第4話 娘は母になる

妊娠中、母子手帳をとりにいったとき

「産後は育児以外はできるだけせず、眠れる時に寝てください。できれば里帰りをして家事は家族にまかせましょう」

と、役所の人に言われたのがはじまりだった。

私はその日からとても悩むことになる。


事あるごとに

“産後は本当に大変だから実家に頼った方がいい”

と言われる。

役所の人、助産師さん、先輩ママさん、職場の人、出産経験のある友人、出産経験のない友人。

10人が10人、みんなそう言う。

みんなが言うんだからきっとそうなのだろう。

でもわたしは、それを考えると胸のあたりがザワザワしてしまうのだ。


20代、運転免許を取得した。

はじめての運転は、父親が助手席に乗ることが多いと思うが、うちは母子家庭。

母の車を借り、初心者マークをつけて、母が助手席に乗った。

教習所以外で車を運転するのは初めてのため、わたしはとても緊張していた。


母の時代の教習所は、鬼の指導員に怒られながら運転をしていたそうだが、わたしのときにはもうそんな風習は残っておらず

とても腰の低い指導員の方に、敬語で、褒められながら教えてもらった。


母は車に乗り込むと、急に指導員スイッチが入り、厳しい口調になった。

(母が指導員だったことは一度もない。演技派なのだ)

早く行け、スピードを出せ、そこを曲がれ!違うそこじゃない!遅い!

実際の教習所では聞かない言葉のオンパレードで叫ばれ、わたしはかなり動揺した。


ほんの10分ほどのドライブだったが、汗でハンドルが滑るほど恐怖の時間だった。

最後に駐車をするのだが、下手くそだしセンスもないし全然うまくいかない。

母の口調でイラついているのがわかる。

とうとう言ってることが理解できなくなり、

わたしは最終的に車から降りて泣きながらバスで帰った。

それ以降、運転をするたびにそれを思い出しては変な汗をかくようになった。

今ではもう立派なペーパードライバーだ。


この経験は、わたしが会社員時代、新人さんに教えるときの反面教師にしているぐらい強烈だった。


こんな話をしておいて擁護するわけではないが、母は基本的に明るくて楽しい人だ。

情に厚く、働き者で、常に周りに人がいて、太陽みたいな人だ。

いい距離感で親子関係も良好だし、感謝もしている。

妊娠も喜んでくれて、体の心配もしてくれて、実家に顔を出すときにはわたしの好きな物を用意しといてくれる。


だけど。

だけどやっぱり。


産後の里帰りを想像すると、どうしても助手席に乗った指導員の母親が脳裏に浮かんできてしまうのだ。


わたしはきっと、産後の里帰りはしないほうがいいだろう。

それによって体も心も自分の経験したことのない大変さを味わうかもしれない。

わかってる。頼れるものは全力で頼った方がいい。

頭では理解している。

でもわたしの心は拒否していた。


わたしは退院後からこの家で夫と一緒に育児がしたい。

理由は言わなかった。

周りにはやんわり反対された。みんな言うことは同じだ。

夫だけは、育休をとるから一緒に頑張ろうと言ってくれた。


こうして初日から、新米父母と新生児の3人の暮らしがはじまった。


生後1週間が経ち、母が赤ん坊に会いにきてくれた。

夫が車で母の送り迎えをしてくれた。

母はたくさんのご飯を持ってきてくれ、正直ありがたかった。

掃除も洗濯も積極的にしてくれる夫だが、料理だけができなかったからだ。


その1週間後、母からこう連絡がきた。

「またご飯を持って行くので、迎えにきてくれる?」

育休中とはいえ当たり前のように夫を足に使う母に嫌悪感を抱いた。

3回ほどこういう連絡があったが、わたしは全て

「食べるものはなんとかなってるから大丈夫だよ、ありがとう」

と言って断った。



その後も、母は会うたび

「母乳で育てなさい」

「足がひんやりしてるけど靴下はかせないの?」

「ミトンは?」

「抱き癖がつくよ」

と、こんなこと言う人いまだにいるの?というような死語のオンパレードを悪気もなく放つ。

その度にわたしはやんわりとかわし、やっぱり里帰りしなくてよかった、と過去の私に拍手をおくるのだ。

(本来であれば娘の私が知識を訂正するのがいいと思うのだが、年齢なのか性格なのか、頑固だし面倒くさい)


夫と二人で試行錯誤しながらも乗り切れたのは、以前書いた通り、新生児期は寝てばかりの【イージーモード】だったからかもしれない。

赤ちゃんの個性もあるし大変じゃないとは絶対的に言えない。

実際体はバッキバキ、常に眠い、産後のホルモン変化についていけない人もいる。

でもわたしの心は自分が想像していたよりもずっと元気だった。

わたしのように里帰りに心が納得しないけど周りの言うこと聞いた方がいいのか?と不安に思ってる人に、自分の勘や心の声を信じてと伝えてあげたい。

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