渋谷ハロウィンの象徴とも言える。
そのせいで余計に歩みが遅くなるのはご愛嬌だ。
優理も近くの人にASMRをプレゼントしているので文句は言えない。
というかプレゼント相手が呆然と立ち竦むため、一番迷惑をかけている可能性さえあった。ごめん、観光客の人たち。
イベント事のテンションにやられ大胆なことをしてしまった気もするが、なんとか駅にたどり着き、渋谷ハロウィンを脱出することができた。
たっぷりのお菓子が詰まった紙袋と鞄を抱え、優理は電車に揺られる。
携帯でSNSのミュミュを見ていると、妙な情報を目にした。
「……」
目で追っていると、徐々に頬が引きつってくる。
とりりか@toriririika23
ハロウィンでリアル男にASMRされた。思い出し
たらじわじわしてきた。こんなんされたら偽物
じゃ満足できなくなっちゃうじゃん……
おかしまいすたーちゃん@okamaebugyou
ハロウィンに男がいるという事実。デマっぽい
けど本当っぽい。私は会ってないんだけど。ど
ういうこと???わたしのおとこのひとはどこ
???????
H探し王女様@sasagasiprincess1202
あるきながらエッチな声振りまくとかもうそん
なのハロウィンのインキュバスじゃん。次の創
作がこれで決定です。
モテキ求道者@motemotematteru0812
ハロウィン男、これは女の集団が作り出した悪
霊です。悪霊でもいいから私のところにも来て
!おねがい!!
瞑想姫事@meisouhimegoto07
とんでもなくエッチな声でしたね。あれは。囁
き慣れてる感じでしたよ、あれは。エッチでし
たね、あれは。腕掴んで引き止めなかったのが
本当に悔やまれる
その他、色々情報が錯綜している。
トレンドに"#ハロウィン男"が入っており、変な声が出そうになった。
何をどう考えてもこのハロウィン男の正体は優理だった。
急に心臓がドキドキと早鐘を打ち始める。そぉっと周囲を流し見て、自分に注目している人がいないことを確認して安堵の息を吐く。
戦々恐々と電車を乗り継ぎ、家に帰って玄関の鍵を閉めてようやく気を緩める。
服を脱ぎ捨てシャワーを浴び、化粧も女装も落とした優理がいつものスタイル(インナーとパンツだけ)になり椅子に座る。疲れた。
「……はぁ」
ちょっと……いやかなりはしゃぎすぎた。
場の空気にやられてテンション高く遊びすぎてしまった。どう考えても性欲旺盛な女性相手にリアルASMRはやりすぎだ。下手したらお持ち帰りされて童貞喪失しているところだった――それもありだったのか?
いやだめだ。
大事なのはシチュエーションである。相手との関係性、過ごした時間が大事なのだ。
積み上げた信頼と経験が二人を繋ぐ架け橋となって、初夜の肉体的、精神的快楽を最大限に高める……たぶん、きっと。実体験がないので優理には想像しかできなかった。でもきっとそうなのだろう。そうあってほしい。というか絶対そうだ。ゲームだとそういうものだし……。
妄想は止めて、もう一度溜め息を吐く。
携帯を机に置き、今日明日はSNS断ちをしようと心に決めた。
自業自得だが、ハロウィン男のせいで変に疲れてしまった。
ぼんやり天井を眺め、ぐるぐると鳴るお腹に気づく。ちゃんと空腹だった。しかし料理の気分でもない。あまり動きたくない。作り置きを食べるにしても、先にお腹に何か入れておきたい。
「……あー」
あるじゃないか。それはもう、たっくさんもらってきたハロウィンのお菓子がある。
紙袋を漁り、ぽいぽいと机の上にお菓子の山を作りながら目的のものを探す。
どれかどれか。
「あったー……」
拾い上げ、リボンに挟み入れられた名刺をそっと横に置いて袋を開く。
バターとミルクと、香ばしく甘いクッキーの香りが部屋に広がる。
可愛らしい花型クッキーに頬を緩め、さくりと食んでみる。
「……ソルトクッキーかー」
優しい甘みにバッチリ塩気が効いた最高に優理好みなクッキーだった。見た目は可愛いが、中身はあの力強い筋肉の女性らしいお菓子だ。
ハロウィンお菓子の美味しさに笑みをこぼし、軽く伸びをしてからもう一枚、今度はそのまま口に放り込む。
腹が満たされ、疲れた身体と脳に糖分が補給されて動く気力も湧いてくる。
優理は立ち上がり、ゆるっとした笑みを浮かべキッチンに向かいながら呟く。
「ハッピーハロウィーン、なーんてねー」
誰にともなく、今日という祭りの日を祝うハロウィン男の姿がそこにはあった。
冷蔵庫にはカボチャがあったはず。今日はパンプキンチキンでも作ろうか。ハロウィンらしく、お化けカボチャらしく、ね。
――Tips――
「ハロウィン」
起源は ヨーロッパの古代祭礼"サウィン"だとされる。悪霊祓い、慰霊祭、収穫祭等いくつかの意味合いが重なり、長い時を経て今のハロウィンになった。
性欲逆転世界でも大筋は変わらず、現代日本のハロウィンの在り方のみが大きく異なっている。騒ぎはしゃぎ、楽しむ部分は変わらず、ただし収穫祭や慰霊祭の意味合いが色濃く残り、誰もがお菓子や食べ物を分け合う形となった。
渋谷、池袋、原宿等、日本の各地で仮装お菓子交換会が開かれている。とりわけカブやカボチャを使ったお菓子が企業間でも盛んに作られ、十月最後のこの日のためだけに食品会社がハロウィン菓子を開発することも多い。
※あとがき
以前取ったアンケート結果のハロウィン回です。
フォロー感想☆等ありがとうございます。
まだの方は下の方の☆を三つにしていただけるととても喜びます。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます